03


「うぅ〜ん……?」
 うめき声とともに、セリナが目を覚ました。
 にらみ合って一触即発といった風になっていた二人は、セリナの寝ぼけ声で毒気を抜かれてしまった。目と目で休戦を認めあう。
「やあ、リャセル、お客さんかい?」
 セリナはバツグンの美女で学園自治局の一員と来ている、一見立派なお嬢さまだったが、話し方はよく言えばラフ、有り体に言ってぶっきらぼうな男言葉に近かった。
「ああ、招かれざる客だがね」
「ふ〜ん、不機嫌じゃないか……」
 セリナはふわぁ〜あ、と欠伸混じりに起きあがり、ソファの向かいに座る少女に目を向けた。
「相変わらず女の子には弱いじゃ……っ!」
 軽口をたたきかけて、セリナは絶句した。
「こんにちは、セリナさん。はじめまして」
 ヴィスは彼女の不作法をいっさい気にした風もなく挨拶をした。そうしたところはヴィスこそが本物のお嬢さま然としている。
「わたしがなにか?」
 わざとらしく小首を傾げてみせるヴィスに、セリナはこくこくと頷いてみせた。
「……あ、あんたは、……ヴィス=テイルさん。だろ?」
「あら。自己紹介もせずにごめんなさい。ヴィス=テイル・フェウラですわ。よろしくね、セリナさん」
「やっぱり!」
 セリナは飛び起き、立ち上がる。そして自分も自己紹介をした。
「もう知ってるみたいだけど、あたしは、セリナ・クリブス・ローウェ。よろしく」
 そして右手を差しだした。ヴィスも立ち上がってその手を取った。身長差が頭ひとつ分以上あって、まるで大人と子供。だが、立ち居振る舞いはまったく逆転していた。
 セリナはすぐに手を離すと、ソファに座った。
「あたし、あんたに会いたかったんだ」
「あら、どうして?」
 自分も座り直しながらヴィスが尋ねる。
「だってそりゃあ……」
 言いかけて、彼女は学長に話を振った。
「なぁ、リャセル、知ってるかい? このひとは、あたしのお姉さまなんだ」
「なにをばかな」
 学長はまったくとりあわない。
「わたしが、……お姉さん?」
 ヴィスも意外な顔をする。
「だって、そうじゃないか。あたしのお父さまは知っての通り、魔王だ。でもあんたもその魔王の加護を一身に受けてこの世に生まれてきた、この世で最初の人間のサバトの女王だろう?」
「……そうですけど?」
 そういう身の上話をされることが明らかに嫌らしく、ヴィスは口調を硬化させる。そればかりか、せっかくセリナの目覚めで和んだ空気がまた緊張感を漂わせつつあった。
「だからさ! 冥府で、あたしはお父さまからあんたのことを何度も聞かされて育ってきたんだ。地上にお父さまが最初に送り出し、産みだした人間の闇の娘のことをさ!」
「――!」
 セリナの嬉しそうな様子に、ヴィスは呆れて苦笑いを禁じ得なかった。
「そう……」
「うん。そうなんだ。だからさ、いっぺん会ってみたかったんだよ」
 セリナはもう一度立ち上がる。
「はじめまして、お姉さま。ずっと、ずっと会いたかった」
 ヴィスも根負けした風に笑顔を見せた。
「はい、よろしくね。かわいい妹さん」
 握手しながら、ヴィスがつけ足す。
「尤も、あなたの方がお姉さんっぽいけど」
「そうだね。あははは」
 セリナが快活に笑う。
「わたしは魔王のことを父だなんて一度たりとも思ったことはないけれど、それじゃあわたしたちのお父さまに、よろしくね」
「うん」
 セリナの笑顔は、喜びと、はじめて会えた姉への思慕にあふれていた。
「ところでお姉さまは、どうしてこの学園に?」
 セリナが不思議そうに問いかける。
「ふふ。そちらのおばかさんにお説教にきたの」
「ああ」
 ヴィスの言葉に、セリナは即座に頷いた。この意気投合具合は、本当の姉妹かもしれなかった。もちろん、学長が渋い顔をしていたのは言うまでもない。
「存分に叱ってやってくれよ、このオヤジときたら」
 セリナが顔を顰めながら言う。
「セリナ、なんだねその言いようは」
「ほんとのことだろう?」
「うふふふ」
 ヴィスは、ここへ来てはじめて楽しそうに心の底から笑った。
「なにがおかしいのかね」
「ううん。あなたがうらやましくなったの。本当よ」
「うらやましい?」
 セリナが怪訝な顔をする。
「ええ。この学園での日々は、さぞや楽しかったことでしょうね。そう思って……」
「それは嫌味かね」
「あら。そう聞こえたらごめんなさい」
「ぶ……っ」
 二人のやりとりに、セリナは遠慮なく吹き出した。
「セリナくん」
「あはははは……だって……っ」
 セリナは腹を抱えて笑い出した。
