王女の理由
−Princess of Destiny−
三章 1 黒衣衆が厳戒態勢を敷いていたトラムを、何とかウェリアとラウシェは抜け出した。 裏路地を抜けて、山林の方から街を出たのだ。その抜け道を知らなければ、ウェリアは命を落としていただろうし、ラウシェは捕らえられていたかもしれない。 ウェリアは、ラウシェを引っ張りながら夜の山を駆け登った。 勾配は緩くなく、道もない。木々が生い茂っているのは、トラムから人目を避けさせるので丁度いいのだが、進みにくいことにも拍車を掛けている。ウェリアは、苦労して木々の枝を打ち払いながら進んでいた。 ウェリアは、自分の身体が思うように動かなくなっていることに気がついていた。疲労が思った以上に溜まっているようだ。 「そろそろ、撒いたか……」 ウェリアは、後方を振り返りながら、そう呟いた。 後方に見えるのは、山林の喬木である。トラムの街は既に見えなくなっていた。それでも、ウェリアはいつ闇夜の中から黒衣衆が出てくるか不安で仕方がなかった。それでなくても、奴らは黒衣をまとっているのだ。闇にとけ込むのはお手の物だろう。 もう少し行くか、と決断しウェリアが再び進もうと脚を上げた時、身体がよろめいた。 「あ、あれ……?」 身体の重心が歪んでいるような感じだった。ふらふらと右方向に身体が傾き、気づいた時、手近な喬木に身体をよりかけていた。その木がなかったら、ウェリアはその場に倒れ込んでいただろう。 「大丈夫? 少し休んだら」 ラウシェが少し心配そうに声をかけてきた。 「……大丈夫だ」 ウェリアはそう言い切るものの、身体に力が入らないことを自覚していた。 これは倒れるな。冷静な意識がそう告げる。 勿論、追われている身で倒れるわけにはいかない。ウェリアは強引に身体を喬木から引きはがした。 その瞬間、ウェリアの視界が暗転した。 「えっ……?」 「ほら、言わんこっちゃない」 そんなラウシェの呆れた声を聴覚は捉えたが、反論する前にウェリアの意識は深淵の闇へと落ちていった。 「この三日間まともに寝てないんだから、こうなることはわかってたでしょうに」 ラウシェは、自分にもたれかかって気を失っているウェリアにそう声をかける。 「世話が焼けるんだから」 まったく、とラウシェは呟きながら、その場に腰を下ろし、器用にウェリアの頭を膝の上に置いた。 葉が落ちてきて、ウェリアの髪にのった。ラウシェの両腕は後ろで括られたままだから、それを払ってやることは出来ない。軽く息をふいて、ラウシェは葉を払ってやった。 「なんで、こんな馬鹿なのかしら」 はあ、とラウシェは溜息をつく。 「それは、やっぱり彼も必死だからじゃないのかな」 後方から安穏な声がした。ラウシェは、それに視線をやらずに答える。 「限度があるわよ。身体の限界越えたら、一緒でしょうに」 「まあ、その辺りが彼の限界だと言うことで」 その言葉の後、土を踏む音が聞こえ、男性が姿を現した。 リックである。彼は、それにしても、と呟きながら微笑する。 「もう少し驚いてくれると、登場のし甲斐もあるんだけど」 「何であたしが驚くのよ?」 ラウシェが、リックに視線を向けた。 「気づいてたってことか。いつから?」 「あなたと別れてすぐよ。あなた、ウェリアに紹介された宿に行った後、探査魔法使ったでしょ。偽情報を飛ばしてやろうかとも思ったけど、やめといたわ。で、すぐにそれをたどって着いてきてたわよね。隠し宿から出てきたときには、もういたから」 「最初からってことか。探査魔法もそれなりのものを飛ばしたし、気配も完璧に消したつもりだったんだけど。でもひどいなあ。気がついていたなら、言ってくれてもいいんじゃないかな」 リックは苦笑しながら頭をかいた。 「でも、どうして抵抗しなかったんだい?」 「ちょっと気になることがあったからね」 「私にかい?」 そう、とラウシェが頷く。 「つけてきてるんだから、いずれ姿を見せるだろうと思ったから」 「すると私は、誘い出されたわけか。ますますひどいなあ」 リックが嘆息するが、表情は穏やかなままである。 「こんなに早く出てくるのは、予想外だったけどね。出てくるのは最終局面だと思ってたから」 「最終局面?」 「とぼけるんじゃないわよ。あなた、あたしを知ってるんでしょ」 ラウシェは、冷たい目でリックを見やった。 かなわないな、とリックが苦笑する。 「知っているといっても、名前だけだけどね」 「名前を知ってたら、あたしが何者なのかわかってるでしょ」 「そこの彼は知らなかったみたいだけど」 「ウェリアはまだ知らなくていいのよ」 ラウシェは再びウェリアに視線を落とした。 ウェリアはラウシェの膝の上で、ぐっすり眠っている。 「知ってたら、こんなに一緒にはいなかった」 ラウシェはそう呟いた。続けて、こんな希望も抱かなかった。そう口内で語る。 「〈剣の王女〉を知らないのは、傭兵として、どうかと思うけどねえ」 「〈剣の王女〉が何なのかは知っていると思う。それがあたしと繋がらないだけ」 だいたいにおいて、人は自分の目の高さでものを見るものである。実力においても、知識においてもそれは同じことだ。 「確かに、ことは彼の実力を超えてはいるけれど」 リックは顎に手を当てて、ウェリアを覗き込んだ。 「しかしまあ、よくここまで無事だったねえ。北狼と黒衣衆に狙われて、まだ生きてるんだから。