中百舌鳥さわだ眼科のずさんな手術ミス

 
 さわだ眼科の白内障手術の未熟さについてはこのページの後半に述べます。

 左眼のまぶたの目元近くに3ミリ程度の白いイボ状のような隆起物(B)があり、1センチほどずれた所には少し赤っぽい3ミリ程度の隆起物(C)もあり、まぶたが完全に上がらず視力も下がってきた。

 右眼には1ミリ程度のイボ状の物(A)もあり、今の所、視力には何の影響もないけど将来大きくなる可能性もあったので、中百舌鳥のさわだ眼科に行って三ヶ所全て切除してもらうことにした。




 手術当日、さわだ院長は、A、B、C、の3ヶ所に麻酔を打って、まず、を切除して、次にを切除して、それで手術を終えてしまった。私は内心、何故麻酔をしたにもかかわらずを切除しなかったのかと疑問に思いながらも、院長に問いただすこともせずにそれで手術は完了となってしまった。

 (B)を切除したことが効を奏したのか(C)の隆起した個所も1ヶ月ぐらい経つと埋没していって目立たなくなり、まぶたも上がるようになり視力も元に戻った。

 私はさわだ院長はこの結果を見越してあえて(C)を切除しなかったのかと一瞬思ったほどである。それにしては何故麻酔をしたのかという疑問が残る。結局、後になって分かったが単なる切除のし忘れでしかなかった。

 1年ほど経って左眼に違和感があって、まぶたを見ると少し半眼にもなっていたので、近くの眼科に行って診察してもらったが医師は涙の出が悪く、粘膜が炎症しているという事でヒアルロン酸の点眼薬とステロイド入り点眼薬を処方したが、2、3週間ほど点眼しても少しも良くならず、裸眼で1.2あった視力も0.4までに下がっていた。違和感が生じてから2ヶ月ほど経ってからさわだ眼科に行った。

 さわだ眼科で診察の際、真っ先に私は尋ねた。
「先生は当日(C)は麻酔したにもかかわらず切除しなかったのは何故ですか」
 さわだ院長は一瞬沈黙していた。
「その時に尋ねるべきだったですね」
 私がそう言うと、院長は軽くうなずいた。私は更にこう言った
「隆起した物は一応平坦のようになっていますが、切除しない限りその物の質量は残っているはずです。それが今回すこし成長して、まぶたの裏に違和感を与え半眼の原因になっているんじゃないでしょうか。もう一度、手術してくれませんか」
「切れというなら切らないことはない」
 そう言ってさわだ院長はあっさり手術することを引きうけ、手術日を予約した。

 手術日が来て手術が終わり、家に帰って鏡を見てびっくりした。手術した場所が思ってもいない場所だったからである。私はてっきり前回麻酔までして切除しなかった(C)の付近を想像していたのになんと手術した個所は(D)である。




 どんな了見でその個所を選択したのか私にはさっぱり分からない。そこはまったく違和感や半眼の原因になっている個所とは見当はずれの個所である。何の隆起もイボ状の物もない無傷の個所である。無傷の個所を切ったせいか、かさぶたがなかなか取れず、2週間ほどしてかさぶたは取れたが、手術した痕跡がまつげの生えているまぶたのきわまであった。その皮膚をえぐったような痕跡は術後約2ヶ月ほどになるがまったく消えそうになく、黒っぽいシミとして残っている。若い女性なら、訴訟になるぐらいの横4ミリ縦3ミリぐらいの大きさである。私は男だし歳もいっているので訴える気は毛頭ないが完全な医療ミスである。

 
以前手術した個所はどちらも手術の痕跡すら見当たらないほど完璧な手術だったが、今回の手術は無傷のところをえぐった形になっているのでいつまで経っても傷跡として残っているとしか思えない。

 診察のときに前回の目の写真を診察台に提示してさわだ院長は応対するのだが、その写真には(B)(C)のハッキリ赤くなった個所が私にも見えているが、なぜその写真を参考にしなかったのかと不思議でならない。
 前回は全てが隆起していたので麻酔注射の個所も手術個所も間違わずにすんだが、今回は隆起した個所もないのでさわだ院長は手術個所を憶測で選定したとしか思えない。

 手術から10日ほどして手術後の経過を見てもらったときに症状がよくなっていない事を訴え、上記の目の絵を見せて(C)を中心にした辺りをペンで赤く塗ってこの辺を切除して欲しいといったのだが、
「そんなもん、出来へん」
 とにべもなく断わられた。

 
 そして、この日は前回手術しなかった(C)についてこんな風に言い訳した。
「麻酔は手術する時、その個所の回りも打つので貴方が(C)も麻酔したと思ったのでは」
 しかし、そんな言い訳が通用するはずがない。なぜなら、その日の予定は3箇所手術する予定だったのである。それが二箇所しかしなかったのはまったくの失態でしかない。
 では何故このような失態が起こったのか。それは内臓などを手術した医師がナイフやハサミを体内に置き忘れたように、単純に忘れたとしか言いようがなかった。
 誠実な医者なら忘れたと言って詫びて最善を尽くすのが当然だが、さわだ院長は私が半眼にもなっていると訴えていたので、これ幸いと、私の症状を眼瞼下垂と断定して形成外科を紹介するとまで言った。
 
