(かと ひとし)
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思いつくまま

 2010年8月1日(日)
  死刑制度について思う
 千葉景子法相が死刑執行命令書に署名し、死刑が執行されたという報道がありました。
また、同法相が死刑執行に立ち会ったとも報道されていました。

 現職の法相が死刑執行に立ち会うことの是非はいろいろな考え方があり、私には何とも言えませんが、ひとつ気になることがあります。
 いつも死刑が執行されると、死刑制度に反対する方々が声高々に死刑執行に対して異を唱えます。
それらの方々の言い分は、死刑という制度が残虐であり、犯罪者といえども命は尊重されるべきだと・・・。

 果たして、我が国の死刑制度は残虐なのだろうか・・・。
私は残虐とは思えない。
それを言うなら、死刑に値するような” 残虐な犯罪を犯した犯罪者 ”が非人道的であり、残虐であると私は言いたい。

 死刑制度に反対する国際的な団体もあるようですが、それらの団体あるいは死刑制度に反対する方々に、私はあえて問いたい。
もし、自分の家族や大切な人が残虐な方法で殺害されたり、自分の大切な家族が、あるいは恋人が非情な犯罪者によって辱められ、挙げ句に殺害されたとしたら・・・、それでも、 「 死刑は残虐だから反対です、犯人には寛大な処置を持って死刑にはしないで下さい。 」と言えるのですか?・・・と。

 私はそんなお釈迦様のような聖人君子は、この世に存在しないと思う。
自分の家族や大切な人がそのような残虐な犯罪に巻き込まれたとき、絶対にその犯人は許せないと思うはずです。
 私なら絶対に許すことは出来ません。法の下に厳罰に処するのが当然であると思います。

 私は思うのです、死刑になるような犯罪を犯す犯罪者が悪いのであって、死刑制度が悪いのではありません。
 
 もちろん、死刑制度は人が人の命を奪うのですから、間違いは許されません。
少しでも冤罪の疑いがあったり、再審請求がされていたりすれば、死刑執行はされるべきではないでしょう。
本人も罪を認め、物的証拠もあり、間違いなく犯罪が立証されているものに限り執行されるべきものと思います。

 ですが、死刑執行がされると、いつもそれらのことが政争の具にされ、問題がすり替えられていくのは腹立たしい限りです。
 低俗なマスコミもしかり、いつもピントのずれた報道しかしません。

 犯罪に巻き込まれた方々の気持ちを置き去りにして、政争の具したり、おもしろおかしく問題の本質をすり替えて報道するのはやめていただきたいと私は思います。

私自身は、治安維持からも、そしてそのような重大な犯罪を犯した犯罪者の責任を問う意味からも、死刑制度は維持されるべきだと思います。