結構やると言うべきかな。当代の〈剣の王女〉の〈天命の相方〉は、見込みありかな」 「何言ってるの。ウェリアは、〈天命の相方〉じゃないわ」 ラウシェは、そう言葉を吐き捨てた。 「違うのかい?」 リックが意外そうに眉を上げた。少し驚いているようだ。 「違うわよ。ウェリアが今まで無事だったのは、単にあたしがいたからよ」 「ああ、なるほどね」 リックが得心がいったように、二度三度頷いた。 そんなリックの様子を、ラウシェは冷めた目で見つめる。 「そろそろ、あたしから質問して良いかしら?」 「どうぞ」 「あなたは一体何者?」 「単刀直入だねえ」 リックが微苦笑した。 「まどろっこしいのは嫌いなの」 ラウシェはぴしゃりと言い放つ。 厳しいねえ、と再び微苦笑してからリックが答えた。 「鋭い君のことだ。薄々気づいているんじゃないのかい?」 だいたいはね、とラウシェは答えてから、冷めた目を更に冷たくしてリックを見た。 「でも確信までは持てないわ。あたしに関わってくる実力者どもは多いんだから」 「伝説の力を持つというのも大変なんだな」 「で、あなたは誰なの?」 「話をそらさせてはくれないねえ」 リックが肩を竦めるが、ラウシェは相手にしない。リックを睨み付けたまま、彼の言葉を待つ。 「ここで種明かしをしない方が、私の気分的にはいい。まあ君の予想通りだと思うけど。どちらにしろ、君の言う通り最終局面には現れると思うから、その時まで私の正体は我慢するんだね。そうそう、私は今のところ君たちの敵じゃない」 ラウシェは、返答せずにリックを睨め付けたままである。 リックはその貌に微笑を返すと、突然その姿を消した。 「今のところは、か」 ラウシェは声に出さず呟く。目はまだ転移する前のリックがいた場所を見据えていた。 やがて、その表情が不敵な笑みに変わる。 「あたしがやろうとしていることを知ったら、あいつはどう出るかしらね」 結構、楽しみではある。ラウシェはそう思った。 ウェリアが目覚めたとき、最初に視界に入ったのは赤い色だった。 瞬きを何度かして、それがラウシェの見事な赤毛だと気がついて、赤いなあ、とウェリアはそのままの感想を抱いた。 ややあって、自分を見下ろすラウシェの顔が目に入る。ウェリアは、何故自分は見下ろされているのだろうという疑問がわき上がった。それと同時に、背中の感覚が地面を捉え、自分が寝かされていることがわかる。 その瞬間意識がはっきりとして、今の状況を認識した。ウェリアは今、ラウシェの膝枕で横になっているのだ。 「あら。もう起きたの?」 目覚めたウェリアに気づいたラウシェが、声をかけてくる。 ウェリアは慌てて上体を起こした。不覚にも気を失ってしまったことを思い出す。日が昇っている事実に、自分がどれだけ気を失っていたかを思い知らされた。 「こ、ここはどこだ?」 「ウェリアが倒れた場所」 「敵は? 黒衣衆は?」 「来てないわよ」 その返答で、少しウェリアは安堵した。一つ息を吐いて、立ち上がろうとする。しかし、まだほとんど身体がいうことをきかず、よろけて尻餅をついた。 「まだ、休んだら?」 「そんな暇あるか」 言い捨ててウェリアは立ち上がった。今度は少し慎重に立ち上がったから、よろけずに済んだ。 「仕方がないわね」 溜息とともに、ラウシェも立ち上がった。 それで、とウェリアの方を見て尋ねる。 「次はどこに行くの?」 そうだな、とウェリアは顎に手を当てて、しばし考えた。 「ウェーレかクライトあたりが妥当か」 ウェーレもクライトも、トラム同様ウェリアの活動範囲内の街である。 「ウェーレは西、クライトは北西。で、どっちに行く?」 どっちと言われても迷うところだった。 距離的には似たようなものだ。ここから、一日半といったところか。 問題は、どちらがより安全かということだ。 「……クライトかな」 たっぷりと迷ってから、ウェリアは返答を口にした。考えれば考えるほどどちらも安全ではない気がするのだ。どちらに行っても、黒衣衆や北狼傭兵団がいるような気がする。 結局、何らかの理由でウェリアはクライトを選んだわけではない。とにかく行き場所を決めねばならないという迫られた気持ちで口を開き、無意識に出た答えがクライトであったにすぎなかった。 「じゃ、北西ね」 ラウシェが気楽な調子でウェリアに声をかける。 「あ、ああ……」 ウェリアはまだ迷っていたが、それでも頷いた。 2 扉が開いて、ルーウェが部屋の中に入ってきた。 紅姫衆本部には二人の人間がいた。イリアとフィリスである。 「わかったか?」 イリアは、ルーウェが席に座る前に声をかけた。 はい、と頷きながら、ルーウェが自分の席に座る。 「ウェリア・ハッキ、二十七才。出身はライマ王国。ライマとマルカの国境地帯を主な活動域とする、傭兵ギルドの準会員ですね」 「傭兵ギルド? そいつは傭兵なのか?」 「ええ。といっても、一流どころではありませんが。実力の程は、実際に剣を交えたハス様の方がわかっておいでだと思います」 「だから、驚いている」 イリアは苦笑した。 イリアは、一度ウェリアと戦っている。その時の感触でいえば、街にいるごろつき程度の腕前に過ぎない。実際、イリアはウェリアだけではなく、他の何人かを同時に相手にしながら、なおかつ全員をうち負かしたのだ。 