めいぼくせんだいはぎ
伽羅先代萩
【別の名前】
ごてん ゆかした たいけつ にんじょう
よく上演される段の通称が「御殿」「床下」「対決」「刃傷」
「御殿」は「床下」と、「対決」は「刃傷」とセットで上演されるようです。
【見どころ】
そうですね〜、おすすめは「御殿・床下」の場面ですかね〜。
「御殿」の主人公政岡は片はずしと言われる役で、女形の最高位の役らしいです。
なぜ難しいかっつーと、初っぱなが、通称“飯(まま)炊き”と呼ばれる場面だから。
黙って座って、茶道具を使ってご飯を炊く。それも意外と長丁場。そんな中で、
自然な演技と心情の表現が求められるとかゆー役ですもん。そりゃ大変。
つかみが難しいだろうと思うわ、素人目でも。だから、見ている方にとっても
ここは至難の場面かも(苦笑)こうゆー場面が堪能できるようになって、
やっと「通」と言われるんでしょうねぇ。わっちゃぁ永遠に無理かな(苦笑)
で、お次が毒入り菓子殺人事件の場面。我が子を目の前で殺されても
気丈にも顔色ひとつ変えずに若君を守るっつーキャリアの鑑である政岡が、
ひとりっきりになってはじめて我が子の死を嘆くところ。
ここは、人の親としての感情の発露に涙がじわ、でありまする。
「床下」になると、一転、江戸前の歌舞伎になります。
荒獅子男之助は名前からして荒事師。からんで踏まれる鼠は、ぬいぐるみ。
なんと、ぬいぐるみ役と呼ばれるそうでありんす(笑)
ここの仁木はスッポンから登場。で、すぐにも幕外の引込みになるんで、
出てる時間は短いんだけど、異様な凄みがあってけっこう好きな役でするぅ。
「対決」は言葉がわからないと理屈が分かんないので
困っちゃうようなところがなきにしもあらず(あ、わっちは、ですが。苦笑)
「刃傷」はタテが見どころかな?
【あらすじ】
通しだと「花水橋」「竹の間」「御殿・床下」「対決・刃傷」なんですが、
比較的上演の多い「御殿」以降の場を解説します。
世界は室町時代。だから、話の舞台は足利家っつーことになっており。
その足利家の当主頼兼は、連日の廓通いが過ぎて隠居させられちゃってます。
すべて、御家乗っ取りを企む執権仁木弾正の陰謀だ。それを知る乳母の政岡は、
悪人の魔の手が嫡男の鶴千代君におよぶのではと不安でならない。
そこで、表向きは若君を病気として奥殿に住まわせ、男は立ち入り禁止に。
出される三度の食事は捨てて、一日一回だけ、政岡自らが飯を炊いて食べさせ、
さらに我が子の千松には、いざというときは毒でも何でも食べて
身代りになれと言い含めているという徹底ぶりで若君を守っている・・・
というストーリーが背景にあって「御殿」がはじまります。
「御殿」
けなげにも空腹にたえる鶴千代君と千松にご飯をあげよう、と
茶道具を使ってご飯を炊いている乳母の政岡。と、そこに幕府の管領山名宗全の
奥方栄御前が来訪する。実は、山名こそ、悪の一味の陰の黒幕なのだ。
持ってきた病気見舞いの菓子に鶴千代がつい手を出しかけるのを止めた政岡を、
「なぜ止める」と問い詰める栄御前。政岡が窮地に立たされた、その時、
奥から飛びだしてきた千松が菓子を頬張り、たちまち苦しみだした。
やはり毒が・・・。とっさに若君をかばう政岡。
千松は、無礼を理由に、悪の一味の八汐によって殺されてしまった。
我が子を目の前で殺されても顔色ひとつ変えない政岡を見て、
栄御前は、政岡が鶴千代と千松を入れ替えていて、
実は我が子に御家を継がせようと企んでいるのではと早合点する。
ならば、同じ穴のむじな。一味であるも同じこと、と
悪党一味の連判状を見せ、政岡に預けると帰っていった。
ひとり残ったところで、やっと、政岡は我が子の死骸を抱きしめ涙にくれる。
が、その背後に、いつのまにか八汐が。斬りかかる八汐を、
反対に、一刀のもとに斬り捨てる政岡。我が子の仇を討ったのだ。
しかし、その時、一匹の鼠が走り出て、
せっかく手に入れた悪事の証拠の連判状をくわえて逃げてしまった。
「床下」
近習の荒獅子男之助が、奥殿ご寝所の床下に潜んで若君を守護していたところ、
怪しい鼠があらわれたので鉄扇で打ち据えたが、鼠は逃げてしまった。
実は、この鼠こそ、仁木弾正。妖術で姿を変えていたのだ。
人間の姿に戻った弾正の眉間には、男之助がつけた傷が確かにあった。
弾正は小柄を投げつけると、不敵な笑みを浮かべながら悠然と姿をくらました。
「対決」
鶴千代を擁護する渡辺外記左衛門が訴え出たため、
弾正一味の御家横領の件は幕府問注所の裁決を受けることになった。
しかし、裁き役は山名宗全だけ。これでは、渡辺外記がどんなに頑張っても
八百長裁判になってしまうおそれがある。実際、評定は悪人方が勝利した。
もはや忠臣たちの命運は尽きたかに思えた、その時、細川勝元が出座してきた。
聡明な勝元の裁きによって、評定は一転、外記たち忠臣の勝利となった。
「刃傷」
いったんは勝利したはずの評定が覆ったことに弾正は腹の虫がおさまらず、
逆恨みして外記に斬りかかった。外記は手負いとなりながらも応戦し、
あわや危機一髪のところ助太刀を得て、見事に弾正を討ち果たした。
勝元は、外記の忠義を賛え、鶴千代に家督相続を許すお墨付きを与える。
お家のめでたい門出だからと、外記は最後の力を振り絞って舞を舞うのだった。
【うんちく】
安永六年(1774年)に上方で初演。これが大当たりしたので、
似たような芝居「伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき)」を翌年、江戸で上演。
この二作を折衷したカタチで人形浄瑠璃ともなり上演されたという。
歌舞伎が原典で、それが人形浄瑠璃へ移植されたのって珍しいんじゃないかなぁ。
そのほかにも伊達騒動をあつかった芝居は数多くあったらしいのですが、
現在、上演されてる「伽羅先代萩」は、
これらのいろんな芝居台本をつづり合わせてカタチを完成させたものとか。
要するに、いいとこ取りなんでしょうかねぇ?
外題の「伽羅」ってのは、仙台候が伽羅(きゃら=香木。梵語だとtagaraで、
多伽羅という字をあてるみたい。お宝の香木。だから、めいぼく=名木っつーことねん)で
つくった下駄をはいて廓に通ったとゆー、ちまたの噂話から来ているらしいです。
「先代萩」は「仙台」伊達の話だよ〜ん、という記号なのかな〜?
御家物の中でも伊達騒動をあつかった芝居は「先代萩物」とも呼ばれるらしいから、
似たようなのがいっぱいある中でもピカイチの芝居ってことなんでしょうね。