2003.07.24 (Thu)   夢の終わり(ゲール・E・メーヨー著 持田鋼一郎訳・みすず書房)
 
 「夢の終わり」の原題は「THE END OF A DREAM」、著者のゲール・エルトン・メーヨー(1923〜1992)はオーストラリアのブリスベンに生まれ、ロンドンで没した。文才だけでなく画才にも音楽の才能にもめぐまれ、その上天与の美貌にもめぐまれていた。
 
 「終章」をしみじみと読めば本著の全容がみえてくる。私は最初に終章を読んだために、もう全部読み終えた気になってしまった。夢の終わりとは何とやるせないひびきであろう‥終章を最初に読んだのは、書名がことのほか重く心にのしかかってきたからである。
 
 『本書は消え行くヨーロッパを嘆き悲しむために書かれたのではない、ときにはノスタルジアの余地があるにしても。…しかし大切な何かを失わないようには試みている。悪いのは変化ではなく…変化はどんなときにも存在する…変化が速すぎるということだ。ガソリン・スタンドのかたわらに、十八世紀の家が建っている不釣り合い…。
 
 今次の大戦まで、変化はいつも発展だった。ショックでもなければ、神経を苛立たせるものでもなかった。変化は、植物の接ぎ木のように、ヨーロッパの古い根っこから、何世紀ものあいだいつもそうだったようにその過去から育つものだった。
 
 古い国境線が厳密さを失い始めるにつれ、新しいヨーロッパ(おそらく連邦制の)が生まれるだろう。長い間戦争が起きなければ、地域の再生する余地が生まれる…安全が保証され、近隣諸国はもう闘うことはない。各々の地域の一体感が発展して行くことは、希望を生む…その場合、地域は失われるのではなく、発見されるのだ。
そして、消え去ったものの…これは一つの形見である。』
 
 上記が終章の主たる部分なのであるが、実はその前に以下の文章が記されている。
『北の町にある八百屋の店頭で。‥‥「これは何ていう品種のブドウかしら」 「種なしです」
ロンドンのバスに乗っている少女二人。‥‥「あなた、お休みはどこに行ったの」 「パルマ」 「それはどこにあるの」 「知らないわ。飛行機で行ったの」
珍妙で哀しい世界、そこでは原初の意識が失われてしまった。』
 
 終章につづく「ドロームでの晩餐」ーこの本を書き終えた後でーは著者がカフェで小耳にはさんだ会話、あるいはその二人が台所で交わすであろう会話の想像という設定の文章なのだが、これがまた面白い。『僕たちはバカンスだけこの辺に住むパリジャンとは違う。パリジャンは軽蔑される。パリジャン以外のフランス人はパリジャンがみな大嫌いのようだ。』(男) 
 
 『パッケージ・ツアーは自分たちがどこにいるのか分からない人々をどさっと運び込む。ここはどこだと連中は尋ねる。分からないんだよ、旅行代理店が割安ですよといった場所に来ただけで。』(男)
『世間の人は筋書きを考える。お芝居の中では、何かが起こらなきゃ困る。でも、私がここを気に入っているのは、何も起こらないから。』(女)
 
 これだけでもゲールが都会の喧噪と猥雑を嫌っているのが容易に分かるというもので、こういう境地に達するまでには相当期間、時間を結果的に空費せざるをえなかったゲールの人生がみえてくる。
八歳のとき、両親の希望で‥ヨーロッパ風の教育を受けさせる‥ゲールは英国の寄宿舎に入れられた。幼くして親の膝元を離れ、ある種の孤独とつき合わねばならなかった子が自らをデラシネ(根なし草)と思ったとしても何の不思議もあるまい。「夢の終わり」は空白の日々を過ごしてきた少女が長じて語ったモノローグなのかもしれない。
 
 ゲールは生涯に四度結婚する。結婚回数で判断すべきことではないが、回数は彼女が美貌の持主であったことより、彼女が根なし草であったということにかかわっていたのではないだろうか。ゲールは好き合った男女の正常なかたちが結婚生活であるべきはずだと思っていた。単なる同衾はゲールの好むところではなかったのである。
同衾をどれほど長くつづけても、彼女が望むような安定をもたらさないからだ。デラシネは表面はともかく、心の奥底で安定を渇望するもののようである。
 
