プラハ城開門と同時に城に入った。朝か昼か、影の長さでお分かりのことと思います。
帽子姿は伴侶。プラハを旅して数年後、伴侶の懇意にしている女性が
「銀婚記念に旅行するが、欧州の都市でひとつ選ぶとすればどこがよいか」と尋ねた。
彼女は、ウ‥といいかけてプラハとこたえた。口から飛び出そうになったのを言いなおしたのだ。
伴侶がウィーンではなくプラハをすすめた気持が私にはよく分かる。ウィーンもプラハも美しい町だ。
両者の違いは‥旅人を受け容れる政府と市民の姿勢の相違であると思われる。ウィーンは
観光客にあぐらをかいているが、プラハは観光客に対して真摯である。旧ソ連の鎖から解放されて
日もあさく、プラハには国が安定するまでの混乱期につきものの雲助タクシーがいないわけでもない、
しかし総じてプラハは旅人にやさしく、ウィーンのようにお金で人をはかる町とは一線を画す。
町の風景がウィーンより美しくすがすがしいと感じるのは、市民の心が旅人に反映されることと、
96年当時のチェコ大統領・ハヴェル氏の施政方針、とくに環境保全、町づくりへの取り組み方に
よるところ大なるものがあるのではなかろうか。旧東欧は、ワルシャワもそうであるが、営々と
町の景観保全と建築物修復にベストを尽くしていると思う。そういう現場をプラハで何度もみた。
しかしながらチェコも、どこかの町の石油化学工場で環境汚染の波がひたひたと押し寄せている。
チェコが2004年にEUに加盟し、ヨーロッパの発展途上国からの脱皮をはかるには問題も多い。
渡り鳥が、そうとは知らず羽根休めに寄った町の化学工場の汚水で羽根を汚され飛べなくなる。
それはあたかもふた昔以上前の日本を想起させる情景である。プラハの智慧は発揮されるのか。
そういう危惧感にとらわれないでもないが、プラハは今後も健在ぶりをみせてくれると思う。
為政者がかわっても、彼らの町づくりへの思いは将来にわたって変わらない。
ある種の願望もこめて楽観的にそう思ってしまうのである。
※写真の、いちだんと背の高い黒っぽい二本の尖塔が聖ヴィート大聖堂(内部は後続の頁で)※
|