「NG場面」
テレビで「NG場面」を特集した番組を見たことがあります。映画やテレビの撮影で、俳優が演技がうまくできなかったり、
セリフを忘れて詰まってしまったりした時、撮影を止めてやり直しをさせられるNG場面の特集でした。
これらはカットされて、ふだん私達が見ることのない場面です。
そういうNG場面に私たちが親しみを感じるのは、私たちにも、カットしたいNG場面があるからですね。
聖書にもNG場面が出てきます。中でも使徒ペテロの失敗は有名です。イエス様と行動を共にしていた彼が、
イエス様が捕らえられて裁判されている時に、そこにいた人が「あなたも、イエスと一緒にいましたね」と言われて、
ペテロは「そんな人は知らない」と言いました。イエス様の仲間とみられて、捕えられることを恐れた、
彼は、3回も「イエスを知らない」と言いました。彼が3回「イエスを知らない」と言うことは、
あらかじめイエス様から言われていたことでしたので、彼は、イエス様の言葉を思い出して、激しく泣きました。
これこそカットしてほしいペテロの人生最大のNGの場面だと思います。
このように聖書は人間の弱さや失敗を包み隠すことはしません。
キリスト教にとって都合の悪い話だから、これは聖書に書かないでおこうなどとは考えません。
どんな失敗や挫折からでも神様は、立ち上がらせて下さると言うことを私たちに教えて下さるためです。
このような大失敗をしたペテロでしたが、彼はイエス様から捨てられることはなく、愛をもって守られました。
彼もまたイエス様から離れることはありませんでした。彼は、伝道者となり、人々にイエス様を伝えました。
神様は、葦のように、心が折れやすい弱い人間も、人生に挫折して落胆する人間も、そこから立ち上がらせ、
必ず輝く人生にして下さいます。イエス様を心から信頼し、信じることによって、そのことが実現します。
「わたしの恵みは、あなたに十分である。わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」(聖書)