「こういうところを、わたしはうらやましいって言ったのだけど。お気に召さなかったかしら」
 その言葉には、学長は反論しなかった。二人は無言のまま、セリナの笑いが収まるのを待った。
 暫くして、セリナは笑いすぎて流れた涙を拭きながら、二人に聞いた。
「ところでさ、なんか騒ぎが起こってないかい?」
「うむ。そうみたいだな」
 学長も薄々は感づいていたらしく、頷いた。
「ええ。誰か……とっても強い魔力を発動している人がいるのが感じられるわね」
 二人の同意を得ると、セリナは立ち上がった。
「やっぱり。あたし、ちょっと行ってみるよ」
 そして、ソファに立てかけられていた刀を手に取った。
「じゃあお姉さま、またあとで!」
 セリナはヴィスに手を振ると、スカートの裾をはためかせて慌ただしく学長室を出ていってしまった。
「わたしたちはどうする?」
「ふう……。君はその騒ぎの原因を知っているのだろう?」
 学長は腰も重く立ち上がった。
「ココが来ているみたいじゃないか。見に行かざるを得まい」
「そう」
 すべて予定どおり、とばかりにヴィスも立ち上がる。そしてゆっくりとした足取りでセリナの後を追った。



 とはいえ――
 あたしは彼女のことを知らなさすぎるし、ここにいるメンツのなかで、いったい誰にこの話をするべきか。ひとりでは荷が重すぎて、あたしは誰かに相談したかった。
 まず、レイバックは論外だった。彼は心情とか情動とかそういうのに興味なさすぎる。彼に相談するくらいなら、ザフェスと膝つきあわせる方がよっぽどマシと言えるだろう。
 シグエラスはザフェスの腰巾着みたいなものだから、事情は知っているだろうけど、やっぱり相談したくない相手。ヴィスは彼のこと嫌っているみたいだし、シグもまた然りといったところだった。だからここもパス。
 腰巾着とまでは言わないまでも、おなじくザフェス直属の秘書兼直弟子であるリップも、ザフェスにとって不利になる証言――というか材料のことは話題にしてくれないに違いなかった。彼女とザフェスとの距離がどれくらい近いものか、あたしには分からないけど、それだけは確か。やっぱり……パス。
 ミィチェスも、自分とシグのことしか頭にない感じだし、ありきたりの正論しか言ってくれないだろうことが容易に想像がつく。彼女はいつだってそうだから。
 じゃあ、……リャセル? 相談相手としては、最も相応しいと思う。でも彼、いまいち信用できないところがあるのよね――どうも、いまひとつ肝心なところに限って見落としてたり、知らなかったり、失敗したりしてる男だから。きっと彼のことだから、ヴィスのことにもまったく気づいていないに違いないし。悩む頭数を増やしたってしょうがない。
 ま。これは、あたしもおなじなんだけど。今の今まで知らなかったんだから。
 となると――残された選択肢は、あいつだけってことになる。確かにあいつなら、きっとなにもかもお見通しで、今日どうしてあんなことが起こったのかさえ心得ているだろうし、親身になって相談にのってくれると思う。
 そう。そもそも、考えるまでもなく、あいつのところに行くのがいいのだ。考えるまでもなく。
 ため息がもれた。
 実際のところ、あたしはまっすぐ彼の許へと向かっていた。そして歩きながら考えていたのだ。本当に他に選択肢がないのかどうか――もちろん、そんなものはなかったってわけだけど。
 あたしは食堂のドアを開けた。
 中には、テーブルでお茶を飲みながら本を――聖書を読んでいる男がいた。ゼプタイアだ。
「ココ、どうしたんです? 飲み足りなかったのですか?」
 彼がいつものように爽やかに言う。
「違うわよ」
「なにか、あったんですか?」
 そうやって気が回るのも、いやな感じ。
「うん。ちょっと……ね。いや、ちょっとじゃないかな。深刻かも」
「どうしました?」
「それで、ゼプタイアに相談にのって欲しいんだ」
「よろこんで。お力になれれば」
 やっぱり爽やかに、笑顔で答えた。

 あたしはゼプタイアにしたがって、彼の部屋へついていった。
 中は、一面の本の山になっていた。
 至る所に書見台が立てられ、数十冊におよぶ分厚い本が開かれている。よく見ると、本はすべて書きかけで、彼が書き物をしていたのだと分かる。
「なにこれ、書写でもしてるの?」
「いいえ。翻訳です」
 よくよく見れば、確かに一冊一冊違う言語で記されている。
「翻訳って、これ全部?」
「ええ」
「あっきれた」
