2005.09.02 (Fri)   女帝の古代史(成清弘和著 講談社現代新書)
 
 書き手とプロデュース側の思惑が一致するからといって、一般読者の興味を惹く史書がかならずしも上梓されることはない。ふつう私たち読み手はそう思うし、一般向きの史書というふれこみで刊行された多くの類書はほぼ同じ轍を踏んできた。
 
 雅子さまの健康状態の芳しくないため、お茶の間に登場する愛子さまの回数が激減したことや、政局が解散総選挙という事態に向ったことでメディアの関心もいっせいに選挙へと移り、皇室典範見直しの議論が下火になった時期であるにもかかわらず、古代日本史に不案内な読み手をもぐいぐいと引っ張っていく本著の面白さは秀逸。「第一章」に登場する卑弥呼、神功皇后など古代女王の特異な存在感を見事に表出している。
 
 この一文を記そうと思った矢先(8月31日)、「皇室典範会議(小泉首相の私的諮問機関=皇室典範の関する有識者会議)が、女性天皇継承案を軸に検討へ」というニュースが飛び込んできた。これは女性天皇とその子孫の継承を認める案を前向きに推進するということであり、ふたたび愛子さまが注目されそうだ。
本著によると、日本書紀の記述から仲哀天皇の皇后・神功を卑弥呼になぞらえていると記し、古事記の記述とはおもむきを異にすることをまず読者に明示する。仲哀天皇はヤマトタケルの第二子、ヤマトタケルは景行天皇の子である。
 
 古事記はヤマトタケルの英雄譚に多くを割き、梅原猛作、市川猿之助演出・主演のスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」は古典歌舞伎には見られないストーリー、スペクタクル、スピードで成功したが、著者は前記の3Sにサスペンスを添えて4Sにしたといっても過言ではない。
創作ではなく史料から導かれた史実を著者は描いているはずなのに、幾人かの女帝の在りようは、それを舞台でみているかのような臨場感がある。
 
 書紀の記述内容と比較すれば、古事記のほうがストーリー性に富み、神功皇后は政事を司る祭司としてではなく神がかった祭主として、『むしろシャーマンに近いように思われる』と著者は述べているが、これは記紀の特性(日本書紀は歴史記述性が濃厚)の違いでもあり興味深い。
時代は下るが、平安時代の院政にみられる「上皇または法皇」と「天皇」の違いはというと‥。祭司王の色合いの強い古代王・天皇が中世に適応しにくくなった一形態が上皇であり、早い話、天皇は早朝に起床し、やんごとなき所で神事をおこなわねばならず、肉体的負担が大変ゆえ政事と祭司を分担することとなったのが院政‥天皇が祭司、上皇が政事‥であるとする説もあるが、一般向けにはよくても根拠が曖昧。
 
 本著では古代女王(女帝)にも政事をおこなう統治能力が十分そなわっていたと指摘し、先達の学説を参考にしつつも、彼らが見すごしていたか、あるいは、思考途上で波のまにまに砕け散っていったことどもを日中の史料を駆使しながら大胆に推理、構築してゆく。サスペンスに満ちているゆえんである。
 
 話は前後する。神に仕える天皇より神に仕えない上皇(または法皇)のほうが優位に立つというのも、俗見に従って神は象徴、政事は実践という観点に立ってみれば、クニを動かすのは祭司ではなく政事、したがって政事が優位という考えは特段不思議ではない。
 「第一章」で興味をひかれるのは、『神功「皇后」はまさにシャーマンとして神がかりし、神の告知を「沙庭(さにわ)」(神の言葉を人間にわかりやすく伝える者)‥中略‥を介して人間に伝える。このような記述は「古事記」に数多くみえ云々』という箇所である。
 
 長年にわたって沙庭をした方を私は知っており、本業は新聞社の審査部勤務であったが、ゆえあって、昭和30年ごろ宗教法人に登記されたある神道系新興宗教(ご祭神は「天御中主神」‥あめのみなかぬしのかみ)の祭主(女性)の沙庭となり、本業の傍らというより、本業そっちのけで、その宗教法人の祭主(代表役員で教祖でもあった)がおこなう神事の沙庭として修行にいそしんでおられた。
神事は不意におこなわれることもある。沙庭という役目上、平日、休日を問わず休暇を取らざるをえず、新聞社勤務をおろそかにすること頻繁であったが、当時の社主はその方を可愛がっていたのか、わがままを大目にみていたようである。
思い起こせばその方は信仰心が篤いというより、信仰心そのものを体現された方であった。そして、その方の後任として沙庭となった人は大阪中央郵便局に勤務していた。
 
