かなでほんちゅうしんぐら
仮名手本忠臣蔵

【見どころ】
今すぐ演れと言われて演じられなかったら歌舞伎役者とは言えない、っつーくらい、
この作品は歌舞伎でも随一と言うべき最重要演目みたいですね。
全十一段の長編なんですが、通しを基本とするという貴重な演目でもあります。
ですから、これが舞台にかかるときは、昼の部と夜の部の両方とも
見に行かなくちゃ!ってことになるんで、体力も、ですが、お財布も大変でする。
でも、一生に一度は、通しで見ておきたい演目でしょー、やはり。
とはいえ、完ぺきな全編通しで上演されることはほとんどなく、
わっちも二段目と十段目は見たことがありません。
そのうえ、通しでは2回こっきりなので、記憶に残っていない場面も多々・・・。
そんなわけで、あまり詳しい解説はできないかも・・・(と先に言い訳。苦笑)

「大序」
一段目にあたる序幕ですが「大序」と呼ばれています(なんでかは知らん。苦笑)
面白いのは、幕が開く前に“口上人形”ってのが出てきて配役を読み上げること。
その人形が引っ込んでから、ゆるゆると幕が開くんだけど、
この幕の開く間に47回打つことになっています。数えてみよう(笑)
で、幕が開くと次に「東西」って声を、下手で七回、中央で五回、上手で三回の、
つまりは“七・五・三”回かけることになってるのもお約束なんだって。
さて、幕が開いても舞台上の役者さんが皆、目をつぶって下を向いてるの。
人形身”ってゆーんだってさ。要は人形になってるわけ。
しだいに一人ひとりが人形から人間に戻っていって、お芝居がはじまるの。
人形浄瑠璃から歌舞伎に移された演目だよ、っていうのがよくわかる面白い演出。
なので、ぜひ、昼の部からご覧になるときは、早めに劇場にお出かけくだされ。

「二段目」
見たことはないのですが、「大序」で師直に意地悪された桃井若狭之助の館が舞台。
侮辱に堪えかねて師直を討つ決意を示す若狭之助を、
家老の加古川本蔵が沈着冷静な態度で受け流すという対比が見ものとか。
この幕開きに、由良之助の息子の力弥が登場して、本蔵の娘の小浪と幼い恋模様を
見せるらしいのですが、これは「九段目」への伏線となる場面だそうな。

「三段目」
最初に出てくる鷺坂伴内は、白塗りなんですが、いわゆる道化方
笑えるやりとりがちょいとありんす。で、伴内が駕籠の中の師直に話をする場面は、
実際には駕籠の中はカラッポだそうで、役者の技量がいる場面らしい。
そのあとに続く場面が、通称「喧嘩場」とも言われる「松の間刃傷の場」
師直にねちねちといじめられ、罵倒もされ、ついに塩谷判官が切れちゃうという
有名な場面ねー。師直の憎々しい様子に注目してご覧くだされ。

「四段目」
ここは「判官切腹の場」でござんす。別名「通さん場」ともゆーんだそーな。
というのは、すごーく厳粛な場面だから、その雰囲気を壊さないように、ってんで
お客さんの入場も規制されちゃうらしいんですよ。だから「通さん」と。
なんで、ここの場だけは早めに着席しておいた方がいいですよー。
さて、この判官切腹の場になって、はじめて主人公である内蔵助が登場するの。
判官殿のせりふじゃないけど「待ちかねたわやい」って感じで満を持して。
それから、これは蛇足なんだけど、判官殿切腹の際には、
襖の陰で他の多くの家来達も平伏してるんだって。客席からは見えないのに、よ。
そこまでするかーーー!(笑)なんだけど。いるのね、と思ってご覧くださいまし。
で、舞台が回ると「城明渡しの場」。ここは内蔵助の一人舞台とも言える
幕外引込み無言の芸が見ものざんす。

「道行旅路の花聟」
おかる勘平が駆け落ちするくだりを舞踏で見せるんだけど、
この場面、本来は、原作の三段目の切にあたる部分らしいのですわ。
それが、いつしか「四段目」「五段目」の間に挟み込まれるようになったらしい。
なんでも、昼の部の最後を華やかに飾るためだとか。ふーん・・・。
なお、最初の「落人の〜」という歌詞から通称「落人」とも呼ばれる一幕。

