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霜田の小部屋
Gli sposi promessiと21世紀ミラノの小話
「三つのエディションとか言い始める子がいるわけよ。“エディション”じゃダメでしょう、細かいようだけど、こういうことって大事でしょ?」
新年、試験の季節がやってきた。ミラノ大学の博士課程の院生やポスドクたちは、口頭試験のアシスタントに駆り出される。それで、こんなつまらん回答をする輩がいただとか、合格ラインが低いからほとんど通してやったが酷いものだったとか、愚痴のようなものをよく聞かされるのだ。
「えーと、«versioni»(バージョン)とかならよかったわけだよね」と相槌を打っておく。
「そうね、あとは «redazioni»(稿?)とか。」
イタリア語史の試験の話。《三つのエディションtre edizioni》という表現で学生が指示しようとしたものは文脈上明らかなのだが、マンゾーニの言語が専門の某女史は見逃してくれなかった。
問題の三つの何かとは、マンゾーニの小説I promessi sposi(『いいなづけ』)の三バージョン、つまりFermo e Lucia(『フェルモとルチーア』)の名で知られる(第一)草稿、“Ventisettana”(27年版)と呼ばれる初版、“Quarantana”(40年版)と呼ばれる決定版(第二版)のことなのだ。
固有のタイトルが付けられ活字化もされているので確かに紛らわしいが、『フェルモ』は、第二草稿その他の原稿をもとに構成される「草稿」で、作家の生前には出版されていない。
これを「エディション」に数えるなら、海賊版や校訂版、短縮版、スピンオフ(?)はどうなるのか、とイチャモンがつきかねない(※1)。27年版と40年版を指して「二つのエディション」と呼ぶのはもちろん構わないけれど。そんなこんなで、上の学生の表現は問題なしとせずというわけだ。
まあ、これで減点されていたら気の毒だが、試験官のほうもあれこれ質問に工夫を凝らして学生の習熟度を調べているようだし(※2)、単に口が滑っただけならば落第にはなっていないはずだ。
ところで、当然のように相槌を打っておいた私も(※3)、実はあとで不安になって、過去のレジュメを検索してみることにした。「三種類の版」という言い回しが見つかる。ギリギリアウトじゃないか。でもこれはきっと、「版」と書いて「バージョン」と読むのですよ...。もしも何処かの発表で「エディション」と口走っていたとすれば、この場を借りてお詫びして訂正します。
さて、マンゾーニの小説I promessi sposiの複数のバージョンが「イタリア語史」で話題になり、『フェルモ』と二つのエディションという三種類が問題にされるのは、なぜだろうか。三つのバージョンについて、簡単にまとめてみよう。ただ「軽い読み物」のはずなので、もし記述に誤りがあってもご容赦いただきたい。
1) Fermo e Luciaは、182l-23年に書かれた、小説の“la prima minuta”(第一草稿)である。大方の物語こそ出版稿と変わらないが、筋の展開や人物描写、文体や言語など様々な点で顕著な差異が見られる。そのため、決定稿を到達点とする発展の初期段階というより、むしろ別の作品と見なすべきだと考える研究者が多い。メインストーリーから逸れた脱線部分(史実にかかわる部分)が出版稿に比べて長く、とりわけ「モンツァの修道女」の事件が詳細に語られていることはよく知られている(出版稿ではこれが有名な「不幸な女は応えたla sventurata rispose」という言葉に凝縮されることになる)。ロンバルディア方言やフランス語等の影響の濃い混成的な言葉遣いと自由で生き生きとしたリアリズムが特徴である。4部(4巻tomi)構成であった。
2) l’edizione “Ventisettana”(27年版)は、25-7年にかけて印刷された初版(Milano, Ferrario)で、3巻構成(全38章)になっている。タイトルには"Storia milanese del secolo XVII scoperta e rifatta da Alessandro Manzoni"(アレッサンドロ・マンゾーニによって発見され書き直された17世紀ミラノの歴史/物語)と添えられている。『フェルモ』に比べて調和がとれており、筋の統一が考慮され、脱線は刈り込まれ、皮肉や直接的表現は抑えられ(隠され)、統語や語彙も見直されている。国内外で反響を呼び、大きな成功を収めるが、無許可でコピーされた版が出回り、作家本人の儲けにはつながっていない。決定版の出版後は長らく独立の巻として刊行されることはなかった。
3) l’edizione “Quarantana”(40年版)は、40-2年に180分冊(!)で刊行された(Milano, Guglielmini e Redaelli)。タイトルページには"Edizione riveduta dall’autore"(著者による改訂版)とあり、いわゆる"risciacquatura in Arno"(「アルノ川での洗濯」 ※4)を経て、語彙と形態・統語が全面的に見直されている。27年版とのテクスト上の異同は、ほぼ言語学的なものとされる(ただし段落レベルの書き足しもある)。それ以外の重要な変化は、38章のあとに"Storia della colonna infame"(「恥辱の柱の歴史/物語」※5)が続くこと、作家自身の指示にしたがって描かれたFrancesco Goninらの挿絵が入り、また、ファクシミリによって一部の史料がテクストに組み込まれていることである。挿絵付きの分冊という形式には著作権・出版権の侵害を防ぐ狙いもあったが、やはりコピーされ、またすでに初版が普及していたこともあって成功しなかった。現在の普及版は、基本的にこの決定版をもとにしているが、挿絵なし(「文学作品とはテクストである!」という見方とも無縁ではない)や、作品の一部として構想されたはずの付録「恥辱の柱」抜きの場合が多い。