 20世紀、21世紀においても神事や祭祀を本業と同等か、本業以上に重視する人の存在を確認できるということは、8世紀以前の王族とその一族、王族と縁戚関係を持つ人々が政事のみならず祭司に強い関心を寄せていたことは容易に想像できる。政事力と祭司力に長けた者が王となるか、王を補佐するかの確率は高かったのである。
以上は「女帝の古代史」のプロローグ。スペクタクルとサスペンスが随所に散りばめられ引き込まれるように読み進んでしまうのは、「第二章 男王・女王の共同統治」以降である。
 
 
 従来の古代日本史研究は現存史料のすくなさもあって中国の史料・史書にたよる傾向が強く、その上、儒教的男尊女卑思考が敷衍し、女性の統治能力に否定的な見方が一般的であった。著者は女性にも顕著な統治能力があったことを史上初の女帝・推古天皇や、大化改新時の女帝・皇極天皇、さらには持統、孝謙両天皇を例に展開してゆく。
論拠の過程で卑弥呼以降、4〜5世紀に多くの女性首長の存在したことをさまざまな資料や記紀の伝承から裏付け、女性の社会的地位の高かったことをも証明してゆくのである。
それは当時の女性に所有権や相続権が認められていたことから認知されるという。そういった社会的背景が従来型通説の『女性首長を祭祀のみに結びつけるのは強引』とする著者の論拠となって小気味よい。
 
 仁左衛門、菊五郎の得意とする歌舞伎狂言「土蜘」(つちぐも)は、古代の賤民思想の名残といったのはだれであったか。著者は、『「土蜘蛛」(つちぐも)と記された女性首長の多くは、ヤマト政権に征服された小地域の首長というイメージ』と述べている。
読者の興味を惹きそうな記述の一つに皇極天皇と蘇我蝦夷との「雨乞い合戦」伝承がある。詳細は同著をお読みいただければわかる。さらには「日本書紀」編者が、『唐の律令制からもたらされる男王中心主義』を偏重するあまり、『女帝・推古が統治者であったことを嫌い、推古政権発足当初より、聖徳太子の支えがあったかのように位置づけたのではないか』と推論する。著者が仕掛けたサスペンスの萌芽といってよいだろう。
 
 サスペンスはほかにも用意されている。
大化改新後、中大兄皇子の即位がおくれた最大の理由は、母・皇極天皇が『中大兄が自ら蘇我入鹿暗殺に手を下した瑕疵』ゆえに、紆余曲折をへて中大兄を天皇即位にいたらしめたとする箇所で、サスペンスそのものではないか。
次に、皇極天皇がふたたび即位して斉明天皇となった後、おそらく六十歳代の高齢にもかかわらず彼女自ら『百済救援軍の後方支援に向った』という記事を引き合いに出し、『自らの主体性において女王としてただ一人、対外戦争の指揮を執った人物』と述べている。これはもう史実をこえて、著者のそういう表現自体がある種のスペクタクルとなっている。
 
 スペクタクルはまだある。
持統天皇について述べられた『律令制下では女帝は男帝と同等のものであった』から『持統女帝の事績』までの快刀乱麻の筆致は著者のすがたが浮かんできそうな気配。文章のキレがよく、立体的で躍動感に満ち、角々の決まりも決まって読ませる。著者は関西の私大講師でもあり、もしかしたら本著の下地となったのは講義ノートかもしれないのだが、そうでなかったとしても、十全の下準備をした講師の講義を生で聴いているようなイキのよさなのだ。
 
 『第五章 古代日本ではなぜ女帝(王)が輩出したのか』では、女性の財産所有権が、中国・唐の律令制の影響をかぶり、日本独自のよさを失っていったとも述べ、養老令で女性の財産所有権や相続権が復活したとも述べている。
しかし、『前近代的中国の父系社会に成立した律令制』という大きな壁が立ちはだかり、その後の日本の支配者階層もその壁を取り払わなかったために、『男女が対等に近かった固有の双方的社会が圧迫され』、『女帝などの女性統治者が姿を消していくことになったのだろう』と推論する。
 
 ここまで来れば凡夫といえども著者の一貫して述べていることに気づくというもので、著者は日本流の方法のすばらしさ、女性の社会的地位が安定していることの得がたさ、女性の諸々の権利が長きにわたって阻害されてきたことなどを読者に明示し、女性天皇の存在意義を暗にうったえるとともに21世紀の日本の在り方を私たちに示唆している。
単なるおそなえものではなく、ましてや飾り物でもない古代日本の女帝が、なぜ女帝たりえたのかを探ることによって。成清弘和著『女帝の古代史』は、秋の夜長、耽読するに十分な一滴である。


Past Index Future