 手に負えなくなったので違う病名をつけて追い払おうとしたのである。
「眼瞼下垂なら知っていますけど、これは眼瞼下垂ではないですよ。眼瞼下垂なら右眼のまぶたも下がってくるはずだが右眼はなんともないから」
「片方だけの眼瞼下垂もあるから」
 さわだ院長は早々に話しを打ち切って、私に診察室を出ていきなさいというようなそぶりをした。診察室に居たのは5分程度だったがさわだ院長にとっては後の患者の方が気になって仕方ないのだろう。
 半眼になっているのは今までの経緯から見て、切除し忘れた(C)が関与していることは疑う術もないが、さわだ院長は違う病名を付けて追い払おうとしているのである。
 私はすごすごと病院を後にした。
 
 私の妻は5、6年前にさわだ眼科で白内障手術を受けたことがあった。最初は右眼で、妻は手術を終えて帰って来てから、手術が凄く痛かったと私に訴えた。
「尋常の痛さではなかったわ」
「点眼麻酔をしたのではなかったのか」
「手術前に看護士さんがしてくれたわ」
「それなら痛いはずはないのにおかしいな」
「その痛さを思うともう左眼はしたくないわ」
「先生に言ったのか」
「手術が終わってから言ったわ。そしたら先生は手術中でも痛かったら痛いと言ってくれたら良かったのにと言っていたけど、手術中に喋ってもいいなんて思えるわけがなくずっと耐えていたわ」
 妻は何と麻酔なしで白内障手術に至ったみたいである。そしてもう片方の眼は、あの痛さを思うと恐怖で手術したくないと子供のようにだだをこねた。
 妻は生来ガマン強いタチで、少々の痛さはたいてい我慢していたので、今回の痛がりようは尋常ではなかった。

 この事について私には二つの原因が想像できた。一つは、看護士が麻酔の点眼薬を間違えたこと、もう一つは看護士が意図的に麻酔の点眼薬を普通の目薬にすり替えたことである。
 しかし、看護士が麻酔の点眼薬を間違えることは点眼薬の容器に貼ってある注意書き等の仕様も色も違うことから間違うことは想像できなかった。もし意図的にすり替えたならば、すり替えた理由はさわだ院長か他の看護士に不満があってさわだ眼科を退職する予定の者である。
 さわだ院長は、患者が尋常でない痛みを訴えた場合はすぐさま点眼をした看護士に事情を聞くべきだったのである。なぜならそういった事例は病院などでは結構あるからである。
 

 私も一度、病院でそんな目にあった経験がある。
会社を退職して1年ほど家に引っ込んでいたら、右足の膝関節に痛みを生じるようになり膝付近が大きく腫れているのがわかった。

 堺市中区の南堺病院の整形外科に行った。レントゲンを撮った結果膝の軟骨が磨り減っており、腫れているのは水が溜まっているという診断だった。いわゆる変形性膝関節症との診断だった。

 一日の大半を炬燵に座りっぱなしだったことが原因として考えられる。掘り炬燵ならまだしも、普通の胡坐をかいて座るような炬燵だったから膝にそれ相応の負担がかかっていたのだろう。テレビを見るにしてもパソコンを触るにしても炬燵に入った状態でやっていたので、結局、軟骨が徐々に磨耗していったと思われる。

 医師の西田幸一郎は水を抜くといって、注射針を刺して水抜きを始めたが、わたしはあまりの痛さに痛い痛いと病院中に聞こえるぐらいの大声をあげた。
「あんたが緊張するから筋肉が硬くなって針が奥までいかず、10ccぐらいしか抜けなかった」
 と西田医師は、血の混じった注射器の筒の水を見せた。その後、膏薬を5週間分処方したが、当然何の効果もなく、変形性膝関節症が軽減することはなかった。

 一週間ほどして何とか膝の水だけでも抜いて貰わなければと再び南堺病院の整形外科を訪れた。西田医師は退職していて岡田貢医師が担当となった。岡田医師は当たりの柔らかい親切そうな医師だった。
「先生、この前、水を抜いて貰ったんですけど、あまりの痛さに大声を上げて痛い痛いと叫んだけど、麻酔を打って抜いて貰うわけにはいきませんか」
「麻酔を打って水を抜くなんて聞いたことありませんけど」
と医師は難色を示した。
「でもあの痛さは我慢できませんわ」
「水を抜くのはそんなに痛くはないはずですが」
「いやぁ、滅茶苦茶痛かったですわ」
「痛くて我慢できないという人は今まで一人も居なかったけど」
「でも通常の痛さじゃなかったですわ」
「一度試して見て、どうしても我慢ができなかったら何とか考えてみましょう」
 と医師が言うので、結局もう一度試して見ることになった。
 岡田医師は注射針をゆっくり刺しながら「痛いですか」と聞いたが、今回は全くと言ってもいいほど痛くなかった。20ccほど抜いて抜いた水を見ても血は一滴も混じっていなかった。

