2003.05.29 (Thu)   青眉抄(上村松園著 求龍堂)
 
 美しい本を読みたいと思うことがある。無性に美しい景色をみたいと渇望する思いは姦淫への衝動にも似ており、抗いがたいものがある。美しい風景も淫靡なそれも、景色という点で共通しているからである。
美しい本を読みたいというのもある種の渇きから生じるのではあるまいか。食欲とは異なるはずの欲望であるにもかかわらず、おいしいものを食したいという気持に相通じるのは滑稽である、どれほど美しい文章も食べるわけのものではない、味わうのである。
 
巷には印刷物があふれかえっている。役に立つという謳い文句の本、いやしと称する本、暇つぶしの本、そのほか本という名の本。しかしながらそのほとんどが単に本屋の装飾にすぎず、あってもなくてもいっこうに支障のない本である。私たちはそれを承知で本屋に赴く。
青眉抄は美しい本である。美しい本が稀有な時代にあって、いっそう美しいかがやきを放っている。青眉抄は昭和18年(1943年)、上村松園六十八歳のおり上梓された。
その後昭和47年に刊行され、さらに平成7年求龍堂から復刻されたが、私の手元にあるのはその求龍堂版である。
 
 現代の若者は‥もしかしたら過去の若者も‥青眉についての知識にいささか不備と思うふしもあるので、かいつまんで講釈を申し上げる。かつては嫁入りして子供ができると必ず眉毛を剃りおとしたもので、その剃りおとした眉を青眉といった。
 
 松園は『青眉にたまらない魅力を感じるひとりである』らしく、眉目秀麗とはまた違った風情を添える青眉を『聖なる眉』と記し、『剃りたての青眉はたとえていえば闇夜の蚊帳(かや)にとまった一瞬の螢光のように、青々とした光沢をもっていて、まったくふるいつきたい程である』とも記している。
しかし、いつの頃からか青眉の風習も消失し、松園は母の人一倍あおあおした瑞々しい眉を想い、絵のなかの女に描いているのだ。
 
 柳眉を逆立てれば怒りをあらわし、愁眉をひらけば安堵する、眉はことのほか内的情感をあらわにする造作物なのである。松園は、麻酔剤をかけられて手術を受けたあとの病人を見舞に行ったときの様子を次のようにいう。
『その人はもちろん目を閉じたままベッドに仰臥していたが、麻酔がもどるにつれて、その苦痛を双の眉の痙攣に現わして堪えしのんでいるのをみて、眉は目や口以上にその人の気持を現わす窓以上の窓だなと思ったことであった。』
 
 さて、青眉抄の小項目「無題抄」には天の啓示ということが記されており、天の啓示とは『一途に、努力精進している人にのみ降る』という。また、天の啓示は『そうでない人にも降っているのかも知れません。が、哀しいことに、その人は一途なものを失っているので、その天の啓示を掴みとることができない』といっている。
 
 「作画について」では遊女亀遊に話が及び、横浜の岩亀楼にいた彼女が、『外国人を客としてとらねばならぬ羽目におちいったとき、大和撫子の気概をみせて、
   露をだにいとふ大和の女郎花 降るあめりかに袖はぬらさじ
という辞世の一首を残して自害し日本女性の大和魂を示した』と記している。
新劇では杉村春子が演じた名作のひとつであり、松園の身辺においても修羅場のあったことを想起させる。名作や名画をつくる者、いかなるかたちであれ後世に名をのこす者の通らねばならぬ剣が峰であるだろう。
 
 天の啓示といい遊女亀遊の話といい、一途さのなかに一方は清冽な美を、他方は壮絶な美をみるのである。
 
 「作画について」では自らの作品「焔」(ほのお)にもふれている。能「葵の上」の六条御息所の生き霊‥いきすだま、とも云う‥からヒントを得て描いた「焔」は、松園唯一の凄艶な絵であり、『最初は生き霊と題名をつけましたが、少しあらわすぎるので、何かいい題はないかと思案の末、謡曲の師の金剛巌先生に相談したところ、いっそ焔とつけては』と言われたと。
 
 「簡潔の美」では能の『幽微で高雅な動作、装束から来る色彩の動き、線の曲折、声曲から発する豪壮沈痛な諧律が観る人の心を打つ』 といい、能のおかしがたい幽玄に魅せられた松園自身の心境を述べ、『能楽には無駄というものがありません。無駄がないから、緩やかなうちにキッとした緊張があるのでしょう。能ほど沈んだ光沢のある芸術は他に沢山ないと思います』 ともいっている。
 
 私もはじめて知ったのであるが、泥眼という言葉があって、それは、『能の嫉妬の美人の顔は眼の白眼の所に特に金泥を入れている。これを泥眼といっているが、金が光る度に異様なかがやき、閃きがある。また涙が溜っている表情にもみえる』ものであるらしい。
 
 「作画について」では妖しさの美を、「簡潔の美」では文字通りの意味のほかに、ぎりぎりの端正さが美を深淵にすることを『沈んだ光沢のある芸術』という表現をつかって言おうとしているのであろう。焔以外の松園の絵はみな簡潔と端正の極致であり、文章もまた端正であってみれば。
 
 松園は前述の「焔」の女の眼に『絹の裏から金泥を施してみた。それで生き霊の女の眼が異様に光って、思わぬ効果を生んでくれたのである』と記している。私はこの「焔」の実物をある美術展でみたことがある。松園四十三歳、大正7年(1918年)の作品である。
「焔」は女の隠し持つ男への妄執が如実にあらわれ、気品のなかにいまだ枯れることのない女の色香が立ちのぼってくる名画であった。伏目がちの、何かに取り憑かれでもしたかのような妖しい眼、ほつれ毛を口にくわえる所作、くねった右手と上体、能装束のような着物。男に嫉妬する女の表情、からだ、仕種、着衣がこれほどまでに妖艶であったとは‥。
 
 「焔」の絵は青眉抄のなかにもちいさく載っている。美しさは一途、簡潔、端正、妖しさなどと近親関係にあるもののようである。そしてまた、そうしたものをそなえることによって一冊の本、一節の文章が輝きを放つもののように思われる。

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