神に対するアインシュタインの見解

  「アインシュタインの宇宙観」というWebに(http://www.epochtimes.jp/jp/2010/)神の存在を肯定していると思われる文章があるので転載してみます。

 
ある日、記者から宗教についての見解を求められたアインシュタインは、「このコーヒーカップをここに置いた人は、誰か分かりますか?」と問いかけた。記者は、当然のように「もちろん、アインシュタイン博士、あなたです」と答えた。

 アインシュタインは、「コーヒーカップなどの小さい物でも、ある力が働かなければ動かすことは出来ません。考えてみてください。この宇宙にはたくさんの星があって、それらを一定の軌道で運行させる、その力をだせるのは、神しかいません」と説明した。

 あるインタビューでは、「一部の人は、宗教は科学理論に合致しないと考えている。私は科学者で、今日の科学は、特定の物体の存在を証明することができるが、特定の物体が存在しないことを証明することはできない。従って、われわれがある物体が存在することを証明できなくても、その物体が存在しないということを断定してはならない」と語った。

 さらに『原子核』を例として、「数年前に、例えばわれわれが原子核の存在を証明できなければ、もしその時、『原子核は存在しないのだ』と断言していたとしたら、それは大変な誤りを犯していたのではなかろうか?」と説明した。

 アインシュタインは『神』の存在について、「今日の科学が神の存在を証明できないのは、科学がそこまで発展していないのであって、神が存在しないのではない。人間の五感は限られており、神の存在を感じることはできない。科学も神の存在を否定はできないのであるから、われわれは神の存在を信じるべきである」と語った。

 ニュートン:望遠鏡の先に「神」の痕跡が見える

 アインシュタインがもっとも尊敬する科学者がアイザック・ニュートン(Isaac Newton)であり、「真の偉大な科学者はニュートンだ。私はただ、ニュートンが計算上にあった誤りを修正しただけだ」と謙虚に話したことがあった。ニュートンの天才ぶりは多方面にわたり、天文、地理、数学、神学等において、輝かしい実績があり、もっとも著名な著作『自然科学の数学原理』が近代科学の礎石とも言えよう。

 一方、英国の著名な天文学者ハレーはニュートンの親友であり、ハレー彗星の軌道を推算した人物だった。かつて、ハレーは宇宙の万物が神によって創造されたとは、信じていなかった。ある日、ニュートンは太陽系の模型を作った。中央には金メッキの太陽が配置され、周辺の惑星はそれぞれの位置にあり、レバーを操作すると、各惑星が軌道に沿ってゆっくりと動き出すという、見事な仕掛けであった。

 ハレーは、その模型を見て驚嘆し、誰が作ったのかと問いかけた。ニュートンはハレーの肩を叩き、「この模型は精巧ではあるが、しかし、本当の太陽系に比べたら、大したことではないのだ。誰がこの模型を作ったにしても、模型より億万倍も精巧である太陽系は、全ての力が備わっている神が、高度な智恵を使い創造したのではないのか?」と説明した。ハレーはその言葉に打たれ、神の存在を信じるようになった。

 ハレーは彗星の軌道を推算できるほどの人物である。当然、宇宙や宗教に対してひとかどの見識を持っていたはずである。それにも拘わらずニュートンに説明され神の存在を信じるようになったのは、ニュートンの説明が当を得た説明だったからである。世間には、いくら理を尽くしても、当を得た説明をしても、物事の本質を見極められない頑固な人間が多いものだが、人より抜きん出たハレーには、当を得た説明が合点のいくものだったのである。
 
 
ニュートンは神学者でもあり、一生を神学の研究に尽力し、科学への探求は余興にしていた。自分の科学の実績について、ただ「神の思想に追随する」だけであるとし、宇宙の万物について、「宇宙の万物は、全ての能力が備わっている神が掌握し統治しているのだ。私には望遠鏡の先に神の痕跡が見える」と語った。

 アインシュタインは神の存在について、「今日の科学が神の存在を証明できないのは、科学がそこまで発展していないのであって、神が存在しないのではない。人間の五感は限られており、神の存在を感じることはできない。科学も神の存在を否定はできないのであるから、われわれは神の存在を信じるべきである」と語った。が、奇しくも霊界からの霊訓が同じようなことを述べている。

 霊の力は目には見えません。人間界で用いられているいかなる計算機でも計れないものです。長さもなく、幅もなく、高さもなく、重さや色もなく、容積もなく、味も匂いもありません。ですから、常識的な地上の計量法でいけば、霊力というものは、この世に存在しないことになります。つまり、実感とは五感で捉えられるものと決めてかかっている唯物的自然科学者にとっては、霊力は存在しないことになります。

 しかし、愛は目に見えず、耳にも聞こえず、色もなく味もなく寸法もないのに、立派に実感があります。それは深い愛の感動を体験したものが証言してくれます。確かに愛の力は強烈です。しかし、霊の力はそれよりも無限大に強力です。

 霊の力は、あなた方が”神”と呼んでいるもの、そのものです。もっとも、その神を正しく理解していただけないかも知れませんし、誤解してその意味を限定してしまっておられるかも知れません。ともかくその霊力が、かっては火の固まりであったものを今日ご覧になっておられるような生命あふれる緑の地球にしたのです。・・・・・中略