 西田幸一郎医師はこの月で退職が決まっていたので、患者に意地悪をして太い注射針を使った可能性もあった。どういった理由で退職したのかは判然としないが、その腹いせで患者を痛い目に合わせたとしたら医師にあるまじき人間である。わたしは整形外科の西田幸一郎という医師だけは一生忘れまいと思った。

 こういう事例もあったので妻の場合もそう言う風に想像したのである。さわだ院長は点眼薬を差した看護士には事情を聞かなかったようである。しかし、これは決して放置してはいけない事例なのである。こんな事を放置すれば将来どんな禍根を招くことになるかもしれないのだ。

 この時は私はさわだ院長と面識は無かったが、後に白内障手術を受けることになって応対したときに、さわだ院長はこういった事例を見ても追求しない派のタイプの人間であることがすぐに分かった。これは良くいえば大らかであり悪くいえばいい加減なのである。

 妻はもう片方の目の白内障手術を恐いといってためらっていたが、私は絶対に痛くないからと言って無理やりに受けさせた。手術を終え帰ってきた妻は満面の笑顔で言った。
「前の看護士さんは見当たらなかったわ。別の看護士さんが点眼麻酔をしてくれて
今回は全然痛くなかったわ。これなら何遍でも受けられるわ」
「だから俺が全然痛くないと言ったろう。前回は看護士が何らかの理由でいじわるをしたんだ」
 私は意地悪をしたと言ったが、或いは退職することが決まっていて、今回はすでに退職したのかも知れなかった。
 
 しかし、妻は術後、両眼に赤い輪っかのようなものが一日に何回も見えることがあって気持ち悪いとしきりに言っていた。さわだ院長に言ったら、それぐらい我慢すべきでいずれ治まってくるはずとの返答だった。

 私も白内障手術を近々受ける予定だったが、妻の術後の状態を見て別の眼科を選んだ。仮にそこをW眼科とする。


 W眼科で白内障手術を受けることになってまず左目の手術日が決まった。手術日が近くなって或る日の診察の時に、左目を手術したら二週間後に右目の手術をやって欲しいとお願いしたら、W院長は5、6秒考えて少し思わせぶりな感じで二週間後は無理だと言った。
「手術を急ぐ理由は何ですか」
「12月21日(水)に運転免許の高齢者講習を受けるからです」
「右目は1.0ありますからいけるでしょう」
 そう言われれば、患者としては為す術も無い。
 
 わたしはパニック障害の持病を持っていて、初診のときに伝えてあったが、手術日が翌日に迫ってW院長が尋ねた。
「パニックの方は大丈夫ですか」
「大丈夫です、心の問題ですから」
 私は余裕で答えた。手術することのメリットとしないことのデメリットを考えればパニックを起こさずに切り抜けられると思っていた。とはいっても、やはり手術を受けるには決死の覚悟がいった。だから、左目が終わったら二週間後には右目もやって一日も早くパニックの気苦労から逃れたかった。
 
 それに対してW院長の「右目は1.0あるからいけるでしょう」という間延びしたような返答は予想もせぬ出来事で、わたしのパニックに対する決死の覚悟は徐々に萎えていった。
 わたしは別に死を恐れているのではない。例えば、今ガンに見舞われたとしても全然怖くなく悠然と死んで行く自信はある。しかし、パニック症状が起こった状態で死を迎えるのは、自分を失った状態で死んでいくにも等しいから厭なのである。

 左眼の手術予定日である11月8日(火)に手術をした場合、高齢者講習の12月21日(水)までは約一ヶ月半あった。それにもかかわらず右眼の手術をしないというのは何か尋常の手順ではないようにしか感じられない。

 W院長にどうしてもそのことを確かめかったので聞いて見た。
「二週間後に右目の手術ができないといったのはなぜですか」
「手術日の翌日が祭日だったからです」
 W院長は何の懸念もない風に答えた。
 私は唖然とした。手術の予定が詰まっているとか、私の目に何らかの異常があって早々に手術できないというのなら納得いったが、手術の翌日が祭日だったから駄目だというのである。
 それは当然だと思う。手術翌日の診察が大切なことぐらい馬鹿でも分かる。それならそういう風に事情を説明して「右目は1.0あるからいけるでしょう」なんて見当違いな言い方をせずに、手術日の翌日が祭日になるので右目は三週間後か四週間後にしようかの提案ぐらいあってもいいのではないだろうか。
 しかし、W院長は、言葉少なく、右目は左目の手術が終わってから様子を見てから決めましょうと言ったのである。
 
 医師としては、それなりの事情を説明する義務があるのではなかろうか。医師の言葉足らずは、患者に対して不親切といえないだろうか。返事を躊躇する必要など全くなく、たった一言、手術日の翌日が祭日になるので右目は三週間後か四週間後にしようか、と言ってもらえれば納得いったのである。手術を受けるものは一様に何らかの不安を持っているので、医師の言葉足らずは不安を助長するだけである。

