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秀雄作歌集


「岡崎秀雄」作と判明している和歌約120首を作歌年が不明なので順不同で紹介していきま
す。このHPの都合上変体仮名・旧字体は現代表記にします。繰り返し記号も同じ文字を続け
て代用します。読みと解説は私の独断です。これらを公表するのはここが初めての場で、誤り
があれば順次訂正していきます。


短冊1、表題「新桜」。いろいろににほひいつるやみしはなの かたみをたしぬ若葉なるらむ
解説。色々に匂いたつような桜の花を見ている。若葉と花とが互いの美しさを増しているよう
だ。かたみを「方身に」互いにと解釈。

短冊2、「初春風」。梅かかせとめましものをわか袖に ふくほともなき春のはつかせ
解。梅に風が吹いている。私の袖で風を止められればいいのだが。吹く程もないような春の初
風なのに。

短冊3、「窓蛍」。よもすから学の窓のくれたけの 露とあらそいとふ蛍かな
解。これは学びの窓とあるから、学塾でのことを思い出しての歌である。一晩中飛んでいる蛍
という描写は写生歌ではない。雄の蛍は一晩の命。呉竹の露は夜更けを連想させる。

短冊4、「すすみにゆきて」。かも河や柳かけとふかはほりの あふきも露とおくゆふへかな
解。祇園に住まいしていたときの歌。納涼に鴨川へ行き、柳の陰を飛ぶ蝙蝠。扇に露を置くよ
うな夜だ。「かわほりのあふき」とは扇子のことでもある。露を置くは露がおりること。

短冊5、「五月はかり山さとにて」。こよみなきかた山里はほとときす よへはこたふるうくいす
のこえ
解。五月なのに、このひなびた山里は夏のホトトギスが呼べば春のウグイスが答える。今も変
わらぬのどかな自然が浮かぶ。

短冊6、「雨中聞鹿」。むらさめをさそうあらしにたくひつつ しをるるしかのこえそきこゆる
解。にわか雨を呼ぶ嵐の中で、濡れているだろう鹿の声が聞こえる。「しおる」は濡れるの意
味。「たくひ」を類(たぐい)としても意味不明。「たくし」なら嵐に託し、で意味が強くなるが。

短冊7、「往時如夢」。夢の世といまはしるかなはかなさの かすをはあまたみもききもして
解。「おうじゆめのごとし」。過去のこと、過ぎし事は夢の中のようなことだった。はかなさという
ことを数多く見たり聞いたりしてきた今になって、これは夢の世だったとわかった。病弱だった
という作者の姿が浮かぶ。

短冊8、「無題」。みや人のみやまにとうたをりしもあれ ふるやあられの玉しきの庭
解。宮人が深い山を訪れたちょうどその時、折も折、あられが美しい庭に玉を敷き詰めたよう
になった。古今和歌集「みやまには霰降るらし」・続千載和歌集「雲の上の有明の月も影さえて
ふるや霰の玉敷の庭」。古歌からの引用でできたような歌。庭に降った霰それだけの内容。

短冊9、「山飾花」。なつ山のしけみかなかにつむ雪ハ をりたかへさくさくらなりけり
解。山の飾り花。夏山の緑の茂みの中で降り積もった雪のように見えるのは、高いところで咲
いている桜なのだ。「をりたかべ」を折り高辺と解釈したが別解を思案中。

短冊10、「山飾花」。(短冊9、と同じ歌。但し変体仮名での表記では異なっているところもあ
る)。

短冊11、「人の六十一の賀の松によそえて」。ことしふの松もろともにことしより ちとせ経ぬへ
き君そ此君
解。還暦の祝いの松になぞらえて。今年生えた松といっしょに今年から千年も時を過ごすのは
貴方なのですよ。「ことしふ」は今年生。生を「ふ」と読む。「今年生い」は松や竹の今年生え出
たもの。この歌は京都府城陽市中島家所蔵の「中嶋白梼の還暦によせて送った歌」の短冊集
の中に同じものがある。

短冊12、「夕卯花」。雪よりもさやかににほふうのはなに かはたれときの名もうもれけり
解。雪よりもはっきりと鮮やかな卯の花は、かわたれ時という言葉さえ忘れさせる。かわたれ
時はたそがれ時のこと。卯の花はウツギの花。ここではシロバナウツギと思われる。

短冊13、「豊臣秀吉公」。いやたかく桐の大木のおひゆかは こまもろこしも陰とならまし
解。ますます桐の大木が大きくなれば高句麗も中国もその陰になるだろう。突然の豊臣秀吉を
褒め称える歌の出現に驚くが、時代背景としての尊王攘夷運動の共鳴者としての立場を反映
したものである。桐は豊臣の家紋。

短冊14、「豊臣秀吉公」。(短冊13、と同じ歌)。

短冊15、「豊太閤」。(短冊13、と同じ歌)。

短冊16、「思往時」。きのふまてなしてしことをかそふれは おろかなりけるかすのみにして」
解。過去を思い出して。昨日まで何をしてきたかを数え上げてみれば、数だけが多く中身のな
いことをしていて何とも愚かだった。ここでは反省だけでまだ救いの姿は見えていない。 

秀雄作歌集2
秀雄作歌集2
秀雄作歌集3
秀雄作歌集3

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