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氏 名 | 伊木 まり子 | |
現 職 | 生駒市議会議員 (無党派) | |
経 歴 | 1956年 | 大和(やまと)病院(生駒総合病院の前身)で出生 |
1962年 | いこま保育園卒園 | |
1968年 | 生駒小学校卒業 | |
1971年 | 生駒中学校卒業 | |
1974年 | 奈良県立奈良高等学校 卒業 | |
1980年 | 奈良県立医科大学卒業 医師免許取得 | |
1981年 | 大阪医科大学皮膚科学教室入局(1993年まで) 助手、外来医長、皮膚科専門医 |
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1990年 | 皮膚汗腺腫瘍の免疫組織学的研究により医学博士の学位取得 | |
1993年 | 生駒総合病院皮膚科医長 大阪医科大学非常勤講師(2009年3月まで) |
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2004年 | 生駒総合病院医局長 | |
2005年 | 生駒総合病院閉院のため退職 奈良駅前クリニック非常勤医師(2009年3月まで) |
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2007年 | 生駒市議会議員当選 | |
2008年 | 生駒市議会新病院設置等に関する特別委員会 委員長 | |
2011年 | 生駒市議会議員当選(二期目) 市民福祉委員会 委員長 |
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2013年 | 予算審査特別委員会 副委員長 | |
2014年 2015年 2016年 2017年 2018年 2019年 2020年 2021年 2022年 |
市民福祉委員会 委員長 監査委員 生駒市議会議員当選(三期目) 奈良県後期高齢者医療広域連合議会議員 病院事業推進委員会委員(現在に至る) 厚生消防委員会 委員長 厚生消防委員会 委員長 厚生消防委員会 委員長 生駒市議会議員当選(四期目) 副議長 副議長 厚生消防委員会 委員長 厚生消防委員会 委員長(10月まで) 副議長(11月より) |
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資 格 | 医師、医学博士、皮膚科専門医(2020年3月末まで) | |
所属 医学会 | 日本皮膚科学会、日本皮膚免疫アレルギー学会 日本悪性腫瘍学会、 |
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家 族 | 夫、次女、孫の4人暮らし | |
趣 味 | 家庭菜園、園芸を少々 |
当時、伊木まり子は生駒総合病院の医局長でしたので、患者さんを無視して強行された閉院の過程をつぶさに見ることとなりました。不安をつのらせる患者さんたちの話を聞き、治療がとどこおることのないようにと、他の病院や診療所の先生宛の紹介状を書く毎日。その数400通近く。こんなことが2度とあってはならない、と強く思ったのでした。この体験が閉院後も「市民の病院をつくる会」の代表世話人として運動を続ける原動力となりました。「つくる会」は生駒総合病院の後継医療の確保を求める署名活動を2次にわたって行い、3万筆近い署名をいただきました。その結果、山下市長は新病院建設に向けて動き始めました。 しかし、議会が病院建設用地の購入に待ったを掛けました。なぜ? 平成19年1月、初めて市議会を傍聴した伊木まり子はそこでの議論にびっくり。これが市民の命を守る医療を議論する場?? 議会は3万筆の市民の思いを無視している。それは患者を無視したあまりに乱暴な閉院とまったく同じやり方です。市民の命と健康の問題を市長いじめの政争の具にしている。伊木まり子は市議会議員選挙への立候補を決意しました。 右も左もわからない選挙戦でしたが、多くの方に支えられ、なんとトップ当選! それから3期を勤めさせていただきました。その間、紆余曲折はありましたが、生駒市議会は市立病院を設置するための条例を制定し、医療法人徳洲会に指定管理者として運営を任せる公設民営の市立病院事業を進めてきました。そして、平成27年6月、生駒市立病院は開院しました。(市立病院開院に向けてのこれまでの道のりはまり子ニュース2013年1月号、2015年2月号をご覧ください。) しかし、病院ができれば、それでいいというわけではありません。市立病院と近隣の医療機関との緊密な連携があってこそ、市立病院を活かすことができます。介護とのシームレスな連携も必要です。市民の側も医療と介護のシステムをうまく利用できる賢い患者、賢い市民になる必要があります。一方で、児童虐待や高齢者への虐待といった悲しい出来事が報道されていますが、生駒も無縁ではありません。そこで、伊木まり子は、 こどももお年寄りもいじめや虐待でいのちを落とすことのないまち |