2003.11.16 (Sun)   グレコ―トレドの秘密(モーリス・バレス著 吉川一義訳・筑摩書房)
 
 モーリス・バレス(1862〜1923)についてV・L・ソーニエは「芝居がかった国粋主義、芸術家的ロマン主義を保つことでひとつの時代のすぐれた証人、世紀末のヴィクトル・ユゴーとなった彼の文体は魅力的であり、魅惑家シャトーブリアンの流れをくむ色彩と音楽の豊かさをもつ」と評している(「十九世紀フランス文学」白水社刊=原題は「ロマン的世紀のフランス文学」=第五章《自我と他者の世代》)。
 
 そしてまた、このコーナーでご紹介したジャン・グルニエは「孤島」のなかで、『モーリス・バレスのものをを読んだとき、人はトレドの町を悲劇的なすがたの下に想像する。そして、その大聖堂やグレコの絵画をながめながら感動しようとつとめる。しかし、それよりもむしろ、あてもなく町をさまようか、噴水のふちに腰かけて、女たちや子供たちが通りすぎるのをみたほうがよい』と記している。
 
 さらにアルベール・カミュは『孤独そのものの言葉を、今日読むことのできる最も純粋で、最も韻律的で、最も温かい言葉の一つを語ったのです。これほど音楽的な言葉を求めるにはシャトーブリアンやバレスにまで遡らなければならないでしょう』(「カミュ=グルニエ往復書簡補随U・国文社刊)とバレスについてふれている。
 
 「グレコ―トレドの秘密」の訳者・吉川一義の師は「孤島」の名訳で知られる井上究一郎である。井上究一郎は吉川氏に「バレスのグレコはいいものですから」といって訳者を励ましたというが、それは、グレコの絵が秀逸であるという意味ではあるまい。
バレスの文章に描かれたグレコの絵が妙なるかがやきにみちていたということであり、バレスの目に映ったトレドには無上の音楽が奏でられていたということであろう。それはカミュの上記の文章でも窺い知ることができる。
 
 私は二度トレドに行ったが、トレドに行かなくても、プラド美術館でグレコの絵をみなくても、それらの魅力は分かる人には分かるだろう、バレスの書を読めば‥それほどにバレスは分かりやすく書いている。バレスの筆のタッチは、専門家にしか分からないほどせまいものではなく、読めばだれにでも分かるひろさをもっているのである。
 
 訳者は、『フランスの作家の書いた美術論には、ディドロのシャルダン論をはじめ、ボードレールのドラクロワ論や、ヴァレリーのレオナルド・ダ・ヴィンチ論など、独創的なものが多いが、このパレスのエル・グレコ論は、そのなかの白眉といっても過言ではないであろう』という。
 
 それはそれとして、私にはこの書がスペインの古都トレドに関する恰好の案内書であると思うのだ。グレコはもとより、トレドを専門に研究したわけのものでもない者に対してかくも平易で、しかも詩情豊かにトレドの全容を語った書がほかにあったろうか。これは、トレドの魅力をあますところなく網羅した最良のガイドブックなのである。
 
 岩盤の上にそびえる城塞都市トレドは、古来よりさまざまな文明‥古代ローマ、西ゴート、イスラム、カトリック‥が交錯、横溢し、融合してゆく「文明の坩堝」としての役割を担ったトレド。「スペイン史のもっとも輝かしく、もっとも示唆にとむ要約」であり、「たった一日しかスペインにさけない旅人は、その一日を迷わずトレド観光にあてるべきである」という碩学コシオの言はまんざら誇張ではない。
 
 『すべては光のなかに沈んでいる。赤みを帯びた大地のうえに緑色の雲がかかっているのをべつにすれば、風景はどこまでも鹿毛(かげ)色の広がりだ。それを見ていると、スペイン絵画の描きかたに合点がいくはずである。この表土の剥がれた大地は、ベラスケスや、エル・グレコの画と同じように人の心を打つ。まったく同じ色調であり、同じ尊大さである。すべて美しくありたいという意志のあらわれなのだ。』
 
 『ビルヘン・デル・バリュ(谷間の聖母マリアの意‥町の真向かい、タホ川の左岸に建つちいさな隠者の館。ここの礼拝堂からトレドの町が見わたせる‥)から眺めたトレドの光景が、この世のものとは思えないほどすばらしいものになるのは夕暮れどきである。
町を力強く支えている花崗岩の地盤がすっかり紫色に染まるころ、山並みをこえてきた最後の陽光がトレドの町にふりそそぐと、町はすみずみまで黄色い炎に包まれて、影さえほとんど見られない。やがて、岩山が夕闇のなかに沈むと、真っ赤に染まった空にそのシルエットがくっきり浮かびあがる。
あかあかと町を照らし出していた空のあかりも、やがて消え、町にも夜の帳がおりてくる。すると、ひとつ、またひとつと、遺跡に明かりが灯ってゆくのだが、それは聖母マリアの祭壇に夜通し灯されるローソクの光を思わせる。』
 
 『かのマラゲーニャ、つまりマラガの民謡で、四行の詩句にたいそう複雑な思いを盛りこんであるが、どんな無学な人にも、たやすく理解できるものである。それがアンダルシアからやって来て、哀愁の抑揚にのせられ、モスクの尖塔あら祈りの時が告げられるのとそっくりの調子で歌われている。マラゲーニャの最初の一節が、明るく光る大気のなかに投げ出されたとたん、自然も、私たちの心も、元気よく立ちあがり、花となって咲く。』
 
 『十六歳になるトレド娘の眼差しには、なんという才気が宿っていることだろう。こうした才気を宿すべく、娘たちは小さいころから心がけており、年をとった女でも、その輝きを失わないのである。‥(中略)‥ 
彼女たちは厚かましいところもなければ、謙遜しすぎることもなく、その眼差しにはすばらしい心根があふれている。私が当地の女性でとくに感心するのは、古い文明に根ざした町にふさわしく、おっとりとして、礼儀正しいところである。』
 
 こうした文章が次から次へとあらわれ、いやがおうでも旅情をかき立てるのだが、トレド観光の極めつきは、タホ川の対岸からながめる夕景である。夕暮れどきの絶景に較べれば、昼間みるトレドは完膚なきまでに色あせてしまうのだ。バレス自身がもっとも力を入れたのも、ビルヘン・デル・バリュからの夕暮れであろう。
グルニエが「孤島」に『あてもなく町をさまよう』と書いたのは、トレドがそういう観光の仕方をするのにふさわしい町であるというメッセージではなかったか。
 
 グレコの絵にはスペイン精神の両面=ドン・キホーテのとりとめのなさと幻影、サンチョの凡庸と俗気=がやや常軌を逸したかたちであらわれているが、それでも幻影のほうが優位を占めているもののようである。
旅をして忘れられない町というのは、私たちに現実を強いる町ではあるまい、むしろ、私たちが幻影にとりつかれる町のほうが心にのこるはずである。「美しく毅然とした女のすがた」と書くより、「凛然としてはいるが落魄した女のすがた」と記すほうが幻影を呼ぶように。
 
 そしてその幻影とは、現実とまったくかけ離れた類のものではなく、現実と行ったり来たりする類のものであるべきだろう。グレコの絵と違って、幻影より現実が優位を占めねばならないが‥‥。それをバレスはこんな風に記している。
『南行き急行列車のなかで久しぶりにカスティーリャ女性のしゃがれたなまりを耳にしたり、風の吹き抜ける山あいの不毛の地を目のあたりにしたりすると、もう身体中がぞくぞくして、心配ごとや、もの想いなどは、すべて吹っ飛んでしまうのだ。』

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