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12月
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山行名

日・曜日

山行形態

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メモ

武奈ヶ岳

12.1(金)

ハイキング

古くからの友人がすっかり山に嵌ったようで、今回はイン谷から武奈ヶ岳へ。ロープウェイが無くなり、強行かと思ったが、何とか予想通りには行けたのでホッとした。晩秋と冬の雰囲気を漂わせ、また哀愁のある静かな山だった。

蝙蝠谷

12.2(土)

FC

私にしては難しいルートで無理をし過ぎか、腕を痛めている。この日は二回登り通算14回。もう蝙蝠谷は寒くなり、この日が最後か…。しかし、少しずつましにはなって来ている。

ホシダ

12.3(日)

人工壁

張り替えていたフラットソールを、Fさんが持って来て下さったので、戴きにいく。しかし1本しか登れなかった。腕も痛いが、疲れか体が重かった。

赤岳主稜

12.6〜7(水〜木)

アルパイン

三度目の正直で、やっと赤岳主稜が登れた。誘ってもらったときは、前の敗退のイメージがあったのか気乗りしていながったが、今回思い切って行けて良かった。

烏帽子岩

12.16(土)

FC

蝙蝠の緊張感から解き放たれ、烏帽子は楽しかった。関西では冬場は行きどころが無くなってしまうクライマーが不動や烏帽子の暖かいところに集中するので、この日も混雑していた。

ホシダ

12.17(日)

人工壁

ホシダは意外と空いていた。天気予報はあまり良くなかったが午前中はは晴れた。しかし、午後からは風が出て寒くなり、とうとう夕方から降り出してしまった。

烏帽子岩

12.23(土)

FC

Sさんと、おばさん二人で烏帽子へ。今回は、ジャスティス11aに集中してみたが×。どうしても、核心一手がだめ。パワー系だけに何回してもますます、パワー切れで登れない。アフターバイト9と子どもだまし10bという新しいルートも登るが、子どもだましも核心で落ちる。このワンムーブだけであとは簡単なルートだった。

城山

12.30〜31(土〜日)

FC

恒例の城山は登れなくても楽しい。それはやっぱり、のんびりと岩と遊べたからだろう。今回は心の愛11bに嵌ってしまった。結果8便出したが登れなかった。あとは、初日のクッキングワールドで楽しく過ごせた。相変わらず下手だが、クライミングも山と並行して来年頑張りたいと思った。

●4●2●1●110/8)

11月
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山行名

日・曜日

山行形態

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メモ

城山

11.3~5(金〜日)

FC

3日、ニューエリアのポンポコランド。4日5日ワイルドボアゴージ。テント泊アピタ近くの河川敷は快適な寝ぐらだった。成果は、テン台に集中。イレブン台は登れず。しかし、楽しかった。

ホシダ

11.8(水)

人工壁

久しぶりのホシダは、おなじみの人たちで温かく迎えてもらった。12名。五本トライ。右腕が今日も張っていて力が入らない。

蝙蝠谷

11.12(日)

FC

コーナー5.10bともういいでしょう5.9でアップ。復活は通算10回目。初めて終了点まで行けた。

ホシダ

11.16(木)

人工壁

いきなりサンドはきつかった。新しく高校体育連盟の競技ルートが出来ていた。予選ルートに取り付くが難しい。

蝙蝠谷

11.18(土)

FC

昼過ぎから雨模様。復活の取り付く人が多かったので一本しか登れなかった。ムーブはだいぶ解決。腕の調子が悪い。

ホシダ

11.23(木)

人工壁

天気予報が悪かったのでホシダへ。腕も少しはましだがまだ痛く、持久力保持力が出ない。

蝙蝠谷

11.25(土)

FC

復活12回目。一応は抜けられるのだがテンションだらけの各駅停車。「もういでしょう」と「哲学の道」登る。復活は一本のみ。

ホシダ

11.26(日)

人工壁

昼頃から行ってみる。紅葉が綺麗。天気予報通り昼から雨風になる。

●4●4(10/8)

10月
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山行名

日・曜日

山行形態

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メモ

御嶽山

10/3〜5(火〜木)

縦走

紅葉を見に御嶽山へ。ついでに母も温泉へ。御岳ロープウェイ〜八合目女人堂〜三の池〜四の池〜継子岳〜五の池小屋(泊)〜摩利支天山〜サイの河原〜二の池〜お鉢巡り〜剣ケ峰〜八合目女人堂〜ロープウェイ〜開田高原(泊)〜妻籠宿

ホシダ

10.7(土)

人工壁

小川山遠征は雨で流れる。しかたがないので、宇治の志津川にでも行こうと言うことになり行ってみるが、濡れていて出来ない。そして、結局はホシダに落ちつく。昼過ぎ。

蝙蝠谷

10.8(日)

FC

蝙蝠谷はやはり空いていた。もう完全に秋の風。もういいでしょう5.9、哲学の道5.10c、そして復活5.11cTRで2回。復活はかなり厳しい、終了まで行けず。指の皮がむける。

ホシダ

10.12(木)

人工壁

久しぶりに平日星田へ。いつものメンバーにホッとする。

ホシダ

10.14(土)

人工壁

娘Mと星田へ。秋晴れのいい天気。それなりに楽しく過ごしたが、こんな日はやっぱり、外がいいような…

ホシダ

10.16(月)

人工壁

代休の夫と平日クライミング。とても空いていた。

比叡山

10/17(火)

ハイキング

急用で京都に出なくてはならなくなって、蝙蝠谷はあきらめて、何十年振りかで比叡山のきらら坂を登り、大比叡山のピークを初めて踏む。比叡山はドライブウェイが上まで走り、観光の山と化し、魅力のないピークだった。もはや、山であって山でないような…。標高848.3m

蝙蝠谷

10.21(土)

FC

もういいいでしょう5.9では、あいかわらずテンション。2回目のコーナー5.10bとマーメード5.10b/cはテンションだらけでリード。そして2回復活を登るがいずれもハングシタ下まで。

蝙蝠谷

10.22(日)

FC

復活5.11c、初リード。なんとか最後のハング下までいくが、へろへろ。ムーブは少し分かって来た。問題はいっぱいありそうに見えるが、足の位置を決めることにありそう。

大台/中の滝

10/27(金)

アルパイン

中の滝は大台にあるみごとな滝である。その横を簡単なルートで登攀出来るというので、チャンスがあれば行きたいと前から思っていた、何回かは雨で流れたが、N山岳会のFさんに案内して頂き、紅葉の季節にやっと行けた。とても楽しい、登攀だった。

蝙蝠谷

10.28(土)

FC

復活5.11c、頑張っている。最後のハングの上のホールドまで行けた。

●4●4●2●112/11)

9月
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山行名

日・曜日

山行形態

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メモ

ホシダ

9/2(土)

人工壁

まだ日中は秋にほど遠い暑さ。5本の登るが、ちゃんと登れるのは簡単なところのみ。サンド、テンションだらけ。このルート核心のホールドの位置が変わり、登りにくくなってしまった。

蝙蝠谷

9/3(日)

FC

久しぶりに行ってみるが、登れない。しかし、蝙蝠谷は人が少ない。やっぱり、涼しい。

ホシダ

9/11(月)

人工壁

Fさんと、3本のみ。高校生の予選ルート登れず。少し秋の気配が…。

ホシダ

9/16〜18(土〜月)

人工壁

台風の影響で天気が崩れるということで、三連休は3日ともホシダ通いとなった。3日間で13本登る。さすがに最後の日は疲れが…。

ホシダ

9/21(木)

人工壁

遅ればせながら、すこしはやる気の出て来たホシダだった。

ホシダ

9/23(土)

人工壁

午前中、マンションの草むしりに参加してからホシダに向かう。うつむいていたせいか、腰が痛い。

ホシダ

9/24(日)

人工壁

この日は岩場の予定だったが、寝坊して日よってしまう。右の腰骨の上に痛みが移動したようだ。どうしたのかな? まだ黒テープ最後の一手が届かない。というよりは、左のカチの保持が出来ない。また、ホシダばかりじゃ飽きちゃう。

交野ハイキング 2

9/28(木)

ハイキング

秋の実りの季節は美しい。高野山(こうのやま)は314mと低い山だが、権現岩の頂上からの見晴らしは素晴らしい。里山を見直した。私市駅〜すいれん池〜高野山〜河内森駅

蝙蝠谷

9/30(土)

FC

哲学の道5.10cやっとRP。8ヶ月ぶりのRP。これからはクライミングの季節だ。ぬめりが無くなっていた。

●2●8●1(11/11)

8月
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山行名

日・曜日

山行形態

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メモ

奥穂高岳

8/1〜3(火〜木)

ピークハント

古くからの友人と穂高へ。岩場の歩きは時間がかかったが、楽しい山行だった。

八ヶ岳/縦走

8/13〜16(日〜水)

縦走

南八ヶ岳から北に向かって、行けるところまで行く計画だった。横岳まで行ってロープウェーで下山の3泊4日の八ヶ岳の夏を堪能した。コマクサの群生も見られた。編笠山(青年小屋泊)、権現岳、赤岳、横岳、硫黄岳(硫黄山荘泊)、東天狗岳、(麦草ヒュッテ泊)茶臼山、縞枯山、北横岳。

小川山

8.20〜22(日〜火)

FC

お盆も過ぎ平日ともなると、廻り目平のキャンプ場は静かだった。久しぶりのフリーは調子が出なかった。21日も少し雨が降り22日は朝から雨なので、朝から撤収してカサメリ沢の偵察に行き、増富温泉に入り帰路についた。

ホシダ

8.23(水)

人工壁

1ヶ月振りのホシダ。小川山から帰宅した次の日、暑さが応える。しかし、午後からは次第に影になり、快適になった。夕方吹く風には、秋の気配も…。

宇治/志津川

8.26(土)

FC

とにかく、暑かった。5本登った。やっぱり、蚊とアブに悩まさせる。虫除けスプレーと蚊取り線香持参だったが、私は餌食になってしまった。

ホシダ

8.27(日)

人工壁

土曜日の疲れか、意欲が湧かなかった。

●4●2●7(13/6)

7月
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山行名

日・曜日

山行形態

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メモ

ホシダ

7.1(土)

人工壁

梅雨空の中、ホシダへ。雨はほとんどなく曇り。転進してきたSさんたちの話によると、道場は雨だったようだ。次の日曜日は土砂降りで予約はキャンセル。

金比羅

7.4(火)

ロック

ほんとに久しぶり。4年振りか? 岩初体験の二人と。懐かしかった。岩遊びといった感じ。

ホシダ

7.7(金)

人工壁

娘に誘われてホシダへ昼から行く。F夫妻においしいトマトを戴く。2本しか登れなかった。

ホシダ

7.8(土)

人工壁

とにかく、暑い。しかし6本登る。汗が滴りおちる。

宇治志津川

7.9(日)

FC

着いたら壁が濡れていた。TRで遊ぶ。Mさんのルート「ロクデナシ」11d,全く手も足も出なかった。

烏帽子岩

7.14(金)

FC

この連休は、小川山の予定が天気が悪く急遽烏帽子に行く。平日もあり、他には、烏帽子2人、駒形3人、午後子から雲行きが怪しくなり退散したが、あまり降らなかった。

金比羅

7.15(土)

FC

金比羅へ、フリーに出かけるが、一番近いゲートロックはびしょびしょ。仕方なくホワイトチムニーに行くがコーナーハングのハングに蜂の巣。仕方がないので、その下にあるピラミッドフェースで登るが、ここも部分的にヌルヌル。意欲もそがれる。雨と雷のなかびしょ濡れで車に戻る。良いことないなぁ〜。

ホシダ

7.16(日)

人工壁

汗がしたたる中でのクライミングは大変。夕立があり、少し涼しくなった。10の後半からホシダは苦労する。

ホシダ

7.22(土)

人工壁

梅雨の晴れ間。しかし、蒸し暑くて意欲喪失。

獅子窟寺〜くろんど池〜ほしだ園地

7.23(日)

ハイキング

京都山の子会のハイキングや他の計画も雨で流れてしまったので、一人で歩きに出かけた。蚊の襲撃に遭いながらのハイキングだったが、なかなか面白かった。

愛宕山

7.27(木)

ハイキング

暑いのに、愛宕山へ行ってきた。久しぶりに天気がよかったせいか、平日なのに人が多かった。表参道からの登りは、良い鍛錬になるが、面白くない。階段を上っているようなものだ。

千石岩

7.29(土)

FC

久しぶりの千石岩は懐かしい。雨に降られ1本しか登れず。

●5●5●2(12/12)

6 月
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山行名

日・曜日

山行形態

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メモ

蝙蝠谷

6.4(日)

FC

3回目の蝙蝠谷は、またまた私たち3にんだけで誰もいなかった。久しぶりに行くと、やっぱり登れない。また行きたい。

ホシダ

6.8(木)

人工壁

午後から行ったので、あまり登れず。

ホシダ

6.10(土)

人工壁

蝙蝠の予定が、しばらく車で走るとポツリと来た。予定を変更してホシダになった。定員最後で滑り込みセーフ。6本登った。

ホシダ

6.17(土)

人工壁

久しぶりの、ファミリークライミング。奈良のFフアミリーも来られていて楽しく過ごした。昼から凄い雨で早く帰った。やっぱり、梅雨だなぁ〜。

星田園地

(京都山の子会)

6.18(日)

ハイキング

今回の山の子会の例会は、京阪河内森駅ー星田園地ー妙見宮ー河内森駅だった。朝のうちは雨模様だったので心配していたが天気は回復した。蒸し暑い中でのハイキングだったが楽しく過ごせた。

ホシダ

6.21(水)

人工壁

懐かしい人たちが…。全員で15人程と平日にしては賑やかなホシダだった。暑かった。昼頃から日陰になり涼しい風が心地よい。4本。

ホシダ

6.24(土)

人工壁

調子が悪かった。掌がすぐに痛くなるときは、登れないときというが当たっていた。

烏帽子岩

6.28(水)

FC

梅雨の晴れ間が続いていて、ひさし振りに行ったが、やはり不調だった。とにかく、暑かった。

●2●5●1(8/8)

5 月
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山行名

日・曜日

山行形態

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メモ

小川山

5.3〜5(水〜金)

FC

GW恒例の小川山となった。今回は3日と短かったが,みなさんのお陰で楽しく過ごせた。しかし頑張ったがクライミングの成果はなかった。

パンプ

5.13(土)

人工壁

雨の中、パンプに向かった。こんな雨の中億劫だなぁ〜、と少し思ったが,行ってみると登ってるだけで楽しい。一日があっという間に過ぎてしまった。簡単なところを11本。

ホシダ

5.20(土)

人工壁

久しぶりの,娘と行く。体が重かった。そして暑い一日だった。ギギナー予選ルートが,登れなかった。悲しい!

