その異常に気づいた者は、その瞬間にも少なくなかった。
 ただ、危険を危険と認識し、どういう状況で誰に危地を知らせなければならないかと我に返るまでには、人間誰しも時間が必要だ。
 その様子――第一研究室の誇る若き医師たちを今まさに襲わんとするその危機が、本当に深刻なものだと気づいたときには、もうそれは最悪の状態で二人の若い医師を巻き込んでいた。
 重たいスチールの棚。中には様々な薬品が並んでいる。
 このように機器や人の出入りの多いところにあるものだから、危険性という点ではたいしたものではないにせよ、躯に浴びるのはあまりよろしくないだろう。
 なによりグレーの無機質なそのラックの重量はバカには出来ない。よほど鍛えられている人間でも、不意打ちでそれだけのものがのしかかってきたらぐうとも言えず潰されるかもしれない。
 先日、大石秀一郎の危機を救った若い主任技師も、このときばかりは行き交う研究員の人いきれの中にいて間に合わなかった。
 ガラスの割れる音、研究所中に響き渡ったのではと思うような、大音響。
 あまりのことに女性陣からは悲鳴の一つさえ上がらない。

「……先生……」
 呆然と呟いた青年の一言で、ひとり、またひとりと、瞬く間に広がる伝染病のように、事態を把握出来ていったらしい。全員が驚愕の硬直から解き放たれた時には、近場の者はわっとその現場へ駆け寄った。
「先生、大石先生!」
「不二先生、大丈夫ですか、おふたりとも!」
「なんでこんなもんが倒れてくんだよ、ちょっと待て、場所あけろ!」
「押すな、危ない、そんなの触ったって動きゃしねえよ、おい、手、貸せよ!」
「先生、先生……」
「騒ぐな! 押すなよ、おい!」
 ようやく全員が動き始めはしたが、半数近くは恐慌状態だ。
 どうして棚が倒れたかも判らないし、もしも偶然そこにいたふたりの医師がその下敷きになっていたなら、まず助かるとは思えなかったからだ。
「全員、そこに集まったら救助できん! 退け、場所あけて!」
 人混みをかき分けつつ叫んだのは忍足侑士だった。
「女の人ら、全員で窓開けて! 薬品落ちたから換気して、早う!」
 その声でおろおろしていた女性達はとりあえず役割を与えられ、ばたばたと言われたとおりに動き出した。
「力に自信のない奴、パソコンと機材の具合見て破損したとこチェックして」
 これで男の半数がその場から退いた。
「ドアの傍におる奴、悪いけど何人かで医務室の用意してきて」
 残った半数がまた退く。
「大石! 不二!」
「チーフ、大丈夫です、お二人とも下敷きじゃないです!」
 ようやく人混みがすいて、倒れた二人の姿が忍足にも見えた。
 大石は壁際の機材の間に座り込むようにして、不二はその大石の膝にもたれかかるようにして、肩で息をしている。
