1998年
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高見山雪と霧氷を楽しむ

1998.2.8

報告あり

鍋谷山・大杉群落・シャクナゲ

1998.4.26

自宅〜出町〜小野谷口〜林道終点〜尾根分岐〜鍋谷峠〜片波分岐

.初夏の大峰山系に足跡を残す

弥山・八経ヶ岳

1998.5.4〜5

月〜火

報告あり

会津帝釈山(西根川溯行)から田代山へ

1998.612〜14

金〜日

報告あり

奥ノ深谷溯行

1998.7.12

報告あり

夏の暑さをふっとばせ!平ヶ岳(恋ノ岐沢)

1998.7.18〜20

土〜月

報告あり

大塔川黒蔵谷溯行

1998.7.31〜8.2

土〜月

 

報告あり

穂高の岩稜に遠い夏の日を偲ぶ

1998.8.9〜12

日〜水

報告あり

江若国境の山、百里ヶ岳登山

1998.9.13

報告あり

湖北の山金糞岳登山

1998.10.27

報告あり

涸沢の紅葉に心を放つ

1998.10.2〜4

金〜日

報告あり

初冬の八が岳で鍛える(赤岳、横岳、硫黄岳)

1998.11.20〜23

 

金〜月

 

報告あり

 

フリークライミング

綾部立岩

1998.4.5

奥秩父・小川山クライミングツアー

1998.5.22〜24金〜日/報告あり

小川山

1998.10.9〜11土〜日

金比羅岩登り講習会1

1998.5.10日/ビビリフェイス・船・北壁

金比羅

1998.10.18/11.8/11.15

ホシダ園地

1998.11.28

平ヶ岳

1.高見山雪と霧氷を楽しむ

【山行名】 高見山雪と霧氷を楽しむ

【期 日】 1998年2月8日(日)

【天 候】 地上/曇り時々晴れ 頂上/吹雪

【メンバー】 K/masu/ t/ikuほか3

【日 程/ルート】

京都駅(7:15)⇒下平野(9:40)(10:00)⇒高見杉(10:40)(10:50)⇒杉谷道分岐(11:30)990M ⇒国見岩(11:50)1130M ⇒頂上(12:20)(1:00)1248M ⇒高見杉(13:45)(14:45)昼食 ⇒下平野/丹ノ浦橋(15:23)495M ⇒温泉

【概算費用】 交通費/一人1,350円、温泉/500円

【食料計画】

5/4 昼・夜(昼:行動食/パン、夜:カレー・わかめサラダ・スープ・ラッキョ・ビール・つまみ)

5/5 朝・昼(朝:漬物・味噌汁・干物、昼:行動食/カップラーメン・パン)

     非常食1日分(ラーメン)

     行動食(パン)・菓子・果物・ジュース・紅茶・水4P

【装備計画】

共同装備

ツェルト( 3)・シュラフカバー(1)・ガスヘッド(2)・ガスカートリッジ(2)・ベニヤ・コッヘル・

ポリタン(2)

個人装備

昼食・飲料・行動食・アイゼン・雨具・スパッツ・ヘッドランプ・着替え・洗面用具

【感想】

今回の高見山は4カ月振りの山行だった。冬になると、どうもサボり気味になる。

登り口の下平野は、「うっすら雪化粧」といった感じだったが、登るにつれてだんだん雪が深くなった。45分ぐらい行ったところに、樹七百年の高見杉がある。そこから少し行くと風が出てきて、雪も少し積もってきた。杉谷道分岐を越えた頃から、ますます風が出て雪も強くなってきた。頂上近くになると吹雪だった。顔に当たる雪は最初は冷たかったがそのうち痛く感じた。指先は感覚がなくなってしまい、頂上にはあまりいられず、また小屋も人であふれ入れず、アイゼンを付けて降りることになった。昼食は、高見杉まで降りてから取った。温かい豚汁は、最高! 

霧氷は、頂上で見られたが、吹雪でゆっくり出来ず残念。でも雪の上を歩くのは気持ちがいい。特に新雪は……。雪景色も美しい。これで寒くなければ言うことなし。

そして降りてからの温泉は、冬の山には必需品だ!      

みはる温泉/美榛苑(みはるえん)

奈良県宇陀郡榛原町大字福地255番地

エ(0745)82-5611・1126FAX82-5460

                                    (iku)

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2.初夏の大峰山系に足跡を残す

【山行名】 初夏の大峰山系に足跡を残す

【期 日】 1998年5月4日A〜5月5日B

【天 候】 4日 晴れ /5日 曇り 後 雨

【目 的】 近畿以西の最高峰、八経ヶ岳(1914.9M) で高所訓練(?)を行なう。

【メンバー】 t/iku

【日 程/ルート】

5/4(月) 自宅(5:25)→ 川合665M(9:05)(9:30)→ 鉄塔890M (10:00)(10:15)→ 栃尾辻1340M(12:10)(12:50)→ 狼平1590M(15:55)(15:10)→ 弥山小屋1860M(16:10)(テン場/泊)

5/5(火) 起床(4:50)→ テン場出発(6:35)→八経ヶ岳1914.9M(7:00)(7:10)→ 明星ヶ岳1882M(7:35)→八経ヶ岳(8:00)→ 弥山小屋(8:20)(8:45)→ 弥山神社(ピストン)出発(9:05)→ 狼平(9:45)(9:50)→ 栃尾辻(11:20)(12:05)→ 坪内・天川神社595M(13:35)→ 天川温泉 → バス(15:50) 

【概算費用】 一人4500円

【食料計画】

5/4 昼・夜(昼:行動食/パン、夜:カレー・わかめサラダ・スープ・ラッキョ・ビール・つまみ)

5/5 朝・昼(朝:漬物・味噌汁・干物、昼:行動食/カップラーメン・パン)

     非常食1日分(ラーメン)

     行動食(パン)・菓子・果物・ジュース・紅茶・水4P

【装備計画】

テント一式、ガスヘッド、ランプ、コッヘル、ボンベ小2、シュラフ、マット、ヘッドランプ、着替え、雨具、カメラ、水筒、地図、コンパスなど  

【概念図】

【感想】

 連休に入ってからも雨でうんざりしていたが、4日は晴れるというので、近いところでということになり、登りたいと思いながらも今まで登る機会がなかった、大峰山に登ることにした。

 なかでも八経ヶ岳は、近畿で一番高い山で、百名山ということもあり、一度は登らなくてはという気持ちに拍車をかけることにもなった。

 早朝、樟葉駅から京阪電車に乗ると、前の座席に歳取った一人の男性が、小さなザックを脇にかかえて座っていた。すぐに「どこへ……」と話しかけてきた。話しているうちに分かったことだが、その人は齢74歳で(とても見えないが)、「退職してから6年目で、退職してから日帰り山行で北山や比良や福井の山を961山登頂した。毎年150日は日帰り山行している。」といいながら、登頂した山に黄色のマーカーで塗った地図を広げた。その地図は、ほとんどの山が塗りつぶされていた。世の中には、すごい人もいるもんだと感心してしまった。

 下市口からのバスは満員で出発した。約一時間で川合についた。天気もよく暑い日だった。途中、栃尾辻まで新しい林道が見え隠れしていた。登山道は歩きやすい良い道だ。栃尾辻では昼食を採る人で賑わっていた。栃尾辻を出てからは、新緑の美しいブナ林がしばらく続き素晴しい。狼平までの道も歩きやすく、樹木も美しい。狼平は、10張りくらいのテン場になっていて、水場の八剣谷の推量が多かった。

 ここからは、少し急登になる。足場を木で補修してあるのだが、くずれていて歩きにくい。川合を出てから約6時間半で弥山についた。ほぼ、コースタイムと同じ時間がかかった。けっこう登り応えがあった。

 弥山小屋につくと、すでに10張りほどの先客があり、私たちもテントを設営した。そしてビールで乾杯。350Nのビールが650円もした(小屋の人の態度も悪い)。値段が高いのに驚いた。アルプスのどこよりも、高いのでは? しかし、適度に疲労した体にビールは吸い込むように吸収していき、すぐに心地よい酔となった。

 テントを小屋の裏に設営したために、小屋のモーターがやかましく、t夫さんはなかなか眠れなかったらしい(いつどんなところでもすぐ寝られる人なのに珍しい)。

 朝起きたら(4時50分頃起床)、テントの外が騒がしいので外に出てみたら、ご来光を待つ人達だった。私達もその中にまじった。雲海の果てから赤い朝日が上り始めた。いつもながらのショーの始まりである。人々からどよめきが聞こえシャッター音があちらこちらから聞こえる。雲の上に真っ赤な太陽が顔を出し終えると、一人二人と姿を消していく。そして、誰もいなくなる。ショーは終わった。一日の始まりである。同じショーを何度も見ると、飽きるものと、なお一層の感動を呼ぶものがあるが、自然の織り成すショーは後者だと私は思う。ただ、人ごみの中で味わいたくはない。

 朝食を終え、朝のすがすがしい空気を吸いながら八経ヶ岳に向かった。木々の間からは、あちらこちらからいろんな小鳥の鳴き声が聞こえ、楽しませてくれる。名前はわからないのだが、とても小さな鳥がたくさん飛びかっていた。

 また、酸性雨の影響か、白く立ち枯れしたトウヒやシラベが造形的なオブジェと化していて、幻想的な雰囲気を醸し出している。

 途中フェンスに囲まれたところがあり、入り口に「オオヤマレンゲ(☆)を鹿の害から守るため、解放禁止」と言うような文面の看板があり、私達は入ってはいけないと思ってわき道を登って行ったのだが、下るときに人が中に入っているの見た。「何という非常識な人だ」と、私達二人とも憤慨しながら入り口のところまできて文字を見て『解放禁止』と言う意味を始めて理解した。入ってよかったのだ。開けっぱなしがいけなかったんだと……。お陰で、オオヤマレンゲがどんな花なのかわからずじまいだ(まだ咲いてはいないようだが)。

 八経ヶ岳の頂上からは大峰山系が広がり、墨絵のようだ。あまりに、気分が良いので明星ヶ岳まで足を延ばした。明星ヶ岳の頂上へは登山道がなく、樹林の中にあり、展望はまったくない。そこから八経ヶ岳へ引っ返した。

 テン場に帰りテントを撤収し、弥山山荘のそばの鳥居をくぐり、弥山神社までピストンして下り始めた。下り始めると、少し雨が降り出し気温も下がってきた。本格的に降る前に降りてしまおうと急いだ。栃尾辻で、カップラーメンとパンで昼食を取り、またひたすら下りた。

急いだお陰で、帰りは4時間かからなかった(昼食時間は含まず)。

 下りたとたんに本格的に降り出した。急いで、天川温泉に向かった。時間は十分あるので、ゆっくり温泉に入れると思っていたが、すごい混雑でのんびりなど出来なかった。しかし、帰りに汗を流せるのは幸せだ。30畳ぐらいの和室の休憩室で一時間あまり時間をすごしバスに乗った。

 

 今回始めて行った弥山は新緑が美しく、登山道も歩きやすくいいコースだった。

秋の紅葉の頃は、また違った趣を見せてくれそうな期待に満ちた山だと思う。ぜひ今年の秋に皆で行きましょう。

☆オオヤマレンゲ

  オオヤマレンゲはシャクナゲとともに大峰を代表する植物。この花は別名、ミヤマレンゲ、天女花などと呼ばれ、7月純白の花びらをつける。うつむきかげんでひっそり咲く姿はつつましやかな乙女といった感じ。山上辻周辺と弥山〜明星ヶ岳一体に自生。(モクレン科)  エアリアマップより

                                 1998.5.13(iku)

(追)小屋で水を貰えないと聞いていたのだが、水はもらえた。そのため、4リットルの水とジュース、飲み水など、二人で計8リットル持ち上げた。ボッカ訓練をした。

3.奥秩父・小川山クライミングツアー

【日程】1998.5.22〜24

【メンバー】 ko・H・N・kawaファミリー・IY・IM・t・iku 

【日程】22日  :京都10:00出発→廻り目キャンプ場15:15着

    23日  :kawaファミリーは金峰山へ、残のメンバーはクライミング

    24日  :午前クライミング・昼頃出発・温泉・帰宅111:00

 

揺れ動く雪稜ナンバー3の地位!!

