2003.9.9 茶屋川

 いもので9月である。先週訪れた北海道の利尻島、礼文島では幅2-3mの浅い小川に水しぶきを上げながら豪快にサケが遡上するのが見られた。 又、海岸ではサケを狙っての投げ釣りをしている人がぽっぽっいた。 もう秋である。

永源寺ダム湖はかなり貯水量が減少しており、満水時の約半部ぐらいに減水している。 前回訪れた8月下旬には満々と水を湛えていたものだがそれから雨らしい雨が降っていないのだろう。 ダム湖上流部に架かる越渓橋より見られる上流部の流れは幅1-2mとか細く川の真ん中に溝が出来たようだ。 今日の釣りは厳しい事が早くも予想された。

いつもの駐車地には三重Noの車が一台もう止まっていた。 うむ 遅かったか・・・しかしながら本流は川が寸断されていて釣りどころではないので取りあえずこの支流にに入ることにした。 先人が本流に入ったことを願いつつである。 いつも濡れて水溜りが多い林道がカラカラに乾いている。 水溜り後には釣り人と思われる足跡が多く残されているが今日つけられたものではないよぅな気がする。 今日は足跡が付かないほど地面が乾燥しているのだ。 砂防ダム下の小さくなった流れに竿を出すが全く当りが無い。 砂防ダムを4ッ〜5ッ程飛ばしてから入渓したが所々の砂地には先人釣り人のものと思われる足跡が見受けられるがこのまま釣り上るより致し方ない。 今日はテンカラと餌釣りの二本立てであるが、アブラハヤ対策としてミミズは昨夕畑より採取した特大のドバミミズである。長さ12〜20センチ太さ5〜8mmである。 アブラハヤや小さなあまごや岩魚が食いついても飲み込めない大きさである。 実際魚が食いついてもミミズの尻尾にぶらさがっている状態なので、針掛りは全く無く、水中より引き上げてちょんちょんと竿を叩けばポチャンと水面に落ちるだけである。

本流第二取水口下流 大淵がジャリ道となる

支谷のとある砂防ダム上部

植樹地に着いたが今だボウズである。今日はビールと氷を多く背負って来たが釣れなければ冷えたビールが飲めない 仕方なく別に用意したうーろん茶を口に含む。 今日もやけに暑い 日陰を求めて植樹地の奥に入り休憩していると上流より釣り下ってくる釣り人の姿が木立の間に見えた。 これではこのまま釣り上っても後一〜二時間は全く釣りにならないと思われた。 さあ どうする??? とにかく立ち上がりしばらく歩くと小さいながらしっかりとした流れがの小沢があるのに気が付いた。 よ-しこの沢をやってみよう。 だめもとである

入り口は小さいがしばらく釣り上がると中々の良い沢である。 小滝の釜には小さな岩魚がいるが何しろ太くて長いドバみみずなので尻尾にぶら下がるサイズばかりである。

出来るだけ小さなドバみみずを選んでつけるが中々針掛りするサイズがいなく、やっと釣り上げたのは約18cm程度のものである。 とにかくこれで冷えたビールが飲めると喜んだ・・・ ありがたい

面白いことにドバみみずで沢蟹が釣れることである。 正確に書くならばハサミで挟んで離さないのである。 右写真

しばらく釣り上ると魚止めと思われる高い砂防ダムが現れた。それを越えると流れがか細くなったのでここで納竿とした。 そこは左岸が植林地でつい最近下枝を刈った跡が見られ、又、右岸は変成岩が所々露出しているガレ場が多い崖であるがペットボトル、ホース、食料品の包装材と思われる袋等が散乱しているのである。崖を見上げると木々の所々に日常のゴミが引っかかっているのである。 この上にR−421が通っているのかな?

取りあえず少し上ってみることにしたが鈴鹿特有の変成岩は脆く又、角が丸いので手がかり足がかりが乏しく難渋する。そのうちに降りるに降りられないような場所に到達してしまい登り詰めるより選択肢が無いと判断した。 ゴミは益々多くなり掃除機、ゴザ、プラスチック製品があちこちに散乱している。 その内にガードレールの一部らしい鉄板もあり上部に道路があることは間違いないと思われた。 冷や汗ものであったが何とか道路に出た。

とにかく茨川林道の駐車地に戻ろうと、何も考えず本能的に(石榑峠へは登り道という)下り坂になっている方向へ歩きだした。しばらく歩いていると前方より野球帽を被った男性に会い挨拶がてらに道を聞いてみたが何と三重県方向すなわち石榑峠へ向っていたのであった。 そのまま少し行くと石榑峠であり、登り坂方向は永源寺方面に出るとの事である。 又も大失敗である。

男性にお礼を言い、今、来た道を引返したが山道をあと6〜7kmも歩くと思うと急に足は鉛が貼り付いたように重くなった。 

あまごと岩魚と翌檜
愛知川源流釣り記録
あすなろつぶやき
ビールも飲めたことであり、満足してテンカラで遊ぶことにするが足元に置いた竿を引っ掛けて折ってしまったのは不覚であった。 くやしい・・
030917