 さすがの大石も、突然のことで呆然とした様子を隠し切れていなかった。
「……大石……」
「俺は大丈夫だけど……忍足。……不二が」
「え?」
「足」
 言われて忍足が、うつぶせたままの不二周助をみやる。
 畳みかける凶暴なその勢いから、僅か逃れ得なかったのか。乱れた白衣から覗いていた左足の先が、スチールラックの下に消えている。
「不二!」
「動かすな、折れてるかもしれないから」
 大石が、呼吸をはや正常に戻しながら冷静に言った。あの勢いならば折れるどころか足先がつぶれているかも知れないが、無論そんなことは本人の前で口に出来ない。
「不二。不二、おい」
「……平気……」
 よろよろと顔をあげた彼はその美しい容貌を多少青ざめさせながらも、うっすらと笑って見せた。
「大丈夫……折れて、ない」
「アホ。何言うんや、こんなもん落ちてきたら……」
「あれ……」
 ショックが抜けきれずまだ震える白い指先がさしたのは、彼自身の足首だった。男数人がかりでも持ち上げられないようなラックのはしから、忍足と大石が拍子抜けするほど簡単に、する、と不二自身によって引き寄せられ引きずり出された。
「あ……」
 状況に納得がいって、忍足は深くため息をつく。
 不二がたやすく足を引きずり出せたのは、その足とそこに食い込もうとしたラックとの間に挟まれた、ずいぶん分厚い紙の束のおかげだった。
 それはついさっき不二が大石から受け取った書類の束だった。見るだけでげんなりする量の、大の男でも片手でなんとか掴みきれなくもない、と言う、分厚いにもほどがある枚数の様々な書類。
 紙の厚みもあった。またあちこちからかき集められた書類であるために紙同士が完全に密着せず、一枚一枚の間に僅かに空気が含まれていて滑りがよくなっていた。
 それが直撃を避けられなかった足首の上に偶然にまとまって落ちたため、勢いと重みを僅かながら逸らし、最悪の事態を免れたのである。
「い……っ」
 足首をそろりそろりと引き寄せるうち、不二の眉が寄せられた。
「不二!」
「折れては……ないけど」
「あんなん落ちてきてイタないはずがないやろ。医者が折れてないっつーからそれは信用するとしても、ふたりとも医務室行け」
「俺の方はなんともない。……不二、無理なようなら担架に乗るか」
「やだよ。折れてもないのに、そんな大げさな。――肩貸して、それでいいから」
 軽く体をはたいて立ち上がった大石は、右足でよろよろと立ち上がろうとする不二をひょいと両手で抱え上げると、忍足を振り向いた。
「不二は無理だけど、俺はすぐ戻るから。ちょっと現場の指示任せていいかな」
「……」
 差し出しかけた手を引っ込めて、忍足は難しい顔で頷いた。
 あぶなかしげな不二を抱き上げようとしたのだが、一歩大石に遅かったのである。