「でも、よく傭兵ギルドが情報を明かしたわね。あそこは口が堅いので有名なところなのに」 フィリスがルーウェに話しかけた。 「紅姫衆は有力なスポンサーですから」 事も無げにルーウェが答えた。圧力をかけて、無理矢理情報を引き出したのだろう。事は急を要する。そのためにルーウェは、一番手っ取り早く有効な方法を使ったのである。 「それで、ウェリア・ハッキの為人はどうだ?」 イリアが問う。 「活動域の噂を総合するに、とるに足らない、といったところでしょうかね」 「と言うと?」 「残虐・卑劣等の行為を犯した事例はありませんね。かといって、民衆のために尽くしたということもないようです。フリーの傭兵としては実力が低い部類に入りますので、まっとうな傭兵仕事にはなかなかありつけないようです。それで、時々犯罪まがいの依頼をこなして生活しているようですね。今回の件も、そういった経緯で黒衣衆の依頼を受けたものと思われます。つまり、自分の意志で犯罪行為を犯すほどの悪性ではないと判断しますが」 なるほどな、とイリアは息を吐きながら答え、腕を机の上で組んだ。 「だけど、そのような人でも、〈剣〉の力を持ったら変わる可能性はあるわ」 フィリスが口を挟む。 「実際、そうなった事例には事欠かない」 「確かにな」 そう答えるイリアの声に、少し苦みが混ざる。 質実な人でも急にものすごい大金を得たら変わってしまうように、野心の少ない人が急に想像を絶する力を手に入れたとき、そのほとんどが暴走してしまう。そして、歴史にはそういう例が数多く刻み込まれていた。 「依頼とはいえ、誘拐を実行してしまう程度の器だ。暴走する可能性の方が高いと言わざるを得ないな」 「そうですね」 「では――?」 フィリスが視線で結論を問う。 イリアは無言で頷いた。 それで、ウェリアに対する処置は決まった。 「誰を向かわせましょう?」 フィリスが尋ねた。 「行ってくれるか?」 イリアが、ルーウェに視線を向ける。 「ご命令とあれば」 「頼む」 「わかりました。居場所が分かり次第、片づけましょう」 ルーウェが頷き、淡々と答えた。 「その時、ラウシェ様はどう出るでしょうか?」 フィリスが、少し心配そうに尋ねる。 「ラウシェ様を敵に回すのは勘弁願いたいですね」 ルーウェが肩をすくめた。 「そこが問題だ」 イリアは大きく溜息をついた。 ラウシェは実力ある魔術師だ。紅姫衆の各人とそれぞれ比べてみても全くひけはとらない。彼女に勝ちうる人材は、紅姫衆内でも限られていた。 そもそも、紅姫衆はラウシェの親衛隊である。忠誠を誓った守るべき対象であるラウシェを、例え世界のためとはいえ敵に回したくないと言うのが、紅姫衆各員の正直な思いだった。 「傍観してもらえるならいいのだが……」 イリアはそう呟くが、自分でもその可能性はないと思っていた。イリアは、思ったことは曲げないラウシェの性格をよく知っていた。今回の件は、ラウシェ本人の意志が強く働いているのだ。 「もし、〈剣〉を抜かれでもしたら、もう勝ち目はないですしね」 〈剣の王女〉たるラウシェの有する〈剣〉の力は、まさしく伝説級の力を持っている。魔皇剣とも呼ばれる所以だった。 魔皇剣が歴史に最初に名を示したのは、神代の終わりである。神代を終わらせ、人の世を開いたのが魔皇剣だった。神々の戦争による世界の荒廃を憂えた青年ファウルスが、その身命を全て注いで作り出したのが魔皇剣である。 その素材は『深淵の魔』の欠片である。世界の最底にあるという『深淵の魔』は、ありとあらゆる魔力の素で、神々ですらそこから生まれ出たと言われている。 どうやってファウルスが世界の最底へ行き、どのような手段で『深淵の魔』の欠片を手に入れたかはわかっていない。しかし、彼が五十年間行方をくらまし、更に五十年の後に大剣を持って世に現れたのは、歴史によって証明されている。 ファウルスの剣は、すさまじい力を持っていた。神々の眷属や、その下僕などは言うに及ばず、強大な力を持つ魔神や戦神ですら、簡単に屠った。そして、その力でもって神々を『世界の果て』へと放逐したのである。 まったく、とイリアは大きく息を吐く。 「ラウシェ様は、ご自分の運命を理解なさっておられるのだろうか」 強力すぎる力を持つ魔皇剣を世に現す〈剣の王女〉の運命は、決して軽々しいものではないはずなのだ。 「ご理解はなさっているとは思いますが……」 フィリスが答える。だが確信は持っていない口調だった。 「ご理解なさっているのならば、この行動は何だ? ただ結婚が嫌なだけならば、何も問題はない。だがウェリア・ハッキとかいう男に魔皇剣を与える気であられるのならば、ことは最悪な方向に向かう」 魔皇剣は〈剣の王女〉がその所有主と認めた者のみが扱える。ラウシェは、ウェリアをそれと認めたのだろうか。イリアは、苦々しくその可能性に言及した。 「私はそうならないために派遣されるのですから、ラウシェ様のご心中は、その時にわかるとは思いますね」 ルーウェが、相変わらずの淡泊な口調で答えた。 「それもそうだな」 イリアは、苦悩の表情を見せながら大きく息を吐く。 「どちらにしろ、ラウシェ様の居場所を見つけてからですね」 「そうだな」 「では、私はこれで」 ルーウェが一礼して、本部から出ていった。 3 馬は、山間の小道を北西に向かって進む。 馬上のウェリアは、周囲を警戒しながら馬を進めていた。