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生きづらさの原因



「わたくしごと」でも書きましたが、
私はごく一般的な家庭で育ったと思います。
ひどい虐待やネグレクトを受けたこともないし
ひどいいじめに遭ったこともありません。
自分勝手な性格ですから、
多少のいじめは受けましたし、
自分もいじめをやりました。
イタズラ、からかい、意地悪をしたり、
されたりという、
その当時の小・中学生にありがちなことでした。

私が生きづらさを抱えてしまったのは、
私が人一倍、
何にでも過敏に反応する性質であったこと。
つまり感受性がするどく、
感じたものに対して大げさに反応してしまうこと。
とくに、よりネガティブに受け止め、
ネガティブな感情を増幅させてしまうこと。
そして、そのような性質を
理解して受容してくれる人が
身近にいなかったことが原因だと思います。

それが私の性質ゆえか、
受け入れ側のスペースが狭かったのか、
たぶんどちらもあるのでしょうが、
生まれてごく最初の間に他者に受け入れられ、
安心感を得るということが
うまくいかなかったということが一番大きいようです。

これを「愛着障害」と言うそうです。

生まれて2年の間に特定の養育者との間に
「自分は受け入れられている」という
安心感と信頼を得ることができなかったことが
後の生き方や人間関係、事の受け止め方、
行動などに大きく影響してくるようなのです。

実際に愛着障害だと自覚はしているものの、
では、なぜ安心感が得られなかったのか?
というと、養育者側の問題もあり、
私自身の性質の問題もあり、
様々な要因が重なって、
こうなったのだとしか言えません。

一方的に親を恨んだ時期もありましたが、
癒しの段階がすすんで
大きな視点でとらえるようになれば、
それは私が私であるために
必要なことだったのでは?と
新たな考えが生まれてきました。

人にはそれぞれ価値観があり、
大切に思うこともその度合いも
それぞれに違います。
色々な人がいて、色々な受け取り方があって、
色々な考えがあります。
たとえ子どもであっても、
子どもは子どもなりに
独自の価値観や考え方を持ち、
物事に対する反応もそれぞれ違うものです。

私は小さい頃から、「しつけ」や「教育」と思って
親が教えてくれることにも
違和感を感じることが多かったのです。
学校でも、先生の態度や言葉に
疑問を持つことが多く、
周りの大人に対する不信感をつのらせていました。

大人の価値観で何でも判断して、
叱ったり批判したりするのではなく、
子どもの言い分や気持ち、
なぜそのような行動になってしまうのかを
丁寧に聞いてくれる人が身近にいたなら、
私の生きづらさは
もう少しマシだったのかもしれません。

  『愛着障害』 岡田尊司著 
   「はじめに」より以下引用

  なぜ、人に気ばかりつかってしまうのか。
  なぜ自分をさらけ出すことに
  臆病になってしまうのか。
  なぜ、人と交わることを
  心から楽しめないのか。
  なぜ、本心を押さえてでも
  相手に合わせてしまうのか。
  なぜいつも醒めていて何事にも
  本気になれないのか。
  なぜ、拒否されたり傷つくことに
  敏感になってしまうのか。
  なぜ、損だとわかっていて
  意地を貼ってしまうのか。

  愛着の安定性や様式は、
  対人関係のスタイルや
  親密さの求め方だけでなく、
  その人の生き方や関心、
  恋愛や子育ての仕方、
  ストレスに対する耐性や
  生涯の健康にまで関わっている。
  意識しないところで、
  知らずしらずその人の心理と行動を
  支配しているのである。
  他の生き方もできたはずなのに、
  なぜ、この生き方をしてきたのか。
  その疑問は、
  その人の愛着の特性を理解したとき、
  氷解するだろう。

この言葉どおり、自分が生きてきたやり方が
あまり上手でなかった根本のところの理由が
自分の性質のせいだけではなかったと知り、
背負った荷物が軽くなったように感じました。


愛着障害もアダルトチルドレンも
時間はかかりますが必ず克服できます。
生きづらさはチャレンジする楽しみに
変わっていきます。
自分と向き合い、
自分を受け入れることを怖れないでください。
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