7月9日 超有名な世界遺産でも子供たちは純粋だった | 今日の一枚を見る |
昨夜は早めに寝たので予定通り7時にすっきり目覚める。いい朝だ。エアコン効いてるし(^^) ささっとパッキングして出発。とても静か・・・ 従業員を探しつつレセプションに移動するが、誰もいない。宿泊客もみんな寝ているのかな。 声を出して誰か呼んでみるがそれでも誰もあらわれない。最上階のテラスに行ってみるが、そこにもヒッピーが3人ほど寝ているだけで誰もいない。 予想外に時間が取られると、それほど急いでいなくてもなんとなく時間に追われてきているような気がしてきた。レセプションで何度が「はろー!」とか「へーい!」とか言ってみたがやっぱり誰も出てこないので、仕方なく個人の意思に反して、宿代を払わずに出る(おいおいこれこれ)。。。 宿を出ると大通りのほうからタクの運ちゃんが「はろうみすたー!」と手招きしているので行ってみる。今日の目的は世界遺産パルミラなのだが、情報ノートにあったバスターミナルへの行きかたがいまいちわからなかった。歩けない距離でも無いようだが、せっかくなのでタクシーに乗ってみることにした。朝からいきなり大汗かくのもちょっとね(^^; さてそのバスターミナルまでの値段交渉、最初の言い値は50SP、以後少しの会話で30SP、25SPと2分くらいで半額になる。もっと落ちそうだったがそこで折り合い、あっというまにバスターミナル。名前はガラージュ・ハナーノ。タクの運ちゃんにも普通にカタカナ発音で通じた。 情報ノートには8時発のバスが朝一とあったが、色々と世話を焼く男たちのお陰で7時30分にもバスがあるということを知り、そのバスに乗ることにする。とりあえずホムスというところまで行ってそこでバスを乗り換える作戦で、アレッポからホムスは100SP(どうも本当は80SPのようだ)。 写真(左)はホムスからパルミラへ向かう砂漠の一本道。勾配がほとんどなくずっと直線なのでかなり飛ばす。 周りは砂漠だけなのだが、案外電柱などもそこそこあったりすることが違和感といえば違和感。いくら砂漠の民だからってこの現代社会において電気を使わずに生活するのは難しいのだろう。 話は戻ってホムスのバスターミナル到着。 アレッポ−ホムス間は快適なエアコンのお陰ですぐに眠りに落ちてしまい、ホムスまで60kmという標識を見た後はまったく覚えていなかった。実際横のおっさんに起こされるまで、到着しても寝ていたくらいだから相当落ちていたんだろう。 ホムス着は10時、午前中にホムスを出発してパルミラへ向かうことができれば良いかなと考えていたが、一番早いバスでも昼の2時発しかないということだった。 困ったことに4時間も時間を潰さないといけないことになった。旅先で出会った何人かの日本人から、ホムスは居心地がよくて良い所ですよと聞いていたが、そのうちの数人はイスタンブルの沈没組みだったということもあり、あのような連中(6月23日の旅行記を参照してください)の居心地が良いという雰囲気ならホムスはパスだと言う結論に達していた。 時間がもったいないのでタクシーのチャーターを考えたが、他に旅人もみつからず1台を一人でチャーターすると、片道で1500SPもかかることがわかったので断念する。 朝飯を食べていないのでハンバーガーとコーラ計65SPを食べてターミナルにある建物内で涼みながら4時間どう潰そうかぼーっと考える。 パルミラ(タドモールと言うと現地では通じやすい)行きのバスチケットを一緒になって探してくれたシリア人の男から、自分はハッサケ(発音はハセキとイメージしながらハッサケと言う感じ)という町の出身で是非自分の家に来て欲しいとかなりしつこくお願いされた。非常に親切な男で、立派なヒゲがあるのでとても年下には見えないが、ぼくがコンピュータを扱えるということと日本製品の信頼性からくるそのような品物を作り出す国民を全体的なイメージとして捉えて尊敬の念を持っているらしく、家族に紹介したいとハンバーガーを食らいコーラを飲むぼくに訴えていた。 バスチケットの時間と値段の調査やタクシーとの交渉、その他全て面倒見てくれた彼だが、ちょっとそこまでは・・・ということでやんわり断る。ハッサケがどこにあるのかも知らないし、駆け足で中東を廻らなければトルコに残してある遺跡たちへ行けなくなる。 1時間ほどその親切な男と談笑(英語で!)。彼がハッサケへ出発するのを見送り、再びターミナルの建物へ逃げ込む。 すると今度はハンバーガーを買った店の息子がぼくに声をかけてきて色々世話を焼こうとしてきた。