「五段目」
背景は一面の黒幕。つまり、真っ暗闇ってこってす。
その暗闇で二重の殺しが起こる。それも、ほとんど、無言劇
おかるの父親の与市兵衛が殺されてから以降、この段の終わりまでに
発せられるせりふは定九郎の「五十両」と勘平の「こりゃ人」のふたつだけ!
役者のしぐさや表情、それと下座音楽だけで見せるという渋い一幕です。

「六段目」
この段は「勘平腹切りの場」。この場の主人公勘平の役は、
なんでも六代目菊五郎のを美しい演出の完成型として踏襲しているとか。
図らずも手に入れた五十両を手に明るい気持ちで帰宅したのに、
もしや自分がおやじ殿を殺したんではないかと次第に不安になっていって、
最後には動転してしまう。それが、きめ細かな演出でもって表現されておりまする。
苦しい息の下で語る「色にふけったばっかりに」のせりふも聞きどころ。
ところで、勘平ってのは、心が弱いばっかりに自ら非運をまねくことになっちまう
かわいそーな若者だと、わっちは勝手に思っているだす(笑)

「七段目」
別名「祇園一力茶屋の場」。通称「茶屋場」とも言うみたい。
なんでも、ここの内蔵助ってのが、歌舞伎でも随一の難役なんですって。
というのも、大きな度量のあるリーダーとしての人物像に加えて、
色街で遊んでいる男の色気とおおらかさも表現しなきゃいけないからだって。
(ふーむ。そうなのか。今度はその辺も意識してしっかり見ておこう。苦笑)
あと、ここには遊女のおかるが登場するんだけど、
役者さんの口伝によると、ここのおかるは性根が女房らしいんですね。
とゆーことで、おかるも難しい役らしいですー。今度ちゃんと見ますー(苦笑)

「八段目」
この段は「道行旅路の嫁入」という外題で、ミドリで上演されたりもします。
先の「道行旅路の花聟」と対をなす感じのある舞踏劇。背景とか同じだし。
でも、片や恋人同士の駆け落ちで華やいだ気分があったのに、
こちらは結婚する約束だった力弥(内蔵助の息子ね)のもとに、恋しさのあまり
おしかけ嫁に行こうとする娘と心配して付添う義母の、しみじみした道行ざんす。
・・・なんだけど、途中、花嫁道中が遠見で見えるのね、これが正直なところ
ちと笑えてしまうのね。でも、しみじみなんだから堪えるように(笑)
あと、言葉がよくわかんないのだが、初夜の心得なども教えているという話。
道すがら? すげーーーー! あ、失礼(苦笑)

「九段目」
通称「山科閑居」と呼ばれる場面。この場の人物は、皆、そーとーな難役でする。
唯一、白無垢姿も初々しい小浪は、力弥恋しさ一筋の娘だから、
可憐な表情が見えればオッケーかもしれないけど。
義母の戸無瀬は、図らずも確執のできてしまった大石家との間柄をふまえつつ、
なさぬ仲だからこそ小浪の恋を何とかしてあげたいと心を砕く役なんだけどもねー、
ともするとヒステリックなだけの女に見えかねないとこが超難役かも。
一方、大石家の妻お石としては、小浪に恨みはないけれど、武家の面目として、
「はいそうですか」と簡単に嫁に迎えるわけにはいかない。
ましてや力弥は死ぬ運命にある身、それでは小浪が不憫という本心も実はある。
・・・という、まことに複雑な心模様が、前半部の女三人の芝居にはあるんですね。
本蔵が登場して力弥を罵倒するのも、死をもって償うという本心があってのこと。
それを由良之助が見破って、互いに本音語りになるところも見どころ。
おとなの心で見ないとダメ、ってゆー難しい一幕かもしれませぬ。

「十段目」
この場は通称「天川屋」と言うそうですが、もう長いこと上演されていないのです。
なので、詳しいも何も、まったくわからないので省略します。

「十一段目」
いよいよ大詰めの「討入り」。原作だと若狭之助も登場するらしいんだけど、
今では実録風にやることになっているそうで、彼の出番はありません。
で、見どころと言えば、討入りですからね、当然タテが見ものです。
もちろん本懐を遂げるところも。最後は両国橋での引き揚げを見せて幕になります。

【あらすじ】
「大序」
足利尊氏が征夷大将軍の称号を受けた記念としてつくった鶴ケ岡八幡宮の落成祝い。
尊氏の弟の直義公の接待役として塩谷判官桃井若狭之助が当たることになり、
多くの兜の中から敵将新田義貞の兜を探しだし、奉納することになった。
義貞の兜あらため役を仰せつかったのは塩谷判官の奥方顔世御前
この美しい顔世に以前から懸想していたのが、足利家の執事である高師直
つけ文をし、夫の塩谷判官が無事に饗応役を勤められるかどうかは
顔世の返事ひとつと脅迫まがいのことまで言って、いやらしくすりよるが、
そこを若狭之助にジャマされたカタチになり、怒った師直は若狭之助を罵倒する。
くやしさのあまり刀を抜こうとする若狭之助を抑えたのは塩谷判官だった。