【23日】 koさんの快適な寝台車でぐっすり眠りながら、廻り目キャンプ場に着いたのは午前3時15分。真っ暗な中でテントを設営。そのまままた深い眠りに着いた。テントの外で何やら聞き慣れた声がして目が覚めた時はもうすっかり日が高くなっていた。後着のkawa・I組だった。テントを設営して、荷物を運んだあとだった。あまり寝ていないらしい。

 朝食を急いで取り、いよいよ岩場に出発。歩いて10分ぐらいで小川山ストーリーに着いた。先着があったので横に並んであった岩(父岩?)に移った。最初、左のルートを登らせてもらった。途中1箇所すべって登りにくい所があったが、koさんやhasiさんのコーチを受けて何度かトライしてやっと登れた。

 先日の、金比羅の講習での特訓でかなり上達(?)したようだ。以前は、足も引っかからないと思っていたような岩肌に立てるようになった。わりと私にしてはすんなり登れた。もう一度、そのルートを登ってみたら、前よりも楽に登れるようになっていた。

 そのとき、隣のルートではtさんがトライしていた。かなり、苦戦しながらも最後まで登った。「さすが雪稜ナンバー3!」などと中高年クライマーからの声援を受けながらのことである。

 ところが、このルートを後に続いた中高年組みが全員クリア出来た。これで、tさんのナンバー3の地位が怪しくなった。内心穏やかでないに違いない。

 スリルと緊張感を持ちながらも、和気藹々と楽しんでいたところ、隣の小川山ストーリーから人が移動してきて混雑してきたので、私たちも交代してそこに移ることにした。そこは、koさんの話だと5.9でさっきの父岩のところが5.10aなので簡単だと言う事なので安心して登り始めたが、なかなか手強い。

 疲れてきたこともあったので(言い訳がましいなぁー)、三分の二ぐらいのところでリタイアしてしまった。くやしい〜。

 夕暮れも迫ってきたので、IMちゃんと一足先に帰った(主婦根性がムクムクと起こり夕飯の事が気になり出した)。kawaファミリーはすでに金峰山の頂上をピストンして帰っていた。疲れた体に鞭打って用意をし出したらみんな帰ってきた。炭を起こし、野菜を刻み、うまく各々の持ち場で能力を発揮して、7時頃には肉の焼ける良い匂いが漂い、koさんの音頭で乾杯して楽しい宴が始まった。子供がいることで、よりいっそう和んだ雰囲気になったと思う。11時頃まで楽しく語らい、一日中岩と戯れた充実感と、満腹感と、そしてほろ酔い気分とで、大満足の眠りについた。朝まで1度も目が覚めず熟睡できた。テント泊で、夜中に目が覚めなかったのは初めてである。

【24日】 次の朝、気持ちよく目覚めた。テントから出ると、空はどんよりと曇っている。昨日のかたずけをしていたら、ポツリと雨が落ちてきた。朝食の間にだいぶ降ってきた。

 ko、naさんは金峰山に出発した。hasiさんは雨の小降りになるのを見計らって、親指岩を見に行こうと誘ったので、テン場に残っていたメンバーはくっついて行くことにした。親指岩ではすでに人がいて、待っていたところkoさんたちが戻ってきた。天気が回復しそうなので返ってきたそうだ。この親指岩は、ほぼ垂直で直角にそそり立ち、その2面の岩のクラックをうまく利用して登るようだ。挑戦したが全く歯が立たなかった。まだまだ、先が長い。しかし今回参加して、私でも少しずつ進歩しているのが実感出来、次へのステップに意欲が湧いてきた。

だんだん、面白さがわかってきたようだ。

 帰りの道中が長いので、11時頃には終了し、テントを撤収して岐路についた。そして、今や恒例となった温泉に向かって出発した。ほんとうに、楽しいクライミングツアーでした。koさんはじめ親切にいろいろ教えて下さったみなさんありがとう。

 最後に、廻り目キャンプ場は、トイレもきれいしお風呂もあるし、本当に快適です。山小屋はヨーロッパ調のペンション風でギャル好み。今度はゆっくりしたいなぁー。 

                               (iku)

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4.会津帝釈山(西根川溯行)から田代山へ

【山行名】 会津帝釈山(西根川溯行)から田代山へ

【期 日】 1998年6月12E夜〜6月14日@

【天 候】 13日 曇り  後 雨  /14日 曇

【目 的】 初級沢登り講習会で学習したことの実践。

【メンバー】 L.ko・S夫妻・I夫妻・ara・T・M・iku・O

【日 程/ルート】

6/12E 京都駅11時集合・出発→

6/13F 木賊温泉→林道の途中のゲートで駐車(10:20着)(11:15発)→林道を進む→田代山登山道との分岐(12:10)→帝釈山登山道を行く(荒れている) →細木(?)沢(12:40)昼食→10mの滝(14:40)→田代山避難小屋(20:20)→就寝(22:00)       

6/14@ 起床(6:30)(7:40発)→田代山湿原→登山道分岐(9:30)→駐車場(10:10着)(10:45発)→木賊温泉(11:40発)→京都京阪五条(10:30)→帰宅

【概算費用】 一人 12,581 円

【食料計画】

6/13 朝・昼(各自行動食)・夜(すし太郎、味噌汁、漬物)

6/14 朝(各自行動食)・昼(蕎麦屋で粟100%の天ぷら蕎麦)

【装備計画】

【個人装備】下着・上着・ズボン・着替え一式・軍手・防寒着・渓流シューズ・ヘルメット・ザック・シュラフ・シュラフカバー・マット・雨具・ヘッドランプ・洗面用具・マッチ・ライター・タオル・ナイフ・ローペ・食器・新聞・地図・コンパス・行動食・非常食・カラビナ・シュリンゲ・常備薬

【共同装備】ツエツルト(3)・ロープ(7×20m1本)・ハーネス(4)・ハーケン、ナッツ・アイスハンマー(1)・カラビナ・エイト環(4)・水筒・医薬品・ガスヘッド(3)・ガスカートリッジ・コッヘル・カメラ・シーバー・ボルト/ジャンピングセット・アブミ・食料

【感想】

沢登り初体験記!

 私は今まで、沢登りだけはしないだろうと思っていた。なぜかというと、若かりしころ(あったんです)、悪友のいたずらで海でボートをひっくり返され溺れかかった経験があり、それ以来、水恐怖症に陥ってしまい、プールさえ大嫌いだった。と思っていたのだが、今回水に対して大きな誤解をしていたことに気がついた。それは、溺れるような所でなければ怖くない、ということだ(当り前かな?)。

 思いきって、ザブンと飛び込んだとたん、恐怖心は忘れ去り何かゾクゾクとした快感が走りウキウキした気分になってしまった。ムム、この気持ちの良さは何だ? と歩きながら考えていると、子供のころに味わった感覚だと思い出した。

 田舎育ちの私は、小学校に片道4キロ歩いて通学していた。雨が降ると道のあちこちに水たまりが出来ていて、わざわざジャブジャブ入っていったことや、田植えをしたあとの田んぼに入って、おたまじゃくしやめだかなどを捕ったりしたときのことなどが、走馬灯のように浮かんできた。おもわず童心に帰ってしまい、はしゃいでしまった。

 そんなことを思いながら鼻歌まじりに沢の真ん中を歩いていると、araさんが石の上をヒョイヒョイと身軽に飛び移りながら追い越して行った。なんだ、ああいう風に行けば楽そうだなぁー、と思い沢から出て真似てみた。簡単そうに見えるのに、なかなか難しい。滑らないように神経を使うのでやめてまた水に浸かって歩き出した。まだ、石の上を歩く技術が習得出来ていないことに気付く。

 溯行図を見ると、最初はナメ床が続き10mの滝がすぐにあるかのように描かれているのだが、行けども行けども長い滝に出くわさない。結局、まだかまだかと皆で言いながら歩いて、沢に入って2時間ほどで目の前にそそり立った。そこで、koさんにアブミを取り付けてもらい、確保してもらって登った。アブミの使用は初めての経験だった。それまで、さほど寒さは感じなかったが、じっとしていると急に寒くなってきた。

 そこからは、先に滝を登ったSさん、SHさんと三人で一足先に行くことになった。何度か小さな滝があり変化に富んできた。スリルもあり、面白い。しばらく行くと二股に分かれていた。しばらくそこで待っていると、I夫妻がやってきた。合流して、一緒に歩き出した。

 また、今度は結構長い滝が目の前に立ちはだかった。巻くつもりで登り始めたところ、もたもたしていると、後続のメンバーが追い付いてきた。ズルズルと滑る。2mほど落ちてしまった。koさんが出してくれたロープにすがり何とか登れた。それからは、そのあと緊張しながら登った。

 そのうちに沢はとぎれ、針葉樹林の薮に入り、急登となる。ザックが木に引っかかって歩きにくい。ここで、私は疲れがドッと出てきて、一歩一歩足が重くなってきた。最初にはしゃぎすぎたのかもしれない。また、水の中を歩くのはかなりの水圧があるので余計に足に疲れが来るのだろう。 登山道に出るまでの登りは本当にきつかった。 薮漕ぎに慣れていないせいもあるだろう。帝釈山の登山道に出て下りになったときはホッとしたが、しばらくするとまた登り出した。うんざりだ。辺りは大分暗くなりヘッドランプを出して、歩き出した。ヘッドランプでの行動も初めての経験だ。そこからは、今考えてみてもあと少しだったと思ったが、けっこう時間がかかり、皆からだいぶ遅れて避難小屋についた。8時20分だった。避難小屋には、先着が二人いただけで、ゆったりできた。高床式で新築のいい小屋だった。弘法大師座像(明らかではないが皆の意見で弘法大師だということで納得した)が置かれていた。

 小屋に落ち着くと、全身びしょ濡れになっていて急に冷え込んできた。全部着替え、暖かい紅茶で一息つく。そして、araさんが持参して下さったご飯の炊けるのを待つ。やはり、アルファー米と一味違って美味しかった。ご馳走様でした。

 疲れも手伝って10時頃深い眠りについた。私は5時まで一度も目が醒めなかった。よほど疲れていたのだろう。

 次の日は良く寝たお陰で疲れもとれ、7時過ぎに元気で田代山湿原に向かって出発した。結構広い湿原だが水芭蕉は花が枯れ落ち、他にもこれといった花もなく、草むらと言った感じだった。真ん中に木道が続き、下山道に続いている。季節が悪かったのか、期待しすぎなのか、田代山湿原には少しがっかりした。ほぼ、予定どおりの時間で下山出来、木賊温泉にも入れた。前にkoさんが来たとき、入浴料は払わなかったらしいが、今回は前にはいなかったらしいおばあさん二人が窓口にいて300円払って入った。硫黄の匂いがプンプンしていて、ヌルっとした良い温泉だった。幸せな気持ちで帰路についた。

 これは余談だが、帰りに昼食を取るために店を探しながら走っていたところ、これはというところがなかなかない。急にkoさんが「わらじカツ」という看板に眼が眩み、急ブレーキをかけた。その店は、暖簾がボロボロで人の気配がない。「こういうところが、けっこう美味しかったりするんだ」などという意見もあったのだがやり過ごした。すると、走り出してすぐに今度は車がいっぱい止まっている暖簾もりっぱな店があった。そこに決めて入ったところ、お客さんで混雑していた。粟100%の蕎麦が名物だということなので、それを食べた。あとで粟100%と言うことは蕎麦が入っていないのに、どうして蕎麦と呼ぶのか? と言うことが一頻り議論となったが結論は出ていない。それはさておき、この粟100%蕎麦けっこう美味しかった。そして、やはり見かけも奇麗で流行っている店を選んだのは正解だった。いい教訓となった。

 帰りの途中からは、また雨が降り出した電車があるうちに帰れるだろうかと心配していたが、快調な運転で思ったよりだいぶ早く帰れた。しかし、行きも帰りも約11時間近くかかった田代山は、ほんとうに遠かった。

 でも、初めての沢登りは、滝を登ったり薮を漕いだりの初体験ばかりで思っていた以上に面白かった。そして、子供のころ野山を駆け巡り、探検ごっこをしたときのような童心も思い出させてくれた。しかし反面、それなりの知識や経験を身に付けなければ、危険度が高いことも分かった。

 真夏の比良の登山道は暑さと草いきれで、あまり行きたくなくなるのだが、沢だと気持ちがいいだろうなぁーと思う。ゆとりを持って地図を見ながら行ってみたい。hasiさん、簡単そうな所からつれていって下さい。沢登り講習会の実践版待っています。お願いします。  

 

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5.奥ノ深谷溯行

【期 日】 1998年7月12日@

【山行名】 奥ノ深谷溯行

【天候】 晴れ

【メンバー】 L. hasi・IY・IM・t・iku・T

【装 備】 飲料・行動食・雨具・着替え・ヘッドランプ・沢登り道具一式

【集合場所】 出町柳9時集合

【ルート・所要時間】 出町(9:00)⇒駐車場(10:10着)(10:30発) ⇒明王谷(10:50)ここから入渓⇒枝谷/550M(12:30)昼食(13:00)⇒平凡/715M/溯行終了(14:50着)(15:30発)⇒牛コバ(15:50)⇒駐車場(16:30)

【食 料】 各自行動食

【概算費用】 交通費/一人500円

【感 想】

 10日から、夏山事始めPART2で南八ヶ岳が予定されていたが、あいにく梅雨前線が停滞していて中止になった。11日も朝から雨だった。12日は回復の兆しが見えてきたので、急遽この日、hasiさんが沢を予定していたことを思い出し、I夫妻と私たちは奥ノ深谷に行くことにした。tomiさんには折角の貴重な休暇がつぶれてしまい、申し訳なく思いながらも私は大満足の一日だった。

