04
「グレート・カーム!」 その瞬間、ココの両手を中心に光の球が炸裂した。光は、みんなを包み、なお広がって墓地全体に広がっていった。 閃光が晴れたあと、ココ以外の全員が茫然と立ちつくしていた。 最初に口を開いたのは、マディス。 「ココ……これは、ルゥの奥義じゃないか」 「ええ、そうよ。よく覚えてたわね」 「忘れるわけがない――」 正確な事情を飲み込めない他のものたちも、マディスの驚きだけは理解できていた。今、ココが使った呪文は、ここに眠るルゥのオリジナル呪文、彼女だけが使えた秘奥義というわけだった。 「あたしの力がただの抜け殻だとは思わないでね。渦勁の魔力はなくなっちゃったわけじゃないんだから」 鼻高々、といった感じでココが言う。 「……でも、その話はいいわ。とりあえずあんたたちさ」 ココが肩を竦めながら言う。 「まぁ、あたしも半分同罪だと思うから、あまりおっきなことは言えないけどさ。ここはルゥの墓前じゃない? そして今日はどういう日? よりによって、そのルゥの月命日なのよ。戦いを誰よりも嫌っていて、グレート・カームなんてすごいものまで会得してしまった彼女の命日」 ココの言いたいことは、もう全員が悟っていた。マディスは居心地悪く剣を弄び、セリナは申し訳なさそうに剣を鞘に収めていた。ゼプタイアも頷き、マリももはやもとの人間の姿に戻っている。 「だからさ、争うのはやめにしない? ね、これでおしまい」 「そうですね。申し訳ありませんでした」 ゼプタイアが即座に謝った。他に付け入る隙を与えない素早さだった。マリもこれに追随し、 「申し訳ありませんでした」 と、しおらしく言う。 次はマディス。 「ええ。大人げなかったですね。ココに諭されるとはほんとに参った。こちらも、非礼をお詫びします」 彼が頭を下げたところで、セリナもいっしょに腰を折る。 「ごめん」 ココは頷いて、またアンクへと小山をのぼりはじめた。 「さ。もういっぺん、みんなでお参りしましょ。それですべて水に流して、……それにルゥにも謝んなきゃね」 みなが再び墓前で手を合わせてルゥへの謝罪を終えたとき、すでにセリナは、マディスの胸で眠りに就いていた。 学長とヴィスが、話しながら墓地へとのんびり歩いている間に、騒動は収まって見えた。一度、強力な魔力の炸裂があったあと、すっかり喧噪は収まって、今や皆がルゥの墓前で手を合わせているようだった。 それを見て、ヴィスが頷いた。 「うまくおさまったみたいじゃない」 「だといいがな」 学長は、根本的に信用というものを置いていなかった。だが被害が拡大しなかったことだけは喜ぶべきだと、辛うじてそれだけを思っていた。 例によって、二人の接近に最初に気がついたのはゼプタイアだった。 「リャセルフォイヤ、それにヴィス=テイルじゃないですか。これは……珍しい組み合わせですね」 彼にしても、さすがにこの二人がともに歩く図というのは驚くものがあるらしかった。 「ええ。お久しぶりね、ゼプタイアさん」 ヴィスが会釈を返す。学長も、言葉はなく会釈のみで挨拶に替えた。 「あら学長さん。お・ひ・さ」 ココは学長に手をひらひらとさせる。 「うむ。これはいったい、なんの騒ぎなんだね?」 学長はココに眉を顰めてみせる。 「ちょっとぉ、それどういう意味なわけぇ? あたしが騒ぎの張本人みたいな言い方やめてよね」 「違うというのかね」 学長はココこそが中心人物であると確信しているようであった。ココはがっくりと肩を落とす。 「も〜う、信じらんない。最悪」 「ははは、人徳ってやつだな」 マディスが混ぜ返して、ココににらまれた。 「も〜う、ここの連中ときたら」 ココがさらに愚痴っていると、ヴィスが口を開いた。 「マディスも、お久しぶりね」 マディスは、ヴィスには苦笑してみせた。 「ああ。そうだな。ほんとに久しぶりだ」 「それでね、早速だけど、あなたに伝言があるの」 「伝言?」 「またかね」 怪訝そうなマディスに、苦虫を噛み潰している学長。それをおかしそうに、ヴィスは笑っていた。 そんな笑顔を見るのは、どんなに久しぶりだろうと、ココは懐かしく、また切なく思い出していた。 「言うわよ。『お兄ちゃん、女の子にだらしなさすぎ。ちゃんとしないと、ちゃんと愛してもらえないぞ。愛しの妹リリトより、お兄ちゃんへ愛を込めて』。……これが全文よ。ちゃんと伝えたわね?」 「――なっ、本当に、リリトからっ?」 マディスは急におろおろし出して、どうしようといった風に辺りを見渡した。 