 あたしがそんなことを言っても、彼はまったく気にしていなかった。
「でも私には、あなた方のようには時間がない。学舎が時間のない場になっているとはいっても、ココやエルフのような確約があるわけではないんです」
「そういうもん?」
「ええ。定命のものには定命のものにしか分からない焦燥感があるんですよ。それゆえに、手を休めるということが惜しいんです」
「あら、じゃあおじゃまだったかな」
「ふふ。ココにそんな気を回されるとおかしな感じです」
 彼は心底おかしそうに言った。
「ちょっとなによそれ、どういう意味?」
「それで、いったいなにがあったんですか」
 あたしはちょっと怒るが、彼はとりあってくれなかった。さらりと本題に入られてしまう。そんなところが、苦手なところ。
「……うん。さっきね、たまたまザフェスの部屋の前を通ったらさ、中ですっごい音がして、思わずドア開けちゃったんだ。そしたら、中にヴィスがいてね、本棚がひっくり返ってた。それはヴィスがやったんだと思うんだけど、それでヴィスがね、裸で立ってたのよ。裸でよ? ……なんで裸だったのかも分かんないし、彼女すんごく怒ってた。ザフェスは我関せずって感じで。それで、ヴィスがあたしのことにらみつけて、出てっちゃったの」
「ふむ」
 支離滅裂なあたしの説明を聞いて、ふむの一言で理解してしまう彼の頭の出来のよさにはこのさい、感謝しなくてはならないだろう。
「ねぇ、あたしどうしたらいい?」
 ゼプタイアは即答した。
「なにもしなくていいのではないですか」
「でも! あなただったら、知ってるんでしょ?」
「なんのことを、ですか」
 ゼプタイアはちょっと厳しい顔つきで聞き返す。
「ヴィスのこと。……それに、なにをしていたのかも。ザフェスがなにを考えているのか、とか」
「あなたはそれを知ってどうするんですか?」
「あたしに、なにかしてあげられることあるでしょ。それに、ヴィスが怒ってるから、なんていうかな、悪いことしちゃったから謝りたいし、なにか埋め合わせがしたい」
 ゼプタイアは首を傾げる。
「そうですか?」
「そうですかって……」
「それは、余計なお世話というのだと思いますよ」
 ゼプタイアの言葉は、とても冷たく聞こえた。



 ココは背後の魔力の炸裂と衝突具合に感心しつつもばかばかしくて墓地を抜け出そうとしていた。
 だがすぐに彼女は、のんびり歩いていたことを強く後悔することとなった。
 前方から、見覚えのあるブレザー姿の少女が走ってきていた。右手にはすでに抜き身で刀を手にして、長い髪をたなびかせて駆けている。それだけならば大変、絵になるところなのだが、いかんせん、進路上ぶつかりあうという点と顔見知りだという点が難点だった。あげく、マディス登場シーンそっくりだった。
 そして予想どおり、彼女はココの前まで来ると立ち止まった。
「ココじゃないか! あれは――」
 そう言って、墓地の園内からはどこからでも見通せるルゥのアンクを見あげた。
「あれは、マディスとゼプタイアさまじゃないか! どうしてここにっ?」
 一緒にいたと思しき以上、同罪といったところ。答えなければ斬りかかられそうな剣幕に、ココも白状した。
「……今日がルゥの月命日だから、街で偶然会ったゼプタイアと一緒にお参りに来たの。そうしたらマディスが斬りかかった。それだけよ」
 そう言ってココは肩を竦める。
「それだけって……偶然って……斬りかかったって」
 セリナは言いたいことがいっぺんに噴出してなにから口に出すべきか分からなくなっているようだった。だがそんなことはお構いなしに、ココはもう用件は済んだとばかりに立ち去ろうとした。それを、セリナが白刃の煌めきで制す。
「ちょっと危ないじゃないの」
 喉元に刀を突きつけられて、ココは本気で文句を言うが、いかんせん、セリナの方も本気だった。
「どこ行く気だ」
「どこって……帰るとこよ?」
「帰る? ――本気かっ? あれを、止めようと、思わないのかっ! 君はっ!」
 思わない、とはさすがのココも言い出せなかった。
「……無茶言わないでよ」
 なので、ココは無難に逃げることにした。
 今、三人は剣戟を交わさずにらみ合い――膠着状態となっているようで、光景としては静かなものだったが、静電気がちりちりしているような魔力嵐の衝突は近づきがたいほど激しいものだった。
 セリナも、それは納得して頷いた。だが、赦しはしなかった。
「ついてこい」
 そう言うや、セリナはアンクへと歩き出す。
