7月25日 
9時に予定どおり心臓カテーテル室へ。まず、局部麻酔を打たれ何時の間にか、モニターを見
ていると管が入っている。そして、先生が軽い世間話をしながら、「動脈硬化はないようです
ね。今度は血管を縮める薬を入れます。そして、危険回避の為、ペースメーカーを付けます。」
と言われる。そして、薬を入れたとたん、末梢血管が聯縮するのがわかり、意識が少し遠のく。
「だいじょうぶですよ。すぐに血管を広げる薬を入れますので。」といわれ、とたんに、血管が広
がるのがモニターを見ていてわかる。
これで検査は終わる。病室へ、後3時間は絶対安静だ。安静は良いのだが、腰が痛くてそれ
がつらい。3時間後やっと看護婦に横にしてもらう。腰の痛さが引き天国のようだ。

7月26日
今日もカテーテルの傷跡が完全に治まるまで、入院である。明日、退院予定である。

7月27日
午前中に院長に呼ばれ説明を受けた。血管聯縮性狭心症と心筋炎と心筋に心のう液がたま
っているとのこと。治療は、薬物療法と自宅で安静して無理をしないように言われた。
午後、会計を済まして帰省に入る。僕が運転して帰るが、1時間ほどしてから胸痛が出始め
た。そして、左脇の下が右より非常に熱い。3時間ぐらい足った後に、ニトロペンを一錠舌下す
る。楽になる。だが、軽い灼熱感は残った。
無事、午後9時ごろ帰宅、すぐに就寝。

7月28日
今日は、以前からの県立病院の診察日だ。心エコーをしてから、以前に行った24時間ホルダ
ーを含め診察してもらう。結果はどこも異常なし。そのあと少し嫌味と思ったが、あとから松山
での結果の紹介状を見せた。先生は沈黙。まあとりあえず、ここで、処方箋をしてもらうだけな
ので、これで一段落ついた。

7月29日〜8月7日
薬を飲んでいても、段々調子が悪くなってきた。昼間は調子は良いが、夜が辛い。結構、胸痛
や灼熱感が襲ってくる。ニトロを舌下すると楽にはなるが、きれるころがまた辛い。
結局、この間に救急を2回要請した。しかし、処置なしですぐに帰される

8月8日
この日また、松山へ行くことにした。午後10ごろ出発する。しかし、今日はどうも胸の調子が良
くないようだ。岡山にはいったころに、ニトロを舌下した。楽になった。しかし、あまり調子が良く
ない。途中でそばとラーメンを食べた。特別空腹という訳ではないが、熱いものを食べるとその
ときは非常に胸が楽になるのだ。
午前3時ごろ石鎚山SAへ到着。仮眠を取ろうとするが、苦しくて眠れない。ニトロを舌下、効か
ない。もう一錠。効かない。もう一錠。駄目だ。苦しい。どうしよう!ここで救急要請しようか、ど
うしよう。とにかく苦しい。結局松山まで走ろうと思い、車を飛ばす。深夜なので車はほとんどい
ない。それに、真直ぐな直線道路だ。意識が無くならないことを祈りながらアクセル全開。180
キロも出てる。結構良く走る車だ。なんて考えながら、何とか松山ICへ到着。ここで救急車を要
請。そのまま、心臓血管病院へ。
すぐレントゲン撮影で心臓55%肥大、うっ血性心不全と診断。それと、高血圧。高脂血症の診
断も。即、安静のためそのまま入院する。

8月9日
この日から、点滴治療が始まる。2日目ぐらいから、不整脈が出始める。凄い不整脈だった。
2〜3度凄い打ち方をしてそのまま、意識がすう〜と無くなりかけた。この時はさすがに覚悟し
た。
しかし、自分で感じたのは、その日だけで、後は治まる。しかし、後に聞いた話だが、結構不整
脈は出ていたそうだ。

8月25日
今日、退院日、体調も良い。後の加療は当分無理をしないことと、神戸労災病院を紹介しても
らう。

9月13日
今、僕は、神戸労災病院のベッドにいる。この間、薬が切れたので、松山まで貰いに行ってき
たのだが、その夜から不整脈がひどくなったので、救急要請で診てもらったが、この程度なら
異常なしと言われた。でも、3,4日たって、もつづくので、神戸で診てもらうと、念のために入院
という事になった。

9月13日〜27日
別に色々診察してもらったが、どこも異常がなく、心筋炎もきれいに治っているとのことで、全く
治療はなく、薬も減って退院となる。

27日
今日は、姉が僕の車で迎えにきてくれた。昼から仕事なので、午前中には帰らないといけない
そうだ。看護婦さんにかなり催促してもらい、11時前には帰路につけた。
助手席に乗って暫くしてから、少し気分が悪くなり始めた。昼食を食べようとSAに立ち寄るが、
僕は、朝も食べていないのに、全く食欲がない。結局、食べずに帰宅する。
帰って暫く横になるが、色々これからのことがあるので、とりあえず、自動車屋へ今後の段取り
の話をしに行く。しかし、ここでも椅子に座っているだけなのに、体調と胸の具合がおかしい。
途中、友人のガソリンスタンドに寄ってから帰宅する。しかし、どうもしんどい。家で血圧を計
る。上が175、下が120。「うそだろう!」と思い。5回計測するが、下が100以下に下がらな
い。今、退院してきたばかりなのに、「一体如何言うことだ!」
すぐ、神戸労災病院へ電話する。河嶋先生はいそがしいとのことで、外来の看護婦さんが応
対してくれた。すぐにこちらに来てほしいと言われたが、遠いので無理を伝えると、近くの病院
へ行ってほしいとのこと。すぐ、救急要請、県立病院へ搬送、緊急入院となる。
部屋が個室しか空いていないので、一日8000円の部屋になった。その割りには冷蔵庫はあ
るが、なんと、テレビが無い。まあ、そんな事より胸が苦しい。寝るまで苦しかった。
あの、松山へ救急車で運ばれたときの苦しさだ。しかし、朝、起きると楽になっていた。
そして、県立病院でまた、心臓精密検査入院と説明があった。一体、今までの入院はなんだっ
たのだろうか?そして、またまたまた検査とは!それも、7月7日に発作が出て初めて行った
病院で!そんなアホナ!
翌日、神戸労災病院へ電話して、そのまま再度入院。
河嶋先生も困っておられたみたいだが、相談の結果、松山のデーターも取り寄せてやりなおし
となる。
僕は、河嶋先生にすべてを任せることにした。