I promessi sposiの諸稿は、「近代イタリア語の父」とされるマンゾーニの、言語・言葉遣い・文体の探求の痕跡を留めている。それで狭い意味の「文学史」のみならず「イタリア語史」においても特別な主題となるのだ。とりわけ問題の三稿には、上のとおり、明瞭な差異があるため、『フェルモ』と出版稿との「内容」を比較し、初版と決定版の「言葉遣い」を比較するというのを基本パターンとしつつ、さまざまな観点から比較が行われてきたのである。
ひとつ疑問が残るとすれば、『フェルモ』と初版の間の第二草稿“la seconda minuta”はどうなったのか、ということだろう。もちろん、この中間の稿をきちんと考慮に入れた研究も少なからず存在し、すっかり等閑視されてきたとまでは言えない。しかし、少なくとも文献学上は非常に重要な第二草稿が、第一草稿ほどの特別な位置を占めることはこれまでなかったことも確かである。『フェルモ』は、出版稿と顕著な差異のある「最初の」稿であり、そこに創作の自由な躍動と「現代的」とも言える混成的な言葉遣いとが見られるのだから、それが特別視されたことはむしろ自然な流れであった。二つのエディションとともに、独立の本として具体的に存在することの意味も大きく、アクセスの容易さが三稿を比較する言説の再生産を促してきた。だから「常識」的には、I promessi sposiの諸稿と言えば、『フェルモ』と初版と第二版の「三稿」となるわけだ。
ところが、である。なんと、第二草稿の校訂版もついに出版されることになった。2006年の『フェルモ』校訂版に続いて、マンゾーニの著作のナショナル・エディションを出版しているマンゾーニ研究センターCentro Nazionale Studi Manzoniani (Casa del Manzoni)から(※6)、Gli sposi promessiというタイトルで、今春刊行ということになっている。私がお世話になっている研究所なので、白々しい宣伝のようでもあるが、こんな高い本、どうせ個人で買う日本人はおるまい(大学図書館等を通じてご購入ください)。詳しくは以下のリンクを参照。
・http://www.treccani.it/magazine/piazza_enciclopedia_magazine/cultura/
Quando_I_Promessi_sposi_si_chiamavano_Gli_sposi_promessi.html
・http://lettura.corriere.it/arrivano-gli-sposi-promessi/
語りの構造の変容、書物の言葉ではない生きた言葉の探求、検閲との微妙な関係、等々の足跡を留めているはずの本書の出版が、研究上有益であるのは疑いない。ただ、この本が一般に出回って、論文や研究書の使用テクストとして頻繁に登場し、ついにこれまでの「三稿」に並ぶほどの参照点となるかは、まだ不明である。少なくとも相当な時間が必要だろう。とはいえ、ともかくも第二草稿も本になって存在するわけだから、これからは、三つの「エディション」などと言うと、ますます試験官が苛立ってしまうかもしれない。細かいようだけれど、若い学生諸君には十分気をつけてもらいたいものだ。[了]
参考文献(参考までに)
Alessandro Manzoni, I promessi sposi; Storia della colonna infame, a cura di A. Stella e C. Repossi, Torino Einaudi, 1995(下の写真(右)).
Luca Toschi, La sala rossa: Biografia dei «Promessi sposi», Torino, Bollati Boringhieri, 1989.
Salvatore Silvano Nigro, Manzoni, Roma, Laterza, 1978.
注
※1 下の写真(左)は、ディズニーに怒られないとよいけれどアヒル版(あるいはガチョウ版。ダックだとばかり思っていたが、2013年2月3日現在のイタリア語版Wikipediaによれば彼は白い《ガチョウpapero》なのだそうだ)およびネズミ版のI promessi sposi (I Promessi Paperi / I
Promessi Topi)。Don Paperigoなどという敵役の名前を見ると笑ってしまう。しかし、ウンベルト・エーコが語るI promessi sposiの物語にしてもそうだけれど、原作を読まずに読んで本当に面白いのだろうか。そのあたりを誰か社会・経済学的に研究してくれないものか。
ほかにも、テレビドラマやミュージカル等になっている。
http://temi.repubblica.it/iniziative-save-the-story/2010/11/10/i-promessi-sposi/
※2 ただし、人による。タチの悪い先生を相手に学生が泣き出しちゃったこともあるとか。「あとは頼む」と丸投げされたアシスタントは堪ったものではない。
※3 「私」は、フィクショナルな詩人「国パルディ」の後輩であるが、実在する。I promessi sposiが主たる研究対象であり、マンゾーニの家(研究所)のあるミラノに滞在中。「詩はわからないので散文をやっています」と冗談まじりに言うと、本気で納得されることがよくあるのは、ちょっと納得がいかない。
※4 アルノはフィレンツェを流れる川。マンゾーニはアッダ川の雰囲気の漂う言葉遣いに満足せず、一家を引き連れてフィレンツェに赴いたり、ネイティヴの友人たちの協力を得たりしてフィレンツェ・トスカーナで話されている生きた言葉を採用しようとしたのである。
写真は、小説の舞台であるレッコ。コモ湖とアッダの境目あたり。アルノの写真はなかった。
※5 出版に至らなかった最初の稿 "Appendice sulla colonna infame" は付録として準備されていたが、40年版の「恥辱の柱」は、出版のあり方、挿絵の連続性、テクストの内的関係などからI promessi sposiと合わせてひとつの作品と見なすことができ、Fineの文字もI promessi sposiの終わりではなく「恥辱の柱」の終わりに現れる。しかし同時に自立性も備えているため、切り離して出版されることも稀ではない。
※6 まだ出揃っていない。実は、肝心のI promessi sposiの両出版稿もまだ残っている。研究所の予算も苦しいとは聞いているが、さっさと出してほしいものだ。