 そして、左目の手術当日になり、手術日は午前11時45分までに来院するようにといわれた。当日は私を含めて三人の手術予定者がいて二人は女性の方だった。

 三人は手術待合室でそれぞれ点滴の処置を受けた。眼科によっては点滴しないところとするところがあるらしい。

 最初の女性の方が手術室に入ったのは14時ごろだった。2時間15分待たせての手術開始である。なぜそんなに待たす必要があるのか、私には理解できないことばかりである。14時35分ごろ手術が終わって待合室に戻ってきた。少し遅かったのは眼内レンズを収める嚢(のう)を(水晶体が入っていた透明の袋状のようなもの)縫ったということだった。白内障が進行しすぎるとそういう例もあるみたいだった。
 二番目の女性の方は25分ぐらいで待合室に戻ってきた。わたしが手術室に入ったのは15時ごろだった。

 決死の覚悟が萎えたせいか、手術室に入って手術直前にパニック症状に見舞われた。呼吸が荒くなり動悸も早くなった。
「先生、パニック障害が発症しそうですわ」
「どうするのや。いまやったらやめられるぜ」
と、先生はタメ口で言った。
「全身麻酔して下さい」
「ここでは全身麻酔はでけへん。全身麻酔するんやったら、労災病院にでも行って貰わなあかん」
「それなら我慢しますわ。やって下さい」
「パニックが起こったらどういう症状になるんや」
「呼吸が速くなり、動悸も早くなります。でも我慢しますからやってください」
 
 他の眼科に行って、診察から始まって一からやり直すなんてことは耐えられなかった。腕には血圧計も巻かれているので、W院長も手術に踏み切ってくれた。

 わたしは手術中パニックの発作が起きないように必死に耐えていた。しかし、解せないのは手術の最中に二三分の中断があったのだ。さらに暫くすると、また二三分の中断があった。その時は意味が分からなかったが、後になってW院長の意図的な中断ではなかったかと思われるフシを感じた。その理由は後ほど書くことにする。

 手術時間は他の眼科では10分から20分というのが圧倒的に多かったが、手術が終わって妻に迎えに来るように電話したのが、発信記録を見たら15時35分だったので、W眼科では30分は優にかかっていたことになる。
 
 手術が始まるまで3時間15分も待たされたので結局、手術を終えるのに4時間近くかかったのである。手術が終われば迎えに行くつもりでいた妻は手術が終わったとの連絡の遅さに家でやきもきしていたと言う。
 
 ネットで調べると白内障手術の所要時間は他の眼科では待合時間も含めて60分から90分と書いているところが多かったので、あまりの手術の所要時間の長さに違和感を感じた。
 
 以前も白内障の進行を止める点眼薬を貰いに行ったら、一度診察を受けると、6ヵ月以内は診察を受けずに受付で薬を貰えるが、6ヶ月以降は診察を受けねば薬は貰えない仕組みになっていたので、診察の順番を待っていたが、1時間30分待ってもまだ診察して貰えず、当然、薬も出して貰えなかった。
 受付の女性に、余りに遅いから帰りますわと言ったら、受付の女性が先生にどう言ったのか知らないが、先生が診察室から出てきて「別に順番を遅くしたわけではないんですよ」といって診察してくれやっと薬が貰えたという経緯があった。
 こっちにしてみれば薬を貰うだけなのに、とてつも長い時間待たねばならないのが不満だった。

 手術が終わって翌日は当然診察を受けなくてはならない。待合室には、手術翌日の患者様の診察は優先させていただきますのでご了承下さい、と書いてあった。手術をした患者は眼帯をしているのですぐに分かるようになっていた。私は5人目ぐらいに来たのだが、眼帯をした患者は私一人だけだが、1時間30分ほど待ってもまだ呼ばれなかった。あろうことかだいぶ遅れてやって来た一般診療の患者が先に診察されるのを見てついに堪忍袋の尾が切れた。

 一応、視力検査と散瞳薬(瞳孔を開く薬)を点眼されているので、その料金だけでも支払って帰るつもりで、受付の女性に言ったら、以前のように先生に言いに行ってくれ先生が診察室から出てきた。

「後からきた人が先になっているのは何故ですか。あそこに、手術翌日の患者様の診察は優先させていただきますのでご了承下さい、と書いてあるではないですか」
 と、問うとすぐに診察室に通されて簡単な診察が終わった。
 
 わたしは、ここに来ることは二度とないだろうと思いつつ病院を後にした。しかし、手術後、一週間ぐらいしてから点眼薬がすごく沁みるようになって、目やにも出るようになった。