「二段目」
師直から受けた数々の恥辱に憤まんやる方ない若狭之助は、
殿中で師直を討ち取る決意をする。それを打ち明けられた家老の加古川本蔵は、
主人の危機を未然に防ごうと、師直のもとに赴くことに。

「三段目」
足利館の門前に差しかかった高師直の駕籠に、加古川本蔵が直談を願い出る。
師直の家来鷺坂伴内は、鶴ケ岡八幡宮での恨みを晴らしにきたかと気色ばむが、
実は、たいそうな贈り物をして、師直の若狭之助に対する態度を
軟化させようというのが本蔵の狙いだった。それ功を奏し、師直の態度が一変する。
だが、師直のいじめの対称が、今度は塩谷判官に移った。
顔世からやんわりと拒絶された恨みも手伝って、ねちねちと判官をなじる師直。
じっと堪えていた塩谷判官だったが、ついに堪忍袋の緒が切れた
師直に斬りつけたが、本蔵をはじめ駆けつけた大名達に取り押さえられ、
額に傷をつけただけで、無念にも本懐を遂げることはできなかった。

「四段目」
城中で刀を抜いた罪により、領地は没収、判官切腹という重い仕置きとなった。
すでに死を覚悟しているが、ただ本懐が遂げられなかったことが心残りだった。
それを伝えたい家老の大星由良之助が、なかなか鎌倉に到着しない。
が、長々と時間を引き延ばすわけにもいかず、刀を腹に突き刺したところに、
やっと由良之助が駆けつけてきた。「無念」「委細は承知」と主従は見つめあう。
切腹を見届けた上使が帰ったあと、館に残った重臣たちは今後の対応策を協議する。
城を枕に討死するという一同に「恨むべきはただ一人」と諭す由良之助。
亡君の形見の刀を握りしめ、決意も新たに館を去って行くのだった。

「道行旅路の花婿」
殿中で塩谷判官が刃傷に及んだ日、早野勘平は主人の供をして登城していながら、
恋仲のおかると逢い、職務を怠っていた。責任を感じた勘平が死のうとするのを
おかるは必死で説得し、ふたりで山城国山崎のおかるの実家へと向かうことになる。
(・・・というのが原作の三段目の切の部分。その後のふたりの道中が、この場ざんす。)
いつまでもイジイジと悔やむ勘平(ええぃ、男らしゅうない!)必死に励ますおかる
ところが、そこへ鷺坂伴内がふたりを追いかけてくる(え?なんで?)
というのも伴内は実はおかるに横恋慕。おかるを自分のものにするために、
勘平を捕えようとやってきたのだ(って、さー。あんた、よその家のことじゃん? 苦笑)
けど、弱い伴内なんぞは敵じゃなかった。逃げる伴内には目もくれず、
ふたりは山崎を目指して落ちていくのだった。

「五段目」
猟人となった勘平は狩に出た先で、塩谷の同僚だった千崎弥五郎と行きあう。
敵討のための経費調達をしていると打ち明けられた勘平は、
明後日には金を届けるからと約束して、由良之助への取り成しを弥五郎に頼む。
一方、おかるから夫のために金をこしらえたいと相談されていた父親の与市兵衛は、
さっそく祇園に出向いて娘を身売りする話を決め、半金の五十両を懐に
夜道を急いで帰る途中だった。だが、白刃に突かれ、無残にも殺されてしまう。
「五十両」。財布の金を数えてニンマリ笑ったのは、斧定九郎
実は、塩谷の家老斧九太夫の息子なのだが、親にさえ勘当されるほどの悪党なのだ。
そのとき、(ぬいぐるみだよーん)が逃げてくる。そして火縄銃の銃声
手ごたえを感じた勘平が暗闇を探るが、それは猪ではなかった。「こりゃ人!」。
うろたえた勘平の手に、ずっしりした財布の感触。悪いこととは知りながら、
連判状に加わりたい一心から、勘平は財布を握りしめ一目散に逃げ帰るのだった。