それは、鳥の飛び立つ羽音や、風に揺れてざわめく葉音にまで神経をやるようなものだった。 そのいきすぎた警戒ぶりに、ウェリアの前に乗っているラウシェが呆れた声を出す。 「そんなに偏執的に警戒しなくてもいいのに」 「うるさい」 勿論、ウェリアもそんなことは重々承知している。だが意志ではどうにもならないほど、神経が過敏になっているのだ。今までの疲労もそれに拍車をかけていた。先ほど気を失った時の睡眠で、多少なりとも肉体の疲労はとれたけれども、焼け石に水といったところである。精神疲労の方はもっと悪く、既に限界値近くまで来ていた。あと幾らもしないうちに、ストレスが危険領域を突破するのが自分でもわかっていた。 何十度目かの、草を踏む音がする。 またもウェリアは、振り返る。 視界の隅に、人影が映る。 「……うっ……!」 それを認めた瞬間、ウェリアは馬腹を蹴り、馬を走らせた。 「ちょ、ちょっと、いきなり、どこ行くつもりなのよ?」 突然の前方への推進力で、ウェリアにもたれる形になりながらラウシェが声を上げた。 「う、うるさい!」 「あれは、猟師よ。よく見なさいよ」 ラウシェが、そう声を上げる。 確かに、視界に映った人影は弓矢は持っていたけれども、鎧装などはしていなかったし、馬を牽いていたわけでもなかった。恐らくは、ラウシェの言うとおり、この辺りを縄張りにしている猟師なのだろう。 しかし、そうはわかっても、ウェリアの恐怖心は全く収まらなかった。あれが、変装した追っ手でないと誰が言えるんだ。ウェリアはそう考えた。黒衣衆は、最初弓矢で襲ってきたではないか、と。 そう考えてしまった以上、ウェリアは、ちらっと見えた猟師から逃走することだけで頭が一杯になった。闇雲に馬を走らせ、小道から外れていった。 ウェリアが馬を常足に変えて一息ついたのは、山中の林道だった。自覚はなかったが、小道から山中に突っ込んだようだ。 ウェリアは大きく息を吐いて、後方を振り返る。 視界には木々しか映らない。人影は見えなかった。 「撒いたか……?」 「撒いたも何も、あれは追っ手じゃないわよ」 ラウシェが冷ややかな口調で指摘する。 「うるさい」 「だいたいウェリア、今日、ちょっと臆病すぎるわよ」 「黙れ」 「それだけ神経が過敏なのは、疲れきってる証拠なのよ。今日はもう休みなさいよ」 「追っ手が来る」 「大丈夫だって。そんなにすぐこないわよ。向こうだって、視覚探索しか出来ないんだから、滅多なことじゃ見つからないって」 「トラムでは見つかったじゃないか」 「あれは、あそこであいつらがはってたからでしょ。ウェリアがあそこで依頼を受けたんだから、あいつらがあそこではってんのは当然でしょうが」 「なんで、俺があそこで依頼を受けたって知ってるんだ?」 「そんなもの、ちょっと考えればわかるじゃない。あなた、あそこを拠点としてる傭兵なんでしょ?」 「そうか……」 「とにかく、今日はこの辺で休むのよ」 ラウシェがそう言い切って、前方に視線を戻した。 「ちょうどあそこに空き地があるわ。あそこで今日は休みましょう」 ウェリアも前方を見る。 確かに、少し進んだ辺りに空き地があった。野営をはるには十分な空き地である。うまい具合に、泉もあった。 ウェリアは、しばらく考える。 疲労は、もうどうしようもないくらいに蓄積されている。それが思考力や判断力を鈍らせているのは事実だ。回復に勤めないと、これから先も続く逃亡生活に重大な支障をきたすかもしれない。重大な支障とは、現況の場合死を意味する。 その意味では、ラウシェの言うとおり、今日は休んだ方がいいのかもしれない。半日休めれば、少しは楽になれるだろう。 追っ手に見つからないのであれば。 結局、今まで全然休めてない理由は、それである。いつ何時見つかるかもしれない恐怖が、ウェリアの心を捕らえて放さないのだ。 「相手は魔法も使える。俺の居場所くらいすぐにでも見つけるだろ。こんな所で、立ち止まってられるか」 「探査魔法じゃ見つからないわよ。だから、あいつらはちまちま人海戦術であたしたちを探してるんでしょ」 ラウシェが、今さら何を言ってるのという風に、大息をついた。 「……探査魔法では、見つからない?」 ウェリアは眉根を寄せた。 「どうしてだ?」 「そんなの、あたしが結界張って防いでるに決まってるじゃない。あたしが魔術師だってこと、もう言ってあるでしょ?」 ラウシェが、ウェリアの方に顔を向けた。 「それは、わかっているが……」 トラムの隠れ宿で、ラウシェが魔術師だということは聞いていた。しかし、彼女が探査魔法を防げるような結界を張っていたなどということは初耳である。 「……結界?」 ウェリアは、周囲を見回す。 しかし、何ら変わったところは見つからない。結界と聞いて思い浮かぶ薄いフィールドのようなものは、全く見えなかった。 「見えるものじゃないわよ」 ラウシェが、そう苦笑する。 馬鹿にされたような感じを受けたウェリアは、ラウシェを睨んだ。 「お前のことだ。嘘かもしれんじゃないか」 「そんな嘘言って、あたしに何の得があるっていうのよ? 狙われてるのはあたしなのよ」 その台詞に、ウェリアは一瞬虚をつかれた。それもそうだと答えるまでに一瞬間の間が空いた。だが表情には出なかったようで、ラウシェには気づかれなかった。 