アラブの男たちは非常に親切で困っている人を見れば手を出さずにはいられないようだ。これもイスラムの教えなのだろう。 アラブ語はできるか?と聞いてくる人が多いので、これでアラブ語が少しでもできるととんでもないことになりそうな気がする。ともかくアラブだからって危険とは限らないし、この国は旅行しやすいほうではないだろうかと思う。物価も安いし。 ハンバーガー屋の息子も自分の仕事があるので、何かあったら声をかけてくれと言い残して仕事に戻る。ちなみに「ハンバーガー」では通じず、クロアチアの時と同じように「はんぶるぐ」と言わないと理解してもらえません。 ずっと立ってるのも疲れるので、喫茶店で紅茶を2杯(40SP)飲みつつ読みかけの「コンスタンティノープルの陥落」を読了。さっきの息子がバスの到着を知らせに来てくれたのでそのバスに乗り込む。 乗り込む順番待ちをしているときに、傍のシリア人家族に話しかけられた。いつものように中国人かとの質問からのスタートだが、日本人だと言うとすぐに顔が柔和になるのがよく見て取れる。これは今回の旅で何回も経験したことだが、事実であり、現実でもある。 話の内容は日本の高い技術と人間性について、奥さんは旦那さんの傍にいてニコニコしていたが、娘さんは決して男たちの中には入ってこなかった。 2時間ほどでパルミラに到着。まったく観光地っぽくない道のど真ん中で下ろされる。 情報ノートでいくつか被害報告を読んでいたが、自分もどうやらその候補者になったようだ。ホテルらしき建物があるが、それ以外の人工物はバスの走り去った方向に遠く見える数軒の建物のみ。 歩こうかなと思ったが、この暑さでは消耗の度合いが計り知れない。悩むまもなくホテルらしき建物から一人出てきて、パルミラの一番のホテルだから冷たいドリンクだけでもどうぞと言ってきた。 ぼくは決めていた安宿があるのでその名前を出すと、その客引きはすぐに引き下がった。なんともあっさりした客引きだったが、それで逆に困ったのはぼくだ(^^; 車があまり通らないので歩いて行くしかないかと街の方向を見ると小さなバスが走ってきて、そしてぼくの前で停車した。 ふーん、そういうことねとシンプルかつ効果的なシステムに少々尊敬の念を抱きつつそのおんぼろバスに乗り込み、宿の名前を告げる。ドライバーは違う宿を勧めたいようだが、ぼくは自分の決めている宿をそのつど答える。案外素直に従ってくれるのがまた良い感じ。 この小型バスを一人でチャーターするというツアーの誘いを蹴り、目的の宿の前まで25SP。部屋を見せてもらってそのまま決める。シングル1泊200SP、エアコンの部屋は無い様で、ドミにはもう何日もいるというイングランド人がいた。 |
宿でウェルカムティを頂きながら、カタコトの日本語をしゃべるオヤジのトゥクトゥクで観光ツアーに出ることを決める。宿のオーナーはスマートな対応で上手にそのツアーがお勧めだとぼくを乗せてくれた。ちょっとやられた感はあるが、ツアーの内容も十分良かったし多少のわがままも聞いてくれた。 で写真(上)がそのツアーで回った世界遺産パルミラの4枚。メインの遺跡群はガイドのオヤジと分かれて行動していた。ラクダに乗れやら土産を買えやらの小商売をけしかけてくる不埒者をさばくのが面倒だったが、彼らも質問をすれば何かと答えてくれるので利用しつつ広い遺跡を歩く。 ツアーは夕方の4時半発。ちょっと急ぎ目に動いて、エラベール家の塔墓と三兄弟の地下墓室(チケット込み)、オアシス集落見学、メインの遺跡群1時間、アラブ城から眺めるサンセット、ベドウィンテント3つを回って簡単な食事を頂く、以上で20US$。高いのか安いのかはよくわからないが、20US$あれば今の宿に5泊できるという事実は動かせない。 土産売りにしつこくつきまとわれ、アラブ人がよくしている頭の巻物を100SPで購入。日が暮れる前ということと、ぼくが最初の言い値の半分以下を提示してこの値段に落ち着いた。他にラクダの骨で作った首飾りを3US$で買ってしまい、こちらは失敗だったが、頭巻きは外国人が買える値段としてはかなり良い値で買ったのではないだろうかと自分を慰める。 ところでどうしてメインの遺跡歩きが一人だったかというと・・・・・・それはぼくがツアーにベドウィンテント訪問を追加したことで、前もって訪問可能な集団を探して根回ししておく必要があった(とオヤジが言う)ので、好きに歩ける1時間だけを利用してぼくは遺跡を、オヤジはその根回しへということになった、ということです。 