烏帽子岩

5.21(日)

FC

またまた,凄い人だった。ルートが空いていない。サイレントとおじいさん、タフに取り付く。そして真夏のような暑さだった。

薊岳

5.30(火)

ハイキング

友人との山歩き。5人で、賑やかに。新緑のブナの美しさとシャクナゲを堪能。ギンリョウソウ、チゴユリ、フタリシズカと珍しい花にも出会えた。この山は、素晴らしい山だった。

●4●2●1(7/5)

4 月
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山行名

日・曜日

山行形態

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メモ

ホシダ

4.1(土)

人工壁

やっと腰が気にならなくなった。緑/赤5.10bcRPできた。今度から,レベルを少し上げてチャレンジしたい。

ホシダレベルアップ講習会

4.2(日)

人工壁

雨の中での講習だった。上手くなるための登り方。上手い人は,こんなことが出来るから登れる。ということだが、意識して登ると少しは上達出来るのだろうか?

ホシダ

4.8(土)

人工壁

山越えでホシダへ一人で行く。ホシダではいつもの仲間が温かく迎えてくれるので嬉しい。そして春を彩る草花が咲き始めていた。ピトン小屋の桜は満開。

ホシダ

4.9(日)

人工壁

久しぶりの娘Mとホシダへ。仕事が忙しくてクライミングが来ていないMだったが、「やっぱり、ホシダはええなぁ〜,来てよかった!」と。八ヶ岳をキャンセルしてホシダへ。ホシダはお手軽でいい。

ホシダ

4.16(日)

人工壁

この日は、午前中だけ。用事があるので3本だけ慌ただしく登った。凄い人。

ホシダ

4.19(水

人工壁

久しぶりに岩でのクライミングを楽しみしていたが,朝から野暮用と,雨でまたまたホシダに変更。最近、ついてない。2組のみ。

烏帽子岩

4.22(土)

FC

やっと行けた,岩場。最初は不動の予定だったが変更。烏帽子は凄い人だったが、駒形はわりと空いていた。どうも不動のリボルとで移動してきたようだ。楽しかった。

ホシダ

4.23(日)

人工壁

この日のホシダも満員御礼。tが久しぶりに復帰。

ホシダ

4.26(水

人工壁

クライミング初体験の、友人二人と3人で行った。私が初めてホシダに行ったときのことを懐かしく思い出した。この,岩や人工壁での十年。たいしたこともないとも思うが、確かに積み重ねてきたものは,私なりにあるようだ。私のホシダ初体験は、ハングひとつも越えられなかった。彼女らよりもひどいものだった。

ホシダ

4.29(土)

人工壁

tがヘルニアということで、ホシダでリハビリ。少しましにはなってるが、なかなか大変だ。

ホシダ 4.30(日) 人工壁 やっぱり,ホシダへ。今日は一人で久しぶりに歩いて帰る。最近歩いていないなぁ〜。来月は,夏のトレーニング開始。山歩きを増やそう。
●1●9●1(11/11)

3  月
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山行名

日・曜日

山行形態

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メモ

ホシダ

3.2(木)

人工壁

視覚障害者のSさんの体験クライミングだった。10aのルートが垂壁に出来ていて登るが、え〜〜〜って感じ。また自信喪失状態。

烏帽子岩

3.4(土)

FC

何回も、封印だといいながらも取り付いてジャスティス、今回Kさんのアドバイスで、少し進展が…。

蝙蝠谷

3.5(日)

FC

2回目の蝙蝠谷は、誰もいなかった。大きな壁でたじろいでしまう。疲れが出ていたのか、ビレーで振られぎっくり腰状態。痛くて下山も困難だった。

ホシダ

3.18(土)

人工壁

蝙蝠谷で腰を強打してから、2週間。腰の痛みは普段ほとんど気にならなくなったが、平行して風邪で苦しみんだ。2週間ぶりのクライミングは、5.9.10a2本だけだったが、かなりの疲労感が残った。昼頃から雨。早めに切り上げた。

ホシダ

3.19(日)

人工壁

まだ、ムーブによっては腰に響く。しかし土曜日より意欲が湧いて来た。久しぶりにサンド5.10dを登るが、持久力が落ちていて、2回レスト。この日も、雪が舞う寒い日だったが、前向きな気持ちになってきた

ホシダ

3.21(火)

人工壁

不動の予定が、ホシダに。天気が久しぶりに腫れた。

ホシダ

3.23(木)

人工壁

平日のホシダは空いていた。4本登る。まだ腰をかばっているが、だいぶ楽になってきた。

ホシダ

3.25(土)

人工壁

一人だとつい億劫になるが、午後からホシダに向かう。2本だけ。

ホシダ

3.26(日)

人工壁

今日は家族で。5本頑張るが、体は重い。帰ってから体重計に乗って仰天。持久力の欠如は、このせいだったのか…!明日からもう少し体を動かそう。腰が痛いからとあまり日常でも動いていなかったからだと思う。ショック!!

●2●7(9/9)

2  月
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山行名

日・曜日

山行形態

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メモ

ホシダ

2.2(木)

人工壁

fさんと久しぶりに。用事があるので2本のみで登り早く帰る。

ホシダ

2.8(水)

人工壁

歩きとクライミング。まだ寒い。10c黄/黄緑取りかかる。一人で。

ホシダ

2.9(木)

人工壁

歩きとクライミング。一人。10c黄/黄緑少しましになる

ホシダ

2.12(日)

人工壁

烏帽子をあまりの寒さに日よってホシダへ。新しいルートに5.10bcに取り付いたがRPならず。

ホシダ

2.15(水)

人工壁

昼過ぎから雨。グレー9でアップ後5.10bc2回RPならず。

皆子山(途中まで)

2.18(土)

ピークハント

娘と久しぶりに、ハイキングのつもりが雪が多くてなかなか進めず寺谷までの軟弱さ。しかし、楽しかったなぁ〜。

烏帽子岩

2.19(日)

FC

前日の疲れと体重増加で、どうかなと思っていたが意外と躯は軽かった。久しぶりにおじいちゃんを登るが、2テン。ジャスティスは何度目かの封印????

ホシダ

2.23(木)

人工壁

久しぶりのM女史と。半年ぶりらしいが、間が空くと登れないのはみんな同じ。私も強迫観念でホシダ通いかな??

烏帽子岩

2.25(土)

FC

嬉しいことに、天気もよく暖かいので駒形で登れた。プロミネンスにトップロープを張って下さったN さんに感謝! これから頑張るぞ〜!!

パンプ

2.26(日)

人工壁

大雨でホシダがさすがにホールドが濡れていたようだ。(偵察にいったSさんの話)午後からいったパンプは昨年の10月以来。意外と空いていた。

●2●7●1(10/10)

            

1 月
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山行名

日・曜日

山行形態

写真

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メモ

城山

2004.12.29〜2005.1.2(木〜月)

FC

前半は天気もよく快適だったが、2日に雨が降り不完全燃焼のまま帰宅。

城山

1.7〜1.9(土〜月)

FC

お正月よりも寒かった。前日に降った雪が残っていた。

烏帽子岩

1.15(日)

FC

土曜日は雨。日曜日の烏帽子は晴れて暖かな日となった。

ホシダ

1.18(水)

人工壁

久しぶりのホシダは登れない。悲しい。

ホシダ

1.19(木)

人工壁

今日も登れず、悲しい。こうなれば、また地道に…。歩きとクライミングのトレーニングだ!!

ホシダ

1.21(土)

人工壁

雪の予報ははずれだが、何しろ寒すぎ! たったの5名だった。

烏帽子岩

1.22(日)

FC

この日の烏帽子も空いていた。6本登った。

天城山

1.27(金)

ピークハント

念願の天城山へ、やっと登って来た。天城山という山は無く万次郎岳と万三郎岳。

城山

1.28〜1.29(土〜日)

FC

ワールドボアコージのレインホール5.11b登れた。

●9●3●1(13/9)
年末年始/城山クライミングツアー

【 題名 】 城山クライミングツアー
【 期間 】 2005.12.29〜2006.1.2(木〜月)
【 参加 】 全員で16名(日程/岩場はそれぞれいろいろ)
【 山域 】 伊豆
【 形態 】 フリークライミング
【 地図 】
【 資料 】 日本100岩場
【 天候 】 29〜1日晴れ  2日雨
【 日程 】 29日 13時頃南壁 (アナザステップ9・/フルハムロード10b)

30日 ワイルドボアコージ右壁(城山物語9/プロポリス11b)/ライオンボトム(シンデルボーイ12a・TR)

31日 ライオンボトム(ウォーナンブール9/シンデルボーイ12a・TR2回)

1/1日 レスト(城ヶ崎見学)

1/2日 ひよこ岩(雨のために、一時停止10aだけ登らせてもらい撤収)昼頃出発

【 写真 】

【感想 】

今回で3年目の城山である。やっと城山にもなじんで来て,愛着の持てる岩場となって来た。今回は、京都雪稜クラブ(5名)福島労山(1名)奈良山岳会(4名)京都山岳会(2名)仙台山岳会(2名)(東京雪稜会1名)の計15名が修善寺ユースホステルへ日程はバラバラながら集結した。岩場でも,関西の岩場でよく会うクライマーにたくさん出会い,何だか地元でのクライミングのような気分だった。

今年はどこも寒波で大雪になり、山はどこでも大変だったようだが、やっぱり伊豆は暖かい気がする。結果はともかく,のんびりと年末年始をクライミングで過ごせるのは幸せなことだ。

12/29(木)さて、本題のクライミングだが初日は高速道路も出てからも混んでいて、南壁の岩場に着いたときにはすでに一時を過ぎていた。前夜から来ていた,奈良山岳会4名と合流する。アナザステップに会のHさんが取り付いたので,私も続いて登る。ここは2003年の2月に落ちて骨折したルートだ。昨年も登ったが、どうということのないところだ。どうしてここで骨折したのか、今でも不思議だ。落ちて危険なルートだとは特に思えない。あっという間に時間が過ぎる。次にヌンチャクの掛かってるフルハムロードに取り付く。2004年にFLしたルートだ。しかし、ボルト沿いに直登しようとしてテンションが掛かり、時間が迫って来ていることもあって左に逃げる。前もそこから登ったような…。

12/30(金)この日は東京からのHさんを大仁駅に迎えに寄り、ワイルドボアコージへ向かう。右壁の城山物語5.9をHさんがRPしたあと、アップで登らせてもらいフラッシング。そのあと、Tの狙っているルートのあるライオンボトムへ行き。そのシンデルボーイ12aをトップロープで登らせてもらったところ、テンションを掛けながら終了まで行けた。そして、お買い得の11bプロポリスをフラッシング。このルートは、10bの間違いではと思う程簡単だった。私には2つ目の11bだったが、いやはやお粗末。あまり人には言いたくない野田が、「お買い得やで〜」と言いふらしてしまう。帰って、食事後酒宴で楽しく過ごす。

12/31(土)この日もまたライオンボトムへ向かう。やはりシンデルボーイを2回トップロープ。リードしようかなとも思ったが、まだ恐かった。間にウインナーブルー9をオンサイト。このルートは難しくはないが長いのとルートが読みにくい。

1/1(日)この日はレスト日にして,城ヶ崎の偵察にドライブ。車に酔ったのか、気分が悪くなり頭痛がする。ファミリークラックエリアで降りてしばらく見学。見ていると触ってみたくなるが、道具を持って来ていない。ここはほとんどが、NPルートで私は積極的にまた来たいとは思わない。そして修善寺神社で初詣をしてそばを食べる。この辺は,そば屋が多いところだ。少々高めだが,満足。

1/2(月)とうとう最後の日、またライオンボトムへ向かう。着いてしばらくして雨が降って来た。雨が小降りになるのを待ってる間にひよこ岩に取り付いていた、Nさんたちに一時停止10aを登らせてもらいオンサイト。上の方はもう濡れていて気色が悪い。とうとう諦めて撤収することになった。昼頃帰路につく。家に着いたのは9時頃だったかと思う。

今回は、岩場がTの目的のルートから離れられず,私としては思いっきりチャレンジすることが出来なかったために不完全燃焼となった。今度行ったときには、ほんもの?の11bにチャレンジしたい。

またまた城山クライミングツアー
【 題名 】 城山クライミングツアー(5回目)
【 期間 】 2006.1.7〜1.9(土〜月)
【 参加 】 全員で4名
【 山域 】 伊豆
【 形態 】 フリークライミング
【 地図 】
【 資料 】 日本100岩場
【 天候 】 晴れ たり 曇ったり
【 日程 】 7日 ライオンボトム(シンデルボーイ12a・TR/なかよし5.10b)

8日 ひよこ岩(一時停止10a)/ライオンボトム(シンデルボーイ12a・/なかよし5.10bTR)/ワイルドボアコージ(レインホール11b・2回)

