![]()
短冊29、「ひはり」。鶯ははなにうかるるこのころも おもいあかりてなくひはりかな
解。雲雀(ひばり)がさえずるのは春。鶯よりすこし遅い。「思いあがる」はここでは「心に誇りを
持つ。自負する」。という解釈。
短冊30、「夕卯花」。雪よりもさやかににほふうのはなに かはたれときの名もうもれけり
解。(短冊12、と同じ歌)。「名もうもれけり」は別解釈があるかもしれない。
短冊31、「秋のたちける夜に」。月にみるきりの一葉の影みえて めにさえしるて秋はきにけり
解。「秋が来た夜に。」月を見て、桐の葉の様子を見れば、目にも見えるように、もう秋になった
のだ。「めにさえしるて」は「目にさえ知るで」と解釈。
短冊32、「寄山述懐」。ひさかたの雲いにみゆるふしのねの たかきを人のこころともかな
解。「ひさかたの」は雲にかかる枕詞。高く雲のあるところにみえる富士の嶺の、その高さが人
の心であるといいのだなぁ。「もかな」を「もがな」・願望の対象であるあることを表す助詞と解 釈。
短冊33、「寄山述懐」。(短冊32、と同じ歌)富士山を読に込んでいるが旅の記録がないので
おそらくは歌の中だけのことと思われる。
短冊34、「月」。よひよひに雪ともにほふ月かけに ねぬよのかすもつもりぬるかな
解。「よひよひ」は「宵宵」で毎晩。毎晩、雪が積もったように明るい月の姿を見ているので、寝
ない夜の数も増えてしまった。(懐紙に書かれた同じ歌あり)。
短冊35、「旁菊弦月」。しらきくの咲とはしらてさす月の かけのかをるとおもひけるかな
解。菊のそばの弓張月。白菊が咲いているのを知らないで、弓張月の光が射しているのかと
思った。細管の白菊の花びらと上弦(または下弦)の月とを対比しているがやや技巧に過ぎ る。
短冊36、「楮のうまいした□るに」。かるもかきほすをしみれハきかみつつ □そろしかりしえ
のとしもなし
解。「楮(こうぞ・紙の原料)納米した時に」。軽も掻き、干すを惜しんで生紙(きがみ・生漉紙)を
筒にして・・・実は全く意味不明で解釈できていない。
短冊37、「東山麓のいほりにて」。すむ人のこころに花はあらねとも よへのとなりハさくらなり
けり
解。京・東山清水のあたりでの住まい。住んでいる人の心に花はないのだが、昨夜の隣は桜
が咲いていた。「よへ」を「よべ・昨夜」と解釈したが疑問が残る。
短冊38、「大塔宮」。雲になくましらの声のそれならて はらわたをたつつちの底かな
解。「大塔宮・護良(もりよし)親王」後醍醐天皇の皇子。尊王の象徴。雲に鳴く猿の声はそれら
しく断腸の、土の底からの声だ。幕末の京都の情景がわかる。
短冊39、「大塔宮」。(短冊38、と同じ歌)
短冊40、「春風春水一時来」。かはとに今春風のわたるらし 水のけふりのかすみそめける
解。春の風と春の水が同時に来た。川門(かわと・川が狭くなっているところでそこを渡る)を春
風が今渡っているようだ。水煙もかすみ始めてもう春だ。「かわと」を「川音」と解釈すると情景 がすこし変わる。
短冊41、「里月暮春」。なかなかになかしとおもひおこたりて せはしく春にわかれぬるかな
解。長いものだと思い、することもしないで居るうちに春も終わってしまった。「里月暮春」という
表題がなければ人生についての詠嘆ともとれそうだが、ここでは四季の春のこと。
短冊42、「奥前君の玉の子は給ひしをことほきて」。ゆくすえの千世のくもさへあらわれて う
つくしきかな松のみとりこ
解。玉の子の誕生祝いの歌。千年先までもめでたい雲が現れて祝福し、松の緑のようにうつく
しい子供だ。「千世の雲さえ現れて」と解釈したが「雲」ではないかもしれない。
短冊43、「やよひはかり錦織のさとにて」。うちなひくやなきさくらをたてぬきに にしこりの名の
しくも有かな
解。弥生のころ錦織の里で。この里は、風になびいている柳や桜を縦横の糸にして編んだ錦
のようで、ほんとに錦郡の名に匹敵する。「たてぬき」は「経緯・経糸(たていと)と緯糸(ぬきい と)」。「しく」は「如く」。「にしこり」は錦郡(にしきこおり)と推測、該当地不明。
短冊44、「春駒」。ひはりけのこまのいななく声ならて かすみのうへにうちなひきたる
解。春に生まれた子馬。雲雀毛の馬のいななく声ではなくて、かすみの空の上に鳴いている。
「ひはりけ」を「雲雀毛・馬の毛色の名」と解釈。鳴いているのは雲雀であると解釈。
短冊45、「夜聞落葉」。すみわたる月に木葉の散ならし おとのさやかにきこえきにけり
解。空が一面に澄んでいる月夜には風が木の葉を散らしその音がはっきりと聞こえる。静かな
ときにさて何の音かと思ったら落ち葉の音だった。
![]() |