 車で坊村の明王谷の林道を入り、入渓点の手前20分程の路肩に車を止め、そこから歩いた。橋の脇から入渓した。腰ぐらいの深さがあった。hasiさんはいきなり奇声を発っしながらザブンと飛び込んでいた。私はお上品に、風呂にでも浸かるようにそろりと片足を入れてみた。水加減はけっこう冷たかった。すぐに滝が轟音と共に流れ落ちている。その音を聞くと少し怖じけ付いてしまった。しかし腰まで入ってしまうと諦めにもにた心境で決心がつき、果敢に突き進もうという勇気が湧いてきた。田代山に続いて、二度目の沢である。

 全体には滝の連続で、ほとんどの滝に釜があり泳げない私は不安になってきた。hasiさんが何度か来た内では一番水量が多く勢いも強いということだった。前日の雨の影響だろう。ほとんどの滝がすごい勢いで落ちて来ていた。

 hasiさんは何度も滝の真ん中を突き進み、その度に押し流されてはまた挑戦しなおしては落ち、水と戯れていた。まさに「鯉の滝登りだ」。見ていると、楽しそうでうらやましくなる。私も泳ぎに自信があったらやっていただろう。今はまだ何とか通過するのに必死、と言った感じだ。

 しかし、ほとんどが、壁をへつったり滝を巻いたりして何とか通過できたが、一箇所「ここは絶対に飛び込まないと通過できない」とhasiさんの指示が出た。その滝壺はけっこう深く背は全く立ちそうにない。岩の取り付きまで4-5メートルあるように思えた。皆次々飛び込み、難無く渡って行くのを眺めているうち、私も決心がついた。エイッと気合いと共に飛び込み無我夢中だった。何と、浮いている。泳いでいるとはとても言えない。ただ手足をバタバタさせ向こうの岩にしがみついた。ミッちゃんが「ikuさんえらい! えらい!」と言っている声が聞こえてきた。「何だこんなものか、行けたじゃない」(決して泳げたと言うような代物ではない)と言った感じだった。

 その後も滝の連続で一箇所だけロープを出してもらい登った。登れない時は巻いて、大体参考資料の溯行図の通りに登ったらしい。また、一箇所へつっていて落ちた。一瞬の出来事で3-4メートル流された。大きな壷でもなく高いところでもないので大事には至らなかったが、そのまま流され壷に落ちる可能性を考えると、新たに緊張感で身が引き締まった。

 「ここで終わりです」とhasiさんに言われたとき、「エー、もう終わり!」と言った感じだった。短く思えたのだが、4時間が経っていた。本当に楽しい沢登りでした。

 ついでに書いておくが、帰り道で牛コバから車までの林道を歩いていたら、先のほうで岩の落ちるすごい音がした。タイミングが悪ければ当たると言うことも考えられ、ゾーッとした。

6.大塔川黒蔵谷溯行

【山行名】 南紀の山に泳いで登る〜南紀・大塔川黒蔵谷溯行

【期 日】 1998年7月18F夜〜7月20日A

【天 候】 19日 曇のち雨/20日雨のち曇りのち晴れ 

【目 的】 ’98 第5回沢登り新人トレーニング(第2パーティー)

【メンバー】 第一パーティー:S.L.ko・kawa・OY・IT

         第二パーティー:L.hasi・MT・IY・IM・iku

【日 程/ルート】

7/31E 京都駅20:00時集合・20:20出発→

8/1F  ホイホイ坂駐車場所着・仮眠・起床6:00/出発7:30→鮎返滝9:00発→出谷の出合い10:30着/休憩/10:55発→高山谷手前の滝

13:00→高山谷出合い14:00→黒蔵滝の前の12mの滝16:15→第三支流テン場18:15→私の寝た時間21:30→雨12:00

8/2@  起床6:30→出発8:30→黒蔵滝滝壷10:30→休憩11:30→少し行った谷筋から林道に上がる→鮎返滝の手前に下りる→着15:30発16:15→湯ノ峰温泉17:00→五条22:00夕食→私の帰宅時間12:15

【食料計画】

8/1 朝・昼(各自行動食)・夜(手作りカレーライス・ビール・ワイン・持ち寄りつまみ)

8/2 朝(α米、味噌汁、みりん干し、漬物・ふりかけ)・昼(各自行動食)

【装備計画】

【個人装備】軍手・渓流シューズ・ヘルメット・ザック・シュラフカバー・マット・雨具・ヘッドランプ・洗面用具・マッチ・ライター・タオル・ナイフ・ローペ・食器・新聞・地図・コンパス・行動食・非常食・常備薬・登攀道具(ハーネス・カラビナ・スリング・エイトカン)

【共同装備】テント4-5人用・ツェルト・ロープなど登攀道具・ガスヘッド(3)・ガスカートリッジ大2・コッヘル2・食料

【感想】

 スリル満点黒蔵谷!

 私の沢経験も、今年になってから、最初の田代山から奥ノ深谷・一週間前の平ヶ岳を経て、今回の黒蔵谷で4回目である。前にも書いたとおり、泳げない私は沢だけは絶対しないと思っていたのに、何ということか。間が差したとでも言うのか。それもたて続きに行っている。自分でも、この行動には説明が尽きにくい。ただ、行きたくなる。夫からも、私は何でも最初は絶対やらないなどと言っていて直ぐにのめり込んでしまう、日和見主義だと非難されてしまった。いいかげんな性格なのだろう。

 しかし、今回の黒蔵谷は「泳ぎ! 泳ぎ! の連続」ということなので、さすがの私も躊躇していたところIMちゃんに、「ライフジャケットを持ってきたげるから大丈夫、行こ行こ」と軽く言われその気になってしまった。このライフジャケットが後でこんなにも有効利用出来るとは、そのときは思いも及ばなかった。それに、hasiさんの「沢自体は、簡単です」と言う言葉に、決心して参加することにした。

 7月31日は、昼に友人宅で前から会食の約束があり、「沢に行くので」と断わりの電話を入れたところ「いいのよ! あなたの楽しい方へ行ってらっしゃい」とつれなく言われ、友情が壊れるのを恐れ、しかたなくザックをしょって、朝から出かけ友人宅でご馳走になり(ビールと美味しい手料理で栄養を付け)、そのまま京都駅に直行した。

 奈良までの道路は、けっこう混んでいた。五条を過ぎたころから道路が蛇行し始め、私はまた車に酔ってしまい、助手席に移らせてもらったがまだ気分が悪かった。途中で、koさんが「うんこ」を踏んでしまい、騒いでいてそれに気を取られているうちにお陰で気分も少し治まってきた。「これで運がついた」などと下手な冗談を言っていた人がいた。

 ホイホイ坂に入って、大塔川沿いの黒蔵谷の降り口近くの道路沿いに駐車してテントを張って仮眠した。時間は3時間ほどあったと思うのだが、あまり眠れなかった。6時に起き、朝食を各自簡単に取り、若者先発隊(ko/OY/IT/kawa)と、高齢者後発隊(hasi/MT/IY/IM/iku)に別れて7時半頃出発した。

 大塔川への降り口に看板が出ていた。ちゃんと覚えていないのだが、「黒蔵谷は、遭難者や行方不明者が続出していて危険なので……。注意するように……。」と言ったような事が、書いてあった。それを見て少し怖じけづいたが、怖いもの見たさも出てきて、複雑な気持ちで出発した。

 大塔川は穏やかな広い川だった。風景は美しい。川の水は、透きとおっていて奇麗。直ぐに、黒蔵谷に入った。入って少し行くと、鮎返滝が、真ん中で黒々ととぐろを巻いている滝壷に、凄い勢いで落ちている。大きさは10mの高さの滝と直径10mの滝壷と溯行図には出ている。まずは、滝壷の脇を泳ぐことになった。hasiさんが先に行って、ロープを出してくれた。私たちはそのロープに頼って滝壷を渡った。私は、このときは本当に滝壷に入るのに勇気がいった。しかし、意を決したとたんあきらめと共に勇気も湧いてきた。そしてまた、「ここは凄いとこだなぁー、気を緩めたらあかんなぁー」と自分の気持ちを引き締めた。そして、そのまま滝の左側をロープで確保してもらい岩を登った。やれやれ、と思ったのも束の間、こんどは凄い流れの中を飛び込み、岩に取りつきよじ登る。その岩が丸っこい。先に行ったIIYさんが手を焼いていた。次は私の番だ。無我夢中だったが岩に小さな足場を見つけ、そこに右足を乗せるとヒョイと上がれた。ホットした。すると、上を見ると一組のパーティーが先に行っている。朝、私たちが起きたとき車でやってきたメンバーで、その中の一人は4月に綾部の立岩に行ったとき一緒だった趣味の会の岡村さんだったと思う。巻いて、降りて来たようだった。溯行図を見ると右岸を巻くと書いてあった。でも、巻かなかったお陰で、いい体験をした。時間はここでだいぶ食ってしまい、1時間半かかった。それからの溯行はここでのことが、すべてを象徴している。そして、先発若者隊ははるか先に進んでいるだろうと言うことはこのとき想像できた。

 この後も、滝と滝壷、そしてゴルジュの連続で鮎返滝に劣らず険しい溯行が続いた。滝と滝壷は、小さいと横をヘつり岩をよじ登った。足場が見つからずMTさんの肩を借りたところもあった。大きいところは巻いたりしたが、巻道もけっこう厳しい。ゴルジュは、けっこう飛び込んで泳いだ。ライフジャケットをつけていると完全に浮かぶため、横の岩場を胸位まで浸かってしまうと浮きたくないのに浮いてしまう。そうすると、しっかり岩を持っていないと流されてしまう。ゴルジュの流れの強いところではライフジャケットの浮力はじゃまになる。私は、横の岩を手だけでへつりながら通過したが、岩がツルツルだった所もあり、そういうところはロープを出してもらい、ロープを手繰りながら進んだ。

 しかし、何度も繰り返すうちだいぶ慣れてきて、うまくライフジャケットの浮力を利用して手足を動かし前へ進むようになった。ライフジャケットを付けていると言うだけで安心感があり、ゆとりもできてきた。ここは流れが強くないと思うと、自分から飛び込みたくなる。でも流れの強いところはやっぱり怖い。黒蔵谷の溯行は、私はライフジャケットなしでは太刀打ち出来なかっただろう。これから沢に行くときは必携だ。

 何かにつけて、私たちの溯行は時間が掛かっていて、hasiさんはかなり時間の事は気にしていたと思う。やっと最後の黒蔵滝手前で12mの滝に着いたのは4時15分だった。この辺で、煙がただよい、たき火の匂いがしてきた。私たちは、この匂いに「あともう少しだ! 頑張ろう」と勇気付けられた。ここは右岸を巻いた。すると、目の前に34mの黒蔵滝が立ちはだかった。本当にすごい滝だ。しばらく、ボーッと眺めていた。記念写真を撮り右岸のルンゼを登り始めた。ここは足場が悪く、MTさんのあとについて行ったのだが、私は最後の方で登りきれず、先に行ったMTさんにザイルを出してもらい、やっと行けた。その巻道もはるか下に滝壷が見え足場も悪く怖いところだった。そこから、もう一つ道を巻いて登りきるとテン場が見えた。出迎えてくれたko・OYさんの顔が下に見えホッとした。懸垂下降で降りて、やっとたどり着いた。6時15分だった。先発若者隊は2時ごろ着いたとのこと、あまりの時間差に愕然とした。当然ながら、すでに出来上がったカレーと、暖かいたき火が待っていた。

感謝! 感激! 先発隊は、私たちはもう来ないだろうと予想していたらしい。緊張感もとれ、食事も美味しく、9時半ごろ眠りについた。すると12時ごろ、テントに叩き付ける雨の音で目が覚めた。野営している若者組が気になり見てみると、ヘッドランプを付けてがさがさしていた。kawaさんがテントに入るように声をかけたが、皆そのまま寝てしまった。朝になって聞いてみたら、寒くて寝られなかったらしい。帰りは8時半ごろ出発。若者組は沢を下り、私たちは、途中から林道に出て下る予定で出発した。私は、ライフジャケットの強みを発揮して、流れに身を任せて下りだした。やはり、帰りも黒蔵滝での懸垂下降で時間が掛かってしまい出発してから滝壷まで2時間も掛かっていた。

 黒蔵滝の下の滝も巻いたあと、少し行ったところの谷筋から登り林道に出た。林道はほとんど平坦な道だった。ところどころに、P.6の図のようなものが数個置いてあるが、何なのか、何のための物なのか分からなかった。誰か知っていたら教えてほしい。途中、手彫りのトンネルがあった。結構距離もあり、ぬかるんでいて気持ちが悪い。しばらく行くと、ミッちゃんとMTさんが「ヒルだ!」と騒ぎ出した。私はそのときはまだヒルがどんなものなのか知らなかった。そのとき、私はそれどころではない状態だった。林道が切れていたため、崖をhasiさんの後にくっついて行ったのはいいが、いやらしいところでズルズル滑る。高く登りすぎていたようで、何とか通りすぎたらまた林道の続きがあったのでやれやれと思った。安心したとたん、また少し行くとすっぽりと林道は切れてしまっていた。仕方がないので、そのまま懸垂下降で降りて谷筋を下り黒蔵谷に下りた。