9日 チューブロック(イスタンブール8)/ワイルドボアコージ右壁(ワイルドX10a)/ワイルドボアコージ(レインホール11b・2回)

【 写真 】

【感想 】

パートナーが、お正月に宿題を残して来たルートをやっとRPで来た。ここ数年の念願のグレードを達成出来て相棒としても嬉しいことだった。そして、私も希望のルートにチャレンジ出来、まだRP出来なかったものの思いっきりトライ出来、不完全燃焼感は今回払拭された。

出発してから車の助手席でうつらうつらしていたら、突然周りが雪だらけで目覚めた。車はトロトロしか走っていない。自宅から京都回りで出てくるときには、雪の兆しは全くなかったのに、滋賀県の彦根辺りからはまるで雪国だった。お〜っ、これは先が心配だと思っていたら、もう名古屋辺りではすっかり雪は無くなっていた。しかし、城山の林道を登りだしたらまた雪が残っている。「これじゃ今日は登れないのと違う」などと言いながら駐車スペースにつくと既に車が5-6台止まっていた。気を良くして、目的のワイルドボアに向かう。寒い。今回は、ほんとうに寒かったなぁ〜。

7日は、パートナーのルートのあるライオンボトムに直行。 ウォーナンブール9でTがアップをしたついでに隣のなかよし10bに降りるときにヌンチャクを掛けてもらいリードをしたが、1ピン目を掛けられず落ちてしまう。再度挑戦したがテンションを掛けながら登り右に大きくルートを外し、戻れずいやになり降りてしまう。このルートは手強くどうも苦手だった。次の日はもう一度トップロープで挑戦した。2ピン目から3ピン目でテンションが入る。やっぱりこのルートと思った。そして、またTのあとにシンデルボーイ12aをトップロープで登らせてもらう。下部のみ、ムーブ解決しない。

8日も またライオンボトムへ。アップをお正月に右へルートを逸らしてしまった、ひよこ岩の一時停止10aで。このひよこ岩は終了が未整備なようで木で終了点をとり、回収は懸垂でしなくてはならない。そのあと、TRで7日の日に敗退した「なかよし」に登ったがテンション。このルートはとても仲良しになれない。そのあと、TがシンデルボーイをやっとRPできた。感無量の様子だ。私は回収をかねて、また登らせてもらう。これで5-6回登ったと思うが、ムーブ的には解決出来た。次回来るチャンスがあればリードをしてみたいとは思うが、まだ私の実力ではRPにはかなり時間がかかると思うのでまずはイレブン中頃のルートを着実にRPして行きたい。やっと念願の私の登りたいルートの一つであるレインホールに向かう。奈良からのAさんが、魚釣り用のタモ網を改造したもので上までヌンチャクを掛けて下さった。これはかなり上まで掛けられて優れものだった。私も作ってみたい。そして1便目、ムーブを探りながら上まで登る。この日は2回登れた。

9日 最初に来たときに登ったイスタンブール8と前に登ったことのあるワイルドX10aを登る。ワイルドXは下部の乗っこしが苦手だったが、今回はすんなり。しかし持つホールドが冷たい。そのあとにレインホールにチャレンジ。3ピン目を掛けてからテンションが掛かるがムーブ的には安定して来た。最後のトライ4回目。かなりレストも上手く行き、これは行けそうと思ったとたん、右手の感覚が冷たさで麻痺して落ちてしまう。落ちると気力も萎えてしまった。回収して今回はもう終わることにした。

次回はいつチャレンジ出来るかは分からないが、思いっきりチャレンジ出来て悔いの無い城山となった。

天城山(万二郎1229m、万三郎岳1405m)
【 題名 】 天城山(万二郎1229m、万三郎岳1405m)
【 期間 】 2006.1.27(金)
【 参加 】 iku
【 山域 】 伊豆
【 形態 】 ポークハント
【 地図 】 天城山/山と高原地図30天城山.達磨山.長九郎山
【 資料 】
【 天候 】 晴れ たり 曇ったり
【 日程 】 27日3:20自宅発〜三島7:50〜天城高原ゴルフ場9:20〜登山口9:50〜分岐10:10〜10:50万二郎岳11:55〜石楠立11:40〜12:10万三郎岳12:55〜ブナの巨木〜13:55万二郎岳14:20〜15:00登山口15:20〜16:30大仁温泉
【 写真 】 写真へ

【感想 】

城山にクライミングにいくたびに機会があれば登ってみたいと思っていた天城山(万二郎岳/万三郎岳)。今回やっと登ることが出来た。平日ということもあってか、静かな山だった。早朝3時過ぎに自宅を出て日帰りが出来た。伊豆と言えば遠いという印象だが、このコースタイムだと、まるで奈良の山にでも行くような手軽な感じだった。今回は単独での山行となった。最近一人で行くことが多い。身軽で気楽なので単独もいいものだ。

自宅から三島駅までは4時間ぐらいの予定だったが、ちょうど通勤時間と重なったのか三島駅への道は混んでいた。仕事で東京に向かうtをおろして、天城山へと向かう。136号線の途中から伊豆中央道へ入り修善寺まで。そして冷川から天城高原まで伊豆スカイラインを利用して1時間半で天城高原ゴルフ場に着く。登山口はゴルフ場の門を入ってからもしばらく走り、ゴルフ場の少し前の道路右側にある。左に大きな駐車場が2カ所、登山者用にある。伊豆スカイラインはきれいに除雪されていて快適だったが、天城高原までの道は、雪が凍っていた。駐車場は最初奥に雪を乗り越えて入り止め、出発してから少し手前に除雪した駐車場が奥まってあるのを見つけて車を入れ直した。ここには3台程車が停まっていた。この終車場の向かいが登山道入り口だ。

杉林の中を15分程くだると分岐で男性二人がいた。営林省の人で何年か前に遭難事故があったので、この時期よく偵察に来ているという。登山者が入っているという証拠ということで私の写真を撮られた。ここから万二郎岳の方に左に折れたのだが、前方の道には「アマギシャクナゲ保護のために通行止め」という看板が出ていてロープが張られていた。

ここからはゆるやかな登りになる。トレースはしっかり付いている。道標もしっかり整備されている。アセビの木が多い。地図に富士山が見えると書いてあるが、曇っているために全く見えない。男女のパーティーが下って来た。「早いですね〜」と声を掛けると、「7時前に出発しました」という返事。初めて出会った登山者だった。上り詰めると万二郎岳の頂上だ。写真で見るクローバーのような特徴のある形をした道標が立っていて、1320・天城・万二郎岳と書いあるだけ。展望の無い殺風景な頂上だ。

記念にその道標の写真を撮り、樹木の中の先を進むと突然視界が開ける。ここからの眺めが素晴らしい。かなり遠くに平たい山が見え、その後ろに小さなお椀のような万三郎岳のピークが見える。平たいところが1325Mのピークと馬ノ背みたいだ。だいぶあるなぁ〜。ということは下って登り返しが2回あるということか…。

やっぱり、万三郎岳までのアップダウンは予想通りだった。ここからの下りはアイスバーンになっていたが、アイゼンを出す程でもなかった。馬ノ背はアセビのトンネルを行く。春にはどんな風景になるのだろうかと思う程、アセビの木が両側から被いかぶさっている。ここから下ると「石楠立」と書いて「はなだて」と読むらしい。ルビを振った看板が立っている。そしてアマギシャクナゲの看板もあり「天城山、長九郎山など天城連山一体の岩場に分布する、伊豆半島固有の常緑の低木で樹高は2-3mになり、葉は革質で表面に光沢があります。5月下旬から6月上旬に美しい薄桃色の花が一面にさきます。」と書かれている。よく見るとシャクナゲの木は沢山ある。日本百名山だけではなく花の百名山にも上げられているのも、またシーズンに凄い人が山に入るのも納得出来た。

最後の登りになって、若いカップルが降りて来た。「頂上にいる男性の奥さんですか?」と聞かれて「エっ! ???」意味不明の私。話していると頂上に中高年の男性がいるらしく、その人の奥さんと勘違いされたようだ。しばらくしたら、中年の男性が降りて来て「私の家内だけれども、中年女性と会いませんでしたか?」と聞かれた。そういえば万次郎岳を下るときに女性一人が登って来たのを思い出した。しんどいからと、途中で引き返したということだった。すれ違ったときに、何だか単独にしては変だなぁ〜とふと思ったがすぐに忘れてしまっていた。結局であったパーティーは男女が3組だった。

万三郎岳の頂上にも同じクローバー型の道標があった。しかし、天城縦走路の地図の書いた看板が立っていてベンチもあり万次郎岳に比べたら広い。少し寂しい樹氷も残っていた。しばらくのんびりしていると、雲が流れて青空が広がった。慌てて写真を撮る。せっかく来たのでサービスをしてくれたのかしら、と気分がよくなる。時間は十分あるので、無味乾燥な頂上だなぁ〜と思いながらも、しばらくボ〜ッと過ごす。やっぱり、この山は花の季節だなぁ〜、とも思う。しかし、そのころは凄い人で嫌になるだろう。長い間いると寒くなってきたので、引き返すことにした。

登るときに看板が出ていたブナの巨木を見に行く。見事だ。何だかゴツゴツしていて木の妖怪のようだ。この木をいろんな角度から写真に収め、帰ってから見たらけっこう面白い写真が撮れていた。この木から登山道に出る途中、雪を載せたに石を見つけた。よく見ると「自然を守ろう 熊親じ」と刻んである。何だか回りにとけ込んでいて、いい感じだ。熊親じに会ってみたくなった。「親じ」と書かれていて、「親父」「親爺」でないのが意味が無いのかもしれないが、私は気に入った。木々の間から万二郎岳が見え、帰りの風景はまた趣きが違って見える。登りきると、また万二郎岳に帰って来た。ここでまた一休み。ザックに入れてきた母がくれたオレンジが美味しい。いつも山に行くたびに心配している母に、電話をしてみた。電話の向こうではテレビの音がする。耳が遠いのでボリュームも大きい。電話の向こうとこちらとのギャップに異様な感じがし、電話をしたことを後悔した。山は、非日常の世界において置きたいとも思った。誰もいない万二郎岳の頂上には、私の存在すら無いのではという錯覚を起こしそうになり、つい雪に映った自分の陰にカメラを向けてしまった。

ここからは、下るのみ。途中で茶色のツルツルの表皮の木があり足を止めた。ヒメシャラとプレートがついている。「ヘェ〜、こんな色した木やったんや」と感心して見入る。これもかなり大きな木なので、花が咲いているのが見られず残念。ひとりでの山は、いろんな発見も多い。写真も沢山撮れる。

最後に「おつかれさまでした」の看板。ほんとうに、良く整備された至れり尽くせりの山だった。

雪もいいが、やっぱり私は花が気になる。アマギシャクナゲ、ヒメシャラ、アセビの満開の中登ってみたいと思った。しかし、たびたび来られる距離ではなさそうだ。

2006年度/3回目の城山クライミングツアー
【 題名 】 城山クライミングツアー(6回目)
【 期間 】 2006.1.28〜1.29(土〜日)
【 参加 】 iku,t
【 山域 】 伊豆
【 形態 】 フリークライミング
【 地図 】
【 資料 】 日本100岩場
【 天候 】 晴れ たり 曇ったり
【 日程 】 28日 チューブ・ロック (椿の森の中で9)

ワイルドボアコージ(クロスロード10a、レインホール11b・2回)

29日 ワイルドボアコージ(無名9、レインホール11b・2回目RP)

【 写真 】 写真へ

【感想 】

今回のメインはやっぱり城山のレインホールだった。前回から取り付いたルートのレインホールが、今回10回目にしてRPできた。やっぱり私の場合、イレブン代は苦労するなぁ〜。

27日の天城山の祟りか疲れか、28日は早いうちから腕がパンプして最後にはホールドの保持さえままならない。せっかく交通費をかけて、遠くまで来たのだからという貧乏性であれもこれもと欲張ってしまいフル活動してしまう。

椿の森の中で9でアップのつもりがテンション。このルートはナインとは思えない。そしてクロスロード10aをOS。このルートは長くて気持ちがいい。ここより椿の森の中での方がずっと難しいと思う。

この日の私は、もはやここまでだったようだ。いよいよ本命のレインホールに取り付いたが、ぼろぼろのテンションだらけ。2回目も、ホールドが保持出来ないのが身を以てわかる。もうRPははかない夢と散り、せめてムーブだけは確認しておこうと最後にTRで取り付くが、1ピン目の右手のタテ穴ホールドでも剥がれる有り様。情けない状態に絶望感でいっぱいになり、「私には、烏帽子や駒形でもまだ登れないルートがいっぱいあるやんか、なんのためにこんな遠くまで来てクライミングをするんや」と心の中で自責の念に駆られる。横のジゴロやジャンバラヤに取り付いている若者がかっこ良く映り、私はより惨めな気持ちになる。

重い足を引きずりながらも夕暮れ中を帰るうちに、だんだん次の日の期待に気持ちは切り替わって来ていた。変わり身の早さは私の良いところかもしれない。今回の宿泊はいつもの修善寺のユースが満員で泊れず、少し贅沢ながら(クライマーは一泊2食付き税込み7500円)大仁温泉の一二三荘で宿泊した。ここは岩場に近くて温泉(日帰り入浴は300円)もとてもいいが線路脇なので電車の音が少し気になる。やっぱり、修善寺ユースの方が経済的でもある。

というような訳で、先行投資をした分元を取らないともっと惨めな思いをするので、布団の中でもムーブを組み立てながら、早いうちに深い眠りに陥った。多分、8時頃には寝ていたと思う。