 アインシュタインは、この宇宙にはたくさんの星があって、それらを一定の軌道で運行させる、その力をだせるのは、神しかいませんと言った。
 

 1904年にフランスの数学者アンリ・ポアンカレによって提出されたポアンカレ予想は100年近くも証明することができない難問だったが、ロシアのグレゴリー・ペレルマンが2002年から2003年にかけてこれを証明したという一連の論文をインターネットに発表した。複数の数学者チームによる検証が行われた結果、誤りのないことが明らかになった。
 ポアンカレ予想が証明されたことによって宇宙空間の形が分かるというのである。しかし、証明から10年経っても宇宙空間の形はいまだに分かったとする発表はない。多分何十年経っても宇宙空間の形は発表できないと思う。なぜなら霊界からは宇宙はこのように語られている。

 
――宇宙空間は無辺でしょうか。それとも限りがあるのでしょうか。

「無辺です。もしもどこかに境界があるとしたらその境界の向こうは一体どうなっているのでしょう? この命題は常に人間の理性を困惑させますが、それでも、少なくても”それではおかしい”ということぐらいは理性が認めるはずです。無限の観念はどの角度から捉えてもそうなります。人間の置かれている条件下では理解不可能な命題です」

 神は確実に存在しているのです。神は人間の善行を主目的にしているのです。そして、親切、寛容、同情、奉仕などの摂理を定めているのです。当然、正義は確実に人間の義務となります。

 安倍総理は国会の演説で、多分中国を念頭において言ったものと思われますが、国民の幸福の追求権を阻害する者から私は国民を断固守るつもりですとおっしゃっていましたが、三権分立の一角である司法が、金儲けのために多くのドライバーを罪に陥れているのはご存知なのでしょうか。その数は毎年、年間で免許取り消しは多いときで5万人前後に至り、免停は多い時で50万人前後に至っているのです。そのため多くのドライバーが失職したり、また一家離散の運命に陥った人もいます。現在こそ余りの罰則の重さにドライバーが警察の待ち伏せ取り締まりや、ねずみ取りに気をつけるようになり、免許取り消しと免停合わせて40万前後に成りましたが、それでも欧米に比べてダントツの数字であることには変わりないのです。

 野村氏が運営されている「交通行政監察官室」というサイトに掲載されている「スピード規制の国際比較」というものを見れば日本の法定速度の低さが一目瞭然でわかります。

道路種別⇒

自動車専用道路

一般道路(郊外)

市街道路

ドイツ

制限なし(推奨130km/h)
(規制された区間もある)

100km/h

 50Km/h

フランス

130km/h(雨なら110km/h)

 90km/h(片側2車線なら110km/h)

 50Km/h

イタリア

130km/h

 90km/h

 50Km/h

スペイン

120km/h

 80〜100km/h

 50〜60km/h

スイス

120km/h

 80km/h

 50km/h

オランダ

120km/h

 80km/h

 50km/h

ポルトガル

120km/h

 90km/h

 50km/h

イギリス

112Km/h (70MPH)

 96Km/h (60MPH)

 48km/h (30MPH)

それに対して日本の高速道路は80kmから100kmで、欧米に比べて40kmも低いのです。その他、警察の私利私欲で高速道路と認定しない首都高速や阪神高速の法定速度は60kmで場所によっては一般道路よりも低い50kmのところも多々あります。仮にも高速と名が付いて一般道路よりも低速の法定速度が存在するのは日本だけです。当然、利用しているドライバーの殆どが違反走行しているので警察は好きなとき自由に違反者を捕まえることができるのです。そしてもっとひどいのは郊外にもかかわらず法定速度が40kmから50kmのところが多々あって、それによってネズミ捕りで検挙されるドライバーが膨大な数になるということです。欧米では郊外は80キロ以上でそれに対して日本の郊外の法定速度は20キロから40キロも低いのです。

 警察は事故防止という美名を錦の御旗にして法定速度を低くして違反金を稼ぐのです。違反させられるドライバーはたまったものではありません。しかし、実は走行速度が上がれば事故発生率が上がるというデータはないのです。

 全国の都道府県警察では2011年から13年にかけて一般道路の速度規制見直しを行ない、1911区間で交通事故の増減率を分析したのです。すると、規制速度の引き上げ、引き下げに関係なく事故が減少したか横ばいだった区域が7割を占めたのです。だから警察の事故防止の為という速度規制は、違反金を稼ぐための名目でしかありません。

 
年間スピード違反で検挙されるドライバーは1985年には564万7393件(全違反件数の約45%)と、世界でもダントツのあり得ない数字を記録したのです。あまりの重罰にドライバーも気を付けるようになり、2014年には約67%減の183万5930件(全違反件数の約19%)となりましたが、速度規制を恣意的に定め、多くのドライバーを陥れる行為は、国家に仇を為す行為と言えないこともありません。なぜなら、霊界からはこう述べられているのです。

 人生には個人としての生活、家族としての生活、国民としての生活、世界の一員としての生活があり、摂理に順応したり逆らったりしながら生きております。逆らえば、そこに暗黒と病気、困難と混乱と破産、悲劇と流血が生じます。順応した生活を送れば、英知と知識と理解力と真実と正義と公正と平和がもたらされます。

 自分のしたことはすべて自分に返る、つまり因果律が宇宙の摂理でもあるからです。それは、個人であれ組織であれ国家といえども免れることはできません。交通法規を悪用して金儲けのために多くの人間を罪に陥れるような機関が存在する限り、自然災害や国難が止むことはありません。

 1990年代のバブル崩壊後、世界は不況に突入しましたが、日本の不況だけが突出して欧米から暗黒の10年とか15年とか指摘され、最近でも失われた20年とか表現されています。