 すると、そこはもう鮎返滝のちょっと上の辺りだった。こんどは鮎返滝を巻いて降り、最後の沢の余韻を楽しみながら、先着の若者組の待つところまで戻った。私は、名残りが惜しくて少し水遊びをしながらいった。このとき、私にもヒルがやっと懐いてくれたようでズボンの中に1匹見つけて潰した。沢から上がり駐車場についたら、私の足に数匹のヒルがしがみついていた。まだ、食事にはありついていないようで、食われてはいなかった。kawaさんが持っていたタオルで落としてくれた。帰ってからも、おみやげに1匹もって帰ってしまい、おかげでしっかり観察できた。これで、ヒルはすぐに見つけられると思う。帰りは湯ノ峰温泉に入りさっぱりした。湯上がりのビールの美味しかったこと。

 いい気持ちで車に乗り込んだのだが、しばらく走って、kawaさんの「ガソリンのランプがついている」と言う声でびっくりしてしまった。これは、あわや平ケ岳の二の舞かと思われた。車の持ち主のIIYさんは後部座席で、疲れ果てて熟睡中、kawaさん一人がやきもきしていた。たまにスタンドを見つけても日曜日のせいか、閉まっていた。IYさんを起こしても「大丈夫や」と言うのみ。ハラハラしながらしばらく走ったところにガソリンスタンドを見つけ、やれやれと一同胸を撫でおろした。

 五条でko号と落ち合い、食事をしてIさんに自宅まで送ってもらい12時過ぎに帰ってきた。今回の黒蔵谷は、本当に怪我もせず無事に帰れて何よりだった。本当に厳しい所だった。今まで行った所からすればかなりのグレードアップだった。hasiさんも知っていたら、たぶん連れて行ってはくれなかったでしょう。私は、今考えるとかなり得をした気分だ。知らないからこそ行けると言うこともある。まぁー、無事に帰ってきたからこそ言えることでもあるが。

 今回も、十分過ぎるほど楽しめた沢だった。おかげさまで行ってこれました。みなさん有難うございました。

                            1998.8.6/iku

7.夏の暑さをふっとばせ!平ヶ岳(恋ノ岐沢)

【山行名】 夏の暑さをふっとばせ!平ヶ岳(恋ノ岐沢)

【期 日】 1998年7月18F夜〜7月20日A

【天 候】 19日 晴れ  /20日 晴れ

【目 的】 初級沢登り講習会で学習したことの実践

【メンバー】 L.ko・S.L.N・t・iku・T・O

【日 程/ルート】

7/18F 京都駅20時集合・20:15出発→

7/19@ 恋ノ岐橋着(4:10)仮眠・起床(6:30)出発(7:25)→恋ノ岐橋脇から左岸の踏跡から入る→溯行開始(7:45)(7:55発)→清水小屋手前の滝休憩(9:15)(9:30発)→清水小屋近くの滝(10:05)本来はここまで山道をきてここから溯行の予定だった→(11:10)昼食・昼寝(12:00発)→砂地で10畳程のスペース地・休憩・昼寝(13:50)(14:15発)→オホコ沢(15:40着)テン場予定地に先客があったので前の休憩地まで引き返す(16:00発)→テン場男組(17:20着)女組(17:50着)・夕食・就寝(10:00)       

7/20A 起床(5:30)出発(7:05)→オホコ沢(8:30着)休憩(8:45発)→ここから予定を変更してオホコ沢を溯行→登山道との出合(10:15着)休憩(10:35発)平ヶ岳に向かう→白沢清水(11:15着)休憩(11:30発)→姫の池ヤング組(12:20着)中年組(12:40着)昼食・平ヶ岳は今回諦め(13:30発)→オホコ沢との出合い(15:15着)(15:35発)→平ヶ岳登山口(19:30着)→恋ノ岐橋(車)20:30帰路につく→夕食(22:00)→K津出口手前1キロ地点ガス欠(0:55)(1:30)→京都南インター(5:15着)→N宅→T宅

【概算費用】 一人 10,362円

【食料計画】

7/19 朝・昼(各自行動食)・夜(米でかやくご飯、味噌汁、サラダ)

7/20 朝(α米、味噌汁、佃煮)・昼(各自行動食)

【装備計画】

【個人装備】下着・上着・ズボン・着替え一式・軍手・防寒着・渓流シューズ・ヘルメット・ザック・シュラフ・シュラフカバー・マット・雨具・ヘッドランプ・洗面用具・マッチ・ライター・タオル・ナイフ・ローペ・食器・新聞・地図・コンパス・行動食・非常食・常備薬

【共同装備】ツエツルト(2)・ロープなど登攀道具・医薬品・ガスヘッド(3)・ガスカートリッジ・コッヘル・カメラ・食料

【感想】

 京都駅を8時15分出発。pinさんの見送りを受けて、koさんのいつもの寝台車(?)で出発。今回は、クーラー付きとなっていて快適だった。寝ていたのか、寝ていなかったのかよくわからないうちに山道に入り、蛇行し出したとたん気持ちが悪くて、我慢できなくなった。車を止めてもらい下りたところ、気分も良くなってきた。そこからは助手席に移らせてもらったところ、嘘のように直ってしまった。

 恋ノ岐橋近くに4時過ぎに着き、路肩に車を止め私たちと荷物を降ろしてkoさんはOさんとの待ち合わせ場所に行ってしまった。私たちは、それぞれツェルトやテントにくるまり、その場で一眠りした。寒かったが、私はちゃんと寝ていたようだ。6時過ぎごそごそとテントから這い出したら、目の前にkoさんとOさんが微笑んで立っているのでびっくりした。おまけに横を車が走っている。よくまぁー、こんな所で神経質な私が寝たものだ、と自分自身に呆れた。朝食もそこそこに、恋ノ岐橋の脇から山道を入った。20分程して、沢に入った。

 広々とした、沢でトンボが飛び交い小鳥の鳴き声が聞こえる。素晴しい。 

 恋ノ岐川。どう言う謂れでついた名前なのか、ロマンチックなネーミングだ。出発点である恋ノ岐橋は、恋ノ又橋とかかれていた。名前から想像したイメージにぴったりの美しい沢だった。沢を恋人と見立て、酔いしれて歩く。すると、やさしく迎えてくれる。最初はそん感じだった。一週間前に行った比良の奥ノ深谷は男性的で、恋ノ岐沢は女性的だなぁー、と思いながら気持ちよく歩いた。特に難しいところはなかった。

 本当は、清水小屋まで山道を利用する予定だったらしい。しかし、沢を歩いている方が気持ちがいい。清水小屋跡の手前の滝は滝壷も広々として二段になって落ちていて、特に美しい。その風景を眺めながら、一頻り気持ちの良い眠りに陥った。至福の一時だった。koさんの「そろそろ行きましょうか」と言う声で目が覚め、また歩き出した、そこからもますます、美しいナメ滝が続き、途中で流れに乗って滑り落ちたりして無邪気に遊び、童心に返り思い切り楽しんだ。遊びながら進むと、10畳程のスペースの砂地がありそこで休憩となった。ここは、後で引き返して野営することになった場所でもある。またまた、思い思いの場所で昼寝タイムとなった。私は、大きな石の上で、太陽を浴びながら、せせらぎの音を子守歌に気持ちよく熟睡した。

 ここからは泊まる予定地であるオホコ沢の出合いまで、あと少しと気合いを入れて出発。ここからは、今までより、少し厳しくなった。滝が続き、へつったり、よじ登ったり、巻いたりしながらの通過となった。大木が何本も倒れていて、その上を通ったりけっこうスリルがある。しかし、ザイルを出すほどの所はなかった。

 やっとオホコ沢に着いたと思ったとたん、何とそこには、すでに先客のテントが張られていた。がっくり。どいてもらう訳にもいかず、2組では狭すぎるし……。私たちは、腹ごしらえをしながらkoさんの指示を待っていた。koさんは、上の方に適地がないか探しに行ったが、やはりなかったようで、前の休憩地まで戻ることになった。距離的にはあまりないのだが結構時間が掛かった。私は、Nさんについてもらい遅れて着いたのだが、すでにツェルトが張られていた。

 火を起こし、夕餉の支度に皆で取りかかった。枯木で炊いたかやくご飯とkoさん特製サラダで、とても美味しかった。老人のtさんは一足先に寝てしまったが、そのあとしばらく星空の下で語らい眠りについた。私は、野宿同然のこのような体験は初めての事なのだが、こんなにも気持ちよく熟睡出来るとは思っていなかった。私の世界がまたまた広がり、改めて来てよかったと思えた。この歳になって、自分の中の野性に目覚めた、とでも言おうか……。

 朝の光とせせらぎの音で、素晴しい爽やかな目覚めだった。4時頃だったと思う。まだ、皆熟睡中なので、もう一度まどろんだ。5時半ごろみんな起き出した。

 朝食もそこそこに、ツェルトを撤収して出発した。この日は、前日の遅れを取り戻すため、予定を変更しオホコ沢を溯行して平ヶ岳に向かうことになった。オホコ沢の出合いまでは、前日と比べるとずいぶん早く着いた感じがした。

 オホコ沢は、沢も狭く恋ノ岐沢から見れば見劣りする。沢を詰めて直ぐに、またオホコ沢の出合いから1時間半ほどで平ヶ岳の登山道との出会いに出た。地図には台倉清水と出ていて、キャンプ禁止と書いてあるが、そこはかなり広くテントが数張り張ってあった。ここまで来てもよかったとそのときは思った。しばらく休んで、平ヶ岳に向かって出発した。

 そこからしばらくは、あまりアップダウンの無い登山道で、ところどころぬかるんでいてズッポリと入ってしまう。靴は泥んこになってしまった。白沢清水を過ぎた辺りから徐々に登り始め最後は急登となった。少しづつ私は遅れ出した。暑い中の登りは疲れる。登り詰めたところに、姫の池が美しく開けた。とたんに、疲れもふっ飛び「あー、来てよかった」とまたまた感動。池塘を取り囲むお花畑、その向こうにスープ皿を伏せたようななだらで緑美しい平ヶ岳が見え、本当にメルヘンの世界のようだ。いくら眺めていても、飽きない。平ヶ岳の方を見るとなだらかな登山道がはっきりと見える。行きたい衝動にかられる。しかし、時間もなく来年の再チャレンジを約して、あきらめて下山する。

 下山しかけたら、tさんは足の親指の爪を痛めていたため遅れ出した。バンドエイドとテーピングで応急処置をしてまた歩き出したが、今度はそのテープと靴が当たり痛いらしく、またまた遅れる。仕方がないので、tさんのペースに皆が合わせて降りることになった。下山する長い尾根を見ては、この後どうなるのかとため息が出てきた。ソロリソロリ降りてきて、6時間かかった。でも暗くなる前に降りられたのは、不幸中の幸いかもしれない。これで、みんな午前様になる覚悟は出来たようだ。(皆さんには、本当にご迷惑をお掛けしました。)

 Oさんとは別れ、急いで帰路に着く。するとまたまた、途中で車のガス欠と言うハプニングが起こった。午前1時ごろK津出口1キロ地点での事である。koさんがJAFに1週間ほど前に入っていたらしく、電話をかけてから30分程で来てもらえて助かった。今回は、車のクーラーといい、先行投資をしておいてくれたお陰で、ずいぶん助かった。

 あんなこんなで、ハプニング続きとなったが、大事には至らず、そのまま、koさんに家まで送ってもらい無事帰宅できた。Nさんは、帰ってそのまま髭だけ剃って出勤とのこと、tさんは昼までさぼり、足を引きずりながら、またkoさんに送ってもらい出勤した。私も午後から仕事に出かけた。

 今回は日程としては、かなりの強行軍だった。koさんの感想にあったとおり、あと一日余裕があれば、と私も思った。本当にもう一度行ってみたいところだ。今度は、ちゃんと沢を詰めて、平ケ岳にも登り、のんびり花でも愛でたい。そして帰りの定番温泉まで、全てを満たして(我が儘かな?)心残りのないように、と思っている。

 沢もこれで3回めになる。暑い日の登山道をハーハー言いながら登り頂上を目指していたことを思えば、本当に楽しい。滝などの岩場の難しい所は、かなりの緊張感があって大変だが、今回のようにナメ滝などを遊びながら行くのは、遊園地ででも遊んでいるようだ。それも大自然の中での贅沢な遊びだ。こんなに自己解放をすることは、大人になってからは久しくなかったことだったように思える。私は、鳥にでもなって自由に飛べるような気分を味わっている。そして、帰ってからもまだまだ余韻は続いている。