 なにか眼球に不具合が起こっているのかも知れないと、他の眼科にいくことも考えたが、手術を行った当事者のほうが事情を知っているから最適だと思いW眼科に行った。

 開業時間前に病院の駐車場で待っていたら、院長がたまたま玄関を開けにきて眼があったので事情を説明すると診察を快諾してくれた。この日は気を使ってくれたのか、30分もしない内に診察に呼ばれた。
 診察の結果、手術の傷跡は治ってきているが、黒目の上の方に炎症のようなものがあり、それで目薬が沁みるのかも知れないと言った。
 その時に私は疑問に思っていたことを聞いた。
「先生はADHDの傾向はないんですか」
「なんやそれ」
「天才なんかに多いといわれているんですけど」
 わたしはさすがに、「注意欠陥・多動性障害」とは言えずに、胡麻を摺るように、
「アインシュタインやエジソンもそうだったといわれていますわ」
 と言った。しかし、W院長はADHDを知らないみたいだった。

 ADHDの人間は時間管理を苦手としたり、配慮することが苦手だったり、片付けが苦手だったり、忘れ物が多かったり、好奇心が強かったりと、さまざまな傾向があるとされている。
 
 薬を貰うために1時間30分も待ってまだ貰えないことや、手術の所要時間が4時間近くしたことや、手術の翌日が祭日であるから手術できないとあっさりと言うべきところをもったいぶって告げない態度や、手術中に二回も手術を中断したのはパニック症状を観察するための好奇心でしかなかった事や、手術患者よりも一般の患者を優先した配慮のなさ等のその全てが、デリカシーのないADHDの傾向そのものだった。

 しかし、W院長はADHDという言葉も知らないみたいだった。たとえ眼科医といえども医師であるかぎりは、知っていて欲しかったものである。一通り診察が終わって、
「パニック障害があるのでうちではもう手術できませんから」
 と、W院長は厄介払いするように言った。
「結構ですので、レンズのメーカーを教えて下さい」
 院長は快くレンズの種類とメーカー名を紙に書いて渡してくれた。
 
 帰りしなに、その日は土曜日だったが、月曜にもう一度診察に来るように言われた。月曜に行って診察を受けたが炎症も少し縮小していて、このまま治りそうな感じだった。
 先生は、一週間後にまた来るように言ったが、わたしは、たぶん大丈夫だからと断った。
 
 平成28年12月10日(土)にさわだ眼科を訪れた。長時間待つのが嫌なのでオープン10分前くらいに病院に行ったが、二人ほどの先客がいただけだった。
 W眼科ではオープン30分ぐらい前に行っても4、5人が玄関で待っていたことを思うと拍子抜けがした。かといって決してさわだ眼科がヒマという訳ではなかった。わざわざオープン前から行かなくても、手順が良いので患者が混んでも1時間も待つなんてことは滅多にないからだと後になってわかった。
 視力検査やその他の検査をして院長の診察となった。

 さわだ院長は40代ぐらいで患者に対して笑顔で応対するタイプだった。どうせ手術は来年ぐらいになるだろうと思って、
「左目の手術を他所で受けたが、右目の手術を二週間後に受けたいと言ったら、1.0あるので大丈夫でしょう、と言われたのでこちらに来たんです」
 と、あまり詳細を語らなかった。さわだ院長はしばらく診察して、
 「19日の月曜か20日の火曜に手術できますが、どっちにしますか」と聞いた。
 わたしは余りの素早い対応にビックリして聞いた。
「手術日は火曜日だけだったのでは」
「詰まっているから、年末までにそこそこ済ませて置こうと思って、臨時に月曜も手術することにしたんですわ」
 と、院長はことも無げに言った。私は19日の月曜にしてもらった。
「手術までにもう一回きて貰わなあかんな。血液検査とかもあるし、血液検査の採血、今日出来るかな!」
 と、視力検査などをしている三、四人の看護士の方に向かって問い合わせた。看護士が、今日は混んでいるので採血はちょっと無理ですわ、と返事したので15日(木)の9時30分に来院するということになった。

 私はこの際、以前から疑問に思っていることを聞いてみた。
「白内障手術を受けたら、目が半眼のようになったのですが、白内障手術を受けたら誰もがそういう風になるんですか」
「そんなことはないよ。それはまぶたを開く機械を長く使用し続けたので瞼を上げる筋肉が損傷したからだと思う」
「治りますか」
「半年ぐらいして治る場合もあれば、そのまま治らない場合もありますね」
「治す方法はないんですか」
「何もしないのが一番です」
「治らない場合はどうするんですか」
「眼瞼下垂の手術を受けるしかないと思う」
 
 私は、ビックリ仰天した。W院長が好奇心の為に二回も手術を中断したことが眼瞼下垂になった原因だとすぐにわかった。帰ってすぐに眼瞼下垂をネットで検索した。眼瞼下垂症手術のエキスパートのホームページにはこう書かれている。

「開瞼器」という白内障などの手術で眼を開いた状態に保つ器具を使用すると、術後に眼瞼下垂になることがあるとも言われています。しかし、これは数ヶ月〜1年で自然治癒することもあるため、急いで眼瞼下垂の治療を受けると、後に過矯正(開きすぎ・ビックリ眼)となりやすいと言われています。

