第6話 マネージャー
あれは数週間前の出来事。
家に帰ってきたら家の扉の前で男の人が寝ていた。
これも、そうそうある事ではないと思う。
でも、今の状況はそれ以上にありえない事じゃないかと思う。
「お帰りー」
帰宅してみたら、リビングのソファで男の人がくつろいでいた。
二人の知り合いかと思ったが、まだ悠都さんも一哉も帰ってきていない。
でも、あたしはちゃんと鍵を開けて家に入った。
朝、家を出る時にもちゃんと戸締りもしたはずだ。
なら、どうやってこの人はうちに入ったんだ。
「どちら様ですか?」
当然、思いっきり不審者を見る目でそう言ったあたしの言葉に、彼は笑顔で自己紹介を始めた。
「初めまして。渡村克己です」
すっごく簡潔な自己紹介だった。
確かに、どちら様ですかと聞いたのはあたしだけど、別に名前が聞きたかったわけじゃない。
と思いつつも、自分も反射的に名乗ってしまったのは、幼い頃の躾けの成果だろうか。
まだ不審そうな表情を隠そうともせず浮かべているあたしに、彼は笑って付け足した。
「君のお兄さん、槻川悠の敏腕マネージャーやねん」
「悠都さんの、マネージャーさん・・・?」
「そ」
「そのマネージャーさんが、こんな所で何してるんですか?」
「悠都を迎えに来たんやけど思ったよりもはよ着いたから、待たせてもらってたんや。悠都がおらんかったから、勝手に。ごめんな?」
「どうやって入ったんですか? 鍵、かかってましたよね?」
「管理人さんに借りたけど」
「・・・・・・。」
うちのマンションの管理はどうなってるんだろうか。
他人にほいほい鍵を貸すなんて。
あたしはそう思いながらも、その原因に思い当たった。
現管理人は40代そこそこの人のよさそうなおばちゃんだ。
決して悪い人ではない、むしろいい人だと思うのだが、多分、美形に弱い。
考えてみれば一哉の時もあっさり鍵を渡していた。
兄弟だと説明したせいかと思っていたが、どうも違ったらしい。
朝も一哉が挨拶するとそれはもう嬉しそうな顔をしている。
そして目の前にいる渡村克己も管理人のおばちゃんが好きそうな顔立ちをしていた。
多分見た目通りというか、克己は調子もいいのだろう。
上手い事おばちゃんをのせて鍵をもらったに違いない。
・・・この場合どっちを責めるべきなんだろう。・・・両方か。
「・・・とりあえず、悠都さんが来るまでそのまま寛いでてください。大したお構いも出来ませんが」
というか、しませんが。
そんな事を考えていると、渡村さんは面白そうな表情であたしを見ていた。
「・・・何ですか?」
「真衣ちゃんも変わってるなぁ」
・・・失礼な。
「マネージャーなんて話、簡単に信じるか? 胡散臭いやろ」
「でも嘘じゃないんですよね?」
「もちろん。名刺見る?」
「それこそいくらでも偽造できそうなので結構です」
そう返すと、渡村さんはさらに笑った。
「そもそも家に入って知らん男がおったら、普通は逃げへん?」
そんなこと考えるなら、勝手に入ってこないで下さいよ。
「昔、護身術に少林寺拳法とかちょっと習わされてましたから。というか、最近非常識な事しか起こってなかったんで、そんなに深く考えてなかったっていうのもありますけど」
むしろそれが大きいんですけど、とは考えるとちょっと悲しい気がするので口に出さないことにする。
あたしの言葉に渡村さんは再び笑いだした。あたし今、そんなに笑うようなこと言いましたか?
何か不思議な感じのする人だ。一言で表すなら、変。
渡村さんは笑い終えると同時に、妙に真剣な表情をしてあたしを見た。
「さっき思ったより早よ着いたからここで待ってたって言ったけど、ほんまは違うねん」
ソファから立ち上がりながらそう言った。
「噂の真衣ちゃんに会ってみたかったから来てん」
「噂?」
どこで。というか、何の。
そう言う間にも渡村さんが近付いて来て、あたしの頬に手をあてた。
渡村さんのその行動にあたしが何かを言うよりも早く、玄関のドアが何だかものすごい勢いで開けられる音が響き、何か叫んでいるのが聞こえた。
「真衣ちゃん、無事!?」
何だかちょっと聞き捨てならないような台詞と共にリビングのドアを開けて入ってきたのは悠都さんだった。
渡村さんは、あたしにくっついたままの状態で顔だけ悠都の方へ向け、実に爽やかな笑顔で言った。
「お帰り。早かったな」
「お前、何やってんだよ!」
「見て分からん? 口説いててん。あとちょっとやってんけどなぁ」
渡村さんはそう言うとあたしからあっさりと離れ、悠都さんの方に近付いていった。
「思たより早かったな」
「・・・あんな電話聞いてゆっくりしてられるとでも思ったのか?」
何を言ったんだか。
まあ、リビングに入ってきた時の悠都さんの台詞から想像出来ないこともない。
今のやりとりからだけでも、渡村さんと悠都さんが普段どんな感じでいるのかはだいたい分かった気がした。
渡村さんが悠都さんをからかい、それにいちいち真面目に悠都さんが反応して・・・というところだろう。
傍観を決め込んでいるあたしの横で、二人はしばらく言い合い・・・と言っても渡村さんは終始笑みを浮かべていたので、悠都さんが渡村さんに一方的に怒ってるだけのような気がしたけど。
まあ、言い合いが(一方的に)終わり、仕事に行く仕度をするために悠都さんが部屋に入ると、全く懲りていない様子の渡村さんが笑みを浮かべて言った。
「悠都はからかい甲斐があるなぁ」
やっぱり、今しがた悠都さんの言った事など欠片も気にしていないらしい。
「ほどほどにしといて下さいね。後であたしにまで被害が来るのはごめんです」
渡村さんはその言葉には笑うだけで答えようとはしなかった。
止める気もさらさらないらしい。
「真衣ちゃんはさっき全然動揺してなかったみたいやけど?」
「冗談だって分かってましたから」
「あ、やっぱり?」
「勘ですけど。渡村さん、女の子にも不自由してなさそうだし。第一、クビになりたくはないでしょう? いくら母があんな性格だからって流石に自分の娘に無理矢理手を出したとなればそうなりますよ。・・・多分」
そんなに信頼のおけない人間を母さんや悠都さんが傍に置いておくはずないし。
確かに、渡村さんの行動は突飛だったけれど、悪い人だとは思わなかった。
「真衣ちゃんはうちの社長の愛娘やからな」
「気色の悪い表現をしないで下さい」
あたしがそう言うのと同時に悠都さんの部屋のドアが開けられた。
こっちに向かってくると、悠都さんはがしっと渡村さんの襟首を掴み、玄関へと引っ張って行った。
渡村さんは特に抵抗する様子も見せず、あたしに笑顔で手を振っていた。
「またね。真衣ちゃん」
「もう来なくていい!!」
渡村さんの言葉に答えたのは、あたしではなく悠都さんだ。
あたしはどちらかに賛成するわけでもなく、ただ「いってらっしゃい」と手を振って見送った。
二人が去った後、ふうっと息をついて一気に静かになったリビングのソファに腰掛けた。
今日も騒がしい一日だ。
何だか既に思い出せなくなりつつありそうな、平穏な日々を頭にめぐらせながら心の中でそう呟いた。

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