「大石。ちょっと、ねえ、いいから下ろして」
「……暴れないでくれないか、不二」
「大の男が抱えられてるのってみっともないよっ。君だって重たいだろ。絶対折れてないし、医務室そこだから歩くってば、ねえ……」
「静かにしないと窓から投げるよ」
 別に不二など抱えていてもいなくても変わりないというふうに軽い足取りのまま、大石は医務室の前に立った。
 娯楽室などと同様、医務室も自動開閉では無いので入退室の為には、人の手をドアノブにかけて回す開閉作業が必要になる。
 今の大石の状態では無理な話だったので、彼は中にいるであろう数人に声をかけた。
「ごめん、誰かいるかな、あけてもらえる?」
 中に呼びかけた声は、いつもの大石だった。
 忍足の号令で医務室にいた数人は、大丈夫ですか、具合は、と口々に言いながら、ベッドや薬の準備万端な室内へ彼らを迎え入れた。
 骨に異常はなさそうだったが、何はともあれ大石が応急処置にかかる。椅子にかけさせた不二の足首を、ひざまずいた姿勢から慎重に診察しはじめた。
 もともと色の白い不二の足首が、痛々しく腫れている。
「……包帯固定だけじゃ無理かもしれないな、これは」
「――やっぱり?」
「靭帯断裂で手術、なんてことにならなきゃいいけどな。あ、そうだ、ごめん」
 少し考え込んでいた大石は、傍らで同じように不二のことを心配そうに見守っていた青年に声をかける。
「レントゲン取れるようにしてもらえる? ああ、それから、すまないけど事務所の方にあの棚の件を報告しに行ってくれ。直接ね」
「はい。すぐに」
 医務室にいた青年の一人が早足で退室する。
 かいがいしく手当をしながら、大石は傍らに残っていた二人の青年を見上げる格好で、別の指示を出した。
「悪いけど、君達は観察室に戻って状態を見てきてくれないか。手が掛かってるようだったらこっちに戻らなくてもいいから、片づけを手伝っていてくれ。俺も今からすぐ戻るから、先に行ってそう伝えて」
「了解しました」
 青年達の退出を待って、大石は自分も身を起こしながら不二に言った。
「さて。不二、しばらく此処で休んでいろ。俺もちょっと様子見てくるから。多分上へ報告しなけりゃいけないだろう」
 気が重いな、と大石は軽く肩を竦めた。
「――そうだね、派手に……一杯壊れたし」
「誰かすぐによこすから」
「いいよ、別に。女子供じゃあるまいし、気を遣わないで」
「何かあったら手塚に申し訳ないだろう」
「いいよ、そんなの」
 僅かに目元を紅潮させつつ、不二は口早に応じた。
「ケガしたって、これは別に大石のせいじゃないでしょ」
 包帯でとりあえず固定された足首に視線を落としている不二に、大石は背を向けドアへと向かいながら、その途中で足を止めてこう言った。
「悪かったな」
「――え?」
「悪かったな、驚いたろう」
 大石の急な謝罪に、しかし心当たりはない。
「――なに……なにが」
「あんなものが倒れてきて」
 さっきの棚のことを言っているのか、とそこで気づいたが、しかしまだその意図するところが判らない。
 棚の転倒で大石が謝らなければならないことなどあるのか。
 不二の困惑を察しているのかいないのか、肩越しに振り返った大石は唇だけで笑みの形を作る。目元はもともと穏やかで涼しげであるから、彼はただ唇の両端を上げるだけで、労せず人あたりの良い微笑を作ることが出来るのだった。
 彼の心の中に何があろうと、その表情からは伺うことなど出来ないのだ。
「すまないな。俺がなかなか来ないものだから」
 さらりと彼は言う。
 なんということもないうわさ話の続きのように。
 優秀で穏やか。真面目で態度は真摯で、決して激昂したりしない。彼のことを、きっと良い医師になるであろうと誰もが思うだろう。
 優しげな言葉の繰りかた、いかにも気遣わしげな物言い。
 知性と理性に裏打ちされた微笑。――そう、ほほえみ。
 彼は、笑っている。
 しかしそこから僅かに染み出す闇の色を、見誤ることなど不二にはない。

