2003.05.28 (Wed)   スペイン430日(堀田善衞著 ちくま文庫)
 
 日記形式をとる書には洋の東西を問わず面白いものが多く、本邦においても古くは「方丈記」、「明月記」など、新しくは「断腸亭日乗」、「あと千回の晩飯」など枚挙にいとまがないほどであり、いわゆる日記文学なる範疇が形成されてもいるが、この「スペイン430日」も上記の日記に勝るとも劣らぬ面白さである。
 
 私は個人的にも故・堀田善衞の著作を収集しており、大作「ゴヤ」や「ミシェル城館の人」は別格として、スペイン430日ほどに読んで時間のたつのを忘れる書をほかに知らない。
この書はもともと上梓しようと思って書かれた日記ではないようで、堀田善衞は1977年7月17日(日)、自らの60歳の誕生日にこれを書きはじめているのだが、月刊誌「すばる」に連載のはじまったのは1979年5月号であった。
 
 当初から「すばる」連載をたのしみに読み、単行本が出版されたとき購入し、文庫本が出たらまた買う、そしてその都度読んだから、私は三回は「スペイン430日」を読んだことになる。勿論、それ以降も思い出してはまた読むといった作業を何度か繰り返しているので、合計何回読んだのかおぼえていないが、読むたびに面白く、新たな発見があった。
 
 この書は私にとってスペイン最良の案内書5冊のひとつで、‥ほかは「ドン・キホーテ」、「スペイン紀行」(アンデルセン著 東京書籍)、「カタロニア讃歌」(G・オーウェル著)、「アンダルシア紀行」(カミロ・ホセ・セラ著 採流社)‥何度読んでも読みやすく、考えさせられ、おまけにクスリと嗤ってしまうという点で堀田善衞の書が一歩先んじているといえる。
 
 日記は前述のごとく77年7月17日、北スペインのアストゥリアス地方・アンドリアン村に著者が仮の住処を定めて書き出されており、その村たるや『背後に不気味なほどに灰白色をした、七、八百bはあろうと思われる三重の岩の山脈を背負っていて、前面の海へ向かってはまたまたぐっと岩が盛り上がっていて、海面へこの岩が断崖となって落ち込み、切り立っている。その、いわばゆるい傾斜のU字型の底に』この村はある、そういう村なのだ。
 
 まあ、この村は著者とそのご令室(著者はご夫人同伴で長の逗留に来た)にとっていわば疫病神、夏というのに天候は悪いわ、光熱関係の故障は続出するわでふんだりけったり、著者は腹が立って、『ドンブリ鉢ァヒックリカエッテ、ステテコシャンシャン』と大声で歌い、ご夫人にマジマジと見つめられる。ところで、ドンブリ鉢はヒックリカエッテでしたか、私たちは「ドンブリ鉢ャウイタウイタ‥」と歌ったものでしたが‥。
 
 村を離れ、車で旅に出たら出たで、『山の中へ入ると、これはもう何という恐ろしいジグザグ道であることか。それに人ひとり、車一台通りはしない。行き先に港町があるというのにトラック一台も通りはしない。しっかり舗装はしてあるのであるが、家内は必死になってハンドルを水車のごとく、右に左に廻しつづける』というありさまで、気の毒というよりおかしい。
道中、レオン大聖堂のステンド・グラスとシャルトルのそれを比較し、『シャルトルの大聖堂と同系統のガラス職人の手になるものと思われるが、シャルトルなどよりはずっと美しい、それに、シャルトルは一体なぜドギツイ色のアクリル系の顔料などを使って修復しているのであろうか?あれも文化大臣アンドレ・マルロオの発想であろうか?』と揶揄っていて面白い。
 
 そしてまた雨の日などは読書に耽り、ドン・ファンの記したことどもを紹介している。
 
 『誰かが言ったように、ドイツ語が馬に話すためのことばだとしたら、フランス語は人間に話すためのものであり、スペイン語は神に、そしてイタリア語は、旋律的なシラブルと甘ったれた抑揚で、女に話しかけるためのことばだ。』(Don Juan)
それでと思い出すのはエドワード・モーガン・フォースターで、英国人のフォースターは、「偽善こそは、たえずわれわれ英国人に突きつけられる代表的な非難なのである。ドイツ人は残忍、スペイン人は残酷、アメリカ人は浅薄とくるわけだが‥」と述べている。
そういった意味において、というより、そういう流儀でいえば、イタリア人はお調子者と表現するのがふさわしかろう。
 
 さて紙面も満杯に近づいてきた。時代の変遷いかんにかかわらずもっともなるかなと私を頷かせる著者のことばを以下に引用してみた。
『日本の青年たちのあいだに、外国へ行って自分の可能性を試す、という言い方があることは小生も承知している。しかしそれは傲慢というものである。外国の人々そのものは、平凡な生活を平凡におくることに苦闘をしているのであってみれば、そこへ入って来て、自分の可能性などというものを試されたりしたのではたまったものではない。』
 
 そしてこの書評の終わりに「スペイン430日」のなかの極めつけとも思える文章を掲げたい。この書の真ん中あたりに出てくる文章なのであるが‥人、思い当たることがあるという類のものである。
『日本からの客が来る、あるいは電話がかかって来たりすると、何か気持が乱れる。闖入者、といった感じか。その何かは、何かをしなければいけないのではないのか、というものであるらしい。日本はどうも何かをしていないといけない国柄であるらしく、何もしていないと自他ともに犯罪でもおかしているかのように思わせるものがある。』
 

Past Index Future