 予定を変更しオホコ沢を溯行して平ヶ岳に向かうことになった。オホコ沢の出合いまでは、前日と比べるとずいぶん早く着いた感じがした。

 オホコ沢は、沢も狭く恋ノ岐沢から見れば見劣りする。沢を詰めて直ぐに、またオホコ沢の出合いから1時間半ほどで平ヶ岳の登山道との出会いに出た。地図には台倉清水と出ていて、キャンプ禁止と書いてあるが、そこはかなり広くテントが数張り張ってあった。ここまで来てもよかったとそのときは思った。しばらく休んで、平ヶ岳に向かって出発した。

 そこからしばらくは、あまりアップダウンの無い登山道で、ところどころぬかるんでいてズッポリと入ってしまう。靴は泥んこになってしまった。白沢清水を過ぎた辺りから徐々に登り始め最後は急登となった。少しづつ私は遅れ出した。暑い中の登りは疲れる。登り詰めたところに、姫の池が美しく開けた。とたんに、疲れもふっ飛び「あー、来てよかった」とまたまた感動。池塘を取り囲むお花畑、その向こうにスープ皿を伏せたようななだらで緑美しい平ヶ岳が見え、本当にメルヘンの世界のようだ。いくら眺めていても、飽きない。平ヶ岳の方を見るとなだらかな登山道がはっきりと見える。行きたい衝動にかられる。しかし、時間もなく来年の再チャレンジを約して、あきらめて下山する。

 下山しかけたら、tさんは足の親指の爪を痛めていたため遅れ出した。バンドエイドとテーピングで応急処置をしてまた歩き出したが、今度はそのテープと靴が当たり痛いらしく、またまた遅れる。仕方がないので、tさんのペースに皆が合わせて降りることになった。下山する長い尾根を見ては、この後どうなるのかとため息が出てきた。ソロリソロリ降りてきて、6時間かかった。でも暗くなる前に降りられたのは、不幸中の幸いかもしれない。これで、みんな午前様になる覚悟は出来たようだ。(皆さんには、本当にご迷惑をお掛けしました。)

 Oさんとは別れ、急いで帰路に着く。するとまたまた、途中で車のガス欠と言うハプニングが起こった。午前1時ごろK津出口1キロ地点での事である。koさんがJAFに1週間ほど前に入っていたらしく、電話をかけてから30分程で来てもらえて助かった。今回は、車のクーラーといい、先行投資をしておいてくれたお陰で、ずいぶん助かった。

 あんなこんなで、ハプニング続きとなったが、大事には至らず、そのまま、koさんに家まで送ってもらい無事帰宅できた。Nさんは、帰ってそのまま髭だけ剃って出勤とのこと、tさんは昼までさぼり、足を引きずりながら、またkoさんに送ってもらい出勤した。私も午後から仕事に出かけた。

 今回は日程としては、かなりの強行軍だった。koさんの感想にあったとおり、あと一日余裕があれば、と私も思った。本当にもう一度行ってみたいところだ。今度は、ちゃんと沢を詰めて、平ケ岳にも登り、のんびり花でも愛でたい。そして帰りの定番温泉まで、全てを満たして(我が儘かな?)心残りのないように、と思っている。

 沢もこれで3回めになる。暑い日の登山道をハーハー言いながら登り頂上を目指していたことを思えば、本当に楽しい。滝などの岩場の難しい所は、かなりの緊張感があって大変だが、今回のようにナメ滝などを遊びながら行くのは、遊園地ででも遊んでいるようだ。それも大自然の中での贅沢な遊びだ。こんなに自己解放をすることは、大人になってからは久しくなかったことだったように思える。私は、鳥にでもなって自由に飛べるような気分を味わっている。そして、帰ってからもまだまだ余韻は続いている。                            

iku

恋ノ岐沢

  

8.穂高の岩稜に遠い夏の日を偲ぶ

【山行名】穂高の岩稜に遠い夏の日を偲ぶ   

【日 程】1998年8月9日@〜8月12日C

【目 的】エイジングを超えて穂高連峰の岩稜縦走の走破! 

【メンバー】  t夫/iku/IY/IM

【日程、ルート】

8/ 9(日)晴れ  t宅発(5:35)→新穂高駐車場着(12:10)(12:35)→水を入れ出発(13:00)→穂高平避難小屋(地震)(14:10)(14:20)→白出小屋(15:05)(15:20)→チビ谷(16:00)(16:15)→滝谷出合い(16:35)→ガレ場(16:50)(17:05)→槍平(17:40)/夕食(19:00)/就寝(20:30)

8/10(月) 晴れ   起床(3:00)/朝食(4:00)/槍平発(5:10)→休憩(5:50)(6:00)→休憩(6:50)(7:05)→休憩(7:55)(8:10)→飛騨乗越(8:35)→槍ヶ岳肩の小屋(9:00)→槍ヶ岳3180M(9:35)→槍ヶ岳肩の小屋(10:25)→飛騨乗越(10:40)昼食(11:40)→大喰岳(11:55)(12:00)→中岳3084M(12:35)(13:05)→休憩(13:55)(14:10)→南岳3033M(14:15)→南岳小屋テン場(14:28)/夕食(18:30)/就寝 (19:30) 

8/11(火)曇/霧  起床(4:00)/朝食(5:05)/南岳小屋発(6:15)→休憩(7:05)(7:10)→長谷川ピーク(8:00)→休憩(8:02)(8:15)→休憩(9:20)(9:30)→北穂高小屋(9:45)北穂高岳3106M(10:25)→休憩(11:45)(12:00)→涸沢岳3110M(12:50)→奥穂高山荘テン場(13:07)/夕食(18:30)/就寝(20:00)  

8/12(水)雨  起床(6:00)/朝食(7:10)/奥穂山荘発(8:00)→iku転倒(8:40)→奥穂山荘/岐阜大学医学部診療所で治療(地震)(10:00)(11:05)→休憩(13:05)→I先発t/iku後発で別れる(15:00)→以下t/ikuタイム→地震(震度5)(15:13)→崩落の音(15:28まで)→休憩(15:40)(15:50)→白出小屋(16:00)→すぐ北アルプス山岳パトロールの車に乗る→北アルプス山岳パトロールセンター(17:00)(17:30)/高山日赤病院(19:30)発→夕食(9:30)→t宅(13日2:15)

【概念図】

【装備】

個人装備

共同装備

雨具一式/帽子/シュラフ・カバー・マット/ヘッドランプ・電池/個人コッヘルセット/地図・コンパス・細引き/洗面具・タオル/ポリタン2P/ゾウリ/行動食/ライター/ティッシュ/カメラ/ 筆記用具/時計/ナイフ/保健証のコピー/軍手ティッシュ/防寒服

テント一式(4-5人用)/マット2/ガスヘッド2/カートリッジ2/コッヘル一式/洗濯バサミ2/ローソク1/ベニヤ1/ローペ1/食料/お茶セット/カラビナ6/シュリング大10/ゴミ袋大1小3/雑巾1

【食料】

9日

行動食

α米・カレー・レンコン・味噌汁

10日

ラーメン・餅入・野菜入

行動食

α米・中華丼・ヒジキ・中華スープ

11日

かやく飯・味噌汁・漬物

行動食

スパ(たらこ)・海草サラダ

12日

カレーうどん・餅入・野菜入

行動食

【費用】  交通費(5,533円)+食料・テン場・ビール(6,789円)=一人12,322円

 

【報告】

8月9日

 最初の計画では、8月9日夜出発と言うことになっていたが、少しでも余裕があったほうがいいと言うことで、朝から出発することにし、その日のうちに槍平まで駒を進めておくことになった。

 朝5時30分、t宅を回ってもらい雨模様の中、I号で出発。途中雨もやみ一転して快晴となり、昼食時間も入れて6時間半で新穂高の無料駐車場に着いた。駐車場は満杯だった。やっと、空きを見つけて駐車。早速食料など共同装備を分配して出発。そして、共同浴場の横のトイレに入っていたら、ガクンと縦に揺れガード下にいるような凄い音がした。一回目の地震だった。

 地震の余韻が冷めないまま歩き出し、橋を渡ったところで飲み水を水筒に入れてまた歩き出した。1時間程広い林道を歩くと、穂高平避難小屋に着いた。ここで、ちょうど休憩している時にまた地震があった。小屋の人の情報だと、上高地が震源地で昨日の夜(8日)も何度かあったそうだ。私は何だかいやな予感がしたが、すぐに打ち消してまた歩き出した。しばらく行くと、白出小屋で3組ほどのパーティーが休憩していた。私たちも仲間入りしたところ、自然と地震の話で持ち切りになった。岳沢ヒュッテに泊った人は、小屋が潰れるのではないかと心配した、と話していた。

 新穂高を出発してから4時間程で、槍平についた。槍平はお花畑と沢があり、穂高の稜線が夕日に美しく映え、とてもいいところだった。夕暮れも迫ってきたので、急いで夕食の用意に取りかかり、ビールで乾杯をしてカレーと干物、ドライフードの蓮根の煮物、味噌汁の夕食をあわてて済ませたら、もう薄暗くなってきた。慌ててかたずけ、テントに潜り込み明日に備え8時半ごろ眠りについた。

 

8月10日

 3時起床。餅、野菜入りラーメンの朝食を済ませテントを撤収し5時過ぎ槍ヶ岳に向かって出発。私はしばらく歩いてもやけに寒く、フリースを着ていてもゾクゾクする。そう言えば、作夜咳が出ていた。風邪かもしれない。いくら歩いても寒い。1時間ごとに休憩したが、じっとするとますますゾクゾクする。しかし、大事には至らず何とか槍までほぼ予定どおりに到着する。槍平から飛騨乗越までの登りは、途中からはお花畑が続く。快晴に恵まれ、笠ヶ岳や三俣蓮華岳方面の眺めも素晴しい。飛騨乗越にザックを置き槍ヶ岳に向かった。秋田の大曲高校の団体の後に着いたため、槍ヶ岳山荘までがなかなか進まなかった。槍ヶ岳の頂上は、素晴しい眺めだった。遠くは乗鞍岳や御岳山まで見え、穂高連邦も雲一つかからず雄大な姿を見せていた。劒・立山も見えた。前に来たときは曇っていたので、今回は本当にラッキーだった。いつまで眺めていても飽きず、降りるのがいやになった。

 飛騨乗越までもどり、昼食をとった。私は、ここで朝に飲んだ風邪薬のせいか急に眠くなり、30分程皆の話し声を子守歌に眠った。目が覚めると、気分もすっきりした。1時間ほど飛騨乗越で休み出発した。またしばらく登ると大喰岳の頂上に出た。槍ヶ岳とカラフルなテントをちりばめたテン場が印象深く残った。ここのテン場は斜面にあるので、風が吹いたり夜の暗がりなどでは恐いのではと思った。

 中岳、南岳と通過するたび、のんびり休憩を取り、あたりの眺めを十分楽しんだ。その度に槍ヶ岳が小さくなっていった。南岳小屋のテン場に午後2時半ごろ着いたが、もう結構テントが張られていて、残っていた場所は石がゴロゴロ転がっていて、痛そうな所しかなかった。ミッちゃんが、いっぱいある石を退け出した。私もいやだなぁーと思っていたところ、隣にいた二人連れの外国人の一人が見かねて石のない場所を譲ってくれた。本当にありがたかった。もう一人の外国人はテントも張らず、シュラフのみに包まって、目だけ出して眠っていたのでびっくりした(シュラフは結構厚手のようだったが)。夕食までの一時、のんびりおしゃべりで過ごし、次の日のキレットに備えて早めに(午後7時)眠った。

 

8月11日

 4時に起きたところ、一面ガスが掛り視界がない。いよいよ、キレット通過の日(キレットトラウマ克服の記念すべき日)。朝食を済ませ6時ごろ出発。小屋の前に貼ってある天気予報は「霧・くもり・午後から一時雨」となっていた。これで、高度感から来る恐怖心は免れる、と意気込んで出発。岩場にさしかかりキレット通過の時も、意気込みが大きかった分拍子抜けしてしまった。前回通った時は、長谷川ピークももっと切り立った所としてイメージしていたが、全然違っていた。飛騨鳴きを登り切った所の難所(だと思っていた)も足場がしっかりしていて記憶とは違っていた。あんなにも恐い所と思っていたキレットは、今回は緊張感はあったが、楽に通過出来たのでびっくりした。これで、キレットトラウマは克服できたと思う。

 しかし、最後の北穂への登りの時、たまたま登山道からはずれて休憩していたから良かったが降りて来る人が石を落とし凄い勢いで登山道を落ちていった。休憩しないでそのまま登っていたら、と思うとゾッとした。北穂の小屋で少し休んでいたら、一瞬視界が開けた。