十分の睡眠で疲れもだいぶ取れ、29日は気合いを入れて8時過ぎに旅館を出た。もうこの日に掛けるつもりで、アップで疲れるようなことはしない。28日にお会いした國分さんにきいた新しいナインのルートをトップロープで登り(100岩場には載っていない)、次に本命のレインホールに取り付いた。組み立てたムーブ通りに、うまく躯は動いたが3ピン目を掛けて落ちてしまう。足をいったん寄せるのを忘れていての失敗だった。しかし、最後の乗り越しは今までの中で一番完璧だった。

これで何とかなりそうだという気持ちになれた。最後に賭けることにして大休止を取る。それなのに1ピン目で簡単に落ちる。えぇ〜、という感じ。もちろん降りてやりなおした。今度はレストも十分余裕をもって取れてやっとレッドポイント出来た。終わったという感じだった。この一瞬の喜びのために、長い間苦労したり惨めな思いをしたりする。

私の場合は、すんなり登れることの方が少ない。オンサイトの能力はかなり低い。生まれながらの恐がりと、運動神経の無さだと自己分析している。しかし苦労した分、達成感と喜びは大きい。この気持ちがまた次へのモチベーションとなっているようでまたやる気が出て来ている。

浮き沈みが激しいなぁ〜。

薊岳(14060m)/明神平
【 題名 】 薊岳(4060m)/明神平
【 期間 】 2006年6月30日(火曜日)
【 参加 】 iku,yuri,kumi,attyan,hiro
【 山域 】 奈良/台高
【 形態 】 ハイキング
【 地図 】 1/25000:大豆生  エアリア57大台ケ原
【 資料 】 奈良の山(山と渓谷社)/アルペンガイド23大峰・台高・紀伊の山

温泉/たかすみの里、 やはた温泉

【 天候 】 晴れ
【 日程 】 自宅5:30⇒近鉄新田辺駅6:00⇒8:10大又8:30⇒古池辻10:00⇒大鏡池1182.5m/11:05⇒12:50薊岳13:30⇒前山14:40⇒明神平15:10⇒林道終点16:46⇒林道途中でピックアップ17:30⇒18:25たかすみの里(東吉野村の村営温泉)⇒天好園20:20→近鉄新田辺駅22:10⇒帰宅13:00
【 写真 】 写真へNo.1No.2No.3

【感想 】

薊岳(あざみだけ)はいい山だと聞いていた。それ以来、一度は行ってみたいと思っていたが、今回新緑の季節に行けてよかった。ここは、ブナの木が沢山ありとても綺麗だった。それと、今年は例年より遅いのかシャクナゲが咲き誇っていた。久しぶりで女性ばかりの、のんびりいい山歩きとなった。

昨年の同じ時期に尾瀬に行った古くからの友人3人はもうすっかり山の虜になったようで、今回は誰からも文句は出なかった。みんな、7月に計画している穂高にかなりの期待を持っていて、今回はトレーニングのつもりだった。薊岳への1000メートルの標高差の登りはかなりきついものがあったが、一人も脱落せず登れたことはそれぞれが成果と達成感を感じていたようだった。

もう一人の同行者kumiさんは、私の実家の母屋のお嫁さん。お嫁さんと行っても、かなり古いお嫁さん。山には年何回かは登っている。他の3人はほとんど登っていない。この5人での山歩きは初めてのこと。

まずは5時半にkumiさんを拾って、近鉄新田辺駅に向かう。6時に時間どおり集合してコンビニでお昼を仕入れ出発。京奈和道路に田辺西から入りいったん木津で24号線にでて、郡山でまた最近開通したため今は無料の京奈和道路に入り橿原まで一気に駆け抜ける。やっぱり、ずいぶん早く行ける。

大又バス停に8時10分に着く。林道を少し行った道路脇の空き地に車を止める。林道をバス停まで戻り、8時30分神社にお参りし鳥居の右横の登山道から出発する。いきなり登りだ。延々と続く吉野杉の登りは過酷なものだった。吉野村の特産でもある杉のある風景は京都北山と似ているが、杉の高さは吉野杉の方が高く伸びている。京都の北山杉は床柱になるのでそんなに長くする必要はないのだろう。高いところまで枝打ちして手入れされ、天に突き刺さるようにまっすぐ並んでいる杉の風景もまた美しい。

杉ばかりで、なかなか花はない。最初に見つけたのはマムシソウ。この花は、歓迎しない。茎を見るとどうしても蛇を連想させる。夏に付ける真っ赤な実も毒々しい。この実は、赤から紫に変わるのだが、それもいい気持ちがしない。これは私の偏見かもしれないが、この世で一番嫌いな植物かもしれない。

いつまでも変わらない杉林を九十九折りに登っていると、最後には飽きてくる。そんななかでも、ときどき見られるかわいいチゴユリが心慰めてくれる。ほんとうに小さい。しかし覗き込んで写真を撮ると、ちゃんとした立派な花だ。

フタリシズカもノリウツギも単調な登りに花を添えてくれていた。「今標高◯◯◯メートル、あと◯◯◯メートル」と私の気圧計付きの腕時計を見ながら激励が飛ぶ。少しずつ高度を上げて行くのを実感するのも嬉しいものだ。

登りの勾配が少し緩くなって左に曲がると、そろそろ大鏡池(だいきょういけ)だろうと思っていたところ、道標に消えかかったマジックで「↓大鏡池」と書かれていた。右の方に下ってみると人の声がする。数名で大鏡池の祠を建て替えていた。やはり地元の篤い信仰が残っているんだなぁ〜、と感心した。池自体は大したものではなかった。とても、綺麗とは言えない。

またもとの登山道に戻り少し行くと左に折れて稜線となる。やっと杉の植林から解放されて雑木林となる。ブナが多く、緑が爽やかだ。木の間から視界が広がる。オレンジ色の山ツツジを発見。枯れ葉の間からギンリョウソウが顔を出している。またの名をユウレイソウというが、まさにそのような姿をしている。まるで地下の霊界から顔を出しているアニメなどに出てくる山の精霊ように思えないでも無い。よくみると、あちらこちらにある。

ここで、しばらく休憩して小腹ごしらえをする。歩いているときは真夏のように暑いと思っていたが、じっと座っていると寒くなってくる。お腹が少し満足するとまた元気が出て来るようだ。ブナの新緑の尾根道をしばらく歩くとシャクナゲが左の方に咲いている。今年は、雪解けが遅かったせいか花も遅いようでラッキーだった。正面に緑の薊岳が見える。もうすぐだ。後は木の根っこの登りになる。シャクナゲもいっぱい咲いている。濃いピンクに淡いピンクが満開の大判振る舞いに虫たちも大喜びの様子。どの花にも虫が入り込んで、まるでそこは我が家かのように図々しく占拠している。最後の登りは、木をまたいだり、根っこによじ上ったり、あげくに大きな岩をよじ上り、そこを登りきると頂上だ。

頂上は少し狭いが、視界は開けていて眺望もよく、またシャクナゲが満開だった。狭い山頂を占拠して昼食にする。いつももう降りたくないと思う至福のひとときである。一人男性が反対側から登ってきたが、私たちに恐れをなしたのか、写真を撮るとそうそうに引き上げていった。今回出会ったのは、登りに出会った単独の人と3人のパーティー、そして頂上での単独の3組。すべて男性ばかり。やっぱり平日は静かでいいなぁ〜。静寂を破るのは、私たちだけ。

すでに時間は一時半。予定より一時間遅れてしまっている。しかし、みんな焦る様子も無くのんびりと過ごしている。いつまでもいたいがそうは行かない。「そろそろ、行こうか」に重い腰をあげた。

ここから明神平まではなだらかなアップダウンが数回ある。広い稜線上で、ブナとバイケイソウが美しい快適な道が続きとてもいい感じ。バイケイソウは花の季節に少し早い。最後に長い急登を登りきると、前山のピークだ。そこを抜けると、明神平の広々とした笹原に突然出る。前方には何やら白いビニールをまき散らしたようなゴミのように見えるものが点在している。「汚いね〜、何やろ?」と言いながら降りて行くと花崗岩だった。遠目でみると、ゴミとしか見えなかった。右手に天理大学の小屋、左に東屋、その上にまだ新しそうなあしび山荘が見える。

明神山はキャンセルして、東屋で休むことにする。ここからは右手遠くに薊岳が見える。ずいぶん歩いたものだ。しばらく休憩して大又へ向かう。しばらく降りると、湧き水が流れ出ている。それが少しずつ流れを増して行く。やっとまだ花をつけていない薊に出会う。谷には黄色い花が沢山咲いているが名前は分からない。しばらく下ると明神滝に出くわす。明神谷を何度か渡る。けっこう急な下りだ。途中に古い小屋が2軒あったが、使われていないようだ。

疲れきったところで、鉄の橋を渡るとコンクリートの急な道になる。快調に下るkumiさんに車の鍵を渡し、先に着いたら迎えにきてくれるようにお願いする。ここからが足が辛かった。後ろ向きに歩いてみると楽だ。その急なコンクリート道を下りきると、アスファルトの林道に出る。林道は、コンクリートの急勾配よりは幾分楽になった。大又川沿いのフジの花を楽しみながら、長い林道をだらだらと歩く。1間程歩いたところで、お迎えの車が来た。やれやれである。時間は5時半を過ぎていた。約2時間の予定オーバー。

大又の近くのやはた温泉は火曜日休業なので、少し遠いが東吉野村役場の観光課で前もって聞いていた東吉野村平野にある村営の温泉、「かたすみの里」に寄る。この温泉はとてもいい温泉だった。そして、かたすみの里の近くの天好園で山菜天ぷら定食を食べる。これもとても美味しかった。コゴミ、フキノトウ、ヨゴミ、セリ、タケノコなどそれぞれの香りが美味しい。しかし、田舎育ちの私は、内心こんな草にお金を払うのか…、と思ったのも事実。ここの名物はキジ鍋とボタン鍋らしい。これは、私には戴けない。お腹も満足し、帰路につく。帰宅は11時だった。朝早くから夜遅くまでフル活動の1日だったが、意外なことに疲れがなかった。やっぱり新緑の山はいいなぁ〜。

奥穂高岳(3190m)
【 題名 】 奥穂高岳(3190m)
【 期間 】 2006年7月31夜発〜8月3日(月〜木)
【 参加 】 iku,yuri,attyan,hiro
【 山域 】 北アルプス
【 形態 】 ハイキング
【 地図 】 山と高原地図38上高地/槍/穂高
【 資料 】
【 天候 】 全て晴れ
【 日程 】 7/31(月)自宅⇒京都集合23:00発バス⇒

8/1(火)上高地5:45着6:40発⇒明神7:50⇒徳沢園8:50⇒10:10横尾10:45⇒12:05本谷12:30⇒涸沢小屋16:10着

8/2(水)涸沢6:50発⇒11:00穂高岳山荘12:00⇒13:00穂高13:15⇒14:00穂高岳山荘14:20⇒涸沢小屋17:30着

8/3(木)涸沢小屋5:40発⇒7:50本谷8:10⇒9:20横尾10:00⇒徳沢園11:00⇒明神池12:10⇒13:00上高地14:00(上高地アルペンホテル風呂/おみやげ買い物)上高地タクシー12000円15:30発⇒松本17:00着17:41発(JR特急ワイドビューしなの22号)⇒名古屋19:47着/19:57発(JR新幹線のぞみ69号)京都着20:33

【 写真 】 写真へNo.1No.2No.3

【感想 】

恒例の友人との旅行は、とうとう穂高に登ってしまった。数回のハイキングには行ったもののアルプスは初めての登山だった他の3人には少々きついものだったかもしれない。上高地から横尾間はほぼエアリアマップのコースタイムぐらいで行けたが、登りでは1.5倍以上の時間がかかった。時間が予想よりももっと掛ったのは、やはり岩場だった。しかし、無理はないと思う。私も最初のアルプスは槍から北穂までの岩場の通過に、かなりの時間を要したことを思い出した。

何はともあれ、無事に帰ってこられ、みんな楽しくいい思い出になったようで、企画した私はとても嬉しい。そもそもはメンバーの一人が、涸沢をテレビで見て行きたいと言ったのが始まりだった。まぁ〜、涸沢までだったら大丈夫だろうと私も思い、また涸沢のお花畑をぜひ見せてあげたいという熱い思いもあって決めた。

ところが、今年の涸沢は例年になく雪が残っていて、まだ新緑の季節だった。お花畑は雪の下で残念だった。そんな訳で、ザイテングラードにもお花があるので、もう少し登ってみることになった。

小屋までも雪渓が残っていたが、次の日の穂高へのアプローチも樹林帯を越えたところからザイテングラードの取り付きまでも雪渓だった。上から見たら涸沢は全く雪に埋まった感じだった。

この日のために、軽アイゼンを4個用意していた。みんなアイゼンなどというものは見たのは初めてのこと。それぞれ付け方も違い、装着するのでも大騒ぎだった。小屋までの登りの雪渓ではアイゼンを使わなかったが、穂高への雪渓の登りでは使った。ヘッピリ腰だったのが、アイゼンの威力は大したもので、帰りの下降のころには楽勝だった。

奥穂高山荘で一人は、恐いから待っているというので、3人で登った。午後からガスが出てきていて視界は全くなかったが、少し晴れて墨絵のようなジャンダルムが一瞬だけ見えた。「お〜い」と叫ぶ声が鮮明に聞こえ、「お〜い」と返した。

下りは登りより慎重を要する。爽やかな風を感じながらも、神経を使った。小屋に着いたのは、5時半。食事にぎりぎりの時間だった。思ったよりもかなり時間が掛った。

この分だと、上高地への下山も時間がかかることを予測して、出来るだけ早く出発することにしはやく寝床に潜り込んだが、私は10時過ぎまで寝付けなかった。3時頃、メンバーの一人が、星が綺麗だと起こしてくれた。空一面に隙間なくばらまかれた大粒の星空を久しぶりに感動的に見たように思い、新鮮だった。