でもまあ、とラウシェが話を続ける。 「魔法を知らないウェリアに、魔力を感じろというのも酷な話よね」 聞こえよがしにそう言って、にやりと笑んだ。 刹那、不意に周囲の色が薄い赤色に変わった。 「えっ……?」 慌ててウェリアが周囲を見回す。そして、状況を視認して愕然とした。 赤い色をした透明のものが、地面から半球状に自分たちを囲っているのだ。 「な、なんだこれは……?」 「結界に色をつけてみた」 ラウシェが事も無げに言う。 「色?」 「これだったら、ウェリアにもわかるでしょ。どう? このいたれり尽くせり」 「た、確かにわかるが……」 ウェリアは、赤色の結界から目を離さずに答えた。背中に流れる汗が、冷たく感じられる。 その時、不意に疑問がわき上がってきた。 今、結界とやらに色をつけたとき、こいつは呪文の詠唱とかしたか? 思い浮かんだその疑問に、ウェリアは即座に否やを唱える。 「お前、今、呪文とか唱えていないよな」 ウェリアは魔法を使えない。友人知人にも使えるような奴はいなかった。だから、魔法というものに詳しくはない。それでも、ごく一般的な知識として認識されているようなことは傭兵として知っているつもりだった。 一般的には、魔法というものは呪文を唱えて発動するものだと捉えられている。それに強い思念や、手で印を結んだり、触媒が必要だったりするものらしい。 これを今のラウシェに当てはめると、強い思念はともかく、まず呪文は唱えていないはず。後ろ手で括られているから、印も結べないし、触媒があるにせよ扱えない。 つまり、ウェリアの知識では、ラウシェが魔法を使うことは不可能なのだ。 そのような疑問を視線にのせ、ウェリアはラウシェを見た。 うん、とラウシェが頷く。 「唱えてないよ」 「それで、魔法が使えるのか?」 うん、と至極当然のことのようにラウシェが再び頷いた。 「あたしはね」 「……どういうことだ?」 「説明して欲しいの?」 ラウシェが逆に聞き返す。その口調には、説明して理解できる? という響きが隠しようもなく滲んでいた。 確かに、魔法の理屈を云々言われても、理解できる自信はウェリアにはなかった。だがラウシェの言い方が、とても気にくわなかった。こいつはいつもそう。人質のくせに、立場をわきまえない。ウェリアには、いつからかラウシェの掌の上で弄ばれているような感覚があった。ラウシェが現状認識において、ウェリアより正確に把握しているのは事実である。だから、恐らくこいつは、ウェリアの焦燥や恐怖を心中で嘲笑っていやがるのだ。 「教えろ」 ウェリアは、強い口調でラウシェに命令した。 急に雰囲気の変わったウェリアを不思議に思いながら、ラウシェが、別にいいけどさ、と承知して答え始めた。 「簡単に言えば、省略したの。呪文の詠唱とか、そういうのは」 「そんなことが可能なのか?」 ウェリアは眉をひそめた。 「ある程度以上の術師にとってはね」 「どうして省略可能なんだ?」 どう言ったらいいのかな、と口内だけで語ってから、ラウシェが思考を言葉にするために少し間を置く。 「ええとね、魔法っていうのは、言ってしまえば現実を変化させる技術なんだけど、そのために魔力が必要なのはわかるわね」 「ああ」 「それで、人が持っている魔力っていうのは、それほど多くないわけよ。その上、一度に発動させることの出来る魔力も少ないの。例えば、小さな明かりをつけるといった程度のものでも無理なわけよ。それをできるようにするための副次的なものが呪文であり、印や紋といったシンボルであり、触媒だったりするのよ。ようするに、魔法を成功させるための方法なのね。だから、大仰な術ほど呪文が長かったり、複雑怪奇な印を結んだり、けったいな触媒が必要だったり、それどころか何人も協同人数が必要だったりするわけよ」 ここまではわかる? とラウシェが視線で尋ねる。 ウェリアは無言で頷いて、先を促した。 それでね、とラウシェが続ける。 「でも、どうやってかはともかくとして、多くの魔力を持つ者もいるわけ。そういう場合、術が稼動するに足る魔力が一度に稼動できるなら、わざわざ呪文を詠唱するとか、印を結ぶとかそういったややこしい作業は必要ないわけよ。神が奇蹟を起こすのに、呪文なんか唱えないでしょ。スケールは違うけど、そういうことよ」 神とか言われてもウェリアにはピンと来ないが、ラウシェの説明でだいたいは理解できた。 「つまり、お前は結界を、呪文の詠唱とかの助けを借りずに張れるだけの魔力を持っている。そういうことだな?」 「うん。そういうこと」 なるほどな、とウェリアが視線を再び赤色の結界に向けた。 そんなことが可能などとは、ウェリアは夢にも思わなかった。もしかしたら、こいつはとんでもなくすごい魔法使いではないだろうかと思う。 強力な魔法の中には、何日何ヶ月にも及ぶ長い儀式が必要なものもあるらしい。その間、魔術師は不眠不休で魔法に係り切るのだが、そのために、睡眠や食事、排泄、時には呼吸すら不要にしてしまう魔法も存在するという話を聞いたことがある。ラウシェが一度もトイレに行かなかったのは、もしかしたらそういう魔法を自身にかけているのかもしれない。魔法を、呪文の詠唱などの助けを借りずに発動するほどの魔術師だ。それぐらい出来そうな気がする。 それならば、三流傭兵に過ぎない自分を掌の上で弄ぶぐらいは造作もないことだろう。