「平気よ。彼女はここには来ていないから」 ヴィスがおかしさに声を震わせながら言うと、やっと安心したように肩を落とした。だがすぐに自分の膝で眠るセリナの顔色を窺った。こういうときに限って目を覚まして聞いていたりするからだ。だが今回だけは、それは免れたようだった。セリナはマディスの膝を枕に、昏々と眠りに就いていた。 「ふう……。しかし、ヴィス、あんたはリリトに会ってきたのか?」 「ええ。苦労させられたわ。結局、足で探すしかないんだもの。どれだけ時間を無駄にしたかしれないわ」 やれやれといった風にヴィスが言う。 「ああ、それは、大変だったろうな」 マディスが、その苦労をねぎらうように相づちを打った。 「そしてね、伝言といっしょに渡されたものもあるのよ」 「え? リリトから?」 「ええ、妹さんからあなたに」 そしてヴィスはローブの中をごそごそとやって、懐から一個のブローチを取り出した。エメラルドの散りばめられた、黄金のブローチ。 「それは――」 「はい」 マディスの戸惑いなどお構いなしに、ヴィスはブローチを彼の手の中に握らせた。 「リリトは、本当にこれを俺に……?」 「ええ」 「そうか」 マディスは手の平のブローチを見つめた。それは彼がリリトに贈ったお守りだった。それを今度は彼に持てというのだろうか。そう言われている気がした。 「――リャセルフォイヤ」 マディスの物思いを断ち切るように、ゼプタイアが学長に声をかけた。 「なにかね」 「実は、私も君にお渡しするものがあるんですよ」 「そうでしたね〜」 マリもくすくすと笑う。 「私に?」 マディスのこともあり、十分に警戒した表情で学長が尋ねる。 「はい。これです」 言って彼は、右手を手の平を上に向けて突きだしてみせた。 すると―― 彼の手の平の上に、小さな黒い塵のようなものが現れた。それは数を増やし、くるくると回転しながら次第に大きく、長く渦を巻いていった。 そしてそれはやがて重なり合い、次々と繋がり合っていき、一本の黒く、長い棒のようなものになった。だが棒は細長いものではなく、高速で回転しているがゆえに半ば透けて見える細長い楕円を描く横幅を持っていた。 それは完全にひとつとなり、実体化をすませると次第に回転速度をゆっくりと落としていった。 「――!」 すぐに、その正体が目に見えて分かった。それは、一枚の漆黒の羽根。 「リディナの羽根の一枚です」 ゼプタイアも解答をそれ以上もったいつけることはしなかった。 「なにを――!」 学長が頬を引きつらせながら言い、マディスもセリナに身動きを封じていられなかったならば即座に剣を抜き放っていただろうことはその表情から窺えた。 「これが、リディナとエレノアからの、あなたへのメッセージです」 エレノア――その名前が二人の動きを封じた。 「受け取っていただけますね?」 有無を言わさぬ言葉であった。 ゼプタイアが言い終わると同時に、羽根は再び回転をはじめた。そして、ひゅんっと風を切る音とともに姿を消した。 「では、確かにお渡ししましたよ」 ゼプタイアは肩の荷が下りた、といった風に力を抜いた。リディナの羽根を預かるということは、それだけのエネルギーを要することなのかもしれなかった。 「な――なにをしたのかね」 学長がうろたえた。だが、それにマディスが答えた。 「――魔痕!」 「そうか!」 二人は顔を見合わせる。そしてうんざりしたようにため息をついたのは学長。対してマディスはしてやられた、とばかりに苦笑していた。 「ええ。おそらく彼女たちの狙いは、……願いは、と言い替えましょうか。彼女がかつてこの学園に刻み込んだ魔痕、そこを常設のゲートにすることでしょう。あなたに話したいことがあっても、ここは大変に来づらいと言っていましたからね」 「なんということを……」 学長はがっくりと肩を落とした。 「あら。それは名案ね」 追い打ちをかけるようにヴィスが言った。 「――!」 学長がヴィスをにらむが、彼女には通用しなかった。 「わたしも、わたしの部屋にゲートを作っておけばよかったのよね。どうして今まで気づかなかったのかしら」 「来る必要が、なかったからじゃないですか?」 呑気にゼプタイアがそれに答えていた。 「それもそうね。でも、これからは呪道連盟の盟主はわたしの代理人に任せることにしたのだから、彼女のためにも作っておくべきかしらね。ゼプタイアさん、どう思う?」 「いいかもしれませんね。