穂高は、何度も来ているのだがいつも新鮮だ。特に気の会う友人と美しいものを共有出来るのは嬉しいことだ。

下山の下りはやっぱり大変そうだったが、予定どおりに上高地に戻れ、お風呂にも入ることが出来、思い出を胸に焼き付けて、満たされ気持ちで帰路についた。

八ヶ岳/縦走
【 題名 】 八ヶ岳/縦走
【 山名 】 編笠山(2523m)、権現岳(2715m)、赤岳(2899m)、横岳、硫黄岳(2760m)、根石岳(2603m)、東天狗岳、中山(1496m)、丸山(2329m)、茶臼山(2384m)、縞枯山(2403m)、北横岳(2472m)
【 期間 】 2006年8月13夜発〜8月16日(日〜水)
【 参加 】 iku
【 山域 】 八ヶ岳
【 形態 】 ハイキング
【 地図 】 山と高原地図33八ヶ岳
【 資料 】
【 天候 】 午前中晴れ午後から霧
【 日程 】 8/13(日)自宅6:00⇒観音平10:50/11:00発⇒雲海11:50/12:00⇒押手川12:40/12:50⇒網笠山14:10/16:00⇒青年小屋16:24着/泊

8/14(月)青年小屋6:00発⇒観音岳7:35-7:45⇒赤岳(赤岳頂上小屋昼食)11:30-12:45⇒赤岳展望荘13:00⇒地蔵尾根分岐13:07⇒三叉峰14:04⇒横岳14:25⇒硫黄山荘15:00着/泊

8/15(火)硫黄山荘6:15発⇒11:00硫黄岳6:40-7:00⇒夏沢峠7:40-7:50⇒根石山荘8:10⇒根石岳8:30⇒天狗岳9;00-9:45⇒中峠10:35-10:50⇒高見石山荘(昼食)12:09-13:30⇒丸山13:45-13:55⇒麦草峠/麦草ヒュッテ14:40着/泊(お花畑見学)

8/16(水)麦草ヒュッテ6:30発⇒大石峠6:50⇒茶臼山8:00-8:30⇒縞枯山9:04⇒縞枯山荘9:36⇒ロープウェ−/さんちょうえき9:50-10:10(コインロッカーに不要品入れる)⇒北横岳11:10-11:20⇒七ツ池11:31-11:35⇒さんちょうえき12:10-12:30⇒さんろくえき/風呂/食事バス14:44⇒茅野駅15:40⇒自宅着21:00

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【感想 】

恒例のお盆の行事と化してしまった小川山を、クライミングがスランプの私はボイコットしてしまい、八ヶ岳の縦走に出かけてしまった。八ヶ岳が岳人6月号にお花の山として紹介されてからは、気になっていた。気になっていたのは6月に咲くツクモグサ。一目見てみたいと思っていたのだが、梅雨の季節なのでなかなかかなわない。しかし、夏場のお花の宝庫と言うのも気に掛る。

最初は南アルプスの縦走も魅力的だなぁ〜とも考えていた。まだまだ、行けていないところが沢山ある。しかし、小川山に行く夫たちに同乗して行けるところを考えていたところ、行きも帰りも同乗出来るので、やっぱり八ヶ岳に決めた。

よく考えたら、私は雪の南八ヶ岳を美濃戸から入るルートしか行ったことが無いし、北八ヶ岳も(特に冬に)行きたかったが行けていなかった。今回の観音平からの縦走は、じっくり八ヶ岳体験が出来るいい機会だと思え、計画を練るうちにどんどん魅力が増してきた。

13日昼前に観音平に、ザックとともに残置される。小屋泊りのわりには、ザックは少し重い。観音平の駐車場はすでに車でいっぱいだったので、この分だと人だらけでは…、と心配したが、ほとんどが登山者ではなく観光客の車だったようだ。この観音平から山にはいっている人は、この時期の北アルプスと比べたらほんとうに少ない。出発時間が遅いということもあるのか、雲海までは登山口で少し前に出発された1組のご夫妻しか会わなかった。お花の写真を撮りながら、きままにのんびり歩く。一人であることが嬉しい。

雲海は全く展望台という名前には相応しくなく、展望はほとんどない。ここで休んでいると、数組のパーティーが、登ってきた。テント泊縦走の単独男性も重そうなザックで後から登ってきて、小淵沢から歩いて、2泊で蓼科まで抜けると話していた。観音平まではアスファルトの照り返しの中大変だったとおっしゃる。そういえば、観音平への車道で私たちの車が追い越した人のようだ。この日はキレット小屋でテント泊だという。私ののんびり山行とは対比的なスピード山行だ。人それぞれ、いろんな楽しみ方で登ってOKなのが山である。

押手川分岐を編笠方面に取ると谷筋の急登となるが、最初は苔むした樹林帯の湿った中を進むが、だんだん視界が開けてくる。しかしながら、頂上直下の岩のごろごろした急登はかなりしんどいものだった。観音平から網笠までの標高差は約1000メートルあるので、ちょうど疲れてくるころだ。無理は無い。何度も振り返っては、素晴らしい展望を眺めて一息入れる。

編笠山の頂上はだだっ広く石がゴロゴロしている。私が着いた2時頃は視界がもっとも良く、これから行く観音岳、赤岳、阿弥陀岳方面、遠くに蓼科までの稜線も見え、反対側には雲の下に小淵沢方面の八ヶ岳の裾野が緑美しく広がっていた。この日は、青年小屋までと決めていたので、頂上でかなりの時間、展望を満喫して過ごした。このあとガスで視界は全くなくなってしまったので、私はラッキーだった。縦走中毎日、午前中は晴天で午後から視界が無くなるという日々だったが、幸いにも下界に下りるまで雨は降らなかった。

登ってきた反対側に少し下ると、青い屋根の青年小屋が見える。ガイドブックにあるように入り口に「遠い飲み屋」と書いた少しくたびれた赤提灯がぶら下がっていた。受付を済ませ、テン場を通り過ぎて西岳への登山道を少し行ったところの水場「乙女の水」へ水を汲みにいく。水場ではカニコウモリの群生があり、登山道では見かけない花が咲いていた。写真を撮り帰ってから調べてみたらイチヤクソウという名前だった。もう一種類は、名前が分からない。テン場の周りでは、リンドウの蕾が膨らみもう秋の気配がしていた。

青年小屋は外見とは違っていい小屋だった。部屋は女性ばかり4人で、ゆったりしていた。最近山小屋の布団は大きく(下界では普通サイズ)なっている。食事もいい。最初山に行き始めた頃の山小屋とはまるで違っている。もうに十年近く前のことだから当たり前だとも言える。もっとびっくりしたのは、食堂にピアノがあったことだった。聞いてみたらヘリコプターで運んだらしい。ここで音楽会が開かれることがあるという。ピアノ好きの私は、山のなかでのピアノの音色はどんなものなのか聴いてみたいと思った。想像してもどう違うのかピンと来ないが…。山々に響き渡る、ピアノの音色を聞いてみたい衝動に駆られた。

14日6時、誰もいない登山道を朝露に濡れながら、権現岳へと出発。30分程樹林帯を登ると視界が開け「のろし場」である。ここからの展望は良かった。しばらくお花がいろいろ咲いている登山道で写真を撮りながらしばらく進むと、ザレた岩場の斜面に出て、そこには長い鎖場である。鎖場を右に巻いていくと、前方に権現小屋が見え、さらに右の方に権現山のゴツゴツしたピークが黒いシルエットで見える。分岐にザックを置いてピークを踏む。権現山はピークには数名しか立てず、写真を撮ってもらったらすぐに、交代しなくてはならない。このときには、もうガスが掛っていて視界も無い。すぐに分岐に戻り、そこでしばらく休憩する。

分岐を後にして、しばらく行くと61段とガイドブックに書いてある長い梯子があり、一気に下る。私が今まで経験した一番長い梯子だ。その梯子はまるで地の底までもぐっていっているようにも見えるが、下を見ても恐さはない。クライミングをやっているうちに、高所恐怖症は完治したようだ。

キレット小屋までの間に、最初のコマクサの群生が開ける。コマクサは久しぶりの対面だったので感動した。這いつくばって写真を撮る。コマクサに別れを告げると樹林帯に入る。樹林帯の登山道の途中からキレット小屋は少し下ったところにあるので寄らなかった。くレット小屋への分岐で男性が一人休憩していたので、私もそこで休憩して話しかける。もうひとり単独の男性が、キレット小屋の方から登って来て加わり3人で、しばらく雑談をして過ごす。ここから赤岳までは、岩場の登りになる。ガレた岩の間にもお花が咲き誇っている。目立つのは、イブキジャコウソウのピンク。昔の私だったら、こんなところは苦手だったが、変われば変わるもので楽しい。正面に赤岳のピークが見え、その右横に山頂小屋も見えた。阿弥陀岳の分岐を過ぎたら、もう少しの岩場の急登で頂上だ。

この辺りから人が多くなってきた。文三郎尾根を下る人は、数珠つなぎだ。頂上は、今までの静けさをやぶる喧噪でうんざりした。写真を撮ると早々に引き上げ頂上小屋まで来て、前で昼食にすることにした。穂高の残りのカップラーメンが美味しかった。ちょうど昼時もあってかここも人がいっぱい。前にどこかの山で出会い、再会したおばさんの歓声がする。頂上からは、大学のサークルのお兄さんグループが、ズボンを降ろしパンツ一丁になって順番にわめいている。今時、良くやるなぁ〜と冷めた目で眺めていたら、先ほどの賑やかなおばさんが、「頑張って〜」とこちら側から声援を送っている。それにまた「ありがとうございます〜」と返事が返る。

やっぱり八ヶ岳というと赤岳なんだなぁ〜、と賑わいを見て改めて認識した。赤岳は、吹雪で視界が無いときに頂上を踏んでいる。まるで行楽地のような様子を見ながら、あまりの違いに頂上を踏んだことをすっかり忘れてしまっていた。

そういう喧噪の風景をしばらく眺めながらゆっくりして、今度は硫黄山荘に向かった。途中の地蔵尾根の分岐にはお地蔵さんがある。やっぱり、地蔵尾根も人がいっぱいだったが、稜線を行く人は少なくなり、また静かな山の姿が蘇った。はるか下の方に行者小屋、その向こうに赤岳鉱泉が見える。

そして、三叉峰・横岳といろんな種類のたくさんのお花を愛でながら、冬の八ヶ岳と比べると何とやさしい穏やかな山なんだろうと思いながら進む。しかしそんななか、ガスに見え隠れする大同心と小同心はやはり険しい様相を呈している。お花は、ウルップ草の散った後が数株あった。お花が見られなかったのは少し残念。硫黄山荘への下りの斜面には、みごとなコマクサのお花畑が続いている。こんなにたくさんの群生を見たのは初めてのこと。燕岳のコマクサとは比較にならない規模で咲いていた。それでも、今年は雪が多かったのと雨が続いたのとで花は少なく、良くないということを聞いた。そういえば私の自分の記憶のなかのコマクサより花が少し小さめと色が淡いと思ったのは、気のせいなのだろうか。

斜面を下りきったところの硫黄山荘でまだ3時前だったが、2泊目の宿はここにした。この山荘は1998年11月の終わりに昔来て休憩させてもらい、雪で冷えた体をストーブで温めさせてもらった。温かいうどんを食べ、美味しかったも忘れられない。コマクサ畑の間の登山道にはずっとロープが張られていて、雪の中、そこを歩いたときにそのロープにエビの尻尾が出来ていて綺麗だなぁ〜、と思ったことも鮮明に思いだした。山岳会に入って、本格的な初めての雪山だった。下記に報告がある。

http://www.eonet.ne.jp/~iku-san/12kitayama/12kitayama98.html#13

この山荘は、昔と変わってはいなかったが素晴らしいトイレが出来ていた。まだ木の匂いがする、ウオシュレットの広々とした個室だった。赤岳鉱泉のトイレも様変わりして綺麗になっていたが、硫黄山荘のトイレがいままでで一番だ。ほんとうに、山のトイレを思わせるのは木をふんだんに使っていること位のもので、とても山のトイレだとは思えない。快適だった。

硫黄山荘で泊ったお陰で15日早朝には雲海からの御来光が見られ、硫黄の頂上では感動的な大パノラマが見られた。硫黄岳からの大パノラマも、いつまでもここにいて眺めていたいと思う程素晴らしかった。写真に撮るとはっきり写らないが、肉眼では左には歩いてきた赤岳と阿弥陀に稜線が続き、遠くに南アルプス、中央アルプス、御嶽山、乗鞍、北アルプスが見え、雲の下には蓼科が隠れているはずで、これから行く天狗岳が右に見える。硫黄岳の頂上はダダッ広く、今回迫力のある噴火口も覗いたが、とても大きい。この火口が活動していたのはいったいいつのことだったのだろうと思った。

いつまでもここにいたいという衝動を抑えて、硫黄岳から夏沢峠まで一気に下る。夏沢峠は本沢峠からの出会いとなっていて2パーティー登ってきたが、人は少ない。この辺りから、シラビソなどの樹林帯の登りになり、立ち枯れも現れてきて北八ヶ岳らしくなってくる。ピークの箕冠山を下ると広い砂礫になっていて、またコマクサの群生にであう。花の付き方は、ここはもう終わりなのか寂しい感じだった。左の方に根石山荘の石積みの屋根が見える。「展望風呂あり」と根石山荘の看板が出ている。山小屋の風呂というのは希少価値がある。またの機会に来ることがあれば泊って展望風呂に入ってみたいと思いながら、またの登りにウンザリする。根石岳のピークは目の前だった。頂上からは目の前に、東天狗と西天狗のピークが見えるが、またまたウンザリする登りだ。ここの登りにはトウヤクリンドウが咲いていて和ませてくれる。

さすがに、天狗岳の頂上にはたくさんの人がいた。素晴らしい展望を眺めながら大休止をしたあとは、ガレた鎖場を下ると道が黒百合ヒュッテと中山峠方面に分かれ、私は中山峠に向かう。ここで、硫黄小屋から一緒だった滋賀県のご夫婦とは別れ、私は中山に向かう。中山は、道標も無かったので通り過ぎてしまった。中山だと思ったところはその先の展望台だった。ここからの展望は見えなかったが、縞枯れの山肌が見えた。そこからまた下ると高見石小屋だ。ここのテラスを借りて、山菜そばを作り昼食にした。昼食後、すぐ隣の高見石に登った。展望がいいはずなのに、真っ白の世界で何も見えない。岩を伝って進んで行くと、若い男性がボルダリングをしているではないか。びっくりして、話しかける。知り合いから聞いて来たという。ルートにはチョーク後がうっすらとあったという。多分、その知り合いの人がつけたのだろうというが、物好きな人もいるものだと感心してしまった。麦草峠から一時間程のアプローチである。ちょっと遠いなぁ〜、と思うのは私だけだろうか?