 その他、阪神大震災及び東日本大震災も茨城県の水害や阿蘇山の噴火も、韓国の従軍慰安婦問題の再燃も決して偶然ではなく、今後、ロシアや中国による国難も増発する可能性もあるのです。このホームページを更新して間もなく熊本で震度7の地震がおきました。8月には滅多に台風の来ることのない北海道に台風が三つも上陸して甚大な被害を与えました。偶然でしょうか。しかし、霊界からはこういっているのです。

 
宇宙は道義的な意図で満ち溢れており、非動義的意図は大霊(神)の摂理に反します。人生に偶然はありません。偶発事故というものもありません。偶然の一致というものもありません。全ては普遍の自然法則によって支配されています。私たちは因果律という絶対的な摂理を説きます。つまり誰一人として神の摂理のウラをかくことはできません。

 正義という概念は決して絵空事のボキャブラリーではなく、この宇宙に完全に存在しているのです。霊界からはハッキリとこう述べているのです。

 
自分の過ちには自分が罰を受け、善行に対する報酬も自分が受けるのです。
  
 ただそれがいつかと言うと、こう述べています。

 地上では必ずしも正義が勝つとは限りません。なぜなら因果律というものは必ずしも地上生活中に成就されるとは限らないからです。ですが地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は1分の狂いもなく働き、天秤は必ず平衡を取り戻します。

 しかし、いつ成就されるかという時期の問題になると、それは原因の性質いかんに係わってきます。すぐに結果の出るものもあれば、地上生活中にはでないものもあります。その作用には情状酌量といったお情けはなく、機械的に作動します。罪を犯すとその罪がその人の霊に記録され、それ相当の結果を生み、それだけ苦しい思いをさせられます、それが地上生活中に出るか否かは私にも分かりません。それはさまざまな事情の絡んだ複雑な機構の中で行われるのですが、因果律の根本の目的が永遠の生命である“霊の進化”にあることだけは確かです。

 
 霊の進化のために、善行の結果も、悪行の結果も、正義の戦いも、すぐに結果の出るものから、地上生活中には結果の出ないものもあるようです。なぜなら、良いことをしてすぐ見返りがあれば所詮人は利己的に良いことをしようと思うのではないでしょうか。利己的に行う行為には霊の進化が望める訳がありません。それと、同じで、正義の戦いが必ずしも勝つと決まっていたら争いごとは起こらず、霊は何の進化を得ることもできないでしょう。霊の進化のためには悪も必要で悪があって善を知り、敗戦を経験して始めて勝利の意義を知るのではないでしょうか。肉食動物が草食動物を殺すのをみて、人は哀れみと憐憫の情を学び、やはり霊の進化の糧となるのではないでしょうか。だからといって悪が放置されることは決してなく、こう断言しているのです。

 地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は1分の狂いもなく働き、天秤は必ず平衡を取り戻します。
 
 米国のシンクタンクが2014年に世界各国の国民の幸福度を調べたところ日本は先進国中で最下位だということです。そして、日本の自殺率は世界平均の1,8倍といいます。他の国で年間自殺する人が平均17,000人なのに対して日本の自殺者は30,000人前後になるのです。だからこそ、国民の幸福度が先進国中最下位というのも納得いくはずです。
 
 安倍総理のお膝元の管轄下である司法が多くの人間の幸福の追求権を奪っていることも阻止できないで、何を大言壮語のような発言をなさっているのでしょうか。
 警察があげ足をとるような違反で多くの国民をカモにするような交通行政を続ける限り、日本が国際的に浮上することはなく、これからもさまざまな外交の困難と多くの自然災害に見まわれる可能性があります。

 無論、飲酒運転や悪質ドライバーや無法ドライバーの検挙には大賛成ですが、私もスピード違反で免停を受け、二万数千円の金を払って免停の短縮講習を受けたのですが、二十数名の講習者の中には80歳を超えるお年寄りや主婦とおぼしき女性の方も二人ほど居られました。要するに悪質ドライバーや無法ドライバーには縁遠い人達でさえ、いとも簡単に免停に持っていかれる現在の交通法規に問題があるとしか思えません。

 アメリカでは免停は、うろ覚えですが15点とか聞きました。日本はわずか6点で免停になり、一度免停になると、免停の度合いにも寄りますが以後の一年間は2点から4点しか貰えません。だから2点しか貰えなかったものは一つの違反で再度免停になってしまう場合もあるのです。

 又、たとえ4点あっても10ヶ月目で2点違反があったとしたら、その違反があった日からさらに一年間残りの2点で行かねばならず、職業ドライバーのように年がら年中クルマを運転している者は、一度免停になると蟻地獄のように中々そこから抜け出ることが出来ない仕組みになっているのです。そして、最後には免許取り消しに至るものも少なくなく、その結果多くの職業ドライバーが職を奪われ、一家離散の目にあった家族も存在するのです。

 週刊現代2016年10月29日号には警察の汚いやり口が暴露されているので転載して見る。

 今年も「秋の交通安全運動」が実施され、少なくないドライバーがキップを切られた。だが、それは本当に「交通安全のため」の取り締まりだったのか……。反則金を稼ぐ警察の手口は汚すぎる。