これから次なる革命が起きるのだとしたら――そしてそれは避けられそうにない状況となってきましたから、密なる連絡を取り交わすためにも、名案かもしれません」 「そうね。いっそあなたもどう? かつてのあなたのお部屋。さっき前を通ったけど、まだ昔のままになっているみたいだったわよ」 「そうだったんですか。片づけてくださって構わなかったんですけどね。でもそれなら、ご心配はいりません。すでにゲートは作られていますから」 「そうだったの」 「それこそ、ヴィス=テイルこそどうしてゲートのひとつやふたつ、用意していなかったんですか?」 「あらだって、もうこんなとこには用はないと思ったから、全部処分しちゃったんだもの」 ゼプタイアは、なるほどと頷いた。 「じゃあ早速、とりかかろうかしら」 「待ち給え」 学長の言葉に、ヴィスは踏み出しかけた足を止める。 「なに?」 「私の学園でこれ以上勝手なことをされては困る」 「あら」 意外、という以上に不快だとばかりにヴィスは学長を見据えた。 「それは確かに、今はあなたがここの学長とやらをやっているのかもしれないけど。でも、もともとここがどういう場所だか、忘れたわけじゃないでしょう?」 学長は、返答できない。 「それにわたしも、ゼプタイアさんも、あなたより先輩だし、あなたはわたしたちの教え子だったんだから、少しくらいわがままきいてくれてもいいんじゃないかしら? ねぇ?」 ヴィスがゼプタイアに流し目を送る。彼はただ笑うだけで返答はしなかった。 「ここは、あなたがここの時を解放しない限り、この先永遠に、クゥの学舎よ。それを本当に分かってるのかしら?」 学長のうめき声を背に、じゃあね、とヴィスはひとり立ち去っていった。 「確かにね……」 ココも彼女の言い分には逆らえなかった。 「せんぱいの言うことは、多少はきかなきゃね、リャセルくん?」 彼女のふざけた言いように、リャセルフォイヤは珍しくにらみつけさえした。 「おおこわ」 ココは肩を竦めて言った。 「あたしもそろそろ退散することにするわ」 そして、墓地を訥々と歩くヴィス=テイルの後ろ姿に目をやった。 あたしは、迷いに迷った揚げ句、その晩のうちにヴィスの部屋を訪ねてみることにした。 訪ねると言っても部屋はあたしと隣同士だから、自室に帰ってきてそこからちょいと足を伸ばすだけ。それでも――さしものあたしも、さんざん迷って、ドアを前に時間をいっぱい浪費して、やっとドアをノックした。手の平には汗をかき、額にも背中にも冷や汗がどっさりといった状態で。 だけどドアはあっさりと開かれた。顔を見せたヴィスの様子から、彼女はずいぶん前からあたしが立ち去るのかノックするのか決めかねているのを知っていて――迷惑していた風。かなり嫌な顔をされてしまった。 だけどそこに、さっきの怒りはまったくなかった。怒りが収まったとか、抑えているというのでなしに、まったくなし。これには驚いた。 「とりあえず、ノックすることを覚えてくれてなによりだわ」 彼女は苛々と言うが、そこの焦点もあたしの悪い癖に対してのもの。 「あ。えへへへ」 「それで、なんの用?」 言いながら、彼女はドアを押し開き、あたしを招き入れてくれた。 「う、うん……」 あたしがそれでもドアの前でぐずぐずしていると、早く入りなさいよと急かされる始末。これではますます、あたしの居心地が悪くなる一方だった。 「あ、うん。じゃあ、おじゃまします……」 「あら。挨拶もできるようになったじゃないの」 ヴィスの嫌味にはさんざん、嫌な目に遭わされてきたが、この日ばかりはそれどころじゃなかった。嫌味でもなんでも話しかけてくれて感謝するくらい。それどころかヴィスは、小ぎれいな部屋の中央に置かれたテーブルセットにあたしを座らせた。そして棚から秘蔵の蒸留酒をもってきてくれた。 あたしはそれに口を付けながら、どう切り出せばいいかあれこれとない知恵を絞っていた。 そこで口を開いてくれたのも、ヴィス。これではなにしに来たのか分からないくらい。 「ふう。あなたって、本当に分かりやすいわね」 「う……」 イタイところを突かれてあたしが口をつぐむと――なにか喋っていたわけでもないけど――ヴィスは立ち上がった。 「あなたがなにしに来たかくらい、分かってるのよ。さっきのことでしょう?」 「う、うん。そうなんだけど」 「いい? さっき怒っていたのは――それは今でもだけど――ザフェスに対して。あなたじゃないわ」 「え――」 「それにむしろ、あの場から立ち去るいいきっかけをくれて感謝してもいいくらいなのよ。