 セリナはココの実力を知っていた。だからあの程度で逃げ出すことなど認められなかったのだ。ココも、ついて行くほかなさそうだった。三人――もしかしたら四人の巻き添えを食う前にセリナに斬りつけられること必至だったからだ。刃傷沙汰は避けたいものだ。ましてそれが自分の身に降りかかるとなればなおのこと。
「やあ、セリナじゃないか」
 相変わらず緊張感のかけらもないゼプタイアの言葉。そうくればすかさず、
「セリナさまっ!」
 マリのこれまた緊張感を破壊する嬉しそうな声と笑顔。ただし、漆黒の翼を拡げ、威嚇するかのような今の状態は、いつもよりは緊迫感の欠片くらいは仄見えた。
「ゼプタイアさまも、マリも、元気そうで、なにより」
 セリナはなにを考えているものか――二人に合わせたものかどうか場違いも甚だしい挨拶を返した。
 マディスも、剣を構えたままとはいえ、振り返った。その顔には、やはり笑顔。しかも女ったらしのだらしのない笑顔ときた。
「セリナ、お前が来るとややこしい。あっちに行ってろよ」
「もうっ! 勝手なことばっかり言うなよ! せっかく走ってきたのに」
「勝手とは非道い言いぐさじゃないか。俺がこの男と決着をつけたいのをお前だって知っているだろう? 邪魔するな」
「それは知ってるさ。でもそれならゼプタイアさまがあたしにとって大事な人だっていうことだって知っているだろう。剣を収めろよ」
 この二人の会話を聞いているとまるで悪友同士の青年二人といった風情だった。そして同時にじゃれあう恋人二人。
 それから、それを面白がるもっと悪友のゼプタイアとその愛人に、部外者がひとり。
「ココも、戻ってきたんですか」
 ココがずっこけた。余計なことを! と、本気で怒鳴りそうになりながら、ゼプタイアをにらむ。このままでは自分がこの場での一番の悪者にされかねない。そう本能が察知したのだ。
 そして――
「そうだ、ココ。どうして君は、この三人の争いを見ていながら放置して帰ろうなどとしたんだ」
 セリナの文句にはじまり、
「というより、学園にこの男を連れてくるなんて、いったいどういう了見だ。説明してもらいたいな?」
 とマディスが承ける。
 しかも、この三人と追加のひとり、決して戦闘状態を解除していない。一触即発そのままで呑気な会話が繰り広げられているのだ。器用この上ないことだった。
「……もう、やってらんないわよ。で? あたしに、いったいどうしろってのよ?」
 両手を大きく拡げるジェスチャーつきでココが逆ギレ気味に言う。
「どうって、言われても」
 と、心底困惑した風でセリナ。
「とにかく、無責任じゃないか!」
 もう言うことは滅茶苦茶である。こうなると言いがかりと言って十分、通用する領域だった。
「もういいよ! 君に期待したあたしがばかだった」
 セリナはココの方を見るのをやめて、マディスに剣先を向けた。
「おいおい、まさかこの俺とやりあおうっていうんじゃないだろうな、セリナ?」
「だってそれしかないじゃないか。君はあたしの恩人を斬ろうっていうんだから」
「じゃあ俺はどうでもいいのか」
「そうは言ってないだろう」
「じゃあどうなんだ。はっきり言ってみろよ」
「……っ。男のくせに、細かいな、君は!」
「――都合が悪くなると、すぐそれだ! なんでもかんでも男のくせに、のせいにするなよ」
 セリナは指摘されて顔を真っ赤に染めた。
 そして、止まっていた動きが再開した――
 セリナは、えいっと気合い一閃、マディスに中段の突きを繰り出す。しかしマディスは剣をくるりと薙いでそれを弾き――マリの翼に突きつけた。
「――あっ!」
 セリナが気づいたときには彼女の剣はマディスの剣とともにマリの翼に突き刺さっていた。羽根が舞い散り、皮膜が裂けた。
「――きゃあっ」
 マリが悲鳴をあげてよろける。ゼプタイアはそれを支えつつ、即座に傷を治療した。
「まったく――」
 ココは両手を腰に当ててため息をついた。
 なるほどこれでは決着のつかないわけだ、そう感心しつつもその無駄な戦いを繰り返し続けるばかさ加減に腹が立ってきていた。嫉妬だかなんだか知らないがチャチャを入れるセリナもそれは同罪だった。
「じゃあ文句言わせないんだからね」
 そう言うと、ココは両手を頭上にかざした。誰もがその動作に首を捻り、動きを止めてココに注目をした。
 ココは全員に視線を送ると、大きな声で、呪文を唱えた。
 ただ一言――


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