 また別のサイトでは、眼瞼下垂症の手術は非常にむずかしく失敗する例も多いと次のように書かれていた。

 眼瞼下垂の手術は、瞼の中がとても複雑な構造になっており、そこに施術するには高いスキルが必要で、さらに、眼は取り替えがきかない器官なので、もし失敗すれば見た目にも大きな影響を与えてしまう可能性がある。

 さわだ眼科に行ってから三日後、W眼科に行った。W院長に面談して、開瞼器を必要以上に長く使いすぎて、瞼の筋肉が損傷して眼瞼下垂になったけど、手術中2、3分ほど、二度も中断したのはなぜかと聞いた。

 わたしの質問に;院長は、少ししどろもどろの感じで、眼内レンズを細菌がつかないように挿入直前まで密封した状態で保存してあるので取り出すのに手間取ったからだと言った。ではもう一回の中断は?と聞くと、黙ったまま明確な答えはなかった。眼内レンズを細菌が付かないように交換直前まで密封したままで置いてあったからだと言うのも嘘臭く思えた。

 では何のための中断か。わたしは単なる興味本位での中断としか思えなかった。それはパニック症状を見たいと言う好奇心でしかなかった。もしそうなら医師としてあるまじき行為である。

 帰るときは、いつでも相談に来て下さいと、W院長は今まで感じたことのない優しい口調で言った。私は黙って病院を出た。

 12月15日(木曜)になり、さわだ眼科に行って視力検査、採血の後に診察を受けた。

 右目の手術まであと4日である。わたしは、眼瞼下垂症のことで頭が一杯だった。何とか半眼を治す方法はないかと考えた。さわだ先生は「何もしないのが一番だ」と言っていたが、半年経っても治らず、瞼の手術に至るなんてことは飛んでもない事態である。
 
 わたしは、一歩間違えれば失明になる怖れもある独自の療法を始めることにした。それはすごい注意と細かい所作のいる療法で、このホームページでは絶対に書けない危険なやり方である。おそらく世界でも私が最初にやる人間といってもいいはずである。

 なぜホームページに書けないかというと、それを真似して生半可にやると失明する怖れもあるからだ。私は慎重に一回目の療法を終えると、4メートルほど先の壁のカレンダーを見た。べつに視力に異常はないようだった。その日はその療法を15分ほどやった。幸いに眼は無事のようだった。

 この療法を行ったのが12月15日(木)で手術してから37日も経っていたので、少し遅きに失した観があったが、やはりこれといって目立った効果はなかった。12月19日(月)の右目の手術日はさすがにその療法は休んだが、その他はほぼ毎日のようにやった。

 12月19日(月)の手術日が来た。わたしは、さわだ院長にはパニック障害のことは伝えてなかった。だから一生懸命パニック症状の起こらない方法はないものかと考えていた。すると、以前読んだパニック障害を説明している医学情報で、とても参考になる一文を思い出した。
 
 それは、パニック障害は、いくら呼吸が荒くなって脈拍が速くなっても死ぬことはなく、ある時間が過ぎればパニック症状は自然に治まるという一文だった。
 なんだ、死ぬことはないのだ。自然に治まるのだ、そう思うと、急に、パニックが怖くなくなって来た。今までは車を運転していて、トンネルなどで渋滞すると、100%パニック症状に見舞われたものだが、死ぬことはなく、自然に治まるのだという考えに行きついたら、少々の閉所感は何でもないようになった。これなら、手術は乗り越えられると思った。

 その考えに至ってからは数年経つが、それ以来パニック障害が起きたことは一度もなかった。ほぼ治ったといっても良かった。
 
 午後1時までに病院に来るように言われていたので、12時50分に病院に入った。その日の手術患者は5人で、手術の順番は早く来た者の順だった。私は4番目に来たので4番目になった。点滴をすることもなく、手術も20分ぐらいで終わり、手術中の中断もほとんどなく、パニック症状も起こらなかった。

 待ち時間も含めて1時間半ほどで終わったので、改めて、さわだ眼科よりも二人も少ない状態にもかかわらず4時間もかかったW眼科の手術は何だったのだろうかと思う。それに手術開始までの2時間以上もの無駄な待ち時間は何の為だったのかと思わざるを得ない。
 
 翌日、目覚めたら眼帯が外れていた。別に眼帯をしなくても別状なさそうだったのでそのまま放っておいたが一つ気になることがあった。就寝時は小玉電球にしているのだが、目覚めて小玉電球を見ると眼球の上部に左から右の方にくっきりと光の筋が一本走っているのが見えるのである。
 
 W眼科での手術後にはそういった症状は見られなかったので、これはどういった為に起こるのだろうかと気になった。蛍光灯などを見つめても光の筋は見えないが、赤っぽい電球系などではそういった物が見えた。

 妻の場合は目覚めると輪っかのような物が眼球の間近に見えて盛んに気色悪いと言っていた。まばたきをする度にその輪っかのようなものが見えるのだと言う。しかし、日が経つにつれ徐々にその症状は無くなっていきすっかり出なくなったのは1年後ぐらいだと言う。