■「はい、35kmオーバーです」
歩道と車道がセパレートされた片側一車線の広い直線道路。見たところ速度標識もない。60q/h道路だと判断し、アクセルを踏み60q/hに加速。やや加速が効いて70q/h近くになった。十分広い道路なのでこの程度のスピードなら危険性はないと思った、その瞬間--。
「ピッ、ピィー」
突然、側道から飛び出して来た警官が、「とまれ」の赤旗を振る。
「はい、35q/hオーバーですね。ここは40q/h制限ですよ。標識を見なかったのですか」
エッ、一体どこに標識があったのか? 男性は事態を飲み込めないまま、赤キップ(30q/h以上の速度違反、それより下は青キップとなる)を切られ、免許停止処分になってしまった……。
どうしても納得がいかない男性は、その後現場に戻り確認したところ、衝撃の事実を知る。道路脇に繁った街路樹により、「制限速度40q/h」の標識がほとんど隠れた状態になっていたのだ。
「これじゃあ標識が見えるわけがない。なんて汚い手を……。それが警察のやり方か。セコい、セコすぎる」
この男性から相談を受けたという、交通評論家の鶴田光秋氏が語る。
「この場合、免停になった彼に過失はまったくありません。道路標識は、歩行者や運転者に『わかりやすく、見やすい場所』に設置し、常に正常な状態に保つようにしなければ法律上有効とはいえない、と道路交通法解説にも記されている。
警察は、広くてスピードの出しやすい直線道路で、標識を故意に見えづらいまま放置して、検挙しやすくしていた可能性があります。これは不当な取り締まりですよ。こんな場所で『ネズミ捕り』をして反則金を稼ぐのは、交通安全目的ではなく、卑怯そのものです」
鶴田氏は、この男性に警視庁に異議申し立てを行うようにアドバイスをした。ところがその直後、警察は思いもよらぬ行動に出た。
自分たちは「不当なことは何もしていない」と言わんばかりに、標識を隠していた木を切り落としたのだ。これまでは見えていなかったと自ら宣言したようなものである(しかもその後、この場所でネズミ捕りが行われることはなくなった)。
さらにこの男性の「35km/hオーバー」自体が、スピードを「誤測定」されていた可能性もあるという。
「警察はスピードを測る際にレーダー装置を使うのですが、ガードレールなどの金属に当たると正確に測定することができない。つまり投射角によっては、実際のスピードより速く計測してしまうことがあるのです。違反車を多く捕まえるために、わざとやっている可能性もある」(前出の鶴田氏)

■角を曲がったら白バイがいた
その他にもまだまだセコい「ワナ」はある。
たとえば、地下道の侵入直前に「二輪車通行禁止」の標識がある場所。ドライバーは直前で気づいてもそのまま進むしかなく、出口で警察が待ち構えているというわけだ。
もう一つのワナが、住宅街などにある、見えづらい「一時停止」の標識だ。標識に気づかずに、一旦停止せずに進むと、角を曲がった瞬間、白バイが待ち構えている。
「制限速度を順守していた車が後ろから煽られたので、スピードを上げたところ、後ろの車が実は覆面パトカーでそのまま捕まえられた」なんていうひどい話もある。
元白バイ隊員は「陸橋やトンネルの出口、下り坂などスピードを出しやすいところで待ち伏せするのは常套手段」と語る。
「東京の場合、江戸川区大杉の京葉陸橋、同区の松本連続陸橋、通称・東京湾岸道路と呼ばれる国道357号の葛西臨海公園や環七大井ふ頭。それ以外にも、千住大橋、国道17号新大宮バイパスの笹目橋、その隣の戸田橋、東京ゲートブリッジなど定番のスポットです。
国道246号の新二子橋(多摩川)から都内に入ってくるところは、もう20年以上前から変わらず覆面パトカーの取り締まりポイントになっています」
「交通事故を防ぐため」という表看板を掲げながら、本当に危険な場所ではなく、ただ違反をしやすい場所を見つけ、ワナを仕掛け、待ち伏せして、罰金を取り立てる。しかも何年間も同じ場所でそれをやる(ちなみに雨の日は取り締まりが少なくなる)。これが本当に警察のやるべき「仕事」なのか。
前出の鶴田氏はこう指摘する。
「私は違法運転を奨励するつもりはさらさらありません。わざわざ『違反』を『させて』カネを巻き上げる、警察の汚いやり方に対して異議を唱えているのです。
本当に交通事故を減らす目的なら、コソコソと茂みや電柱の陰に隠れたりせず、堂々と表に立って『この区間は注意してください』とドライバーたちに呼びかけるべきではないでしょうか。そのほうが抑止力になるでしょう。
それを一時停止で止まらなかったら『引っかかった』という態度で、物陰から出て来て捕まえるのはおかしい。
また標識が分かりづらい右折禁止の場所で、右折した後に警察官が待ち構えていることがありますが、本当なら右折の前にいなければならない。違反をする前に『指導、警告』するのが本来のあるべき姿じゃないですか」
警察の取り締まりのやり方については、'13年に当時国家公安委員長を務めていた古屋圭司氏もこう指摘している。
「取り締まりのための取り締まりになっている。『本当に危険な場所』よりも、『警察が検挙しやすい場所』で、優先的に取り締まりが行われている傾向がある。これは警察の信頼という視点からも疑問符がつく。取り締まられた側も納得できる取り締まりをしなければならない」
不当に検挙されたドライバーには、自らの違反を反省するどころか、『だまし討ちにあった』『他の運転者もやっているのになぜ自分だけ』という反感や不公平感が生まれる。
それにより運転者の意識が『今後違反をしないようにしよう』ではなく、『今後違反は見つからないようにやろう』になってしまい、逆効果になる可能性もある。

