2003.07.26 (Sat)   夢の終わり(2) 〔ゲール・E・メーヨー著 持田鋼一郎訳 みすず書房〕
 
 風光明媚と定評のある土地というのは「名物にうまいものなし」の類で、そんなことはゲールの眼中になかった。彼女がこよなく愛したのは以下に記すようなジュラの風景なのだ。ジュラ地方を紹介した書は数多いが、アルレー村にふれた書は僅少ではなかろうか。
 
 『ヨタカの鳴き声は天気の変化する兆しだった。春になると部屋中にライラックの香りが漂った。季節は巡って行った。時間は、朝の七時と夜の七時に鳴る鐘の音が告げた。そして、教会が城壁の真下にあったから、鐘の音はすぐ近くに聞こえた。その深く澄んだ音は、石の建物を輪のように駆けめぐり、螺旋階段の上へと鳴り渡った。屋根裏部屋を響(とよ)もすと再び外を走り、田園を渡り、すべての谷を下った。
そして、その音は、時を刻むかわりに、ここでは時が流れないことを証した。なぜなら、その鐘の音は、いつ鳴り出したか誰も知らないほど昔から鳴り続け、悠久の時の果てまで時を刻み続けるであろうから。』
 
 ゲールには途方もない時間の空費があったにもかかわらず、いや、あったからこそ、ジュラのちいさな村のたぐいまれで途方もない美しさを感得できたのであろうし、彼女の魂がそこをのぞき、ここならばと安息したのである。自分を知るとはそういうことなのだ。
 
 そしてまたゲールの安住の地とは、『家は小さくて暖かく、スタンダールの小説のある箇所を思い出させる。広い渓谷に隠れ、夢のような姿の木に覆われた丘に囲まれ、しばしば白いもやがほんの少し水平に漂っている背景の中で、その家は現実の世界から切り離され、夢の彼方に存在しているように見える』ところなのである。
 
 ゲールが終生愛してやまなかったのはアルレー村とフロントネの城の景観である。そこは、さえぎるもののない視界が広がったかとおもうと、ほの暗い森の国の小径が延々とつづき、泉のほとりには野生のニンニクが星のような白い花をつけて群生する村であり、積み上げられた大きな丸太の彼方の丘まで木々は生い茂り、その枝の下には青霞がたなびき、景色の一つ一つが未知の世界を秘めている場所なのである。
 
 アルレー村についてゲールはさらにこう言及する。
『1276年、シャロン・アルレー男爵は、いかなる異邦人も泥棒、人殺し、暴力、姦淫があってはならないという条件を受け容れれば、アルレーに住むことを許した。ただし、最後の姦淫については家族以外の二人の目撃者が必要とされ、間男は噂だけで逮捕されるのではなく、「ズボンをずり下ろしている」ところを逮捕された。処罰は科料のみだった。』
不適切な関係に寛大なのはフランスの伝統であってみれば、説明の要はない。
 
 ジュラを含むフランシュ・コンテ地方がかつてスペイン領であったことはすでに記したのであったが、ジュラはスペイン人の統治下においては平和な地方であったらしく、ゲールは『スペイン人はジュラに文明の香りを残し、文明人として名高いフランス人が、略奪と強姦と死の記憶を残しているのは一つのパラドックスである。
フランス軍はくりかえし、くりかえし攻撃した。ごく普通の本では、フランシュ・コンテ州が1674年についにフランス領になったことについて通り一遍の記述しかしていない。しかし、地方史にはおそるべき蛮行と流血の記述が見られる。』といい、
 
 また、ジュラの人々がフランスとの闘いを何世代も受け継いできたために、ある農家の一族はすぐ近くに住んでいたにもかかわらず、昔の裏切り行為を根にもって二十年間も口をきかないともいい、『フランシュ・コンテの人々の忠誠心には驚嘆すべきものがあるが、ひとたび恨みを抱くとそれはジュラの嵐、あるいはアン川の渦(多くの人が溺れた)さながらの激しいものだった。』とも記している。
 
 時間をかけて失うものもあり、また、失ったものを取りもどすこともある。それは体力や集中力のおとろえであったり、判断力の深化であったりもするが、場合によっては土のなかで育まれつつもなかなか表面に出てこない新芽があり、その萌芽を手助けする何かを私たちは時間と呼んでいるのかもしれない。
そして時には、根くされしている根の本来もつ生命力をよみがえらせるのも時間であってみれば、時間の経過は良くも悪くも私たちを左右する要因。
 
 「夢の終わり」の刊行されたのは1997年6月で、いまふたたび読みかえしてみると、6年間に私の身辺でおきた様々な変化などどこ吹く風、年を経るごとに美しいものへの思い入れが樫の木の年輪のように密度をましてきた。
すぐれたエッセイは私小説と同じおもむきがあり、この書はゲールの私小説なのだ。私が最初これを読んだときは思いもよらなかったが、ゲールという女性の存在が私の血液のすみずみにまでゆきわたり、えもいわれぬ感覚にみたされた。
 
そしてそれは、彼女のよろこびと憂いの凝集物が一旦空中に飛散した後、脳を経由しないで直(じか)に血管に入ってきたという感じなのである。それはあたかも、魂の震撼をおぼえるほどの美しい光景をみたとき、感動が脳からではなく皮膚から入って鳥肌が立つさまに似ている‥。ゲールの魂が魂をのぞいたように私の魂もそういう仕草をしたのだろうか。
 
 城を去ってからのゲールは、日々こころの口を「ヘの字」に曲げていたのかもしれない。
事実、彼女は『自分からすすんで城を去ったのではない私の一部は長いことまだそこに留まっていた』と記している。彼女はいく度となくジュラにもどった、思い出と再会するために。
 
 ゲールは夢の途中で経験したことを思い出しては書き、書いては思い出したに違いない。
深い経験は、あとになればなるほどその深さが見えてくる。それが自らを知るということなのであり、いやおうなしに自分が本当に愛したもの、真に影響を受けたものが何であったかを知るのである。それなくして名著の誕生はない。
 
 『ジュラでは、実に嘆かわしくなるほど景観がそこなわれている。ほとんどの県で、住民は地元の建築様式を守ろうとしているが、ジュラの住民にはその意識が欠けており、不様なごった煮のような景観を生み出すに至っている。(中略) しかしそれにもかかわらず、ジュラは美しさを失っていない。
ほとんどごった煮になってしまった景観の近くでは、昔を知っている人々にとってジュラは飼い慣らされた生き物のようにみえるかもしれないが、レクーヴェットの高地やプラーヌからシャトー・シャロンにいたるローマ時代の街道沿いのジュラは、真のおのれの姿を失ってはいない。人に知られぬ静かな湖、鬱蒼と茂った森、斑の入ったオレンジ色のサンショウウオの国であり、百合の花の咲く国である。』
 
 ゲール・E・メーヨー、シャンブレ伯爵夫人は1992年10月16日、長年に及ぶ癌との苦闘のすえロンドンで亡くなった。夢の終わりは彼女の魂の形見である。


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