日が暮れ始めると一斉に遺跡周辺にいた土産売りやらラクダ乗せ屋らが帰りだす。 ぼくもその流れで遺跡観光を終え、既に待っていたオヤジのトゥクトゥクでアラブ城へ向かう。オヤジは固有名詞「あらぶじょう」だけやけに上手な日本語で、あとはほんとにカタコト。現地の有名なガイドとして昔の「歩き方」に載ったようだが、ぼくはその本を持っていない。 写真(右)の夕日を高台にあるアラブ城跡から眺める。 風が強く、巻き上げられた砂が体に打ち付けられてきてチクチク痛いが、アラブ城に集まったほかの観光客と一緒にしばし眺める。 そして陽が落ちると一瞬で暗くなる。ぼくらはそのままベドウィンテントへ。 一つ目と二つ目のテントは男が一人二人いるだけで、ガイドのオヤジと談笑していただけ(どうも家族で動いているベドウィンを探して情報を聞いていたらしい)だが、三つめのテントは家族でテントの中に招き入れてくれた。 チャイをご馳走になりいくつかの質問に答える。たまに観光客を接待してリベートを得ている家族のようであったが、家長である父は威厳たっぷりで非常に頼もしくみえた。あまりに印象的だったのはズバリ「ちん のーぐう じゃぱん ぐう」というストレートな意思表示をしたこと。特別ぼくにはからいがあったようには見えなかったが、どうしてあの国の人はここまで嫌われるのだろうか? 家族は両親と子供8人の計10人の大所帯。まあそれは今の日本の感覚でベドウィンではそれほど珍しくないそうだ。 それとガイドのオヤジが言うには、ベドウィンはベドウィンとしか結婚しないんだそうだが、アレッポで知り合ったフランス人はベドウィンと他民族の混血は「ビューティフゥ」だと言っていたのを思い出してガイドに聞き返そうと思ったが、混血をどう伝えればいいのか迷い、やぼな話になりそうなのでいつもどおり答えの無い自己完結でやめた。 ツアーを終えて宿に戻り休憩してから、今度は写真(左)の街の散策に出る。昼間は暑いので暗くなってから家族で散歩するのが街周辺に住む砂漠の民の日課だそうだ。確かにあの暑さでは疲れるだけ。よくわかる話だ。 写真は現在のパルミラの大通り。結構暗いが危険は感じない。人がそこそこ歩いているし子供が大勢で遊んでいるので心配ないと思う。 途中若い兵士のグループと談笑する。なんでも今日の深夜から丸5日間かけてホムスまで完全武装で行軍するんだそうだ。徴兵制で2.5年の兵役があり、とても辛くて厳しいと言っていたが、ぼくの言う「でぃふぇんすあーみー」は理解できたであろうか。屁理屈でがんじがらめの自衛隊は世界では理解されうる存在なのだろうか(最近この系統の脱線が多いなあ)。 近くのバーでビールを2本(150SP)買って宿に戻ると、オーナーに子供たちの写真を撮ってあげて欲しいとお願いされた。 もちろん大オッケーなので、オーナーが近くで遊んでいる子供たちを呼び集めるのを眺める。宿の向かいに住む家族の子供たち、さらに近くに住むその親戚、友達などがあっという間に集まる。 写真を撮り(今日の一枚参照)近くの写真屋に持ち込んでプリントしてもらう。が店のおっさんがどう勘違いしたのかメモリに入っている写真をCDに焼き始めた。(今日の一枚の日付がずれているのは記憶のズレです。ごめんなさい) ぼくがプリントだとつたない英語でつっこんだが、かなり高飛車なおっさんで一向に人の話しを聞こうとしない。嬉しそうにぼくについてきた子供たちもそのおっさんの一喝で店外に追い出されていた。 CDが焼きあがるのを待って1枚を指定してプリントしてくれとオーナーと一緒になってお願いしたが、おっさんは今日は遅いから明日来いと商売人にあるまじきセリフを吐き、業務をストップさせた。ぼくとオーナーが何度言っても「くろーず」「とぅもろう」と応えるので人数分明日プリントするように約束させて店を出た。 宿のオーナーも、おっさんがCDに焼きだしたときは何をしているのだろうと思ったそうだ(笑) 総額150SPもかかった(オーナーの感覚で)ので非常に申し訳なさそうししていたが、それは宿に戻ってきたぼくを迎えてくれた子供たちの笑顔で報われた。 子供たちはもとよりそのご家族までぼくの前に来て、挨拶と握手をして「日本のことを知っています。京都、広島・・・」とか言ってくれたりします。こっちは逆に感動して胸いっぱい(*^^*) 結局ビールはぬるくなっていたが、興奮して4時頃まで寝れなかった・・・とても良い日だった。 |
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