人質になっているという立場などいつでも抜け出せるから、余裕を持って誘拐犯であるウェリアに接せる。それは、これまでの態度が証明していた。 「そういうことか」 溜息とともに、ウェリアは言葉を吐きだした。 「お前は相当な魔力を持った魔術師なんだな」 「まあね。強いって言ったでしょ?」 自慢げにラウシェが答える。 「それで、ことの最初から結界を張って、魔法による探索を阻止してきたわけだ」 「うん」 「なるほどな」 ウェリアは答えて、馬を再び歩かせた。 「どこ行く気よ?」 「休む」 「そう。やっとわかってくれたのね。いいことだわ」 ラウシェがそう頷いてから、前に向き直った。 空き地に入り、ウェリアは馬から下りる。それから、ラウシェを降ろし、彼女を手近な木に括りつけた。 「今さら、もういいじゃない。あたしが逃げないのは実証済みでしょ?」 ラウシェが括られながら、呆れた声を出した。 ウェリアは、その言葉で一瞬行動を止めた。今さら一緒か。そう声にならない自嘲気味な呟きを発する。だがすぐに行動を再開し、ラウシェを木に括りつけた。 その後、馬を連れて泉へ向かう。 馬に水をやりながら、ウェリアはちらりとラウシェの方をうかがった。彼女はつまらなさそうな表情で、ウェリアを見ている。顔一杯で、ロープを解けと言っているようだ。 「欺瞞だな」 ウェリアは、そう吐き捨てるように呟いた。 ラウシェは、マルカの王女である。そして、何かの理由で身柄を狙われている。 狙っている相手は北狼傭兵団の後ろにいるセンジェスタの〈兇王〉ランドルフ、〈黒の魔神〉を信奉する黒の教団、そして、もともとラウシェを守っていたマルカの部隊の三つである。これらはそれぞれ強大で、ラウシェが狙われる理由というのが、何かすごい理由であることは容易に推測できる。どの勢力もラウシェを決して害さずに、生かして捕らえようとしている辺りが、その証左になろう。 ウェリアは、彼女を人質とする形で、この件に関わってしまった。ラウシェを盾にして逃げのびようという腹づもりである。黒衣衆に騙され、生き延びるためにやむなくそういう形になったのだが、果たしてそれは良い選択だったのだろうか。 確かに、ウェリアは命を狙われている。だがそれは、ラウシェを人質にとっているからであって、彼女がいなければ、狙われなかったかもしれない。先ほどラウシェ自身が言ったように、狙われているのはラウシェであって、ウェリアではないのだ。強大すぎる敵に追撃を受けていたから、自分が狙われているという錯覚をおこしていた。ウェリアは、そんな風に疲れた頭で考えた。 また、ラウシェは強力な魔術師である。人質状態にあっても余裕を失わないのは、実力から来る自信なのだろう。いつでもウェリアから逃れられるはずだ。魔法の発動に、呪文の詠唱や印を結ぶ作業を必要としないほどの魔力を持つ以上、ロープで縛って自由を奪っているのは、もはや意味がない。現に、彼女はその状態で結界を張り、また色をつけた。ならば、縛ってあるロープを魔術でほどけない理由はどこにもないのだ。 しかし、ラウシェはそうはしていないし、今のところする気もなさそうだ。何故かは、ウェリアにはわからないが、恐らく、彼女にも何か理由があるのだろうということは想像がつく。 「理由か」 ラウシェが何らかの理由でウェリアについてきている以上、これから先も彼女はウェリアにつき従うだろう。形だけは人質として。 それならば、結局ウェリアは、これからも狙われるということだ。全く厄介な奴を抱え込んでしまった。今さらながらにそう思う。そしてその考えは、ウェリアに一つの決断をさせた。 ウェリアは、再びラウシェの方を見る。 ラウシェは、いつまで待たせるのよ、という風な様子でウェリアを眺めていた。彼女の力の一端を知った今では、その視線が妙に癪に障る。わざと弱いあなたにつきあってやってるのよ。そう馬鹿にされているとしか思えないのだ。 お前がいるから、危険なんじゃねえか。ウェリアは、心中でそう強く反論しながら、ラウシェを睨んだ。 「お前のせいで、死ぬ思いをするのはもう御免だ」 ウェリアはそう吐き捨ててから、馬に飛び乗った。 ラウシェが不思議そうな表情に変わり、次いで目を見開く。 「あばよ」 言い捨てて、馬腹を蹴った。馬が嘶いて、走り出す。 「ちょ、ちょっと、どこ行く気よ!」 ラウシェの愕然とした叫び声が、後背から聞こえる。初めて耳にした彼女の焦った声。それに溜飲を下げながら、ウェリアは森林の奥へと馬を走らせた。 4 森の奥へと消えていったウェリアを、驚愕した面持ちで見ていたラウシェは、しばらく消えていった方向から視線をそらさなかった。もしかしたら、帰ってくるかもしれない。そういう希望を持っていたからだ。 しかし、しばらく待ってみても帰ってくる様子はなかった。そのことを確認すると、ラウシェはウェリアが消えていった方角を睨み付ける。 あの馬鹿っ! と強い調子で吐き捨てた。 「何で、ここまで来てあたしを手放すのよ! 死ぬ気なの? あたしを手放すんなら、最初に放すべきだったのよ。もはや見逃してくれる状況じゃないんだから。どうして、それに気づかないのよ。だから、三流のままなのよ。本っ当に馬鹿なんだから!」 苛つく心情のまま言い捨てた後、ラウシェはがっくりと肩を落とした。 視線がゆっくりと下方に落ちる。