2004年8月26日(木) No.39
23日時折雨の降るなか、ゴミ収集業務の一日体験で、友井地域を午前2回と午後から1回、ベテランの職員の方と一緒に収集させていただきました。
おかげで次の日は筋肉痛で足が痛く(あ痛たた…)、3日目の今もまだ痛いです。
マンションなどでゴミ収集後の後始末をされている方もいらっしゃったり、苦労の一端を少しでも窺い知ることができたようにも思います。
ゴミ収集について言えば、いま、少なくない自治体では、短絡的にゴミ減量のためとして、収集の有料化がすすめられています。
東大阪の議会では、ゴミ収集の有料化を求める意見が他党から出されています。
実際にムダな包装などが減ることや、使い捨ての商業主義に歯止めがかからなければ、ゴミはあまり減らないのでは?
みなさんのご意見をお聞かせ下さい。
2004年8月19日(木) No.38
先日、お盆休みをいただいて妻と二人で「安曇野ちひろ美術館」に行ってきました。
絵本を通して「世界中の子ども みんなに 平和としあわせを」と思いを発信してきた童画家いわさきちひろ。(ひょっとして一番名前が知られている日本共産党員かな)
皆さんは、ちひろの絵をご覧になったことがありますか。
私は、これまで晩年のごく一部の作品しかみたことはありませんでしたが、初期の頃から通してみるのは初めてでした。
イラクが泥沼化し、子どもたちをめぐる悲惨な事件が多発する今の時代。ちひろから学ぶことは大きいなと感じました。そして、ちひろ没後30年というのに、作品がもつ訴えるものは全く古くなく、何か新しい力を心の底から与えてくれるように感じました。
2004年8月4日(木) No.36
さて、平和クイズです。ヒロシマに落とされた原爆の名前は何というでしょうか。(答えは最後) この原爆投下については肝心なことが知らされていないなあと、実際にヒロシマに行ってみて驚いたことがありました。
私はこの原爆を運んできたB-29爆撃機は1機と思っていました。ヒロシマで調べてみると(1)原爆投下(2)写真などの撮影(3)放射能などの測定装置投下の役割を持った3機も飛来していたことを初めて知りました。
アメリカは戦後の日本支配という政治的なものとあわせて、核兵器という前代未聞の残虐兵器の威力を人体実験するつもりで投下したんだということがわかり、当時学生の私にとっては強い衝撃でした。
そのうえ、比治山というところに施設をつくり、戦後、被爆した子どもたちを学校から連れてきては治療もせずに放射線による影響を調べていたことも知って、心の底から怒りをおぼえました。
こうした原爆投下。強い衝撃で国連ができて最初の決議が原子兵器の禁止でした。
しかし、まだ原子兵器の禁止は実現していません。妨害する勢力を追いつめ、早く実現するためにできることを。
(クイズのこたえ・リトルボーイ)