「俺が来ないから、焦れているんだよ――あれは」

 じわじわと滲み出す。
 闇の色の、狂気。

 ひゅう、とまた不二の耳元を風がかすめる。
 冬の冷たさ、けれどどこかに意思のようなものが息づいている、生々しい感触の。

 気遣う言葉をいくつか残し、大石がドアを開きまた閉じて出ていく間にも、不二は動けなかった。
 ひゅうひゅうと言う風の音は、無論幻聴だろう。
 暦の上では春であってもまだ寒い戸外の、その冷気が此処の空調に勝るなどあり得ない。
 けれどどうしてこれほど寒い?

「不二」
 彼の呪縛を解いたのは、ゆっくりよどみ凍り付く空気を破るような、よく通る声だった。大石によって閉じられたドアは二度と開かず不二は座った姿勢のまま再び動くこともない、そんなふうにさえ錯覚しそうな冷たい空気が完全に凍り付く前に、その呪縛を破り現れたのが忍足侑士だった。
 清涼なる風のような、その一声で正気に戻る。
「大丈夫か……どうしたんや、気分悪いか」
「え」
「顔、真っ青。ちょっと横になり」
「……いや、大丈夫。そんなことより、あっちはどう?」
「ああ、うん。そこで大石と出会うて、とりあえず状況報告は済ませた。上の人、来てるし、大石がおったほうがええやろ。俺が出せる指示は出してしもうたし、とりあえずフジコちゃんの見舞い、思うて」
「君もマメだね」
「落としたい相手にはな」
 ゆっくり溶けていく。
 やっと暖かみが戻ってくる。
いつもお調子者の彼だが、今回ばかりはその明るさが有り難かった。
「あっち、どう?」
「うん。まあ、棚ん中は全滅やったけど、けが人らしいけが人はフジコちゃんだけやから」
「あっそ」
「実験にも影響ないよ。在庫で間に合うような薬品ばっかりやったし、心配事はその足だけ……と、いうことにしとく」
「なに」
 不二の向かいに椅子を引いて腰掛け、ようやく一息ついた風情の忍足をちらりと見る。
「なんか含みのある言い方するね」
「んー……」
「何。気になるよ。言って」
 忍足侑士は即答せず片手で口元を覆ったり、綺麗に磨かれた眼鏡を外して殊更具合を確かめたりしている。
 何か口にするのを迷っている。そんな感じで。
 どの道隠し通しても不二には無駄なことだ。此処で言わずともいずれ知れる。あの場に不二もいたのだし、ケガもした。放っておいても、忍足が黙っていたところで、さほど時を待たずして親切な誰かが不二にそれを告げるだろう。
 は、と小さく息を吐き出し、忍足は少し困ったような顔をしてそれでも視線は優しく不二を見つめた。
「なあ。あの棚、どう思うた?」
「棚。棚って、倒れてきた奴?」
「そ」
「どう、って……言われても」
「妙な倒れ方やったと思わなんだ?」
「妙……」
「俺には気ィ使わんでね。……フジコちゃんと大石をめがけて来とったよね、あの棚」

――焦れているんだよ。

 ふ、と不二の脳裏に閃くように、先刻の大石の言葉と表情が蘇った。わずかな恐怖――日常から少しずつ袂を分かっていくような、まんじりともしない恐ろしさ。
「俺、ホンマ心霊とか信じてないっちゅーねん」
 ばりばりと髪をかき回しながら、忍足侑士ははーっと長く深いため息をついた。
「忍足、あの……」
「根本」
「え?」
「ラックの根本。あのラック、四つ足にこんな細長い板はめて、ボルトで直接床固定してあるん」
「うん」
「それがな、こう……ゾーキンでも絞るみたいに」
「……?」
「捻り切られとったの。……4つとも」

 ひゅう、と風が吹いた気がした。
 もちろん、気のせいだ。

「そ、どー考えてもおかしい。ボルトがハマったまんまやったからね。つまり、床に固定された状態であんなふうにねじれるはずがない。せめてこうやって」
と、両手で雑巾など絞る格好をしながら、忍足は続けた。
「均等に力かからなおかしいよな。……まあ、あの厚さ1センチの鉄板を捻った上ぶち切るような力の持ち主が人間におるとしてな」
 忍足侑士がつづけてぼやくに、そんなことの可能な……たとえば工事現場や鉄工所で使うような機材は此処には存在しない。
 しかし、その固定器具が無かったからと言って易々倒れるようなしろものでもない。
 先述したように男数人がかりでも動かない。ラックの中が空なら話は別だが、液体や粉末などと状態は様々であるけれど相当な量の薬品が詰め込まれていたのだ。そのガラス瓶の重量だけでもかなりのものだろう。
 左様。なにをどうしても、壁にぴたりと背を付けた状態のあの棚を“後ろから押されたように”不二と大石の方向へ倒すことなど、不可能なのだった。
 地震などが起きたわけでもないのは、言うまでもないことだ。
 忍足には、もし“そう”だとしたなら思い当たるふしがないわけでもないのだろう。不二も然りだ。
「人間業じゃない、ってか。カンベンしてやー……」
 あーあ、と言った具合に天を仰ぎ、おどけたように言ってみせる忍足の表情は厳しい。
 最先端の科学技術、最新鋭の医療技術、それらで固められたこの場所に、如何ともしがたい違和感が生まれ始めている。
 やがてそれは群集心理の力も借りて、ゆっくりこの白と銀との人工物に蔓延してゆくのだろうか。
 たとえて言うならその違和は、生きる者、命ある者の持つ恐怖と似通っている。
 原始的な本能に根ざして、人も獣も恐れる共通の存在。生命あることに執着するならまず恐れずにいられないであろう、闇、そして。
 死というものに。