「六段目」
その翌日の与市兵衛の家。おかるが母親のおかやと留守を守っているところに
祇園の一文字屋の女将お才が、おかるを連れにやってきた。
そこへ勘平が戻ってくる。夫には内緒で決めてしまった身売りだったので、
おかやが事の次第を話す。お才も、これと同じ財布に五十両を入れ
与市兵衛に渡した、と財布を見せる。その柄を見てギクリとする勘平。
まさか、殺したのは舅だったのか?! 勘平は罪の深さにうなだれるが、
苦し紛れに「おやじさまには昨夜あった」と嘘をつき、おかるを送りだす。
残されたおかやが勘平の様子を不審がり、問いただそうとしているところに、
与市兵衛の死骸が運び込まれてくる。舅の死骸を見ようともしない勘平の様子に、
おかやは最前見かけた財布のことを思い出す。まさか・・・?!
勘平の懐から引っ張り出した財布には血がついていた。舅殺し!となじるおかや。
そんな修羅場に、千崎弥五郎不破数右衛門がやってきた。
勘平が昨夜のうちに届けていた金は、亡君に不義不忠のあった者の金だから
使えないと由良之助が判断したため返しにきたと言う。
一縷の望みも失った勘平は、申し訳にと刀を腹に突き刺した
だが、千崎たちが与市兵衛の死骸を確かめると、致命傷は刀傷だったことが判明。
(もうちょっと早めに検死すればいいのにーって、いっつも思うよ、ここ。苦笑)
勘平への疑いは晴れ、連判状への血判も許されることになる。
だが、それは冥途へのみやげとなるばかりだった。

「七段目」
一日も早く敵討がしたい塩谷浪士の赤垣源蔵富森助右衛門矢間重太郎は、
祇園の一力茶屋で遊び呆けている由良之助をたずね、本心を確かめようとするが、
肝心の由良之助は酒に酔い、仲居たちと浮かれ騒いで、返事をはぐらかす。
苛立ちのあまり刀に手をかけた三人を止めたのは、足軽だった寺岡平右衛門
身分は軽いが主人を思う気持ちは深いから敵討の連判状に加えてくれと嘆願するが、
由良之助は取りあわず、酔いつぶれたのか眠ってしまった。
皆が去った後、息子の力弥が忍んで来て、顔世からの急ぎの書状を届けていった。
さっそく封を切ろうとすると、今度は家老の斧九太夫が来て探りを入れる。
実は九太夫、師直の家来鷺坂伴内と通じている裏切り者なのだ。
最前の文が気になった九太夫は、床下に忍んで様子を見ることにする。
そうとは知らず、顔世からの文を読む由良之助。それを、二階にいたおかる
鏡をつかって盗み読みをしようとし、床下からは九太夫が・・・。
おかるのかんざしが落ち、人目があったことに気づいた由良之助が書状を巻くと、
なんと先端が切れていた! 上からも下からも盗み読みされていたとは・・・!
どうする由良之助?!と思ったら、おかるに身請け話を持ちかけた。
三日囲ったら好きにしていいと言われ、恋しい夫に会えると大喜びするおかる。
そこへ、平右衛門が祇園に身を売った妹を探しに来て、久々におかると対面する。
由良之助による身請けの話を聞いた平右衛門は、さてはおかるを殺す気と察し、
妹の首を差しだすから(ヲイヲイ!)連判状に加わらせてくれ、と言いだした。
突然の話に抵抗するおかるだったが(当たり前だーーー!)、夫の勘平が死んだことを
聞かされると生きる望みを失い、兄のために命を捧げる覚悟をする(あらら・・・)
ところが、それを聞いた由良之助、平右衛門に東下りの供を許すと言い、
刀を握ったおかるの手を取ると、縁の下に刀を突き刺した。
もちろん、床下の九太夫をグサリ! 連判に加わりながら死んでしまった
勘平の代わりに、おかるに九太夫を討ち取らせたのだった。

「八段目」
旅人が行き交う東海道を、加古川本蔵の妻戸無瀬と娘の小浪が京を目指していた。
実は、小浪は由良之助の息子の力弥の許婚だったのだが、
塩谷家がお取り潰しになって以来、結婚の話は立ち消えになっていた。
力弥が恋しくてならない娘の気持ちを知っている戸無瀬は、
何とかしてあげたいと考え、小浪を伴い山科の由良之助を訪ねることにしたのだ。
嫁として迎えられるのを楽しみに、ふたりは先を急ぐのであった。

