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研究報告
天野恵:騎士道と火器(6)[1/4]
さて、前回からはずいぶん時間がたってしまった。イタロマニアの管理者も交代した。この連載を始めたときには「イタ文の新入生には射撃の名手がいるので、云々」と書いたものであるが、その新入生も今や大学院に進学して当イタロマニアの管理人になっている。ところで、彼女が撃つのはエア・ライフルだそうである。小生は射撃競技のことは何も知らないのだけれど、ある人から聞いたところによると、いろんなカテゴリーがある中には今でも旧式な火縄銃でウデを競う種目があるらしい。まァ、クラシック・カーでレースをやる人たちがいるように、クラシックな銃で射撃競技をする人たちがいても少しも不思議ではない。ともあれ、そうしたカテゴリーを「種子島」と言うのだそうである。で、この「種子島」に凝っている人に言わせると、現代の鉄砲は簡単に当たりすぎてちっとも面白くないということである。してみると「種子島」というのはずいぶん当たりにくいものなのだろう。
さて、鉄砲の当たりやすさ、つまり命中精度が飛躍的に向上したのは、言うまでもなくライフルの導入による。ライフルというのは銃身の内側、つまり銃腔に刻んであるネジのような条溝のことで、これの付いている鉄砲を施線銃という。もっとも、今では散弾銃を除けばどんな銃でもこれが当たり前になっているから、むしろライフルの付いていない銃の方を区別するために滑腔銃と呼んでいる。が、ルネサンス期はもちろん、19世紀半ばまでは、銃といえばそれは当然、滑腔銃のことを意味していた。
現代でも大砲となると、ロケット砲や無反動砲、迫撃砲といった条溝を持たない、滑腔砲というタイプがいろいろある。もちろん、これらはそれなりのメリットがあるからこそ使われているのだけれど、それでも命中精度という点に関しては、やはり施線砲にはかなわない。弾丸が回転するとジャイロ効果によって弾道が安定するからである。だから、対人用の小火器の場合は、それこそ護身用の小型拳銃から重機関銃にいたるまで例外なく施線銃である。弾丸に残された線条痕をちょうど指紋のように分析することによって犯罪に使われた銃器の特定が行なわれるのは周知のことであろう。そういう意味では、現代の銃はすべてがライフル銃だということになる。
しかしながら、その一方、普通にライフル銃と言えば、それは拳銃に対して銃身の長い小銃の類を指すものという暗黙の了解もある。小生の幼かりし頃、『ライフルマン』という子供向けの西部劇をテレビでやっていた。確か、『名犬リンティ』の次に始まった番組ではなかったかと記憶している。主人公はアメリカ版「子連れ狼」みたいな奴で、ただし別に拝一刀みたいな放浪生活をしているわけではなく自分の牧場を持っていて、一人息子といっしょにそこに定住していた。強く正しくて頼りになり、息子にも尊敬される、理想的な父親像みたいなワザとらしさメチャメチャ鼻について、子供ながらに大嫌いだったのを今でも覚えている。そういえば、今、ふと思ったのだけれど、『子連れ狼』のモデルになったのは案外『ライフルマン』だったのかもしれない。
が、そんなことはこの際どうでもイイのであって、普通のカウボーイがリボルバー拳銃を腰にぶら下げていたのに対して、彼は銃身の長い、まさに「ライフル銃」を持ち歩き、それをちょうど他のガン・マンたちが拳銃でやるように片手でクルリクルリと器用に回して見せるのが売り物であった。
ライフルマンが所持していたのはウィンチェスターとおぼしきレバー・アクションの連発銃で、しかも引き金と装弾レバーが連動するように改造してあって、このレバーの往復操作だけで次々と弾が出るようになっていた。だから、どこにどう手を突っ込んでグルグル回していたのか知らないが、何だか見ていると今にもトッチラかって暴発しそうな感じでいかにも危険そうだったのと、そもそもいったい何のためにそんなアブナイことをするのか不思議だったのが今でも印象に残っている。と、まァそんな調子で、ライフル銃という言葉は、短い鉄砲であるピストルに対して「長い鉄砲」という意味でも使われるものなのである。
まァ、これもウルサイことを言えば、短い鉄砲は「短銃」であって、必ずしも「拳銃」ではない。「拳銃」というのは銃身の長い、短いではなく、片手で発射できる銃という意味だからである。もちろん、そう長いものが片手で発射できるわけもないので、両者はほとんど同じような意味で用いられているけれども、本来、ピストルというのは拳銃のことであって、短銃を意味する言葉ではない。