心底から滲み出てくる敗北感が、全身に拡がっていった。 「やっぱり、無理なのかな……」 ラウシェは弱々しく呟いた。 突然、後方で草を踏む音がする。だがラウシェは、それが耳に入っても注意をそちらに向けようとはしなかった。そいつが現れるのは、わかっていたからだ。 「相変わらず、驚いてはくれないんだねえ」 呑気な声がして、そいつがラウシェの横に立った。 リックである。 ラウシェは顔を上げて、リックを見上げた。 「もう、最終局面のつもり?」 できるだけ感情を隠した声で、問いかける。 リックは、いつも通りの鷹揚とした表情で答えた。 「彼が君から離れた以上、そういうことだろう?」 そのリックの返答に、ラウシェは苦笑した。そのまま視線をリックから避ける。 「そうね……、そうだわね」 暗い微笑をラウシェは漏らした。 しかし、すぐに表情を元に戻し、リックに向き直る。 「で、あなたはどうでるの?」 「というと?」 「とぼけないで。あなたも魔皇剣を狙ってるんでしょ?」 「狙っているという言い方は語弊があるなあ。確かに、興味はあるよ。だけど、それは私自身が魔皇剣争奪戦に加わるものではないね」 リックが和やかな笑みを顔に浮かべた。 だがラウシェは、その表情に更に警戒を強くする。心情の見えてこない表情をする男を信用できるはずもない。 「じゃあ、あなたは何が狙いなの?」 「狙いがなければ、君たちに関わってはいけないのかい?」 「そんなことはないけど、不自然だわ」 ラウシェはそう断言して、リックを睨み付けた。 ラウシェは〈剣の王女〉である。リックはそれを知りながら、彼女に接触を図ってきたし、彼女をつけていた。当然、何か意図があるのだろうと考える。 「相変わらず、彼以外には容赦がないね」 リックが肩をすくめた。 「ウェリア以外は敵だからよ」 「君の紅姫衆もかい?」 「そんなの、答える義務はないわ」 そうは言うものの、紅姫衆からも身を隠している時点で、ラウシェの意志は明確だった。 わからないねえ、とリックが一つ息をついた。 「君は一体何を考えているんだい?」 「あなたにわかってたまりますか」 ラウシェの言葉を無視して、リックが言葉を続ける。 「〈剣の王女〉が、潔斎先のファウルスの祖廟に向かう途中、襲撃にあった。そして、その中の一人に人質として誘拐された。誘拐したのは北狼傭兵団でもなく、黒の教団でもない。たった一人の傭兵だった。これが私の知っている現況だ」 「そうね」 「その傭兵は、実力としてはそれほどのものではなく、現〈剣の王女〉の実力を持ってすれば、いつでも逃げられる。だが君はそうはせず、その傭兵とともにいる。だから、私はその傭兵が現〈剣の王女〉の〈天命の相方〉だと考えた。〈天命の相方〉は、〈剣の王女〉と違って、選考基準がまだよくわかっていないからね。どんな人間にも可能性があるわけだ。わかるのは〈剣の王女〉のみ。だが、君は彼は〈天命の相方〉ではないと言った」 「ええ、そうよ。ウェリアは違うわ」 「でも、君は、ウェリアに魔皇剣を渡したいのだろう?」 「そうよ。悪い?」 ラウシェは、開き直ったように答える。 魔皇剣は、〈天命の相方〉でなくともふるうことが出来る。〈剣の王女〉に認められれば。そのために、過去〈剣の王女〉を脅したり騙したりして、魔皇剣の所有主となりおおせた者も何人もいた。今回の〈兇王〉ランドルフも黒の教団も、その手段で魔皇剣を手中に収めようとしているのだ。 「〈剣の王女〉の婚姻だって、別に〈天命の相方〉を選んでるわけじゃないでしょ」 「それはそうだが」 世界を救うことも破壊することもできる強力無比な魔剣の所有主は、できれば高潔な人物になってほしいというのが、世界の願いである。そのために、五十年ほど前から〈剣の王女〉の相方を、国が選定して与えるという手段がとられていた。 〈剣の王女〉は王女の名が示すとおり、マルカの血統に生まれる。それは何も偶然ではない。ファウルスがマルカ王統の祖先であるからだ。勿論、王統直系だけに生まれるわけではないが、王統に生まれることが多いのも事実だった。故に〈剣の王女〉の生誕はわかり易い。 〈剣の王女〉が生まれるとマルカ王宮で保護し、適齢となれば、年齢、人格、身分、実力等から鑑みて、魔皇剣の所有主として相応しい者と婚姻させたのである。今回で言えば、リーブルの第三皇子であるロディウス大公がラウシェの相手として選ばれたのだった。 「それでも、婚姻相手は、それなりの審査を経て選ばれているのだから、人格が卑しい可能性もある〈天命の相方〉よりはマシなんじゃないかな。少なくとも、魔皇剣を持って世界を征服しようなどとは考えないと思うけど?」 「自分でそれを言う?」 ラウシェは口の端を歪めた。 「ああ、やっぱりばれちゃってるか」 照れた様子もなく、ロディウス大公リチャードが頭をかいた。 「いつから気づいていたんだい?」 「銀板旅券を見せられた時よ。あそこまで思わせぶりなら、誰だってわかるわ」 「そんなものかい」 「で、あなたは、どうしてあたしに関わってきたの? ふられた腹いせでもしに来たの?」 「それに近いかな」 そうリックが笑う。 ラウシェは不信感しか入っていない瞳で、彼を見た。その視線をまともに受けても、リックの微笑は変わらなかった。 「有り体に言えば、興味かな」 「興味?」 「だってそうだろう? 