「九段目」
雪の降り積もった山科の閑居。はるばるやってきた戸無瀬と、白無垢姿の小浪
母娘ふたりを、由良之助の妻お石が出迎える。娘を嫁にと戸無瀬が言いだすと、
師直に媚びへつらった本蔵の娘を嫁に迎えることはできない、と断られてしまう。
力弥が恋しくてならない小浪は、悲しみのあまり泣き崩れる。
断られたからと言って、おめおめ帰られましょうか、と戸無瀬は刀を抜いて、
ふたりでここで死ぬ覚悟。刀を振り上げたそのときに「御無用」とお石が止めた。
力弥との祝言を許すから、そのかわり本蔵の首を差しだせと言う。
本蔵が抱きとめたばかりに師直を斬りそこね、切腹して果てた判官の無念を知りながら、
その本蔵の娘をあえて嫁にするからには、それなりの引き出物が必要なのだと
言われては、途方にくれるばかりの戸無瀬と小浪であった。
そこへ当の本蔵があらわれ、罵詈雑言をお石に浴びせかければ、
聞き捨てならぬ、と、お石は本蔵を相手に勝負を挑む。
が、そこへ力弥が飛びだしてきて、槍を拾うと、本蔵の脇腹を刺し貫いた。
「やれ待て、力弥、早まるな」と息子をとめたのは由良之助
計略通り婿の力弥の手にかかって死ぬのは本望だろうと見破った由良之助に、
本心を打ち明ける本蔵。由良之助も、死を覚悟の心中を見せる。
(うしろの襖を開けると、雪で作った五輪塔がふたつ。これは由良之助と力弥の墓という意味なのね)
お石も、後家になるとわかっていながら嫁に迎えるのは可哀想で、
むごく辛く言ってしまったと戸無瀬に誤り、両家のわだかまりがとけた。
引き出物の目録代わりにと、師直邸の絵図を由良之助に渡す本蔵。
由良之助は、世間の目をくらますため、本蔵が着てきた虚無僧姿になって
一足先に出立することに。それを見送りながら、やがて本蔵は息絶えるのだった。

「十段目」
ほとんど上演はないのですが、こんな話らしいです。
討入りの支度の一切を頼まれたのは天河屋義平。秘密が漏れないようにと、
奉公人には暇を出し、妻のおそのも実家に帰すことに。
おそのの舅は九太夫につながる者なので、疑いを抱かせないようにと去り状まで書く。
夫婦の真心を知る由良之助は、自分たちが本懐を遂げた後には
再び結ばれるようにと諭すと、天河屋の屋号を合言葉に定めて出立する。
(ってこたぁ・・・合言葉は「天(あま)」「河(かわ)」ってことかなぁ・・・?)

「十一段目」
高家の表門。由良之助が山鹿流の陣太鼓を討つのを合図に討入りをする。
奥庭で高家の家臣と応戦。裲襠(うちかけ)を頭からかぶって逃げる女がいるので、
あやしいと思い引き止めると、それは高家の剣豪で激しい立ち回りとなるが、
織部弥兵衛安兵衛の親子が見事にこれをしとめる。
探せど探せど、目指す師直が見つからず、皆がじりじりとしはじめたころ、
炭部屋で物音がし、中に潜んでいた師直をついに発見した。
由良之助は塩谷判官の形見の刀を師直に渡し、自害をすすめたが、
往生際の悪い師直がその刀で刃向かってくるので、由良之助は師直を刺し殺す。
塩谷判官の位牌の前に、打ち落とした師直の首を置き、本懐を遂げた報告をする。
亡君の敵を討った一同が両国橋に差しかかったとき、守護職の侍が来るが、
「武士はかくこそありたきもの」と一同をたたえ温情を示すのだった。

【うんちく】
寛延元年(1748年)、義士の討ち入りから47年目という、
いわくありげな年に(当然、狙ったものだろう)人形浄瑠璃で初演された時代物で、
二世竹田出雲、三好松洛、並木千柳の合作。
同年には早くも歌舞伎に移され、以来、大入りを呼ぶ人気狂言として
演技や演出にさまざまな工夫が凝らされてきた丸本物の傑作で、
歌舞伎の三大狂言にもなっているばかりか、日本人なら誰もが知っているであろう
「忠臣蔵」という言葉をはじめてつかったということでも重要な作品。
それから、この作品は、言うまでもなく赤穂浪士の討ち入り事件という、
史実としてもチョー有名なお話をお芝居に仕立てたものですが、
「太平記」の世界に仮託して足利時代におきた事件のように扱っています。
大石内蔵助が大星由良之助という妙な名前になってる点などについては、
歌舞伎つれづれ草/「遅かりし由良之助」の項も参照してください。