 わたしの場合は光の筋だが、ネットで検索すると、白内障手術後に、妻の症状や私のような症状を訴える患者の相談もちらほら見られた。なぜそういう症状が起こる場合と起こらない場合が生じるのだろう。きっと何かの原因があるに違いない。

 そういった相談に対して、ある眼科医の回答がわたしの目を引きつけた。その眼科医の回答に寄れば、たまたまレンズが若干傾いた状況で固定されると収差が出てまぶしさを感じることがあると言う。その他にもネットで次のような相談が掲載されていた。

 左眼と右眼の白内障手術をしましたが、右眼にローソクの光のような光線が左下から右上にかけ映ります。これは何かの異常ですか。左眼は普通に見えます。

 それに対して回答した医師は、乱視でしょうか?それとも眼内レンズ特有の見え方か。レンズが傾いているのか? 実際拝見してみないと何ともお答のしようがありません。

 と書かれていたが、私はいつも飛躍すぎる推理をするのだが、白内障手術を受ける人は大体年配の人が多いので、未成年や成人したての若い者ならいざ知らず、年配の人は自分が乱視かどうかは認知している場合が多いはずである。だから乱視のせい云々は有り得ないはずである。それに左眼は普通に見えているのに、右眼だけ眼内レンズの特有の見えかたがするとは考えられない。残る予想はレンズが傾いているのか?に絞られてくるが、わたしはそれが一番の原因ではないかと思う。

 二人の眼科医が、レンズの傾きという言葉を口にしていることから推察して、白内障手術の現場ではレンズがまっすぐに嚢(のう)(水晶体が入っていた透明の袋状のようなもの)のなかに収まっていない状態があるのではないだろうか。例えば眼内レンズを嚢に入れた際、多少のズレがあっても固定してしまうと、嚢がダブったり歪んだり、或いはよじれたりするのではないだろうか。そうすると輪っかが見えたり、光の筋が見えたりするのではないだろうか。

 その他にも、白内障手術を受けたあと不具合を訴える人は結構多いのである。或る近所の主婦は、手術をした医師に、診察に行くたびに不具合を訴えていたら、しまいにはどこの病院でも行ってくれと開き直られたそうである。ちなみにその眼科医は、「CAN-Cの口コミ」のホームページで書いた白内障手術のエキスパートでありながら妻の白内障を発見できなかった眼科医のことである。

 白内障手術は職人の仕事と一緒のようなもので、1ミリもずらさない人もいれば2ミリや3ミリ或いは3ミリや4ミリのずれなら問題ないと判断する医師もいるのかも知れない。それが嚢のゆがみやよじれの原因となる事を知ってか知らずか、多分知っていても大した事ではないと判断して固定するのかも知れない。その為、左眼は普通に見えているのに、右眼は不具合を起こしているのかも知れない。

 眼内レンズは2、3週間ぐらいすると周りの組織と癒着するので、輪っかが見えるといった妻の症状が徐々に納まってきたのは、眼内レンズと周りの組織が癒着してきて、嚢のゆがみなりたるみなりが取れた可能性もある。しかし、後に記述するが、光の筋のようなものは何時まで経っても治らないということである。それもうっとうしい話である。

 白内障手術を受けて輪っかが見えたり光の筋が見えたり或いはその他の不具合も、ほとんどが嚢(水晶体が入っていた透明の袋状のようなもの)に収める眼内レンズの位置が多少ずれている事が原因ではなかろうか。

 さわだ眼科には眼帯が外れたままで診察に行った。さわだ眼科の待合室の天井には、蛍光灯と赤い電球系と二種類の照明があった。蛍光灯は何にも感じなかったが電球系の方に視線をやると、二つの電球系から二本の筋が見えた。

 定例の視力検査などを受けたが、W眼科と違うところは、手術翌日の診察にもかかわらず散瞳薬(瞳孔を開く薬)を注さないことだった。
 その病院にはその病院のスタイルがあることは仕方ないけど、散瞳薬(瞳孔を開く薬)を注すと注さないでは診察時間にものすごい差が出てくる。散瞳薬は1回点眼して20分ぐらいして瞳孔が開いているかを看護士が確かめにくるが、もし開いていなければもう1回点眼するので、それだけで40分の時間ロスになる。

 これは患者にとって全く無駄な待ち時間でしかない。散瞳薬を点眼せずに診察出来るものならそれに越したことはない。もし、散瞳薬をどうしても点眼するのなら、順番は無視して、来院したらすぐに散瞳薬を点眼するシステムに変えたら待ち時間が短くて済む筈である。
 
 散瞳薬を点眼しないせいか、15分も経たないうちに先生の診察となった。
「眼の上部の方に光の筋が見えるんですけど」
「それは、はっきりした原因は分からないけど、ロウソクの光源のようなものと一緒で、レンズを収める袋がよじれていたりすると、光の筋が見えたりすることもある見たいだね」
「眼内レンズはちゃんと中央に収められたのですか」
「そりゃミリ単位で言われると困るが、一応ちゃんとセンターリングにもっていってるよ」
「光の筋が見えるのは日にちが経ったら治るのですか」
「治らないですね」
 さわだ院長はカルテを見ながら、
「視力も1.5になっているし、あまり気にしない方がいいですよ」
 と言った。