婚約者である〈剣の王女〉が、誘拐犯と逃亡中などと聞いたら、普通、その誘拐犯が〈天命の相方〉だって考えるだろう? だから、見てみたくなったんだよ。〈天命の相方〉の顔を」 違ったみたいだけどね、とリックがつけ加える。 「それだけのために、ずっとあたしたちをつけてたの?」 「そうだね。だから、私は君たちの敵じゃない」 「味方でもないわね」 ラウシェは、穏やかに語るリックをそう切って捨てた。 「ひどいなあ。そこまで邪険にすることはないと思うけどね。味方じゃないなら、どうして、私には後をつけさせてくれたんだい? 私の探索魔法がわかった時点で、君ならそれも阻止することもできたはずだ。でも、君はそれをしなかっただろう?」 リックの言葉に、ラウシェは視線をそらした。 少し言いづらそうに唇を噛む。そして、瞳を森林の奥へと向けた。そこは、ウェリアが去っていった場所である。 ややあって、視線はそのままで口を開く。 「……あなたはね、あたしの、世界に対する保険なのよ」 「保険?」 「責任と言い直してもいいかもしれない」 そう言ってから、ラウシェは顔をリックに向ける。 「〈天命の相方〉はね、あなたなのよ」 「……え?」 リックが、虚をつかれたような表情になった。 「初めてあなたと会ったとき、あたしの心の奥底が騒いだわ。何かこう力がわき出てくるみたいな感じ。〈天命の相方〉をどうやって判別するのかは知らなかったけど、こういうものなんだと確信したわ」 「でも君は、私と結婚する気も、魔皇剣を渡すつもりもないのだろう?」 「ないわね」 ラウシェはそう強い意志を込めて返答する。だがそのすぐ後に、でも、と小さく言葉を続けた。 「ウェリアが行ってしまった以上、そうなった方がいいと思う」 らしくない弱々しい声だった。 なるほどね、とリックが得心したように笑う。 「保険とはそういう意味か」 ラウシェは答えず、視線を再び森林の方に戻した。 リックも、視線を森林の奥の方へとやった。 「そう思ってる割には、彼に随分未練があるようだね」 ラウシェはリックを睨むが、返答はしなかった。 「そこまで、彼に何かを期待しているんなら、どうして彼を追いかけないんだい? そんなロープぐらい、いつだって抜け出せるだろう」 「これはね、ウェリアに対するあたしの戒めなの。だから解かない」 ウェリアを利用しようとしてるあたしの……。ラウシェのその最後の言葉は、小さすぎて音にはならなかった。 「君は、一体、彼に何を求めているんだい? 魔皇剣を彼に渡したいのなら、当初に渡しておけば、話は終わっているはずだよ?」 「そんなの、あなたに言えるわけないでしょ」 「私には言えないけど、彼には言ったのかい?」 リックは、表情こそ変わらないが、口調が真面目なものに変化していた。 「魔皇剣の所有主などというのは、彼の器にすぎたることだと思う。でも君はそれを求めている。何も言わないで、彼の能力以上の何かを求めるのはずるい」 そうは思わないかい? リックがそう瞳で問いかけた。 「そんなの、言えるもんなら言ってるわよ……」 力なくラウシェは答える。 リックが、黙ってラウシェを見つめた。推し量るような視線が、ラウシェに絡みつく。 やがて、リックが溜息をついた。 「本当に、君は何を考えているんだい? 君が望んでいることが全くわからない」 そう言いつつも、リックが喬木に括られているラウシェのロープを解き始めた。 「ちょ、ちょっと、何するのよ?」 「突然現れた人の良さそうな男が、木に括られている哀れな美少女を見つけて解いて上げた。こういう設定は無理があるかい? 結構、好きなんだよ。こういう設定」 「え?」 ラウシェは、疑問の入り混じった目でリックを眺める。 「手のロープはそのままにしておくよ。そうしていてほしいんだろう? それを解くのは彼でないと駄目らしいからね」 「…………」 「君が彼に何を求めているかはわからないけれども、このまま放っておけば、彼は確実に殺されるよ。わかっているとは思うけどね。でも君が、このロープのせいで彼を助けに行けないのなら、こういう設定もありなんじゃないかな?」 リックが、人好きのする微笑を浮かべた。 「で、でも……」 「君が彼に受け入れられるかはわからない。でも、君には彼を巻き込んだ責務があるだろう?」 「……そうね。そうだわ。実際、最初はそのつもりだったんだし」 ラウシェの瞳に力が漲ってくる。 その瞳がリックを捉えた。 ありがと、と微笑する。 「まさか、あなたに諭されるとはね」 「ま、私も興味で動いていただけの人間だから、人のことは言えないんだけどね」 「じゃあ、あたしは行くわ」 ラウシェは、力強く言って森林の方を見た。 魔力が稼働して、ウェリアを探査し始める。 「最後に一ついいかい?」 リックが声をかけてきた。 「これで最後にするつもりもない癖に」 その皮肉に堪えた様子も見せず、リックが台詞を続ける。 「ウェリアに求めていることは、私じゃ駄目だったのかい?」 リックは、〈剣の王女〉であるラウシェのために用意された婚約者である。その上、実際に〈天命の相方〉であった。天の意見と人の意見が一致した稀有な例である。 でも、だからこそなのよ。ラウシェは、そう思いながら首を横に振った。 「駄目ね。あなたじゃ絶対に駄目なの」 そう笑う。 そして、その笑顔のままで転移した。 |