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研究報告
天野恵:騎士道と火器(8)[2/4]
ところで、このボスケッティ家というのはもともとはフェラーラのエステ家に仕えていた非常な旧家である。カロリング朝時代はおろか、下手をするとロンゴバルド時代にまで遡るのではないかと言われていたから、主君のエステ家よりも古い家柄かもしれない。が、件のイサベラの祖父がさる超有名な陰謀事件に連座して処刑されてしまい、それ以後は、フェラーラ宮廷から追放されてマントヴァのゴンザーガ家の家臣になっていた。イサベラの父親も実はこの陰謀に加担していたらしいのだけれど、祖父の方が残酷な拷問にもメゲずに跡取り息子の彼をかばいとおして自分だけ処刑されてくれたおかげで助かったのである。でもって、イサベラの母親の方はというと、『宮廷人』で有名なバルダッサルレ・カスティリオーネの姉である。
もうこれだけ言えば彼女が高級娼婦どころでないことはご理解いただけよう。家柄だけでなく彼女自身も当時のマントヴァ宮廷ではたいそうなタマで、マニエリスム建築として内部の壁画ともども名高いモニュメントの《パラッツォ・テ》は、他ならぬこの女のためにフェデリーコ・ゴンザーガがジュリオ・ロマーノに建てさせた離宮である。フェデリーコの母親のイサベラ・デステは息子を何とかしてこの女から引き離そうとして熾烈な嫁姑戦争を繰り広げたのだが、この一件に関してだけはフェデリーコが頑として母親の言うことを聞こうとしなかった。ちっぽけな打算に動かされては人を裏切るようなマネばかりしていた小悪党のフェデリーコ・ゴンザーガだが、このイサベラ・ボスケッティだけは死ぬまで忠実に愛し続けたと言われている。よっぽどイイ女だったのだろう。
ボスケッティの方もこれにつけ入って、自分の生んだ子を何とかマントヴァ公国の世継ぎにできないものかとあれこれ画策したらしいが、さすがにこれはうまく行かなかった。
この時代の君主や権力者には、ちょうどこんな具合に結構悪知恵が働くくせに女にメロメロになっては騙されて言うなりになった人物が結構いる。小生はそういう話が嫌いではない。何かココロ暖まる感じがするのである。(甘いかなァ?)文学作品の登場人物としてはひたすら雄々しく勇敢な男が好きな小生であるが、実在した歴史上の人物となるとあんまり男らしくて隙のない奴は好みではない。だからジョヴァンニ・ダッレ・バンデ・ネーレなんかも、どちらかと言うとカッコつけ過ぎで好感が持てない。麻酔もなしに脚を切断されながら、外科医のために上半身を起こして自分で燭台を持っていてやった・・・なァ〜んて話はウソくさいと思う以前にそもそも嫌いである。痛くて怖いに決まってるんだから、泣き叫んで転げまわればイイじゃねェか、というのが小生の考え方だ。
そうそう、映画の中で使われていた音楽は悪くなかった。横にボスケッティをはべらせながらフェデリーコ・ゴンザーガが聴いていたコンサートも良かったし、映画の終わりの方で哀悼歌のような雰囲気で使われていたダウランドのFlow my tearsも効果的だった。これはラブ・ソングであって弔歌ではないし、エリザベス1世時代の英国だから時代の上でも地理的にもズレはあるが、でもあの場面にはよく合っていた・・・ように思う。
ただ、もともとイイ曲だからそんな気がしただけだったのかもしれない。まァそういう意味では、別に音楽に限らず、衣装だとかロケに使われた宮殿だとか、その中に描かれた壁画なんかも当然のことながらみんな良かったわけで、これは映画の出来・不出来とは別の事柄と言うべきだろう。建築といい、音楽といい、美術といい、そして文学といい、やっぱりヨーロッパには素晴しいものが多い。だから、オルミだろうが誰だろうが、あの時代の芸術作品をあちこちにちりばめさえすれば、ソコソコ美麗な画面はひとりでに出来あがってしまうのである。我々だって、ヨーロッパへ行ってパチパチやって帰って来ると何だか写真の腕が上達したかのような錯覚に陥りそうになるが、それと同じことである。