 今度で4-5回めの北穂高小屋は、いつもながらガスで視界がないのにテラスは人でいっぱいだった。しかし、一瞬視界が開け常念岳が見え、テラスからどよめきが聞こえたがそれも束の間のことだった。しばらく休憩して、今度は北穂高岳から奥穂に向かって出発した。相変わらずのガスで何も見えない。このコースは4年前にも一度通ったのだが、なぜかほとんど記憶になかった。今回、通って見てキレットに負けず劣らずの岩稜であることに気が付いた。緊張感を持って、いかねばならなかった。そんななかでも、健気にも咲いている、イワギキョウやトウヤクリンドウ、ヨツバシオガマなどの可憐な花に心が和ませられた。

 涸沢岳近くで登山道が崩壊していたらしい。補修して通れるようになったと北穂の小屋で貼紙がしてあった。その場所は崩れやすく、鎖も真新しいのが付いていた。

 全く何も見えないまま、奥穂山荘のテン場に着いた。奥穂はテン場が狭いため、早めに到着しないと場所がなくなるという情報が、富樫さんからあったので、tさんは早く着くように計画を立てた。しかし、午後1時と早く着いたにも拘わらず、もう一杯だったので、ヘリコプターの発着所にテントを張った。そこもすぐに満杯となった。ここでも、夕食まで十分団欒の時間があった。夕方からとうとう雨が降り出した。しかし、私はテントに当たる雨の音も心地よく午後8時ごろにはぐっすり熟睡していた。

 

8月12日

 4時起床で、西穂までの縦走の予定の日だった。ところが、前の日から雨が降り出していたためぐずぐずしていたが、しかたなく6時ごろ起き出した。私は小屋に天気予報を聞きに行ったが、前線が横たわっていて、次の日にも回復の見込みなしとのことだったので、白出から下りることになった。朝食を済ませ、雨脚の弱くなったころを見計らってテントの撤収を行い、8時ごろ下山を開始した。

 下り出すと、結構雨脚が強くなり、雷も鳴り出した。何かいやな予感が走り、雷も急に怖くなった。今まで雷が怖いという実感はなかったのだが、無防備な山の中では、本当に怖いと思った。また、少し前に買った遠近両用の眼鏡も雨のため曇り、見えにくくなっていた。その不安がアクシデントを起こしてしまった。転倒してしまった。一瞬の出来事なので何が起こったのか自覚の無いうちに、気がついたら鼻から血がボトボトと出ていた。左手で、さわって見たらかなり切れているのが自分でも分かり、これは大変な事になったとおもった。そのままタオルを借りておさえたが、血は止まらない。取り敢えず、消毒ガーゼを当て奥穂の岐阜大学診療所に戻ることになった。どのくらいの時間がたったのだろうか、1時間ほどで着いたと思う。すぐに麻酔をして傷口を縫ってもらった。鼻孔から4B切れていて表13針、裏5針縫ってもらい(袋縫いにしましたと医者は言っていたが)、そのまま傷口の上からガーゼを絆創膏で止め、再び奥穂山荘を後にした。

 下り始めて、すぐに右手の指が曲がらないことに気がついた。それまで、鼻にばかり気が行っていて、気付かなかったが、右手にスティックを持ったまま、ついたらしく帰ってから10日たつ今もまだ痛い。打撲と診断された。もう一箇所、これも家に帰るまで気付かなかったのだが、左足首も捻挫していた。これもまだ腫れが引かず痛みもとれない。鼻の傷は抜糸して大分目立たなくなってきたのに……。

 帰りは、慎重にゆっくり下りた。相変わらず、雨と雷のなかでの下りとなった。顔が大分腫れてきて目がふさがってきたので見づらかった。ガレ場を通りすぎて、林道に入ったところで青年が一人で休んでいた。後で分かったのだがこの青年は、診療所の交代の医師だったらしい。

 しばらく行くと白出沢の上流に出て渡り、沢に添ってしばらく鎖場が続き(ここは雨が降っていたので、緊張した)、沢を渡り返した。この橋は20センチ程の丸木を3本ほど束ねた橋である。このとき、もうかなり水面が橋に近づいていたが、警察の人にあとで聞いた話だと雨が降るとよく流されるそうだ。ここで、救援隊の車を呼んでもらうためI夫妻に先に行ってもらい別れた。長い梯子を登り林道に入った。ここからは、一転して上高地を思わせるいい道になった。

 林道に入ったとたん、グラッときた。後で新聞で知ったのだが、3時13分、震度5の地震だった。すぐに上の方から、ゴーッという岩の崩れる音が8分前後続いた。思わずあのガレ場を通っているときだったらと思うとゾーッとした。ホッと胸を撫で下ろして、また歩き出した。1時間ほどで白出小屋に着いた。ここで山岳パトロールの車が迎えに来てくれる手配になっていたが、待っていてもしかたないので歩き出した。車には途中で出会い、I夫妻も途中で乗せてもらい新穂高に着いた。私は北アルプスパトロールセンターで、調書を取られ、その足で高山の日赤へと向かった。CTとレントゲンで検査してもらったところ異常はなかった。また、きれいに縫ってあると、医者も看護婦も感心していた。しかし、とはいっても左半分は風船のように腫れ上がっていた。病院を出ると、急にお腹がすいてきた。時間は、もう8時頃だったと思う。遅い夕食を済ませ、帰路についた。

 家まで送ってもらった。時間は朝の2時過ぎになった。ずっと、運転して下さったIYさんは、ほんとうにお疲れになったことでしょう。私の不注意のために随分皆に迷惑を掛けてしまい、予定も狂い申し訳ないことでした。

 家に帰ったところ、神岡警察署から「帰ったら電話をくれるように」と言う電話がSさんの伝言として、書き置きのメモがあった。時間帯を考えて躊躇していたが緊急を要することだと困るので、と言うことで直ぐにtさんが電話した。するとその日に穂高平避難小屋に帰る予定だった夫婦が、行方不明だということで、目撃者を探しているという、問い合わせの電話だった。その後、その夫婦は見つかったのかどうかは分からない。

 もう一つ気になっていた、途中で出会った青年は、その時の情報で無事だと分かった。やはり、あのときの地震でガレ場が崩れてきたらしいが、岩雪崩が目の前で止まり、九死に一生を得たということだった。これを聞いて一安心した。

 

【感想・反省】

 今回の山行は、不注意で私は大怪我をしてしまい、またみんなにも心配や迷惑をかけた点で大いに反省しなくてはならない。

 今まで、怪我も病気もなく山を楽しんできたのだが、一つ間違えば大変なことになると言うことを思い知らされたアクシデントだった。心のどこかに、油断していたところがあったと思う。それが証拠に、雨とは言え、下山途中での事故だった。だんだん体力や注意力が、年齢と共に衰えていっていることも自覚しなくてはいけないと思う。出来るだけ、山では慎重に行動し、日頃の体力作りにも努力しなくてはいけない。

 また、地震や雷などの恐怖も初めて味わった。自然の力も侮ってはいけないとつくづく感じた山行だった。今回の事故が「怪我の巧名」となるようにしたい。痛い思いはもう沢山だから……。

 これからも、安全登山を心がけ、山を楽しみたい。

それからもう一つの心残りは、雨とは言え、また奥穂から西穂への通過が出来なかった点である。

                                    1998.8.23/iku

9.江若国境の山、百里ヶ岳登山

【山行名】 江若国境の山、百里ヶ岳登山

【期 日】 1998年9月13日(日)

【天 候】 晴れ   

【目 的】 若狭の名峰であり、若狭第2位の高さ(931.3M)を持つ百里ヶ岳登山。

昔は日本海と琵琶湖の眺望がよかった。

【メンバー】 C.L.M、S.L.S、K、kawa、Mt、iku,他8

【日 程/ルート】

 出町柳7:30→川合・M待ち合わせ9:00→登山道分岐9:30→林道を車で入る→10:00通行止めのため車駐車。焼尾地蔵尊。根来坂峠/百里ヶ岳の道標10:30→11:05根来坂峠11:20→12:05百里ヶ岳頂上、昼食13:20→14:10根来坂峠14:25→駐車場所14:54→16:20花背の風呂17:00→出町柳18:00頃

【概算費用】 一人750円

【集合場所】 出町柳7:30集合/川合でM謙氏と待ち合わせ(久多と梅の木の間)9:00

【装備計画】

【共同装備】ツェルト・マット・ガスヘッド一式・ライター・コッヘル・紅茶・コーヒー・水・シーバー(2)

【個人装備】雨具・帽子・手袋・長袖・ジャンパーかジャージ上着・タオル・マット・カメラ・地図・磁石・ストック・お茶・昼食・コップ・着替え(風呂用)・お金・ヘッドランプ・他

 八月の穂高連峰以来、一ヵ月振りの山登りだ。まだ足の捻挫もすっきりしないが、試しに歩いてみたくなり百里ヶ岳のハイキングに参加。総勢14名のうち、女性10名に私も混ざる。5時、久しぶりに早起きして出町柳に向かう。出町のコンビニに買い出しに行くが気に入ったのがなく、京阪出町柳の売店の弁当に引かれて、もう一度弁当を買いに京阪出町柳まで引き返した。食べ物に対する執念に自分ながらあきれた。もう一度集合場所に行くと、出町組みは全員集合していて華やいだ雰囲気が醸し出されていた。そっと、私もまぎれこんだ。三台の車に分乗して出発。

 登山道の分岐で右に行く方に「百里ヶ岳入り口」と言うような道標がでていた。そこで会った中高年二人ずれの登山者の話だと、左の林道から途中で登山道に入れるということと、また地図によるとそこから4時間コースだったこともあり、左の林道の方へそのまま車で行けるところまで行こうとということになった。途中からは、まだ舗装はされていないが林道になり、見上げるとほとんど頂上までガードレールが見えていた。砂埃を巻き上げながら進むと「工事中/通行止め」と書いてロープが張られていた。しかたなくそこで車を止め降りた。車は見事に砂化粧をして真っ白だった。そこには、道路の左に新築のわりと立派な小屋があって、奥に地蔵が三体並んで鎮座していた。「焼尾地蔵尊」と入り口に掲げてあった。

 このお地蔵さんは、昔からひっそりと山道の脇に鎮座していただろう。この立派な林道と立派な小屋をどのように思っているのか、聞けるものなら聞いてみたいものだと思った。右の方に百里ヶ岳への登山道があって、「根来坂(ねごりざか)・百里ヶ岳」という道標が出ていた。そこに、車を駐車して登り始めた。

 「百里ヶ岳は、何で百里ヶ岳と言うのだろう? どこかから計って百里の所にあるのだろうか?」などと疑問に思い、そんなことを誰かと話しながら歩き始めた。名前の由来は若狭第二の高峰(931M)で、頂上に立てば百里四方が見渡せると言うところから付いたらしい(Mさんの資料に帰ってから見たら書いてあった)。30分ほどで根来坂に着いた。そこは少し広くなっていて、また地蔵小屋があった。石碑も立っていた。15分ほど休憩していると、最初の登山道と林道の分岐点で出会った中高年二人づれが登ってきた。「ここからは、登山道らしくなって、登りますよ」と言ったので覚悟を決めて登り始めた。ところが、45分ほどで頂上に着いてしまった。本当に、呆気ない幕切れだった。頂上は名前の由来からすれば、百里の眺望があったはずだが、周りは木が茂り、一里先も見えない。

 雪稜恒例の、三角点(福井県で四つしかない一等三角点の一つらしいが)を囲んでの儀式を行った後、昼食のため頂上の広場を占拠してしまった。昼食を採りながらまわりを眺めると若狭山の会の「百里ヶ岳頂上」と書いた石碑と真新しい木の看板が立っていた。何気なくその横を見ると鳥の巣箱のようなものが、水色のペンキに塗られてたっている。白いペンキで「山のおと」と書いてありMさんとあれは一体何だということでひとしきり議論したが意味不明。「山頂の音」と言うことで何かを聴くのでは? とMさんの考え。それでも、納得がいかず訳が分からないまま近寄り観察したら、下の方から手が入った。手を入れてみたら何かが入っていたので、恐る恐る引っぱり出した。すると、素晴しいアップリケの施されたカバーがついたノートが、ビニールの袋に入って出てきた。これで全てが解決し、みんなもやっと納得した。14名もいて誰にも分からなかったのだから、この場合「山ノート」と書くべきだと思う。これを書いた人は戦前に教育を受けた人に違いない。一件落着!! Kさんがこの「山のおと」に記録を残しておいた。

 登るのもあっという間のことだったが、降りるのも勿論あっという間のことだった。駐車場に戻ると、Mさんの車のボンネットの上に、登る前から置き忘れられていたスプーンとガスヘッドが、寂しく私たちの帰りを待ちわびていた。頂上で紅茶を作るときMさんが探していたものらしい。これでもう、「歳でんなぁー」とは他人にはおっしゃらないことでしょう。

 そこからは、一路「花背の湯」目指して車は走った。危機一髪、4時半に閉まるのだが、寸前の4時20分に着いて何とか間に合った。汗を流し、Mさんとはここで別れ、私たちは出町柳に向かった。

 