■安全より「カネ」が重要
では、なぜ警察は卑怯なワナを仕掛けてまで、取り締まり件数を増やすことに躍起になるのか。理由は簡単。それは「ノルマ」があるからだ。
交通ジャーナリストの今井亮一氏が語る。
「警察は絶対にノルマがあることは認めませんが、それはあくまで建前。以前、違反キップを捏造し逮捕された警察官が、裁判で『(上司から)違反キップをとるまで帰って来るなと言われた』と証言していたように、ノルマは存在します。特に4月、9月の交通安全月間はノルマが厳しく設けられるため、ドライバーは注意が必要です」
中には、反則金のことを「稼ぎ」と呼び、「おいしく取り締まれる地点」を飲み会で情報交換している警察官までいる。
事実、総務省が公表している「交通安全対策特別交付金制度」では、予算として反則金収入を約700億円(平成26年度)と見積もっている。これを「ノルマ」と言わずになんと言うのか。これでは「警察はカネのために取り締まりをしている」と言われても致し方ない。
ちなみに徴収された反則金は一旦、国庫に納められたのち、交通安全対策費として各都道府県・市町村に交付される。これらのカネは主に、ガードレールや信号などの設置、管理に使われるのだが、それを請け負う業者が「警察OBの天下り先になっている」のは有名な話だ。
違反とも言えない違反で検挙されたドライバーの悔し涙がカネに変わり、警察OBの優雅な余生を支えているとすれば許しがたい。

■泣き寝入りするしかないのか
ではもし、不当な取り締まりを受けた場合はどうすればいいのか。「運が悪かった」と諦めるしかないのか。
前出の鶴田氏は「捕まっても、納得いかないのならサインを拒否することができる」と語る。
「まず警察から『免許証を出せ』と言われても、渡してはいけません。見せて確認させ、すぐ仕舞いましょう。無免許運転、飲酒運転、過労運転の場合を除き、ドライバーが免許証を提示する義務はありません。
しかし、サインをしたらそれまで。自白したと見なされる。納得いかない場合はサインを拒否し、不当な検挙にはちゃんと『NO』と言うべきです」
だが、実際は、「揉めるくらいなら」と、納得いかないまま反則金を支払って済ます人がほとんど。警察から見れば、従順なドライバーはまさに「カモ」なのだ。
それをいいことに、警察はますます「稼ぎ」を増やす手を考えている。実は幹線道路だけでなく、生活道路や通学路の速度取り締まりを強化する動きが始まっているのだ。
前出の今井氏が語る。
「狭い生活道路では、違反車両を止めて手続きする場所がないので、基本的に今まで速度違反は取り締まりませんでした。
そこで警察が考えたのが、幹線道路で使われている無人式の測定器『オービス』(スピード違反した車は写真を撮られる)の導入です。今春から埼玉県、岐阜県において試行運用され、全国の生活道路にオービスが導入されるのは時間の問題です。
さらに、私が両県に開示請求した資料によれば、本来オービスは赤キップのみだったのに、青キップも対象となっていた。通学路は制限速度が30q/hなので、40q/hで走ったら、人通りの少ない早朝や夜間であっても、自動的に反則金を科せられる時代が迫っているのです。
もちろん道幅の狭い道路でのスピード違反は問題です。ただ、この問題を解決したいなら、減速ロードハンプ(かまぼこ型に盛り上がった、プラスチックまたはゴム製のプレート)を道路に設置するのが、もっとも効果的な方法です。これでは益々ドライバーの反感を煽るだけです」
確かに交通ルールを守ることは重要だ。だが、いくら取り締まりを強化しても、国民からカネを巻き上げるのが目的では、いつまでたっても交通事故は減らない。
警察のセコい魂胆は、国民にはとっくにバレている。恥を知ったほうがいい。

 以上「週刊現代」2016年10月29日号よりの転載

 犯罪者を検挙する警察には大いに賛同しますが、違反を誘発せんばかりの交通法規を恣意的に制定し、多くのドライバーを金儲けの為に陥れる警察は、国家に対して大罪を行っているといっても過言ではありません。なぜなら、神の因果律が必ず、国に災厄を齎すからです。

 古来、中国の聖人は一を見て十を知ったのです。警察が金儲けのために、ドライバーの違反を誘発するような交通法規を定めている限り、必ずその他の悪も行っているに違い有りません。
 
 元北海道警察釧路方面本部長の原田宏二氏の著作「警察内部告発者」には警察の裏金の一部始終その他の不正行為がさまざま書かれております。その他、元来警察を管理するために設けられた公安委員会のこともこのように書かれています。
 
 警察を管理するのではなく、警察に管理された委員会であり、完全にお仲間の委員会でしかなかった。
 
 国家を担うべき一角である司法が不正にまみれ、管理すべき機関がお仲間であるという状態を放置している政権党は、将来日本を悲惨な状況に陥れるといっても過言ではありません。
 
 正義は存在しているのです。それに逆らうものは必ずその罰を受けるのです。正義とは何か。警察が犯罪者を捕まえるのは別に正義でも何でもありません。警察が犯罪者を捕まえるのは、バスの運転手が乗客を運ぶように、郵便局員が郵便を運ぶと同じように仕事の一環でしかありません。
 正義とは人の為になる行為を言います。不正なことをして、己を潤す行為は全て不正義なのです。警察の不正義は国家を危うくします。それが、自然災害であるか、経済損失であるか、他国の侵略かどうかは分かりません。
 