あいつの前から無様に逃げ去るなんて、とてもできないもの」 「……」 それではあそこではいったいなにが起きていたのか―― あたしは聞くことができなかった。彼女もそれは答えてはくれなかった。しかし、代わりに彼女は着ていたローブを脱ぎ捨てた。 「――!」 「気になるんでしょう? わたしの身体」 ヴィスの裸身は、あたしより若干年下の、14、5才くらい。もともと身体はほっそりしてるけど、おっぱいだってちゃんと膨らんできているし、お尻だって丸くなって腰も張ってきている。もう何年もその姿のままだけど、身体はちゃんと思春期しているのだ。 だけど――彼女にはひとつだけ、違うところがあった。ううん。彼女の瞳のことを数えるなら、もうひとつ。 ヴィスの股間には、男性器が――おちんちんがついていた。 あたしは顔が赤くなるのが分かったけれども、彼女が真正面から見せてくれているものから目を逸らすわけにもいかなかった。 「どう? とりあえず満足した?」 でも、見るだけはさっき見ていたわけだから、これで満足かと言われれば、まるですけべ根性丸出しでいたみたいでその言い方には腹が立った。 「そんな――あたしそういうんじゃ!」 ヴィスはかがんでローブを拾い上げると、再び身につけながら言った。 「うふふ。分かってるわ、そんなこと」 「ん〜、もう!」 「ただね、もう一度はっきりさせておいた方がいいって、そう思ったのよ」 「うん……」 ヴィスは、蒸留酒を口にして、また口を開いた。 「わたしはね、詛われているの――生まれたときから。そういう話、誰かから聞いた?」 「ううん」 初耳だった。 「そう。わたしはね、ザフェスの実験台なの。それでわたしは呪勁の力をもって生まれて、これだけの魔力を修得することができたわけだけど、そんなこと一度だって感謝したことないわ」 「のろい……って」 「魔王の詛い。加護って呼ぶ人もいるけど――ゼプタイアとかそのへんね」 「目も、そうなの?」 「ええ、もちろんよ」 紅と翠の瞳がまたたいた。 「そうなんだ……」 「わたしね、あなたには勝手に近親感抱いていたの」 「あたしに?」 それは、少しだけ分かる気がした。だって彼女は、ザフェスの実験台って言ったから。 「わたしはあなたが生まれた頃にはまだこの世に生まれていなかったけど、わたしがこの学舎に連れてこられたときに、あなたの話は聞かされているから」 「そう。知ってるんだ」 「ええ。クゥの直弟子だけは、知ってるわね。他は知らないんじゃないかしら? ま。シグ辺りはどうだか分からないけど」 「うん」 「ともかく、わたしは女として生まれるはずが、女じゃない、人痾――アンドロギュヌスとして生まれてしまった。わたしはこの身体を憎んでいるし、それをなさしめたザフェスを詛いながら生きてきたわ。そしてそれは、これからもそうでしょうね」 「…………」 「でもね、不思議とわたしは、もって生まれた呪勁の才能を捨てられないの。捨てるどころかそこに寄り掛かって生きていると言ってもいいくらい。どうしてかしらね? 性格かしら? どうだかは分からないけど、わたしはこのクゥの学舎で、呪勁というものを窮めるだけ窮めて、完成させてみせる。そして、そうしたら、出ていくの。もうここには用はなくなるから」 あたしには、相づちをうつことさえ、ためらわれていた。彼女の人生は、あたしなんかとは較べものにならないくらい壮絶だ。あたしも自分の出生を――自分が生まれてきたことそのものを呪ったものだったけれど、ヴィスの方が遙かに辛い人生を生きていると、そう思えてならなかった。 「あなたはどうなの?」 「え?」 「どうしてここに戻ってきたの?」 「――どうかな」 それは、答えがあるような、ないような感じだった。 「レイバックに会って、力を得てからそれをどうしたらいいのか分からなくなって、結局ここに来てしまったけど――言われてみれば、ひとりで研究してるレイバックのことを考えたら、なにもわざわざこんなところに来る必要はなかったのかもしれないね」 「どうかしら。わたしは、渦虚の力を研究させてもらえてとても役に立っているけど?」 冗談めかしてヴィスが言う。 「やっぱり、ここがわたしの生まれたところだからなのかな――」 「そういうものかしらね」 そう言ってくれたヴィスの言葉が、とても優しく聞こえて、あたしは不覚にも涙を流していた。 そして、その晩からあたしたちは同室で過ごすことになったのだった。 了 |