【感想】

 8月12日に怪我をしてから、久しぶりに歩いた。9月末の「白山」に参加しようと思っているので、足慣らしのつもりで参加した。まだ少し痛みがあるので心配していたが、距離が短かったので何ともなく歩けた。

 こんなに大勢で、それも若い女性中心のハイキングは初めてで、ワイワイガヤガヤ賑やかで楽しかった。年齢差も私は感じず、また見た目にも遠目には分からないだろうと、勝手に「同化している」と厚かましく思い込み、気分よく参加した。

 しかし、百里ヶ岳には物足りなさを感じた。それはまず、山をえぐりとって頂上近くまでつけられた林道にがっかりした。途中はまだ工事中の所もあり、切り倒され刻まれた樹木が林道の脇に放置され、その中には石楠花もあった。まだ、葉っぱが緑鮮やかなのが痛々しい。M謙さんも「植林らしい木もないのに、何のための林道だろう」とつぶやいておられた。町役場に電話でもして聞いてみたい。ひょっとすると、地元にとってはハイカーの勝手な言い種なのかも知れない。でも、林道のために登山道を汗をかきながら登るという労力が軽減されたかわりに、簡単に登れるつまらない山になってしまったことは事実だと思う。そしてもうひとつ頂上での展望が無かったのも、魅力を感じなかった要因かもしれない。

 

                             1998.9.22/iku

10.湖北の山金糞岳登山

【山行名】 湖北の山金糞岳登山

【期 日】 1998年10月27日(日)

【天 候】 曇のち雨

【目 的】 (白山が流れたため急遽便乗)

【メンバー】 C.L.koma、S.L.K、kawaファミリー、O、masu、iku

【日 程/ルート】

京都駅6:30→9:20登山口9:43→小朝頭(1081M)10:18→11:30金糞岳(1317M)頂上13:20→小朝頭14:15→14:35登山口14:53→須賀谷温泉→kawaさんの実家→京都七条19:50

【集合場所】 京都駅八条口6:30集合

【装備計画】

【共同装備】ツェルト・マット・ガスヘッド一式・ライター・コッヘル・紅茶・水

【個人装備】雨具・タオル・カメラ・地図・磁石・ストック・お茶・昼食・コップ・着替え(風呂用)・お金・ヘッドランプ・他

【地図・ルート図】

京都駅6:30→9:20登山口9:43→小朝頭(1081M)10:18→11:30金糞岳(1317M)頂上13:20→小朝頭14:15→14:35登山口14:53→須賀谷温泉→kawaさんの実家→京都七条19:50

【集合場所】 京都駅八条口6:30集合

【装備計画】

【共同装備】ツェルト・マット・ガスヘッド一式・ライター・コッヘル・紅茶・水

【個人装備】雨具・タオル・カメラ・地図・磁石・ストック・お茶・昼食・コップ・着替え(風呂用)・お金・ヘッドランプ・他

 

 9月25日夜から27日まで、白山への山行予定だったが、雨で流れてしまった。Mさんと久々にテント山行が出来ると楽しみにしていたのに……。また、Aさんは山についても料理の腕もベテランらしく、いろいろ教えて頂こうと思っていたのですが……。本当に残念でした。次の機会を楽しみにしています。

 そんなことで、急に日程が空いてしまった。百里ヶ岳山行でKさんが金糞岳に27日ハイキングに行くと言っていたのを思い出し、急遽参加させてもらった。

 待ち合わせ時間が京都駅6時半と早いので、目覚まし時計を2個合わせて寝たが、睡眠中何度も起きられるか不安で目を覚ましてしまった(いつも目覚まし代わりの夫は出張で、その日は一人だったので)。

 やっとのことで5時に起床し、間に合った。Kさんは既に来ていた。しばらくすると、masuさんがkomaさんを乗せ、またkawaさんもやってきた。途中で、oさんを乗せ、さらにkawaさんの実家でiku美さんとみずきくんを乗せ、masuさんの車で出発。

 今回の計画は、koma・Kさんにとっては再チャレンジで前回の敗退の屈辱と恨みを晴らすべく追分から深谷コースを登る予定だったらしい。しかし生憎の天気で、林道を車で走り、中津尾根の途中から登ることになった。林道は二箇所で中津尾根と交差していて、一つは追分から少しいったところに登り口があり、かなり行ったところに二つ目の登り口がある。二つ目の登り口から登り始めた。登山道はしっかりしていて歩きやすく、どんぐりや栗の実が落ちていて秋らしい彩りを添えていたが、紅葉はまだ気配もなかった。

 みずきくんは、五歳とは思えぬ歩き振りだ。iさんから、二人で奥穂から吊尾根を通り前穂へ、そこから重太郎新道を下りるというコースを行ってきたということを聞いた。みずきくんは将来雪稜を担う登山家になるに違いない、と確信した。大切に成長を見守りたい。

 2時間足らずの歩きで、頂上には11時半頃に着いた。頂上は眺望がよく、琵琶湖も幻想的な雰囲気で木の間から見えた。木に登ればよく見えると思い、登ろうと思ったが濡れていて滑りやすそうなのでやめた。少し小雨がぱらついてきた。ツェルトを張って下さり、頂上でのんびり昼食タイムを快適に過ごした。masuさん特製のけんちん汁に舌鼓をうちながら、楽しいおしゃべりに花を咲かせた。 

 頂上で二時間近くのんびり過ごし降りようとしたところ、雨が本降りになってきた。私は買ったばかりのレインウエアを持ってきていたので、内心「雨もまた楽しい!」と言った気分だった。やはり新品は快適だった。全員そろったところで、須賀谷温泉に向かった。林道を降りるとき、koma・Kさんは谷筋が気になるらしく再度の深谷コースを決意していた。私も、谷筋を見てみると、林道のできる前のこの金糞岳の奥深さがうかがえ、もう一度そのときにはご一緒したいと思った。

 須賀谷温泉は、浴衣とタオル・バスタオル付きとはいえ、千円は高い。お湯は赤く(炭酸鉄泉で冷え症、貧血、胃腸病などに効用があるらしい)、いい温泉だった。この頃は、温泉付きが当り前になってしまったようだ。山に行くのか? はたまた温泉巡りをしているのか? 疑問に感じている。まぁー、深く考えないで気持ちよく帰れるのだから良しとしよう。

 kawaさんの実家で、kawaファミリーを降ろしお茶をいただき帰路につく。

【感想】

 やはり、百里ヶ岳と同じで林道のため魅力は半減していたと思う。しかし、初めて湖北の山へ行ったのだが、比良とは反対から琵琶湖を眺め、その墨絵のような幻想的な風景は、比良からの明るい琵琶湖とは全く違った趣きがあり、魅力的だった。天気が悪かったのが幸いしていてそのように見えたのかも知れないが……。林道を走っているときに見える風景も、尾根筋と谷筋の高度差があり深い山に見えた。追分から深谷を登るとしたらかなりきついコースだろうと想像できたが、面白みも十分だろう。

 しかし、今回の中津尾根コースはハイキングコースとしてはちょうど良かった。ワイワイと歩くのもたまにはいいなぁー、と思う。白山は残念だったが、お陰様で楽しく過ごせた一日でした。

                           1998.10.7/iku

 

11.涸沢の紅葉に心を放つ
  
【山行名】 涸沢の紅葉に心を放つ 

【期 日】 1998年10月2日E夜〜10月4日@

【天 候】 3日 晴れ  /4日 晴れ

【目 的】 紅葉を愛でながら枯淡の宴会を楽しむ 

【メンバー】 t・IY・IM・iku

【日 程/ルート】

10/2E t宅出発21:35→

10/3F 3:45沢渡・仮眠・起床4:45→タクシー5:30→5:45上高地(温度7度)・朝食 6:35→7:20明神7:30→8:15徳沢園8:40→9:35横尾10:00→11:05本谷11:25→12:25/2170M地点13:00→13:25涸沢・夕食16:30・就寝21:00     

10/4@ 起床6:00・朝食7:00・出発8:25→9:07コル9:15→10:25/1990M休憩10:45→新村橋11:45→12:10徳沢園12:40→13:20明神→14:00上高地14:25→沢渡→15:25坂巻温泉16:00→23:00t宅

【概算費用】 一人 11,825円

【食料計画】

10/3 朝・昼(各自行動食)・夜(おでん、ビール、酒)

10/4 朝(α米、おでんの残り、佃煮昆布)・昼(各自行動食)

【装備計画】

【個人装備】着替え一式(温泉)・防寒着・雨具・タオル・軍手・シュラフ・マット・シュラフカバー・コッヘル・ハシ・ヘッドランプ・予備電池・筆記用具・コンパス・地図・帽子・ナイフ・ライター・保健証・ローペ・チリ紙・お金・細引き・新聞紙・水筒・ストック

・行動食・おやつ・医薬品・靴ずれ用テープ・洗面具・カメラ・眼鏡

【共同装備】テント(ライトエスパース)・フライ・テントマット2・ガスヘッド2・カートリッジ小2・ランタン1/ろうそく・コッヘル2・オタマ1・洗濯バサミ3・ベニヤ1・ラジオ・ポリタン・計画書・雑巾

【ルート図】

【感想】

 今回の企画の発端は、思いきり美しい紅葉を見たいということで始まった。涸沢は何回も行っているのだが夏ばかりだった。秋の燃えるようなナナカマドの赤い色を、一度は見たいと前から思っていた。雑誌のグラビアで見る涸沢は、雪渓の白とナナカマドノの赤、そして緑と黄色が混ざったカールのバックにそそり立つ穂高連峰に新雪が積もっている。ため息の出るような美しさだ。やっぱり、日本一の紅葉は涸沢だと言うt夫さんの意見で涸沢に決まった。しかも、涸沢だけのピストンという贅沢な企画となった。

 予定どおり2日の夜9時ぴったりにIYさん・IMさんがわが家に迎えに来て下さった。準備にあたふたしていたt夫さんは、やっとのことで間に合い、取り敢えずお茶で一息ついてからIYさんの運転で出発することになった。沢渡には午前3時40分着。高速を降り沢渡へ向かう途中に工事中で通行止めになっているところがあったのを、うつらうつらしながら聞いていた。私は少しは寝たようだ。IYさん・IMさんは全く寝ていない。

 沢渡の駐車場で仮眠していると、1時間もしないうちに起こされた。駐車料金の請求と、場所を移動するようにということだった。仕方がないので、車を移動させた。もう出発の準備をする時間になっていた。5時30分のバスを待っていたら、目の前をフルスピードで通りすぎて行った。呆気に取られていたところ、上高地方面から空のタクシーが来たのを止めて、やっとのことで上高地に着いた。上高地は久し振りの晴天のおかげで人でごった返していた。気温も7度しかなく、非常に寒い。震えながら朝食をとり、6時半頃早々に出発した。しかし、晴天に恵まれたのはラッキーだ。徳沢園で出会った上高地へ帰る初老のご夫婦の話だと、昨日まで雨だったらしい。噂によるとIMさんは雨女らしいが、これで名誉挽回出来ただろう。本人曰く、いつも一緒に行く人に雨を降らす人がいるらしいが真相は定かではない。 

 明神・徳沢園・横尾と見慣れた風景である。まだ横尾辺りまでは紅葉もない。ただ、いつもと違っていたのは、台風のせいか木がかなり倒れていた。結構大きな木も根こそぎになったり途中から折れたりして、登山道に横たわっていた。通れるように真ん中は切ってある。しかし、もう少し幅広く切れば通りやすいのに、と身勝手なことを思った。歩きながらも、荒れた様子には心が痛んだ。

 横尾を過ぎ、本谷も過ぎ、いよいよ登り始めると少しずつ色付き始めた。本谷は人で溢れていて、休憩場所を探すのも一苦労だった。タクシーの運転手の話だと「昨日まで閑古鳥が鳴いていた」ということなのに。涸沢までは、紅葉を楽しみながら登ったのだが、何となく一抹の寂しさ感じるような紅葉だった。見てはいないが、きっと例年はもっと色鮮やかなんだろうなぁー、と思えるような、何か本物でないような物足りないような雰囲気だった。ナナカマドも赤ではなく茶色だ。葉っぱも台風で落ちスカスカだ。しかし、部分的には美しいところもあり山行名にあるように、紅葉に心放ちながら歩いた。

 そうこうしているうちに、涸沢に着いた。涸沢も人で溢れていた。とりあえずテントを設営して、テラスで念願の紅葉をを眺めながら生ビールで乾杯した。ここからの眺めも、グラビアから見ればかなり落ちる。毎年残っている雪渓は跡形もない。本当に、雪の無いカールなんて、涸沢のような気がしない。それでも、しばらくの間疲れを憩い、解放感を味わう。