 神は存在しているのです。世間ではよく、神が存在しているかいないか議論が交わされることがあります。また神が存在しているのならその論拠を示してほしいとの意見もあります。
 ただ一つ言えることは、もし人間の生命が現世限りなら神は存在しないことになります。なぜなら、人間の命が現世限りなら、ヒトラーやスターリンのようにどんな大罪を犯そうと死ねばそれで終わりですから、誰にも罰せられることもなく、時が過ぎ去ればいつしか人々の記憶から忘れさられるだけです。神が存在する意義もなく、神の存在を云々することすら無意味ということになります。
 しかし、死後の世界が有り得るなら神は存在することになります。通常では物質的に滅んだ命が再生するなんてことは絶対に有り得ないからです。永遠に不滅の魂が存在するなら、それはまさに神の御業でしかありません。

 悪行を続ける者に対しては、シルバーバーチはこう言っています。

 
そういう人は必ず罰を受けるのです。いつかは自分で自分を罰する時がくるのです。 中略 私の目には、いずれ彼らが何世紀もの永い年月にわたって受ける苦しみが見えるのです。暗黒の中で悶え苦しむのです。その中で味わう悔恨の念そのものがその人の悪業にふさわしい罰なのです。


 世界中で前世の記憶を持った人間が続出しているのです。魂が再びこの地上に再生しているのです。人間が永遠に死なない存在というのは今や常識と言ってもおかしくないのです。
 私は無宗教ですが、家には仏教の本や、聖書もあります。聖書を買ったのは世界一のベストセラー本だと知ったからです。しかし、聖書が神に対する懐疑心や疑問を納得さすことはありませんでした。旧約聖書の荒唐無稽的な話は何のインパクトもなく、新約聖書のキリストの言葉にはすごく感銘は覚えるのですが、全面的にのめり込むまでは行きませんでした。

 しかし、シルバーバーチの霊訓を読んだときには、これは八割がた真理を語っていると思いました。わたしは元来、猜疑心が人一倍強く、だからこの齢までいろんな宗教に毒されることもなく人生を過ごして来たのですが、シルバーバーチの霊訓を読んだとき私の人生観は大きく変わりました。人一倍強い猜疑心や疑問を霊訓は解き明かしてくれました。その後、別の霊訓も読みましたが、神は間違いなく存在するという確信に変わりました。
 
 原田宏二氏の「警察崩壊」という著書の中で紹介されていますが、北海道大学大学院の山口二郎教授は「わが国は警察国家への道を進んでいる」として、次のように警告しているのです。

「政府が国民一人ひとりの思想や行動を監視し、権力を維持するために自由を取り締まるような体制を警察国家と呼ぶ。・・・中略」
 
 まさにそれを地で行くような事件が大分で起きました。別府警察署が参議院選挙の公示前後に、別府地区労働福祉会館の私有地に無断で小型カメラを二台設置したのです。
 警察は「ある事件の特定の対象者を調べていて、捜査内容は言えない」と発表していましたが、「選挙違反を取り締まるための捜査だった」と認めました。

 山口教授の警告が杞憂ではないことを証明するような事件です。しかし、これは氷山の一角で、こんな事は至るところで日常茶飯的に起こっているものと考えられます。そうだとすればコワイ事です。そこまではまだまだ行かないと思いますが、大統領さえ脅迫したというFBIのジョン・エドガー・フーバー長官のことを思い出します。

 政府は国民一人ひとりを取り締まるのではなく、官僚の一人ひとりを取り締まらなければならないのです。公案委員会は警察のお仲間であってはならないのです。捜査権も逮捕権も持つ組織にして、官僚の悪を徹底して取り締まるぐらいにしなければ、何百年経っても日本に正義を全うする真の民主主義は訪れません。
 なぜなら権力をもった組織は怪物と称されてもおかしくないくらい正義を逸脱し自らの利に走るからです。そうなると腐敗した国家として神の因果律が作用し、国家にさまざまな災厄が訪れるようになります。
 
 権力を持った組織には必ず監視する機構を設けねばなりません。権力を持った人間は必ず不正に走るのが常だからです。権力を持った人間なり組織が道徳を守っていくのは稀有のことなのです。こんな簡単な心理を推察することも出来ない人間には政権の中枢を担う資格はありません。国家を危難に陥れるからです。


 この宇宙には偶然はないというのが霊界からの霊訓です。アメリカのワイス博士の「前世療法」という本の中で紹介されていますが、ローマ時代に父娘であった男女が現代に知り合って夫婦になっているのです。地球の人口が70億人として、その中で父娘が出会う確率はゼロに等しいと言ってもいいぐらいの確率です。しかし、それすらも偶然ではなく神の意図なのです。

 あなた方が生き、呼吸し、考え、反省し、判断し、決断を下し、あれこれと思いをめぐらすのも、霊の力があればこそです。物を見、音を聞き、動き回り、考え、言葉をしゃべるのも、霊の力のお陰です。物質界のすべて、そしてその肉体も、生命力にあふれた霊力の流入によって、存在と目的と指針と生活を与えられているのです。

 物質界のどこを探しても、意識の秘密は見つかりません。科学者、化学者、医学者がいくら努力してみたところで、生命の根源は解明されません。それは物質そのものの中には存在しないからです。物質は、それが一時的に間借りしている宿にすぎません。霊の力は、あなた方が“神”と呼んでいるもの、そのものです。もっとも、その神を正しく理解していただけないかも知れませんし、誤解してその意味を限定してしまっておられるかも知れません。ともかくその霊力が、かっては火の固まりであったものを今日ご覧になっておられるような生命あふれる緑の地球にしたのです。