朝、硫黄山荘を出たときは、出来るだけ次のところは麦草峠より先に歩を進めようと思っていた。が天気が悪いので視界の無いところを黙々と歩くだけの縦走は私の心情では面白くないので、この時点で次の宿泊は麦草ヒュッテに決めた。時間的にはゆとりがあるので、のんびりと出発する。すると、ボルダリングをしていた男性が追いかけて来た。「あれ、帰るんですか?」と声を掛けたら、「天気が崩れそうなので…」という返事。やっぱりいろいろリスクは多いなぁ〜と感じた。

高見石山荘から丸山までは、短い急登。丸山の頂上は丸山神社と書いた小さな祠があり、一組のご夫婦だけ。写真を撮ってもらって麦草峠に下る。視界は全くない。途中で家族づれ二組と出会う。麦草峠を降りていたら、男性に声をかけられる。最初は思い出せなかったが、キレット小屋近くで休憩していたときに一緒だった中年男性と知らない若い男性だった。二人とも台風が来ているので、縦走は断念して、麦草峠からバスで帰るという。それを聞いて、私も台風だとどうしようかなと少し迷ったが、取り敢えずは麦草ヒュッテで泊まって様子を見ることにした。残念ながら、子供30名と一緒の大部屋しか空いていなかったが、予約なしでも泊れてホッとした。

夕食まで時間があるので、お花畑を散策した。ここには高山植物を人工的に栽培しているところがあり楽しめた。

16日朝、雨は降っていない。お天気は良さそうだ。台風はヒュッテで聞いてもよくわからないという返事だし、携帯は全く役に立たない。台風はどうしたのだろうと、不思議に思いながら霧に包まれメルヘンチックな麦草ヒュッテを後にした。ヒュッテの横には立派な舗装道のメルヘン街道が通っていている。これには興ざめしてしまう。

ここから縞枯れ山を下る途中まで、全く人と出会わず静かな山を堪能出来た。茶臼山までは森が深く、苔むした切り株やキノコなどに大峰を歩いているような錯覚を起こす。最初のピークの茶臼岳は、全く視界がなくがっかりしていたら前方の道に展望台という表示がでているので行って見ることにした。頂上から5分位のところだった。ここからの眺めは素晴らしく、いつまでも眺めていたかった。右の方の山肌は白と緑の縞模様になっていて、縞枯山の山腹のようだ。名残は惜しいが戻り、次の縞枯山に向かう。

ここからの道は、ほんとうに緑の深い鬱蒼としてひんやりとしたところと立ち枯れたところが交互に出てきて、何だか不思議だなぁと思う。立ち枯れたところでは急に温度も高くなり暑くなる。不思議なのでは、立ち枯れの下の方にはしっかりと新しい命が芽生えていることだ。その繰り返しで登っていくと、しばらく幻想的な霧の中の立ち枯れをしばらく進むと突き当たり、縞枯山のピークだった。枯れた倒木の上にカメラを置き、セルフタイマーで頂上の道標の横に立った写真を撮る。

茶臼岳での展望は青空の元だったのに、もう空は灰色でどこからが空なのかも分からない。そこから石ころがゴロゴロした長い谷筋を下る。谷筋が石で歩きにくいせいか、左右に巻き道の踏み後が出来、広がっていっているのが見苦しい。下りきり分岐を左のロープウェイの方に進むと、青い屋根の縞枯山荘が見える。ここからはずっと木道が続く。人がだんだん多くなって来たが、観光客ばかりで登山者は見かけない。いよいよ、終盤に近づいてきた。ロープウェイの駅の前の広場で、私も観光客にまじってピンク色のコケモモジュースを飲み一息つく。想像していたよりも甘い味がして、美味しかった。

駅のコインロッカーにザックの荷物のほとんどを移し、軽くなったザックで北横岳に向かう。途中までは、坪庭を観光客の人ごみに混じって歩き、途中から登山道に入る。北横岳ヒュッテを通り過ぎて急登を登り、南方のピークに出るがまだ少し進むと頂上だが視界は全くなかった。家族連れがたくさんいて、休んでいたりする。賑やかな頂上だった。これからもここに来ることはもうないだろうと思った。そこそこで下山して、ヒュッテの前の道を下り、七つ池を見に行くことにした。今は二つだけしか見られないということだが、一つ目の池にがっかり。少し進んで2つ目の池にいくが、こちらは少し大きく綺麗。青空の下での池はもっと美しく映えるのだろうが…。

来た道を下山する。下に見える坪庭は溶岩の中に樹木が配置された、面白い眺めだ。そこを点々と人が連なっている。坪庭に出てからは一方通行なので来た道とは反対に取って駅に戻り、ロープウェイに乗る。アナウンスが廻りの山のガイドをしているが、全く視界はない。その度に顔を向ける乗客からは空しいため息が漏れる。「何とも気の毒だなぁ〜」とこの縦走を満喫して来た私は同情してしまい、また反面ささやかな優越感を心の中で味わっていた。降りたとたんに降りかけていた雨が本降りになってしまった。

計画段階では、バスの途中で下車をして温泉(蓼科温泉プール平の蓼科温泉共同浴場)に寄ろうと思っていたが、ロープウェイの食堂の下にある風呂で我慢した。ここは温泉ではなかったが、貸し切りで、山の汚れを落としてさっぱりできた。バスの時間までだいぶ時間があるので食事をしてのんびりと過ごし、今までの行程を振り返っていた。雨脚はますます強くなっていた。

この4日間、午後からはガスが出たがレインウェアを出すこともなく歩けてラッキーだった。今でも思い出すのは、あちこちで見られるお花畑。とりわけ赤岳までと硫黄岳山荘近くの今まででは一番広範囲だったコマクサの大群生を見られたこと。硫黄岳山荘の雲海の上に上がる御来光。編笠岳と硫黄岳頂上と茶臼岳の展望台からの大パノラマの素晴らしさ。縦走はこれらの楽しみを何度も登って下った分、味合わせてくれ堪能させてくれた。

そして、一人での山はより深く私の心のなかに印象づけてくれた。

御嶽山/縦走
【 題名 】 御嶽山/縦走と開田高原
【 山名 】 継子岳(2859m)摩利支天山(2959m)剣ヶ峰(3067m)
【 期間 】 2006年10月3〜10月5日(火〜木)
【 参加 】 iku
【 山域 】 御嶽山
【 形態 】 ハイキング
【 地図 】 山と高原地図39御嶽山
【 天候 】 曇り・霧(展望なし)
【 日程 】 10/3(火)自宅5:00⇒御岳ロープウェイ鹿ノ瀬駅9:30⇒飯森駅(2160m)10:30⇒八合目女人堂11:25-12:05⇒三の池13:29⇒四の池14:00⇒継子2峰14:35⇒継子岳(2859m)15:00⇒飛騨頂上⇒五の池小屋15:30泊

10/4(水)五の池小屋6:45⇒摩利支天山分岐7:08⇒摩利支天山(2959m)7:27⇒摩利支天山分岐7:55⇒二の池分岐8:24⇒剣ヶ峰(3067m)9:30-9:50⇒八合目女人堂11:00-11:30⇒飯森駅12:25⇒鹿ノ瀬駅12:40⇒旅館風里泊

10/5(木)旅館風里・開田高原を散策⇒妻籠宿⇒帰宅

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【 コース 】

【感想 】

御嶽山に登ってから一週間近くが過ぎた。帰ってからの体育の日の連休には、山では遭難事故が多発した。白馬や穂高では7日の土曜日には吹雪だったようだ。今日もまだ、連鎖は続いている。小学生が、妙義山で昨日から帰らないということだし。御嶽山の9合目でも…。

私が行ったときも、雨は降らなかったが曇り空で視界はなく、人も少なかった。こんな状況で何かあったら発見もおくれるだろうなぁ〜と歩きながら思っていた。

秋の山は、夏の喧噪からは考えられないほど静かだ。有名な北アルプスはかなりの人出だが、御嶽山は平日ということもり、また天気があまりよくなかったせいもあるのか、剣ケ峰の頂上付近では3-4パーティーほどに出会っただけだった。他の登山道でもほんとうに人に出会わない。五の池小屋も10数人程の宿泊者だった。静かで素敵な山を満喫出来た。

ロープウェイから女人堂までは、八合目の紅葉目当ての人で、頂上近くよりもう少し人も多かった。それでも少ないと感じる。御嶽山は信仰の山でそれも夏に人が集中するようだ。それは、もう閉まってしまっている頂上小屋や二の池小屋の規模でも理解出来る。この時期は五の池小屋しか開いていない。

今回は、母親と娘を開田高原に置いて登る計画なので、御岳ロープウェイを利用した。飯森駅には3人で降り立つ。生憎ガスで視界も無く、ここで別れて私は一人で八合目女人堂に向かう。登山道は階段状で整備されていて、紅葉もちらほらと見られる。

八合目に着いたとたんに、一面の紅葉で歓声が漏れる。カメラを持った中高年が多い中に、若い人が二人座っていた。足下が長靴なので聞くと、やっぱり五の池小屋の方だった。紅葉見物に降りてこられていたようだ。「ごちそう作って待っています」と言いながら先に出発された。しばらく、幸せな気分にひたりながら過ごす。

行きは計画通り、三の池方面にとるが、これは大正解だった。このルートは最後まで変化にとんだ美しいところだった。何しろ視界がまったく無いので、目先の紅葉が幻想的な雰囲気で見られ良かった。振り返り写真を撮りながら、ゆっくりと進む。開田高原が下に見えるはずだが、真っ白の世界だ。残念だが次回の楽しみに取っておこう。そのうちに、枯沢を渡る。乗ってもしっかりはしているので大丈夫だがここは崩れている。目の前は岩の壁になっていて岩と紅葉のコントラストが美しい。

そこからは急登で、単独の男性二人と出会う。一人は下山していく若い男性で、もう一人は登りきったところで中高年の男性が休憩していた。私も横に座って休憩して話しかけると、同じ五の池小屋に泊られるという。この男性とは、何回もお別れのご挨拶をしたにも拘らず、ずっと最後まで要所要所でお会いした。

急登を登りきって、またなだらかな登りが続き稜線の向こうに三の池である。ここで急に稜線に青空が出て来て嬉しくなるが、それはほんとうに一瞬のぬか喜びだった。三の池に着いたとたんに、また視界が無くなってしまった。近くに行くと見えるかと思い、池のそばの鳥居まで降りるが、池の気配しか感じない。

そのままショートカットして稜線の登山道に戻り進むと、四の池への分岐に出た。全く視界がなかったらつまんないので、地図を広げて行こうか行くまいか思案していた。そこに、途中でお会いしたAさんが来られた。地図に四の池は「小川が流れていてとても素晴らしい別天地」と書いてある。行かないと、後悔する気もしたので取り敢えず、四の池に下ることにした。そうしたら、不思議なことにどんどん視界が開けてくるではないか。

四の池に着いた頃には、青空すら見えていた。ほんとうにここは小川が流れていて、夏に来るとさぞかし綺麗だろうと思う。来てよかったと思った。小川を渡ると、だんだん岩がゴロゴロした登りとなる。川を渡る前に「通行不明瞭のために通行不可」という看板があり地図は破線になっていたが、五の池小屋のスタッフで整備して下さったようで、しっかりマーキングがあり忠実に辿るとわかりやすいルートになっていた。登りきったところは、継子2峰で、岩の中に祠が奉ってあった。通り過ぎるとなだらかな下りと登りになっていて頂上らしい石積みが見える。なんとも変化に富んでいる。

ここは高山植物の保護のためにロープが張られていた。石積みの頂は祈祷所だということだ。少し行くと継子岳の広い頂上がある。また、セルフタイマーで写真を撮る。誰もいない。そこからは、滑らかな下りになり、途中でなぜそこだけがそうなっているのか理解に苦しむが、細かな尖った石が突き刺さった状態のところに出る。まるで針の山だ。あとは広い稜線だ。左下に四の池が見え、歩いて来た稜線が見える。もう少し行くと岩の上に、文字が刻まれた石が立っている岩小屋が右手にある。中にはやはり祠が奉ってあった。

そのままさらに行くと、前方には黒い大きな山容が立ちはだかっている。これは、摩利支天山のようだ。飛騨頂上は、どこだろうと思っていたら、ちらりと山容の手前に小屋が見え隠れした。岩の上に乗っかると、女性の声がする。「これどこを通るんやろ」と関西弁である。「ここは、くぐれますよ」と言いながら、向こうに岩の中をくぐると、なんと「いくさん!」と呼ばれる。3人の最後尾の真っ黒に日焼けしたその女性は、私の所属していた山岳会の女性だった。こんなにも人に会わないところで出会った人が知り合いなんて…。帰りの女人堂でも、烏帽子岩で良くあっていた女性に声をかけられた。山の世界はほんとうに狭いものだと驚く。しばらく、立ち話をして別れ、五の池小屋に着く。飛騨山頂は五の池小屋の上にあった。

