7月10日
昨日はほとんど眠れなかった。朝7時に診察券を出す。8番目であった。内科は相変わらず
人が多いなと思う。そして、9時ごろ診察室へ呼ばれた。結局異常なし。先生いわく、もし少しで
も異常があれば、心電図にでるそうである。で、結局疼痛材と精神安定剤と一応ということで、
ニトロペンをもらう。
その後数日は家で何もせず寝ていた。そのせいか調子はかなり良くなってきた。
7月18日
胸の調子も良いので仕事を始めることにする。久しぶりなのでさすがにしんどい。一度だけ凄
い貧血のような、意識が遠のくようなことが積み込み途中であった。まあ、何とか無事に積み
込みも終わり配送先へ。僕の仕事は手積み手卸しの仕事なのでかなり温度差の激しいところ
での仕事である。真夏は40度以上のところでの作業、そのあと、運転席でエアコンをがんがん
効かせる。まあ、素人目にも体には良くないとは、思っている。
で、無事、配送先での積降も終わり運転席へ。どうも積み卸し中は胸の調子は非常に良い。
脈もがんがん打っているし。息もはあはあだし、汗もぶるぶる掻いているし、普通ならこっちの
ほうでおかしくなってもいいのにとは思うのだが。で、今度はエアコンの設定をあまり低くせずに
して、帰路についた。しかし、走り始めて暫くしてから、突然、この間の胸痛と灼熱感が襲って
きた。「やばいなあ。どうしょう。」と思いながら。何とか我慢できる範囲だったのでそのままなん
とか車庫まで帰った。午前2時ごろ帰宅したが、やはり、胸が苦しくて眠ることができない。ま
た、結局一睡もできず、朝一番で県立病院へ。
しかし、異常なし。先生が「今も胸の違和感ありますか?」と言われ「あります。」と言うと「一度
ニトロを舌下してみましょう。もし、心臓なら劇的な変化を感じるはずです」と言われたので、僕
は、初めて舌下してみた。しかし、それほど何も変わりなしで、胸の灼熱感は少しながら残る。
結局、そんなこんなしている内に症状が治まってしまい。今度の28日の診察日まで様子を見
ることに成った。
7月20日
今日の夕方からかなり胸が苦しくなってきた、そしてとうとう嘔吐してしまう。救急車を呼ぶ、し
かし待っている間に楽になる。救急処置室へついても結局処置なしで帰宅。
7月21日
また夕方苦しくなる、またまた、救急車を呼ぶ。そして心電図もとってもらったが、異常なし。
もし、少しでも異常があれば心電図の波形に出るのでわかるとのこと。で、処置のしょうがない
のでまたまた帰宅。
救急を呼ぶと楽になる。如何してだろう?
7月24日
この間、インターネットで偶然みつけて、メールを出しておいた松山笠置記念心臓血管病院
の院長から返答が着ていた。この病院を見つけたのは、漏斗胸で検索していると、全国でも指
折りに入るくらいの手術の実績がある病院と言うことでみつけた。私も、18歳の時に上部2本
を残して胸骨反転式の手術をしているので、この病院へメールを出してみた訳である。そして
返答は、「おそらく心筋炎による狭心症と思われます。この病気はなかなか普通の病院では発
見は難しいでしょう。一度お越しください。」との返答があった。午後9時半過ぎメールを読んで
すぐ自家用で出発、愛媛松山まで片道約5時間ぐらいだろう。途中のSAで仮眠をとれば良い
だろうと思い出発。出発してから2時間ぐらいだろうか?岡山県にはいったころから、またしん
どくなってきた。まあ、今日はたっぷりと昼寝をしていたので、眠気は来ないだろう。しかし、だ
んだんと胸痛や灼熱感がじわじわと襲ってくる。午前3時ごろ石鎚山SAに到着。寝ようとする
が苦しくて眠れない。5時ごろまでだらだらとしていたが、出発することにした。5時半ごろに病
院に到着してしまう。受付は8時からのようだ。それまで車中で待つことにする。
非常に眠いけれど胸が苦しくて眠れない。7時ごろ正面玄関が開いた。中に入る。そして、待ち
時間中に倒れそうなぐらい酷い、左胸に電気が走ったような痛みが一瞬来る。9時ごろ名前を
呼ばれ診察室へ、メールのコピーを渡し診察してもらう。まず、胸部レントゲン、心電図、CT,ひ
ととおりしてもらう。その後診察、「CTで少し影がありますね。カテーテルしてみませんか?」と
言われる。通常なら後日日をあらためて承諾書に署名し家族立会いなのだが、遠方からなの
でこのまま入院して明日カテーテルをすることになった。承諾は家族に電話立会いということに
してもらった。