2003.07.01 (Tue)   色を奏でる(志村ふくみ著 ちくま文庫)
  
 志村ふくみは染織家である。彼女との出会いは今から11年前の秋、人文書院から刊行された「語りかける花」を読んだときであった。爾来、旧著「一茎有情」(用美社刊‥後に筑摩書房より文庫化)、「一色一生」(求龍堂)を購入して読み、その後も「織と文」(求龍堂)を読んだ。染織家を長年なりわいとしている志村ふくみの色へのおどろくばかりの豊かで鋭い感性はそのまま文章に反映され、独特の味わいのある世界を構築している。
 
 染織家ならではの自作品の写真が掲載されているのも志村ふくみの著作の特長で、各々の文章に適した彼女の作品や風景写真が添えられていて目をたのしませてくれる。とりわけ「色を奏でる」は、文庫本といえども写真の格調高さは見事というほかはなく、美しい文章にさらなる彩りを加味し、私たちに染織の素晴らしさを垣間見せてくれるのである。
 
 「桜の匂い」のなかで『花びらから美しい桜色を染めるのではなく、あのゴツゴツした皮や枝からだということも、大岡(信)さんには意外だったようだ。花はすでに咲いてしまったのだから、そこからは色は出ないのである。木全体の一刻も休むことのない活動の精髄が、桜の花びらの色となるのだから、言葉の世界のできごとと同じではないか。』といい、さらに、
 
 『一見したところ全然別の色をしているが、全身で花びらの色を生み出そうとしてる大きな幹は、一語一語の花びらのように自分の思いや願いを言葉として表そうとしている我々自身ではないだろうか。そう考えてくれば、一語一語のささやかな言葉の、ささやかさそのものの大きな意味が実感されるのではないだろうか。美しい言葉、正しい言葉というものが、そのときはじめて私たちの身近なものになるだろう』と記している。
 
 私は、志村ふくみの著作の集大成が「色を奏でる」だと思っている。彼女自身の気にいっている文章が凝縮され、「色を奏でる」に過不足なく登場するからである。「蚕は天の虫」も、「野草の音色」のとけい草も‥。色を奏でるは彼女の文章のエッセンスなのだ。
「蚕は天の虫」では「遠野物語」のうつくしくもかなしい少女と馬の話を紹介し、結びにこう記している。『蚕は天の虫と書く。そしてなぜか一頭、二頭と呼ぶ。』
 
 小生がこの書を云々するより、この書の美しくも正しい文章を幾つか列挙するほうがよろしかろう、小生の「Book Review」はそういう小回りのきくところが美点とでもいうか‥。
 
      〔緑という色〕
 
 『緑の色は直接出すことができないが、そのかわり、青と黄をかけ合わせるこおによって緑が得られる。すなわち、藍がめに、刈安・くちなし・きはだなどの植物で染めた黄色の糸を浸けると、緑が生まれるのである。ほかの色は色が染まるというのに、緑のときだけはなぜか生まれるといいたくなる。(中略) 
 生きとし生けるものが、その生命をかぎりなくいとおしみ、一日も生の永かれと祈るにもかかわらず、生命は一刻一刻、死にむかって時を刻んでいる。とどまることがない。その生命を色であらわしたら、それが緑なのではないだろうか。』
 
 『朝、太陽がさし昇るとき、天地は金色の光に包まれ、夜、闇が迫るとき、天地は青い幕に閉ざされる。この大自然の循環は、光に近い色は黄色であり、闇に近い色は青であることを私たちに教えてくれる。この黄色と青こそは、あらゆる色彩の両極をなす二原色であり、その間に無量の色彩が存在する。』
 
      〔光の旅〕
 
 『光が現世界に入りさまざまな状況に出会うときに示す多様な表情を、色彩としてとらえたゲーテは「色彩は光の行為であり、受苦である」といった。この言葉に出会ったとき、私は永年の謎が一瞬にして解けた思いがした。
 光は屈折し、別離し、さまざまの色彩としてこの世に宿る。植物から色が抽出され、媒染されるのも、人間がさまざまな事象に出会い、苦しみを受け、自身の色に染めあげられてゆくのも、根源は一つであり、光の旅ではないだろうか。
 生命の源、太陽から発した光が地上を美しい色彩で覆う日もあれば、思いがけない障害をうけて、影となり、曇りとなり、闇に達することもあり、地中にあって鉱石を染め、草の根に光を宿すこともあるのだと。』
 
      〔運・根・鈍〕
 
 『鈍ということは、一回でわかってしまうことを、何回も何回もくりかえしやらないとわからない。くりかえしやっていると、一回でわかったものとは本質的にちがったものが掴めてくる。木のかたまりのなかから仏が生まれ、美しい器が生まれてくる。それが根(こん)ともいい根(ね)ともいうものにつながっている。それを大きく包んでいるものが、運である。運は偶然にやってくるものではなくて、コツコツ積み上げたものが運という気を招きよせるのである。』

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