五の池小屋は、まだ木の香りがする新しい小屋だった。八合目女人堂でお会いしたお陰もあるのか、打ち解けた雰囲気で和気あいあいと楽しく過ごせた。女性二人で百名山を二回目という、強者おばさん(失礼!)も楽しい人たちだった。

次の日は朝起きたときは晴れ渡っていたのに、摩利支天山の分岐に来た頃には、もう視界が無かった。当然摩利支天山は記念写真を撮りにいっただけとなった。頂上は狭く、岩がゴロゴロしていて三角点のみの殺風景な風景だった。

分岐からしばらく行くとサイノ河原の避難小屋があり、通り過ぎるとサイノ河原である。ここは、ケルンが沢山あり、その上に地蔵が置かれていて何となく墓場のような感じがする。一人で歩いていると気持ちのいいものではない。遭難碑もあった。サイノ河原から少し登っていくと、二の池別館というけっこう大きな小屋がある。当然閉まっている。そこを過ぎると、お鉢巡りと二の池の方への分岐になる。

視界が悪いので、どうしようかと迷ったが道も良さそうなので、地図の「36童子おはちめぐり」というのに興味をそそられ、右の登りの方に行くことにした。ガスで足下しか見えない状態だったが、◯◯◯童子と彫られた石碑が道案内となっていて、迷うことも無かった。途中で、たぶん継母岳への道と思われる分岐があった。良い道のように見えたが、地図では継母岳へは通行禁止になっていた。何となく硫黄の匂いがしている。登っていくと岩稜になっている箇所に出た。するとどこからか女性の声がする。頂上が、近いのかと思っていたら、4人程の男女のパーティーが突然現れてびっくりした。そこからも、ガスっているせいか長く感じられた。

また岩場を登ると突然、建物のあるところに飛び出し、びっくりする。そこは立ち入り禁止。反対側が頂上かと思って下りてみても、岩がゴロゴロしているだけで頂上らしくない。ガレた急斜面になっていて、うろうろと頂上を探すが視界が無いために、勝手が分からない。仕方なく少しガレ場を下ると下に石を乗せた屋根が見える足下は屋根の高さの石垣だ。右下を見るとトイレのようだ。石垣を降りると、やっと頂上小屋の中に紛れ込んでいることが理解出来た。そのまま進むとコンクリートの階段があり重い足で登ると上に、銅像だか仏像だかよくわからないがシルエットが浮かぶ。ここが、剣ケ峰の頂上としか考えられない。お参りして階段下の、小屋の前で腹ごしらえをしていたら右の方から突然男性が一人現れた。田の原からですか、と聞くと奥の院からとおっしゃった。そのまま、階段を上っていかれた。しばらくすると、反対の方から最初から一緒で、摩利支天山でお会いしたときにお別れのご挨拶を済ませたAさんがこれも突然現れてびっくりした。私とは反対の二の池から回ってこられたようだった。

私はそのまま、Aさんが登ってこられた方へ下山した。下ると、案内板があり下に鳥居が見えるので二の池が見えるかもしれないと思い下っていったが無駄だった。帰ってから写真を見たら、肉眼では見ていなかった二の池がうっすらと写っていた。下の分岐に戻り、下山することにした。ここの下りは正直いって最悪だ。何にも無いただのガレ場が続く。まるで富士山のよう。これからもこの道は登りも下りももう使いたくないものだと思った。覚明堂には、男性が一人いて冬支度のようだった。挨拶をして通り過ぎる。

石室山荘はガレ場の石垣の上に建つ黒い山荘だ。危なっかしく建っているように見える。ガレ場を下っていくと、少し緑が出てくる。ハイマツの中に紅葉も見られるようになると、突然ナナカマドの原色の中に身を置かされてしまう。その紅葉のトンネルを下ると八合目の女人堂だ。やっぱり、ここには人が集まっていた。ハンドバックを持ったような女性も交じっている。感嘆の声が聞こえる。女人堂の横でまた最後の長い休憩とする。

すると、声を掛けて来た女性がいた。最初は思い出せなかったが、烏帽子岩でガイドのOさんといつも一緒の人だった。何と奇遇。こんなに人が少ないのに今回は二人も知り合いに出会った。いろいろ話して、ゆっくりしているとまた、剣ケ峰で再会したAさんが下りてこられた。

私は、娘の迎えの時間もあるので、またここでお別れして先にロープウェイに向かった。飯森駅に着いたら、視界が開けて下の方までやっと見えた。すぐに、ロープウェイに乗り約束の時間より30分程早く着いた。娘と母の迎えが来た頃、下りてこられたAさんと出会った。最後までAさんとはご縁があった。

開田高原の宿「風里」に着いたときには、雨が少し降っていた。早速温泉に入り、開田高原を散策した。木曽馬の牧場は、もう馬は見られなかった。馬舎の方に歩いていると、車で出て来た男性が、馬舎を覗いてみて来ていいよと行って下さったので行ってみた。どの馬も食事に夢中で、話しかけても振り向いてもくれなかった。残念ながら開田高原からのどこからも御嶽山は見えなかったが、とても美しいところだった。

美味しい夕食と清潔でふかふかの布団で山とは対極の贅沢を味わい、最後まで満足な山旅となった。

それにしても、御嶽山は不思議な山だと思う。剣ケ峰は古くからの信仰の山として栄えて来た歴史と宗教色が強い。多分夏に行くと登山者は信者の中で浮き上がった存在となるのであろうことは想像出来る。そんな中で剣ケ峰を目指して、その列に加わろうという思いは私には湧いてこない。しかしながら、今回のルートの中で継子岳、四の池はまた夏に行ってみたいと思う。きっとお花と小川の楽園になっていることだろう。そして、この辺りは喧噪からも外れているに違いない。楽しみだ。

比叡山/雲母坂ピストン
【 題名 】 比叡山/雲母坂ピストン
【 山名 】 大比叡(848.3m)
【 期間 】 2006年10月17日(火)
【 参加 】 iku&t
【 山域 】 京都東山
【 形態 】 ハイキング
【 地図 】 比良
【 天候 】 晴れ
【 日程 】 雲母坂〜ケーブル山頂〜大比叡〜雲母坂(約4H)
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比叡山のピークは、大比叡(おおびえい)という。通称は比叡山で標高848.3m。長い間京都にいて、な〜んにも知らんかった。私が、中学のときも行ってる。我が家の子供が小さいときにも、雲母坂から登ったことがあるし、根本中堂にも行ってる。それで比叡山に行ったとウン十年言っていた。
昨日、夫が出張の代休で休みなので蝙蝠谷にクライミングに行くつもりだったが、京都で午前中に用事が出来てしまったので、急遽「比叡山にでも登ろうか」ということになった。
のんびり、京都の街の路地裏を通りながら昼頃から出町柳に向かった。西陣を通ると、昨年の暮れに鶏肉の水炊きを食べた「鳥岩楼」の前に来た。ここは、昼は親子丼で名前が知られている。「親子丼ぶり食べよか」ということで寄り道し、古い町家の二階に上がり込んで名物の親子丼を食べる。比叡山のことはちょっと頭をかすめたが、誘惑には負けてしまった。特に美味しいとは思わないがまずくもない。おつゆでヒタヒタなのと、小さな真っ白の蓋付きの丼の器は、京都らしいなぁ〜と思った。テーブルも座布団も小振りでお上品だが、お尻がはみ出して座り心地は今ひとつだ。
腹ごしらえをして、さてバスにでも乗ろうかと思ったらもう時間が1時を過ぎている。バスと叡電を乗り継いで行くと、頂上で日が暮れてしまう。これは大変だと慌ててタクシーを拾う。お陰で、2時前には雲母坂の登り口まで到着。タクシーを降りてから1時間半ほどで、ケーブルの頂上の駅へ。今はもう潰れてしまっている人工スキー場を通り、比叡山のピークを探し求める。地図で見ると、この人工スキー場からも行けるのではと思ったが、これはダメだった。立ち入り禁止の札がある。もう少し行ってから、バスターミナルへ出る。ピークへの道標は全くない。
駐車場にいたガードマンに聞いてみると、「ガードレールを登って行くとピークはあるが、何にもないし、何も見えない」という。せっかく来たから、ピークを踏むことにして舗装道路を行く。突き当たりから右にまわって登るとテレビの中継塔などがあり、その奥の上で探していた三角点が見つかった。大比叡と書かれてはいるが、さっぱり魅力には欠けたピークだった。天下の比叡山がこんなだったとは、京都で育った私としては悲しかった。今は廃虚のケーブルの駅舎と寂れた清滝を思い出しながら、今の愛宕山が俗化を拒んでいるのは偉いと思った。比良も、もうロープウェイやリフトは撤去されたのだろうか?
下りてくると、ちょうど4時20分のバスが発車したところ。次は5時だが、バスに乗りたい誘惑に打ち勝って来た道を下った。ケーブルの駅から見た、京都の黄昏は綺麗だった。下りたときにはもう、真っ暗になっていた。
慌ただしいハイキングとなったが、近くなのになかなか行けなかった比叡山のピークを踏めたことはよかった。昔少し歩いた東山トレイルをまた歩いてみたいと「東山トレイル」の道標を見ながら思った。

 「人は自分の歩いた道しか知らない」のだ、ということを自覚した。

大台/中の滝登攀
【 題名 】 大台/中の滝登攀
【 山名 】
【 期間 】 2006年10月27日(金)
【 参加 】   L:Fk iku
【 山域 】 奈良/大台ケ原
【 形態 】 アルパインクライミング
【 天候 】 曇りのち晴れ
【 日程 】 自宅4:00〜5:45杉の湯6:00〜7:00大台ケ原駐車場7:10〜9:00取り付き9:40〜13:10中段終了〜15:20千石尾根15:40〜16:20駐車場16:45〜20:30自宅

大台駐車場〜取り付き(2:00)

実質登攀時間/取り付き〜中段終了(3:30)

中段終了〜千石尾根(2:00)

千石尾根〜駐車場(40)合計9:10(休憩時間含)

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【 地図 】

(赤線は今回のルート/緑線は最初の予定)

【感想】

大台のサマーコレクションのある千石ぐらの、奥の方にあるという中の滝の横を登攀出来ると聞いた。それは沢登りではなく、岩登りだという。資料は手元にはなく、ネットの記録を調べてみたが登攀の記録は少ない。N山岳会のFさんにその話をしてみたら、Fさんも登っているという。「今度連れて行って下さい」とだいぶ前にお願いしていて何度か計画して下さったが、何しろ雨の多い大台のこと、天気が悪くて2回ほど流れてしまた。ちなみに、N山岳会の会員の方が初登したルートだとおとうちゃんに聞いた。帰ってから、その記録を送ってもらった。

この日家を出ようとしたら、外は濡れていてぽつぽつと降ってるではないか。とにかくあまりに早いので、Fさんの家の近くまで行ってみることにして、近くにきてから電話をしてみた。「行くだけ行ってみましょう」と言われ、いつもの待ち合わせの道の駅「杉の湯」についた。吉野のあたりからは、全く降った形跡はない。いつも、天気は家で降らなかっても大台は雨ということが多いのだが、今回はラッキーだった。何しろ、大台は雨が多いことで定評である。駐車場についたときにはどんよりとした厚い雲に空は被われていたが、昼前からは青空が出て来て快適なクライミング日和となった。そして、Fおとうちゃんのお陰で、紅葉の大台の山懐に抱かれた幸せな一日となった。

駐車場から登山道をシオカラ谷へ向かうと吊り橋にでる。その右手に「通行止め」の看板があり、後ろに続くのが滝見尾根でそこから入る。今は通行止めになっているが、ここはかつての登山道だけあって、道はしっかりついている。しかし途中で少し分からないところがあるのと、登山道の補正用の木などは朽ち果てしまっているが、止めてあった金物だけが残っている。ハシゴも朽ち果てていた。滝見尾根をしばらく行くと右手に千石ぐらが木々の間から見えてくる。そのうちに、中の滝の中段から上辺りも見える。滝が近寄ってくると一気に下る。ここの急降下は、滑りやすい。

下りきったところが、西の滝の前だった。西の滝は中程で右に曲線を描いた滝だ。そのまま、今度は谷筋の岩を中の滝に向かってよじ登っていく。一カ所鎖が垂れているが、かなりのハングで登りにくい。左から巻いて登って行った。靴に水が入った。滝の下で休憩する。遠くら見ていたのとは違って、下の方はずいぶん幅の広い傾斜の緩い。下からは、上は全く見えない。そこからすぐで、取り付きである。

お父ちゃんは、1ピッチ目は直登し岩の中に生えている木にアンカーをとって行った。突き当たってから左にトラバースして巻き込み姿が見えなくなった。フオローで同じ所を登って行って巻き込んですぐのところで、おとうちゃんはピッチを切っていた。コールは滝の音で消されてしまい、全く聞こえない。

そのまま、私が2ピッチ目をリードする。クラックが多いので、キャメロットがよく効く。快適にどんどん登れ、気持ちがいいが、ザイルはどんどん重くなる。とうとう、ザイルが重くて上がらなくなりピッチを切る。終了点は、チョックストーンの岩にスリングを巻き付けて作る。フォローのおとうちゃんを引き上げるのも重い。もう少し、短くピッチを切った方が良いのかもしれないと思った。途中に終了点があったはずだとおとうちゃんは言うが、私は分からなかった。ボルトもハーケンも見あたらなかった。

次は、3ピッチ目である。大テラスまでおとうちゃん。気分はルンルン。紅葉は綺麗。大テラスはそのままコンテで突き抜けて、4ピッチ目の取り付きの小さなテラスまで進み、そこで休憩。下に中段の滝壺が池のように見える。良い眺めだ。