 医務室を後にし、やって来た長くない道程を戻る大石の足取りはどこか軽やかだった。少し浮かれている、と、ごくごく親しい人間なら見分けただろう。
 廊下に並べられた窓ガラスの向こう、荒涼たる立ち枯れの山景色――雪すらない黒ずんだ寂しいその景色にさえ、彼はなにやら思うところあって快く笑っている。
 硬質なガラスに隔てられた向こうからは、ゆるみはじめた冬の気配は漂ってこない。
 ましてその先に見える小高い丘の木の枝に、まだ芽ぶく気配すらない。
「せっかちだなあ」
 ほほえみながら大石は言う。立ち止まった彼の視線は、丘の上、桜とおぼしき巨木に向けられていた。
 欲しいもの好きなものができるととても夢中になって、いくつになってもちいさな子供のように目をきらきらさせていた、彼のことを思い出して。
 その彼のことを、せっかちだと苦笑しながら、自分がとても愛しく見守っていたことを思い出して。
 まるで。
今もそうしているように。
「不二はダメだよ、関係ないだろ? ――それに、ホントもう少しだから」
 さくらが咲いたらね、そのころにはねと。
 彼はとても機嫌の良い少年のように――そう、小さく歌さえ口ずさみながら彼はその場を去った。

 さくらさくらと、メロディに乗せて呟きながら。





 その夜のことだった。
 第一研究室、通称1研で起きた妙な転倒事故の顛末を調べる為に、現場責任者の医師と二人、深夜まで居残っていた初老の教授が、遅い帰途につこうと言う頃。
 研究棟から正面のエントランスへ続く長い廊下に、彼がさしかかったとき。
 ひたひたと言うひそやかな足音に気づいて顔を上げると、彼の前方に白い人影が見えた。素足で歩くような足音だけはくっきりと響いているのに、その後ろ姿は妙に希薄だった。
 おやいつのまに、と彼は眼鏡の奥の目をしばたたかせた。
 若手の所員の誰かだろうか、こんな遅くまでご苦労なことだ、とのんびり考えた。後ろ姿が若い、と思ったのは、少し長めで赤みがかった髪が横に可愛らしく跳ねている様子が見て取れたからだ。白いカッターシャツのようなものと、黒いズボン。中学生くらいの少年のような華奢な後ろ姿だった。
 初老という年代の彼から見れば、大石や不二のような年代でも、ほんの子供のような存在に過ぎないだろう。だからその背中が妙に幼いことに気づくのも、彼は遅れた。
 ご苦労さん、と声をかけようとしたとき、その人影の左手首に何か妙なものが巻き付いていることに気づいた。
 赤い、細長い、もの。何か紐のようなものだった。
 ひたひたと足音だけを響かせながら、僅かに俯いた様子のその後ろ姿。手首に巻き付いてだらりと先が落ちた赤い紐は、空に端をゆらゆらと揺らめかせている。
 ぎくりと教授は足を止める。
 何か。
 何か妙ではないか?
 研究棟からエントランスまでは長い一本の廊下だ。その途中に作られた資料室や検収室などは、この時間帯ならば全てセキュリティ室から遠隔操作で一括に施錠されている。
 誰かがいた気配もないし、扉があいた音もしなかった。研究棟の渡り廊下からこちらまで、誰一人に会うこともなかった。それはそうだろう、若手の所員はほとんどが独身者で、観察室に泊まり込んで経過を見守る夜勤担当をのぞけば、今は全て寮の自室に引き取っているはずだ。
 思わず足を止め、教授はその後ろ姿を凝視した。

――ひたひた。ひたひた。
 足音だけが響く。

 彼が息を飲んで見つめる先で、か細いその姿はみるみるうちに薄く儚くなり、歩く仕草を続けながら完全に薄闇に溶け消えたのだった。





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