 食事当番の私は、夕餉の用意があるので一足先にテントに戻った。しばらくして、みんなも戻ってきた。メニューは、「おでん」だ。大根とコンニャクとじゃがいもは下茹でして、卵も茹てある。鍋に入れて煮ればいい状態にしてある。ゴミも出ない。しばらく煮ていると好い匂いが漂い始め食欲をそそる。煮ている間にt夫さんは2年前合宿で来たとき若者がボルダリングをしに行ったことを思い出し、その場所を偵察に行ってなかなか帰ってこない。おでんが食べごろになったので、IYさんが迎えに行ってやっと帰ってきた。

 IYさんが根性で担ぎ上げたビールで、宴は始まった。そのうちt夫さんの持ってきた吟醸酒で宴もたけなわとなった。おでんは、冷えた体が暖まり美味しかった。食事の後、しばらくして、私はまだ明るいのでその辺を散歩に出かけた。沈む夕日のシャッターチャンスを狙って、カメラがずらりと並んでいる。t夫さんが食事前にボルダリングをした岩が気になり行って見る。後から私を見ていたt夫さんとIYさんが来た。三人で、その岩を登って遊んでいるうちに日が陰り薄暗くなったのでテントにもどった。

 テントではお酒を飲みながらしばらくおしゃべりで過ごし9時ごろ眠りについた。涸沢の夜は静かで、月が真ん丸で美しく、昼間のように明るかった。星もまた大粒のダイヤのようにtき美しかった。気持ちよく熟睡できた。

 翌4日は6時ごろ起床。快晴だ。お天気が良いのが何よりだ。昨日の残りのおでんで朝食を取る。味が一段としみて美味しい。やっと奇麗にたいらげることが出来た。来たばかりなのに、もう帰らなくてはならない。心残りだがしかたがない。相談して帰りはパノラマコースを取る。このコースは2年前の合宿の帰りに通り、いろいろハプニングが生じた思い出深いコースだ。途中で槍ヶ岳をはじめ奥穂、涸沢槍、北穂、南岳、常念岳、蝶ヶ岳などが一望出来る、良いコースだ。

 上高地に着いたら、長蛇の列が出来ていた。バスを待っているらしい。うんざりしてタクシー乗り場に直行したが、ここも列が出来ていた。しかたなく、覚悟を決め並んだ。しかし、思ったほど待たなくて、3-40分程待って乗れた。温泉は、少し上高地方面に戻ったところにある「坂巻温泉」に決めた。近くなので良かった。夕食は本場の蕎麦を食べたが今一だった。

 これで、思い残す事なく家路を急ぐ。行きも帰りもIYさんの運転で、さぞお疲れだったことでしょう。私は、申し訳無いとは思いながらも襲ってくる睡魔に勝てず、うしろでこっくりこっくりと気持ちよく居眠りをしていた。

 午後11時ごろ、家まで車を付けていただきお陰様で無事に帰ってきた。IYさんお疲れさまでした。

                           1998.10.7/iku

 秋の涸沢

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12.初冬の八ヶ岳で鍛える

【山行名】 初冬の八ヶ岳で鍛える  

【期 日】 1998年11月20日E〜11月23日A

【目 的】   冬合宿に向けて、冬山登攀技術、生活術を身につける 

【メンバー】 H/S/M/K/iku/gata/kuma

 

【感想・反省】

  私はスノーハイキングの経験はあるが、今回のような本格的な冬山は初めての経験だった。以前から、Kさんからも冬山の素晴しさを聞き、また誘われたりもしていたが、なかなか決心がつかなかった。それは、「冬山=危険=死」という公式を私は勝手に作り「何も危険を犯してまで」、という気持ちで避けてきた。そう思えば思うほど魅惑的に思え、行きたい気持ちを抑えられなくなってしまい、とうとう今回はその禁を犯してしまった。

 ミーティングで、参加者を募っていたとき、発作的に無自覚に手を挙げてしまっていた。しかし、決めたからには仕方がないと腹をくくり、まずは冬山講習会に参加し、装備の購入から始まった。さっそく大阪のIBSに行き、ウルトラマンの靴のようなカッコいいコフラックのプラスチックブーツ、それに併せてワンタッチのアイゼン、ピッケル、手袋、厚手のフリースなど、ポンポンとかごにほうり込んだら驚く程の出費となってしまった。これで、また働く意欲が出てきたのも確かだが…。

 さっそく、11月1日の金毘羅のアイゼントレーニングにおニューの靴とアイゼンで参加。岩の上をアイゼンをつけての登り方を、まずはHさんから教わりYケンを登り始めたが、アイゼンの歯が岩を噛まず、なかなか難しい。しかし、頭に着くころには少しはアイゼンにも慣れてきた。そして本番の一週間前の11月15日、二度目のアイゼントレーニング。

 まだまだ、不安を抱きながらも11月20日出発の日を迎えた。食料係りで荷物が多いので、Hさんが私の家を廻って下さり、京都駅に向かった。着いたら、見送りのpin、ko、tomiさんとメンバーのkumaさんがすでに来ていた。待ち合わせ時間までには、Mさん以外の全員と西宮と大阪で飲んできた見送りの酩酊tさんがそろった。30分程してMさんもやっとそろった。差し入れの焼芋とジュースで出発前のささやかな祝宴が行われ、われわれはいざ八ヶ岳に向かって出発した。

 11/21 早朝5時45分に、美濃戸口に着いた。まだ薄暗く、うっすらと雪は粉をまぶしたような状態だった。気温はマイナス5度で寒い。仮眠する間もなく共同装備を分担し、7時40分に行者小屋めざして出発した。行者小屋に近づくと辺りは白銀の世界となってきた。モノトーンの墨絵を観るようだ。木々も樹氷の花を付けていて美しく、しばらくは呆然と見とれていた。出発前に、雪があるのか心配していたのでこれで一安心した。

 10時35分に行者小屋に着き、まずテントを設営した。行者小屋はこの連休で今年は閉るらしい。私はこのときテントに入るのに靴のままなのにビックリした。しかし、帰るころにはあたりまえのように、入り口で雪を落とす儀式をするようになってしまっていた。夏とは違うテント生活を、ほかにもいろいろ体験した。

 熱い紅茶で暖まり、12時10分に赤岳に向かった。雪の地蔵尾根はけっこうきつい登りだ。歩くにつれ初めてのプラスチックブーツの重さが増してきて足も重くなってきた。鎖場に来てアイゼンをつけた。アイゼンの重みが加わりまた足が重くなる。しかし、何とか踏ん張り頑張った。稜線に出ると風がけっこう強くなってきた。地蔵の頭辺りからますます吹雪いてきた。急遽、Sさんに耐風姿勢を習う。なかなか、進めない。最後の登りの岩場が凍っていて、そこで中年の女性が私の目の前に落ちてきた。身の引き締まる思いをした。無我夢中で何とか赤岳にたどりついた。午後3時20分だった。2時間ほどの時間がとても短く感じられた。風景は何も見えず、ひたすら登った。帰りは文三郎尾根を行者小屋に向かった。鎖場の連続の岩場で、やはり緊張したが、風はあたらなくなった。しばらく行くとネット状の階段が続きアイゼンが刺さり歩きにくい。樹林帯に入りホッとしたところで、お茶を沸かして休憩した。午後5時5分テント場に戻った。

 11/22 次の日の22日は、朝から雲一つないいい天気だった。8時30分出発。周りの風景を楽しみながら登れるので前日とはえらい違いだ。10時10分、地蔵の頭まで来ると展望が開けた。赤岳とは反対の方向の横岳へと向かう。とは言っても、前日の記憶はまったくない。足元しか見ていなかったのだ。ここからは、鎖場が続き梯子もあり緊張して行く。横岳からは、雄大で白くそそり立つ赤岳が美しく見えた。横岳の頂上はにぎわっていた。大同心か小同心かわからないが、ザイルで登ってきたパーティーがいた。岩場から登ってくるの見ると、やはり憧れる。

 しばらく休憩して、硫黄岳に向かう。硫黄岳山荘近くから雲が出始め急に冷えてきた。硫黄岳山荘に入って休憩をした。休憩料は一人百円。私は誘惑に負けて、一人でうどんを食べてしまった。後ろめたい気持ちだったが、生のうどん(インスタントではない)でとても美味しかった。外に出ると本格的に雪が降り始めていた。午後1時40分硫黄岳に向う。2時20分硫黄岳頂上で記念撮影をして赤岳鉱泉に向い降りた。途中で休憩して、私とKさんが少し先に出発した。Hさんが「赤岳鉱泉で待っていて」と言ったので二人でそのまま降りてきた。しかし、いくら待っても降りてこない。おかしいなァー、と思っていたらジョウゴ沢に滝を見に行っていたというのだ。そうならそうと言ってくれればいいのに、何という薄情者。Mさんは飴2個でご機嫌を取ろうとしたが、そんな物では腹の虫が収まらない。

 赤岳鉱泉を出てすぐに、先に行ったKさんが氷が張っている上に雪が積もっていて気がつかないで乗ってしまい、次に行った私と二人、スッテンコロリンとみごとに滑り尻餅をついてしまった。私は前日の登りでも、行者小屋の手前でやはり氷に乗ってしまい滑ってしまった。運良く私は怪我は無かったが、Kさんは尾てい骨を打ったようで、痛くて寝られなかったらしい。雪でカムフラージュされたら、氷が張っていることに気がつかずあぶない。アイゼンを付けていたら、こうは滑らなかっただろう。赤岳鉱泉から行者小屋までは30分程の登りで、疲れた足にプラスチックブーツが重い。

 戻ったころには行者小屋のテントの周りはかなり雪が積もっていた。そしてまだ、降り続いていた。全員、ジャンボに集まって夕食の支度にかかった。前日のメニューのきつね丼は概ね好評だったが、この日のハヤシライスは一悶着起こった。問題点は、味付けが私の思っていたのと少し違っていて、水っぽかった点にあると思う。メニュー自体も、年齢層を考えればむかなかったようだ。熊ちゃんとgataさんは美味しいといっていた。最後の夜は、テントに積もった雪の落ちる音を聞きながら、楽しいおしゃべりで過ごした。

 11/23 下山日。テントからはいでると雪がずいぶん積もっていた。周りの景色も一段と美しさを増していた。寒さはあまり感じないが、テントはバリバリに凍っていた。名残惜しいが、美濃戸口にむかって下山した。来るときよりもかなり雪が積もり風景も違って見えた。Hさんは、私と熊ちゃんの通るのを見計らって、木に積もっている雪を私たち目がけて落としたりして、悪戯を楽しんでいた。生憎命中はしなかったのだが…。Hさんは子供のころ(今もかな)、相当の腕白小僧だったにちがいない。1時間30分程で美濃戸口に着き、あとは恒例の温泉。そして、諏訪湖を眺め遅い昼食を採りながらも、「あの雪と吹雪は幻だったのだろうか」、と余韻がさめず。地上と山とのギャップが大きすぎて、興奮がなかなか冷めない。2-3日はあの幻想的な風景が私の頭の中を支配していた。

 今でも、八ヶ岳は夢の中での出来事のような気がする。3日間は本当に早かった。それは私に余裕がなかったせいだろう。初日の赤岳への登頂は特にアッというまのことだった。吹雪のせいで視界がなかったと言うだけではなく、岩場は必死だったため愉しむゆとりがなかったのだと思う。いろんな状況においても、ゆとりをもって愉しめるように技術や体力にも余裕を持てるように努力をしなければならないと思う。

 冬山初体験を終えて、また一歩踏み出した。それは危険がともなうかも知れないが、自分の力に合ったところから無理をしないで、技術を学びながら歩めば「冬山=危険=死」と言う公式からは回避出来そうに思えた。危ないからといって近づかなければ、あの雄大な自然は見られない。今は、満足感でいっぱいだ。

 

【食料係りとしての反省】

 「冬山の食料の一番は軽量化にある」。このことに関しては実感を持った。スーパーで買い物をしている段階では、味覚を取るか軽さを取るか商品を前にしてずいぶん悩んだ(皆に美味しいものを食べさせたという母心??)。しかし、次回はためらわず軽さを取るだろう。美味しいものは、下山すれば食べられる。山の上では一番のご馳走は自然である。

 とはいっても、何でも良いとは考えない。「軽くて栄養があり旨い」に越したことはない。それにプラス、暖まるもの。計画表のメニューで23日の朝「パン粥」だったが、前日のハヤシライスとサラダが残っていたために、フランスパンはそのままで、コンソメにウインナーだけ入れてスープを作り、パンにサラダをつけて食べたが好評だったと思う。暖かいスープはインスタントの味噌汁より美味しいし、ウインナーの蛋白源が良かったようだ。パンも軽いので主食に一食はいいのでは。

 飲み物は、「紅茶10パックは少ない」とMさんが口には出されなかったがご不満だったのでは…。水分補給を考えればもう少しあってもよかったかな、と思う。それに砂糖ももう少し多くても。あと、たっぷり飲めるお茶(ウーロン茶とか番茶)を持って行けばよかったと思う。

 夏とは違って、生物(例えば肉やハムなど)を持っていけるというメリットがあるので、うまく利用してメニューを工夫すれば、栄養面でもいいのでは…。

                                  iku

 

横岳