 私たちは因果律という絶対的な摂理を説きます。つまり誰一人として神の摂理のウラをかくことはできません。ごまかすことはできません。自分が自分の救い主であり、贖(あがな)い主であり、自分の過ちには自分が罰を受け、善行に対する報酬も自分が受けるのです。因果律の働きは完璧です。原因があれば数学的正確さをもって結果が生じます。その原因と結果のつながりに寸毫たりとも影響を及ぼす力を持つ者はいません。刈り取る作物は播いた種から生じているのです。

 人間はみな、地上生活での行いの結果を魂に刻み込んでおり、それを消し去ることは絶対にできません。その行いのなかに過ちがあれば、その一つ一つについて、然るべき償いを終えるまで霊性の進化は得られません。

 善い行いをすればそれだけ霊性が増します。利己的な行いをすればそれだけ霊性が悪化します。それが自然の摂理であり、これだけはごまかすことができません。死の床にあっていくら懺悔の言葉を述べても、それで悪行がもたらす結果から逃れられるというものではありません。

 一流大学を出て警察官僚になって、正義を貫徹せねばならないにも拘わらず、金儲けのために法定速度を低めに定め多くの人間を陥れて平然と人を不幸にするばかりか、裏金という国家に対する詐欺行為すらも行う警察官僚は、国家を危機に追い込んでいるといっても過言ではありません。今すぐ全ての交通法規を諸外国並に改めて、国に対する裏金作りという詐欺行為を止めるべきです。死ねば分かるのです。自分の肉体が滅んだにも拘わらず、意識がハッキリとあることを・・・・・。必ず過酷な因果律が返ってくるのです。
 
 東大を卒業したからといって全てが天才という訳ではありません。中には非凡な天才もいるでしょうが、多くの者は凡人といっても過言ではありません。では天才と凡人のどこが違うかと云えば
、天才は帰納法的に、多くの現象から一つの事実と言うか真理を発見します。凡人は多くの現象を見ても一つの事実というか真理に至ることはできません。

 ニュートンは望遠鏡の先に神の痕跡が見えると言いましたが、この地球上にも神の痕跡は充分過ぎるほど溢れているのです。その痕跡に気づかない者は愚かとしか言いようがありません。

 私からすれば東大生の多くは、趙の兵士40万人を生き埋めにされた趙の将軍趙括と似たり寄ったりのような気がします。

 趙の名将「趙奢」の子の趙括は、幼少時より父の趙奢の著した兵法書に親しむと同時に、古来からの兵法書も通読し、天下に自分よりまさる兵法家はないと常々自負するようになった。時には父と兵法論議を交わすこともあったが、父に一歩も譲らず、父親を論破することもしばしばあった。しかし、趙奢は決して趙括を認めようとはしなかった。妻が理由を聞くと
「兵は死地なりというのに、括は兵法論だけを丸暗記して、口先だけで軽々しく論じている。将になったら趙の軍は括によって必ず破滅に導かれるだろう」と返答した。その予言は見事に的中した。

 秦が趙との領土争いで長平まで兵を進めたとき、趙はこれに対して名将廉頗を送った。廉頗は長平城に入ると堅塁を築いて籠城作戦を取った。持久戦に持ち込めば、遠征軍の糧道が長いので、対陣が延びれば延びるほど秦が不利になると読んでの作戦だった。対陣三ヶ月に及んでも腰を動かそうとしない廉頗に、趙の孝成王はイラついて何度も出陣を促す使者を送ったが、廉頗は籠城作戦が必ず功を為すものと信じて動くことはなかった。
 
 秦の咸陽では范すいが、趙王が廉頗に不満を抱いていることを知り、すぐさま趙の都に間者を送り、趙の重臣に大金をばら撒いてこう言わせた。
「秦が恐れているのは趙奢の子の趙括が軍を率いることである。なぜなら廉頗はいずれ近いうちに降伏するに違いないからである」
 孝成王はまんまと騙されて廉頗の任を解き、代わりに趙括を送った。功をあせる趙括は長平に到着すると、廉頗の息のかかった武将たちを次々罷免して自分の腹心を起用し戦術を交戦体制に変換した。
 
 一方新たに任命された秦の名将白起は、二千の伏兵を配して趙軍の攻撃をひたすら待った。趙括は再編を終えた軍にさっそく出陣を命じた。
 軍が怒涛の勢いで進軍すると、秦の軍はたちまち崩れて敗走していった。趙括は自分の戦術に間違いはないのだとばかり、続々軍勢を繰り出した。趙括が勝ちに乗って秦軍を追っていると、横合いから秦の五千の兵が不意に攻め込んできて軍の退路を断った。と同時に退却を続けていた秦軍が、いつのまにか陣形を立て直し大軍となって趙軍に襲い掛かってきた。
 図られたと趙括が気づいたときは、もうどうにも成らない状況に追い込まれていた。結局、趙括はこの戦いで戦死し、趙兵四十万人は捕虜となり、秦の将軍白起に生き埋めにされた。趙は戦闘で戦死した兵と合わせて四十五万の兵を失った。
 
 東大出身の多くは天才でも何でもなく、趙括と同じように暗記と理論だけに特化した、至って普通の人間でしかありません。だからこそ官僚になっても、多くの人を平然と不幸にして利己を優先する人間になっていくのです。

 アメリカにマリリン・ボス・サバントという世界一IQが高い女性としてギネスに認定された人がいます。
 彼女はニュース雑誌のコラム欄で、読者から寄せられた、数学、哲学、物理、政治、教育、人生相談などの質問に答える「マリリンにおまかせ」というコーナーを受け持っていましたが、ある時、読者からこういう問題を提起されました。
 