中段の最初4ピッチ目は、クラック沿いにお父ちゃんがリード。ここからは少しクライミングらしくなって来た。

5ピッチ目は私、もう少しで中段が終わりかなと思ったがザイルが重いので終了とする。ここはずっとクラックが走っていて、その横のスラブとクラックを行ったり来たりとルートをとり、最後は少し被ったクラック沿いに登る。登りきったところに、岩のテラスがあるが終了支点が取れないので、テラスの下で木とキャメロッとで終了点をセットする。

6ピッチ目は、クラックの木登りである。登りきったところでテラスになっていて、滝の上部と落ち口が見えている。ここで実質登攀は終了だったが、そうは問屋が下ろさなかった。

ブッシュに突っ込む。ガレたルンゼを登ると目の前に壁がある。そのあやぶい下部をトラバースする。その下部にたどり着くのに、木登りがあり、山椒のイバラに引っ掻かれる。山椒は実を付けていていい匂いがしていた。多分、この下部をずっと行ったら、中の滝の落ち口にたどり着いていたはずだ。

しかし、私たちはそこまで行かずにこの壁をよじ登ってしまった。クライミングは、まだ終わらなかった。その上が、もう稜線かと思ったのは甘かった。そのあとも、ブッシュが続きまた岩が立ちはだかっていた。もう腕はパンプしていたが、最後の踏ん張りで木を使って岩を乗っ越したら、そのまま左にザイルは流れている。落ちそうな岩の下部をまたトラバースして行く。おとうちゃんが見えた。いったん下に下りて落ち葉の積もったところを滑りながら、ビレー点まで行く。

ビレー点の向こうに大きな岩があり、ビバークにはちょうどいいような岩小屋になっている。おとうちゃん「ここでビバークできるで」と言いながらまたザイルをのばしてすぐに、何やら大声がした。一瞬何かあったのかと思いきや、良く聞くと「終わった〜」という声だった。行ってみたら尾根に出ていた。やれやれだ。これで、ビバークは免れた。次の日は、蝙蝠谷の約束なのでほっと胸を撫で下ろした。

しかし終了してからは、おとうちゃんの本来考えていたルートとは大幅に違ってしまっていた。おとうちゃんは、滝の落ち口からナゴヤ谷をつめて稜線の登山道に出て駐車場に戻る予定だったようだ。千石尾根の稜線に出てしまったので、もう谷に下って登りかえす気力は湧かないので、そのまま重い足を引きずって千石尾根を歩いた。

ずいぶん長く感じられた。途中で、イノシシに出会い、鹿の親子にも出会った。熊でなかってよかった。駐車場では、もう薄暗くなっていた。ドライブウエイでは大峰の山々のシルエットが浮かび、ちょうど夕日が沈むところだった。あまりに綺麗なので車を駐車して写真を撮って帰った。あちこちでカメラを向けている人がいた。

大台は魅力的な、山域だと改めて思った。「山ばっかりの、奈良っていいところですね」と私が言うと、「寒くて、ちっとも良いことない」とおとうちゃん。そういえば、雪の季節がそこまできている。その前のこんないい時期に中の滝を登攀出来て、ほんとうによかった。おとうちゃんに感謝!

もう一度、行ってみたいと思った中の滝だった。こんどは、滝の落ち口まで行ってみたいと思う。

城山/フリークライミング
【 題名 】 7回目/城山フリークライミング
【 山名 】 城山
【 期間 】 2006年11月3日〜5日(金〜日)
【 参加 】 iku&t&N
【 山域 】 伊豆
【 形態 】 フリークライミング
【 天候 】 晴れ
【 日程 】 3日/3:20自宅発→9:00大仁駅着 ポンポコランド

4日 ワールドボアコージ

5日 ワールドボアコージ 大仁駅3:30→温泉(みおと湯)→仮眠→帰宅13:00

【感想】

3日 ポンポコランド(ポコ) 復活の日 5.10a FL / 転勤前5.10b FL

 ポンポコランド(ポン) Smelly Cat 5.11a  ×

4日 ワールドボアコージ   Go Wrong 5.10b 2回目のRP / チャチャチャ5.10cRP  /  ジゴロ5.11b/c TR  ×

4日 ワールドボアコージ  ワイルドX5.10a 2回目のRP / ごめんねテラリン5.11 ×下部で嵌る

比良/西南稜から武奈ヶ岳
【 題名 】 比良/西南稜から武奈ヶ岳
【 山名 】 武奈ケ岳(1214M)
【 期間 】 2006年12月1日(金)
【 参加 】 iku,yuri,hiro
【 山域 】 比良山系
【 形態 】 ハイキング
【 天候 】 曇り頂上で雪
【 日程 】 自宅⇒向島6:50⇒イン谷口8:30⇒金糞峠10:15-10:25⇒中峠/昼食(11:20-11:40)⇒ワサビ峠12:15-12:25⇒武奈ヶ岳(1214M)13:00-13:15⇒八雲ケ原14:15⇒北比良峠14:40⇒ダケ道/カモシカ台15:45⇒イン谷口16:55⇒比良トピア(温泉)⇒帰宅
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【 地図 】

【 感想 】

今年の夏、穂高に行ったメンバーは、すっかり山に嵌ってしまったようだ。なかなか、仕事の関係で日程があわず、全員そろっての山行きはなかなか行けない。今回もついに紅葉の時期を逃してしまった。だが、今年は暖冬のお陰もあって、比良山系の麓にはまだ名残があり晩秋の雰囲気を味あわせてくれた。しかしながら、頂上は雪こそ積もっていなかったが、粉雪舞う冬景色となって寒かった。

今回も南インターから名神へ入り次の東インターで湖西道路に入った。途中で事故渋滞に巻き込まれ予定時間より30分程遅れての出発となる。しかし、登りは快調でほぼコースタイムくらいで歩けた。問題はダケ道の下りだった。疲れもあったのか北比良峠からの下りに時間がかかり予定よりは1時間遅くなった。だが、わりあいきついコースだったのに、おばさん登山隊としてはよく頑張ったと思う。みんな満足の一日だった。

最初の計画は、坊村から西南稜を経て武奈へ、下りにイン谷へと考えていたが今はバスも無いので比良駅まで歩くのはちょっと大変かなぁ、と思い急遽車で行き、このコースに変更したが、これは大正解だった。私は登りより下りの方がかなり楽なのだが、みんなはあべこべで、下りは時間も掛かり辛そうだった。

何度行ってもこのルートは変化があって良いルートだと思う。まさに山あり谷ありで、水の音を聞きながらの歩きは気分がよい。今回新しい地図を購入した。そうすると金糞峠から中峠への谷筋は「ヨキトウゲ谷」と書いている。冗談みたいなネーミングだが、まさにその通り、ここはとても良い谷筋だった。

以外だったのは、西南稜の最後の武奈ケ岳への登りが結構急だったことだ。「アレー、こんな登りがあったかいなぁ〜」と思った。記憶はいい加減なものだ。ここでご夫婦と単独男性の2パーティに出会うが、いずれも坊村からのようだ。ワサビ峠で下って来た3人組のパーティとで、今回出会ったのは3パーティのみ。ロープウェィが無くなって、やはり静かな山になったものだ。平日ということもあってかもしれない。頂上は、誰もいなかった。雪が舞って来た。八雲ヶ原への分岐から下山は、直下の道が悪かったが階段状に整備されていて歩きやすくなっている。

八雲ヶ原のスキー場がどうなっているのか見て来るのも今回の目的の一つでった。廃止されたスキー場は、もう名残はほとんどなく、ススキの生えたスロープだけがもとスキー場の面影がある。リフトも建物も一切なくなっている。テン場も撤去されていた。跡には湿原を昔の状態に戻すべく、大きな池が2つ作られていてその回りも綺麗に整地された土がむき出しの状態だった。いったい、元のように自然が返るには、いったいどのくらいいの年月がかかるのだろうか。

しかし、この前に行った比叡山の人口スキー場が、廃虚と化して残されているのを見ると、比良山スキー場がもとの自然に帰ることは、とても嬉しいことだ。八雲ケ原からの旧ロープウェイへの道も、あまり人が通らなくなっているせいかやはり自然に帰っているようだ。ロープウエイの駅舎はすっかり無くなり、前の広場には工事関係のプレハブが並ぶ。琵琶湖が目の前に開けている。広場にあったケルンはプレハブの間に残っていた。工事の人が数名仕事をしていた。もう雪の季節なので、今年はこの日が最後ということだった。ここにロープウェイがあったころの風景を思い出しながらしばらく佇んでいると、すぐにこの風景が現実のものとなり、売店があり人が行き交っていた駅舎は、幻の中に消え去ってしまった。いろいろ感慨深く名残は尽きないが、北比良峠に向かう。

北平峠からは、急な下りである。コースタイムの倍の時間が掛った。一気に下るのは慣れないと大変なようだ。穂高のときもそうだった。車に帰った時には5時前になっていた。もうだいぶ暗くなりかけていた。この時期ほんとうに日が短い。しかし、暗くなるまでに下りられてほっとした。

比良トピアで温泉に入り、夕食を済ませ帰路についたのは8時頃だっただろうか。初冬の静かな比良を仲良しの友人たちと歩けて、ほんとうに楽しかった。

赤岳主稜
【 題名 】 赤岳主稜
【 山名 】 赤岳(2899M)
【 期間 】 2006年12月6〜7日(金)
【 参加 】 F&iku
【 山域 】 南八ヶ岳
【 形態 】 冬期登攀
【 天候 】 6日 晴れ 7日曇り/風
【 日程 】 6日 自宅5:00⇒F家6:20⇒美濃戸11:45-12:15⇒赤岳鉱泉14:00着

7日 赤岳鉱泉7:15⇒行者小屋7:50-8:20⇒文三郎取り付き9:20-9:40⇒赤岳主稜取り付き10:10⇒赤岳北峰終了13:15-30⇒行者小屋14:35-14:50⇒赤岳鉱泉15:45⇒美濃戸17:00⇒もみの湯18:30⇒食事/仮眠

8日 F家2:00⇒帰宅3:00

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文三郎尾根の取り付きから北八ヶ岳方面の展望

【 感想 】

この時期のFさんのお誘いに、いつもながら腰が引けていた。なぜだろう。こうして、帰って来てから写真を見て報告を書いていると、やっぱり思い切って行って良かったと思うのだが…。無理矢理にでも誘って下さるのは、とても有り難いことだと改めて思う。そうでないと、赤岳の主稜はこれからも、登ることは無かっただろう。正直3度目の挑戦に、またの敗退を想像してウンザリしていたのかもしれない。Fさんの「何しろ、この時期にどうしても八ヶ岳に行っときたい。硫黄岳でも良いねん」という説得に、私は何でそんなに八ヶ岳に行きたいのか正直分からなかった。そこまで私にはこの時期の八ヶ岳に思い入れは無く、Fさんの山への思いの深さに頭が下がる。しかし「どこに行く?」というFさんの問いには「やっぱり、主稜かな…」と即答してしまっていた。それは、2回も行って登れていない赤岳主稜に対する未練が残っていたのかもしれない。Fさんは、何回目かだというが何度登っても飽きないという。私には不思議なことだ。

今回は、晴天間違いないという天気予報の元での出発なので期待は持てる。ところが入山の6日は晴天だったが、7日の登攀当日は下り傾向にあり、取り付きでは下界は晴れていたが上空は雲に覆われていた。何ピッチ目かに稜線に出たら、風も出て来た。岩稜をアイゼンで登り、雪壁を風に押し倒されそうになりながら、「なんでこれが楽しいのん? しんどいだけやん」とFさんに毒づく。

そうだ、このときはたと思い出した。冬は辛いのだ。それが、冬山に私を消極的な気持ちにして行く大きな要因だったのだ。辛いわりには風景は単調だ。色彩が無い。それも最初はいいが、しだいに飽きて来る。そうか、そういうことだったんだ。当たり前なのだが、冬は楽しいより厳しい辛いという要素の方が大きく占めているからだ。自分の中に、試練に立ち向かうという気持ちもどんどん薄れ、山は楽しむ存在として私の中に大きい位置を占めて来ているようだ。そのような気持ちがFさんにリードを譲り、私は写真を撮りながら登る方を選択した。

登攀自体は、1ピッチ目2ピッチ目と上部の岩も簡単だった。雪稜も雪壁も難しくはなかった。アイゼントレーニングも手袋での登攀ももう感触を忘れている程やっていないが、アイゼントレーニングで登っていた京都金比羅のYけん尾根よりは体感的には簡単に思えた。

ただ、ひたすら重いプラブーツで歩を進めるのは、体力的なしんどさだけが続く。とくに3ピッチ目あたりから風が強くなり、ますます辛いものがあった。最後のピッチの稜線上では、ピッケルを深く差し込み、耐風姿勢をとって強風をやり過ごさなくてはならなかった。終了後も、天気は下り傾向でますます風が強くなって来たので、早く風のないところに下りることのみに集中していてゆっくり風景を堪能している余裕はなかった。しかし、硫黄岳への稜線が雪に覆われてはいるが、夏に歩いた風景と重なり懐かしさを感じた。やっぱり、山は天気次第だと思った。一日前の6日の登攀だったら、もっと山を楽しめる余裕があったのだろうと思うと残念だった。登攀中は9ピッチ程の各ピッチの記憶をちゃんとしておこうと思っていたのに、今記憶を書く段になっては詳細が思い出せない。

今回の赤岳主稜は、難しい問題を解いたというような達成感よりは、長いことかかって宿題をやり遂げたといった感じだろうか。「やっと、終わった」という感じだ。私には人工登攀と冬のアイゼン登攀は向いていないと思う。岩の感触をじかに感じる、自然を肌で感じる、そういう山行きをこれからゆっくりのんびり楽しみたいと思うのでした。

なんだかんだと言いながらも、3度目の正直となった赤岳登攀が出来たことは良かった。誘って下さったFさんに改めて感謝した。