 しかしながら一方で、ゲールは結婚生活に縛られることのない自由な女に羨望のまなざしを投げかけており、それは次の文章で窺い知れる。
 
 『村を二つに分かつ丘の中腹に一軒の家が建っていた。ここにはトゥーレという苗字だけが知られている男が住んでいた。無口で、恐ろしいほど男前だった。村人との交際を嫌い、誰も彼と親しく口をきいた者はいなかった。ある年、彼は80マイル離れたリヨン市の新聞に女中募集の広告を出した。中年というより初老に近い女が応じたが、主人とベッドを共にすることも仕事の内であることを知った。』 (中略)
 
 『あるとき、彼(トゥーレ)は私の手の甲にクエッチ酒をなすりつけ、匂いを嗅いでみろと言った。ゲランの香水を買うときのようだ、と私は思った。その芳香は果実の花が開き、濡れた草が露を宿す、果樹園の朝を思い起こさせた。とびきりの味の果実の匂いだった。
私が喜ぶと、トゥーレに笑みが浮かびかけた。いままで彼の顔にそんな表情を見たのは、その時一回きりだった。その瞬間、彼の女が鋭い射るような目をして戸口に現れ、自分も利き酒に加わっていいかと尋ねた。女の長い灰色の髪は肩に垂れ、丁度ウエストの下まであるシャツを着、太腿はむき出しでブルマーをはいていなかった。ネズミが一匹いるような股ぐらを拡げた、老いたるオフェリアといったところだった。』
 
 この女への優越感とともに、ある種の蔑みの念を抱いているゲールの様子が読みとれるのだが、初老に近い女が主人とベッドを共にする、つまり同衾することを心のどこかでねたましく思っている姿もみえてくるのである。
トゥーレが恐ろしいほどの美男であってみれば、その思いは羨望というよりも許しがたい感情であったものと推察されるが、ゲールの価値観をもってすれば、結婚のかたちをとらない同衾の継続は論外であり、論外ゆえにねたましくもあったのである。
 
 
 さて、「夢の終わり」はゲールの四度目の結婚が彼女にとって創作意欲を鼓舞する好機となったことから書かれた。四人目の夫はフランシュ・コンテ州のジュラ県フロントネに古城を有するアントニオ・ビュンヴェニーダ伯爵であった。その古城での生活、および高地プロヴァンスのかぎりない愛着を綴ったのが本書なのだ。
 
 いうまでもなくジュラの名は恐竜の化石でおなじみのジュラ紀に使われているのだが、ジュラの山々からそれらは発掘されたのである。ジュラ県(フランス東部、スイス国境に近い)にはルー渓谷、オルナン、アルボワ、シャンパニョルなどの風光明媚なところや村々があるが、ゲールはそんな場所には目もくれない。オルナンについては、『ルー川流域の小さな町である。画家クールベの生地で、その生家は現在、美術館になっている』云々と素っ気ない。
 
 あのブザンソンの町(ブザンソンにはフランス唯一の国立時計学校があり、19世紀半ば製作の天文時計で有名な聖ヨハネ大聖堂、そして、ヴィクトル・ユゴーやリュミエール兄弟の生家もある)ですらゲールは、『ヴィクトル・ユゴーが「古いスペインの都市」と呼んだこの町には、名高い劇場やいまとなっては貴重な田舎暮らしと、アッチラ大王による略奪のあった415年にまでさかのぼれる歴史がある。』と淡々と記すのみである。
 
 《筆者注:ユゴーがブザンソンを「古いスペインの都市」といっているのは、フランシュ・コンテ地方を父フェリペ一世から16世紀初頭に相続した神聖ローマ皇帝カール五世(スペイン王としてはカルロス一世)の存在ゆえである。カルロス一世は晩年ユステ(エストレマドゥラ地方)の修道院に引きこもるまで戦争と交渉、旅に明け暮れた。、また、ユゴー(1802〜1885)はたしかにブザンソン生まれだが、軍人であった父親の赴任事情のため生後わずか六ヶ月でブザンソンを離れた。したがって、ブザンソンを懐かしむ気持は稀薄と思われる。》
 
 ブザンソンは、巨大な大蛇が身をくねらせたようなドゥー川に取り囲まれた町で、そうした蛇行は南西フランス・ミディピレネーのカオール旧市街も同様である。ゲールが旅行案内書にたびたび紹介される類の観光名所に冷ややかなのは理由のないことではない。
魂でさえ自らを知るためには魂をのぞきこむ、といったのは誰であったか、真に彼女の魂をゆさぶり、畏怖の念をよびおこすものは、観光客がどっと押しよせる場所ではない、そんな場所に魂がのぞきこむ何もののありえようはずもないのである。
       
                         (未完)


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