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研究報告
天野恵:騎士道と火器(4)[1/4]
15世紀の騎士道文化は、おしなべてセンティメンタルな生真面目さとかすかな嘲りとの不安定な均衡の上に立っている。名誉、誠実、けだかい愛などの騎士道概念はまったくまじめに取り扱われている。けれども、ときには、そのしかめっつらも笑いにゆがむ。この均衡が破れ、はっきり意識されたパロディーのあらわれたのは、イタリアにおいてであった。プルチの『モルガンテ』とボイアルドの『恋するオルランド』がそれである。
けれども、このとき、この地においてもなお、騎士道ロマンティシズムの情感は新たな勝利をおさめる。というのは、アリオストにあっては、あからさまな嘲弄は姿を消し、嘲りとまじめとの均衡も超えられて、おどろくべき崇高さがあらわれているのである。騎士道になじんだ想像力は、ここに、もっとも古典的な表現をみいだしたのであった。
16世紀のイタリアにおいてさえこうである。いったい、どうして、1400年ころのフランス社会にあって、騎士道理想のまじめさが疑われたろうか。
ホイジンガ『中世の秋』(堀越孝一訳)より
ブルゴーニュ公国といえば、これはもう『中世の秋』である。大碩学ホイジンガが一般人向けに書いた(と言ったところで、実際には、1919年当時のオランダの教養人向けに、という意味だから、小生のような現代日本の庶民の感覚からすれば全然一般向きではない)この本は、チョット見したところでは歴史書というよりもむしろそれ自身が一個の芸術作品であるかのように見える。若い頃に「教養のため」と思ってワケもわからずに読みかじったときの第一印象は、やはり相当にゲイジュツ的かつ主観的な本だネ、というものであった。が、実際にはたいへんに実証主義的な意識で凝り固められた本である。
ところで、ホイジンガという人は人類最初の世界大戦をまともに受け止めた世代のヨーロッパ人であるだけに、戦争に対して抱く嫌悪感は相当なものだったのだろう。近代の戦争と騎士たちのそれとの違いを強調することにえらく心を砕いているように見受けられる。
そのころは確かに、戦争を文化機能としての見地から見ることも可能だった。だがそれも、全面戦争の理論が現れるようになってはおしまいである。こうして、ついに戦争における遊戯的なものの最後の名残りもふるい落とされ、それと同時に、そもそも文化、正義、人間性のすべてが放棄されてしまった、というのが現状なのだ。
ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(高橋英夫訳)より
まァ、近代国家間の全面戦争と中世のヨーロッパで騎士たちがやっていた戦争とがまるで別物だったというのは事実であろう。が、その違いをここまで強調してしまうと、何だか、両者は似て非なるものというよりも、まるで正反対のもの、といった調子に聞こえてくる。中世の戦争には「ルードゥス(遊戯)」の一つという意味合いが濃厚に存在していて、だから戦争もまた文化の重要な一側面だったのだ、というホイジンガの言い分は分からぬではないが、でも小生のような徹底した平和主義者の目から見ると、ちょっと言い過ぎの感じがしないでもない。なぜかと言うと、こういう議論は何のかんの言ったところで、所詮、程度の問題に還元される種類のものだからである。前に紹介した騎士の戦法とスイス歩兵のそれの違い、槍と鉄砲の違い、リヒトホーフェン男爵の赤い三葉機とファントム、戦略型原潜とミサイル防衛構想、みんな本質的には同じことである。要するに、今までの兵器を無力化するようなもっと強い兵器が現れると、以前のものは恐ろしさを相対的に減じていき、時間の経過とともにやがては可愛げさえ感じられるようになってくる。ただそれだけのことではないのだろうか。
それとは別に、冒頭に引用した『中世の秋』の一節には、われらのアリオストをはじめとするルネサンス期イタリアの騎士物語詩を、ホイジンガがどのように見ていたのかがよく表れていて、小生にとっては興味深い。