 モンティ・ホールが司会する番組でA、B、Cの三つのドアがあって、その1つのドアの後ろには当たりの新車が、2つのドアの後ろには外れのヤギがいるので、プレイヤーは新車がもらえる当たりのドアを選ばねばならない。
 ここでは実際の質問の仕方とは違うが更に分かり易いように少し言い方を変えてみる。
 
 例えばプレイヤーがAのドアを選んだとした場合、司会のモンティが残ったBとCのうちBのドアを開けて外れのヤギを見せ、今からでもドアを変更することが出来るが、Aのままでいくか、Cに変更するかを聞いた。
 読者からの質問は、元のAのままがいいのか、Cに変更した方がいいのかということである。
 これに対してマリリンは、Cに変更する方が当たる確率が2倍になるから変更すべきと回答した。

 すると直後から、「彼女の解答は間違っている」と読者からの投書が1万通も送られてきた。ウィキペディアに寄れば、投書には千人近い博士号保持者からのものもあったという。千人近い博士号保持者がこんな簡単な確率の問題の正答が分からなかったというから驚きである。
 その大部分の反論は「ドアを変えても確率は2分の1であり、3分の2にはならない」というものだった。その中にはプロの数学者と自認するロバート・サッチス博士やスコット・スミス博士やその他の大勢の博士号保持者がいたという。スコット・スミス博士はマリリンに向かって「恥を知るように」とまで言ったが、恥を知るべきは博士自身なのである。
 
 私が東大生の殆どが凡人であると言ったのは、こういう事情を踏まえてである。ロバート・サッチス博士やスコット・スミス博士に限らず、殆どの博士号保持者や一流大学を出た人間は公式や法則を学び暗記力に長けただけではないだろうか。だから簡単な確率の問題が解けなかったとも言える。冷静に考えれば中学生でも簡単に解ける問題である。

 ここで、この問題がどれほど易しいか答えを示し、マリリン・ボス・サバントがドアを変更したほうが当たる確率が倍になるといった正しさを証明したいと思う。

 プレイヤーがどのドアを選んだとしても当たる確率は三分の一である。例えばAを選んだとしてAの当たる確率は三分の一であり、当然Bの確率もCの確率も三分の一である。
 当たる確率で言えば一つのドアよりも二つのドアの方が当たる確率は倍になるので、プレイヤーがAを選んだら当たりはBとCにあるほうが高くなる。なぜならAは三分の一の確率だが、BとCは二つで三分の二になるからである。
 ここでモンティ・ホールがBのドアを開け外れのヤギを見せ答えを変更するかを聞いた。当然プレイヤーは変更するほうが当たる確率が高くなる。なぜならあいも変わらずAの当たる確率は三分の一だが、Cの当たる確率はBがなくなっても三分の二という確率に変わりないからである。

 もっと分かりやすく説明すれば、Aの枠と倍の大きさのB、Cの枠がある。どちらが当たる確率が高いかと言えば当然倍の大きさのB、Cの枠の方が高い。B、Cの枠からBが外れであると見せられてもCの枠が縮小する訳ではなく、Cは相変わらず倍の大きさの枠に位置したままである。よってCの当たる確率はAの倍ということになる。
 
 世間には一流大学を出て要職に付き、能力があるとか天才だとか持て囃されている人が沢山居ますが、その実体は単なる凡人でしかなく、エスカレータ式に博士号を取って頂点に上った人も少なくないのです。

 車椅子の天才科学者ホーキング博士はアインシュタインと肩をならべるとまで評価されていますが、私から云わせれば天才でも何でもなく至って普通の人間としか思えません。

 ALSという難病に掛かりながら宇宙の研究につとめ彼独自の理論を発表していることは立派ですが、もっともその理論がどこまで真実かどうかという問題はありますが、しかし、不自由な体で宇宙に取り組んでいる姿勢は賞賛に値します。

 しかし彼の、エイリアンが地球に襲来し人類を滅ぼすと云ったことや、人間死ねば死後の世界はなく、死んだら無になるといった発言は、私からすれば無知としかいいようなく、到底アインシュタインと比較できる人物には見えません。死後の世界が存在することは今や明白と言ってもいいぐらい断言できるのに、それすらも推測できないようでは何おか言わんやです。

 霊訓によれば、宇宙には地球以外にも生命のある星はいくつもあり、その中でも地球は進化の度合いが最低から二番目といいます。あちこちで毎日のように起こっている日々の犯罪や戦争を思うと、それもむべなるかなとも思います。

 進化した星からは宇宙人が到来し、大昔には地球の人間にさまざまな技術を教えたといいます。UFOは実在しているということです。
当然、進化した星の生物も我々人間と同じ神の一分霊で、しかも地球の人間より一歩も二歩も進化して神の存在を充分に熟知しているから、地球を攻撃するなんてことはあり得ないはずです。ホーキング博士はSF映画の見過ぎではないかと思われます。

 1960年末、アメリカの雑誌「ライフ」で「世界で現存する最大の哲学者は誰か?」という世論調査が行われ、アメリカ人の多数が「ドクター・ダイセツ・スズキ」と答えたのです。
 故鈴木大拙は和文著書120冊、英文著書30冊以上で禅を世界に広めた第一人者で、昭和二十四年には文化勲章も授けられ、悟りを開いた人物として内外にも広く知られていました。
 しかし、私は鈴木大拙の誤りを数多く指摘してきました。それと同じで、いくら有名であっても、実力の伴っていない人間は世間にゴマンといるのです。ホーキング博士がそうでないことを祈るばかりです。自宅でガンを治した方法(ニュースにもなった)
渾身の論理 ホームページビルダーの口コミ
トップページ