今城塚古墳継体天皇陵  越前・若狭紀行
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   真の継体天皇陵とされる大阪府高槻市の今城塚古墳(いましろづかこふん)から現代の神社にも共通する千木(ちぎ)や鰹木(かつおぎ)を備えた高床式の神殿様の家形埴輪が見つかった。幅110cm、奥行き80cm、高さは170cmと推定され、1976年に同古墳で見つかった幅82cm、奥行き57cm、高さ159cmの家形古墳をしのぎ国内最大の物となる。更に、相撲力士や太刀を持つ武人や天皇に仕えた巫女や馬や鶏や水鳥の埴輪、鉄斧など120点が出土した。天皇は剣を佩いて馬に乗り、高床式の建物が建つ中で武人や巫女が天皇を取り巻き相撲を観戦していた生活ぶりが推測される。水鳥は魂を死後の世界に導き、早朝になく鶏は死者をよみがえらせるという。2001年9月23日撮影  関連のサイト継体天皇 天皇堂  
          今城塚古墳            力士の埴輪                鉄斧の先                              鶏の埴輪
        出土の様子           円筒埴輪の列     千木と鰹木のある屋根                 出土の様子
   一方、継体天皇の皇后の手白香皇后陵とされるのが西山塚古墳(衾田墓・ふすまだのはか)である。宮内庁は西山塚古墳の東200mにある西殿塚古墳を手白香皇后陵と指定しているが年代が合わない上に、科学分析で西山塚古墳の埴輪は継体天皇陵の埴輪を製作したのと同じ窯(高槻市・新池遺跡)で作られたことが判明しているので、西山塚古墳が手白香皇后陵と考えられる。継体天皇陵は大阪府・高槻市に、手白香皇后陵は奈良県・天理市に築かれた事は何を物語るであろうか?
   1987年住宅建設に際して 高槻市が5万uの開発予定地の新池を調査したところ日本でも最大規模のハニワ工場跡が見つかった。
この新池遺跡は5世紀中頃から6世紀中頃までの100年間に渡って18本の登り窯を使って操業していたことが判明した。初期に建設された1〜3号窯だけで年間4000本の生産能力があったと推定されている。次々と新しい窯が作られ近くの太田茶臼山古墳や今城塚古墳、更に40km離れた天理市の手白香皇后陵である西山塚古墳などに供給された。
西山塚古墳  奈良県・天理市  西山塚古墳から見た西殿塚古墳   復元された登り窯1〜3号窯  出土した窯  高槻市・新池遺跡