 さわだ院長は、手術後の不具合は治らないですね、と平然と言ったのである。W眼科ではW院長の好奇心のために「開瞼器」の使い過ぎで眼瞼下垂というという症状を招いたが、眼内レンズは嚢に均等に納めてくれていたのである。だから光の筋などは見えなくて済んだのである。
 しかし、さわだ院長は自分の未熟さを恥じることもなく、平然と不具合は治らないと断言したのである。


 普通に生活する分にはなんの障害もないので、気にするなといわれればそうかも知れないが、病院から帰るとき、前方のクルマがブレーキを踏んだときブレーキランプの赤い光の筋が眼の上部に飛び込んでくるのですこし面食らった。しかし、そんな状態が一生続くとしたらうっとうしい限りである。その他は、支障らしき支障もないのであまり気にしないようにすることにした。
 さわだ院長が治らないと言ったのは、手術後そういった症状になる例も少なくなく経験済みで言ってるのだろう。

 眼瞼下垂症の方はいくら危険な療法を続けても、術後37日経ってからやり出したので遅きに失したのか、少しづつ回復はしているのだが、回復の度合いが遅く、はっきりと成果が現れているとは言えなかった。

 右目を手術して二日目である。左目の療法を終わったあと右目にもその療法をやってみた。すると翌日、眼が覚めて何となく小玉電球を見ると、光の筋が薄くなっていることに気がついた。さらにもう一日その療法を右目にやったところ、朝になって小玉電球を見ても光の筋がものの見事に消えていた。たった二回の療法で手術後の不具合が完治したのである。診察の時、さわだ院長に独自の療法をやったことは伏せて報告した。

「光の筋が見えなくなりました」
「それは偶然や。よかったな」
「ずっと治らない人もいるんですか」
「いるよ。あなたの場合は偶然に治っためずらしいケースや」

 本当のことを言えば怒られそうで、私は独自療法のことは絶対言うまいと思った。しかし、偶然では絶対に治るわけがない。私がさわだ院長の未熟の尻拭いをしたから治ったのであり、本当に偶然に治ったと思っているなら幸せな人である。手術して2日後に、まだ眼内レンズと周りの組織が癒着しない内にその療法をやったのが結果的には効を奏し、多分、嚢の中のレンズの傾きが治ったのである。
 右目は、三回目の診察が終わって、順調に治っているので、次は一ヶ月後ぐらいに来るように言われた。

 平成29年1月18日(水)までに眼瞼下垂の方は独自療法を20回ほどやった。右眼の手術は正常だったので右眼と比較した場合、左眼の開眼率は初めは2分の1ぐらいだったが今では3分の2ぐらいまで開くようになった。時には4分の3ぐらいまで開く時もあったが、開眼率は1日の内でも一定ではなく、完治したという所まではいかない。独自療法の開始が遅かったのが一番の原因かも知れない。
 1日のうち、時々、左眼の瞼がけだるいような症状になるが、瞼の筋肉にまだ炎症が残っているからだと思う。このけだるさが取れたときこそ、眼瞼下垂も完治するのかも知れない。

 独自療法も結構邪魔くさいので最近はさぼっているが、しかし、以前よりも大分ましなので、このまま放置しても自然に治って行くのではないかと思っている。

 2月3日(金)に1ヶ月振りぐらいにさわだ眼科に診察に行った。右目の経過は順調で、次回は具合が悪くなったら診察に来るということになった。
「ところで先生はADHDって知っておられますか」
「今、急に言われたら一瞬何の事かと思ったが、注意欠陥・多動性障害の事だね」
「そうです」
 そのあと2、3分ADHDのことについて話したが、わたしは手術の礼を言って診察室を退去した。

 このページは折りを見て眼瞼下垂のその後の推移を書いて見たいと思う。

 その後、平成29年2月17日(金)までに眼瞼下垂の独自療法は二回ほどやったので都合22回やったことになる。今ではほぼ瞼は開くようになった。ほぼと書いたのは完全に100%開いている時と80%〜90%ぐらいの時がたまにあるからである。それもいずれは100%開くようになるのではないかと思っている。

 平成29年3月の中頃には瞼のけだるさもすっかりなくなり、開眼率も右眼とほとんど変らなくなった。完璧に元に戻ったといえる。思えば長かったものである。完治するまでに、治療を始めたのが遅かったせいもあり4ヶ月以上掛かったのである。

 W院長は、ADHDの疑いは大いにあるが、しかし、アインシュタインやエジソンのような天才的な一面もあったことは否めない。だからこそW院長の手術は好奇心による手術の中断を除けばほぼ完璧な手術を行ったといえる。それに比べてさわだ院長は、正確に嚢に眼内レンズを収めることが出来ない未熟な医師で有るとしか言えない。おそらく、さわだ眼科で白内障手術を受けて光の輪っかや光の筋で悩まされた患者さんは多数居られたに違いない。

 私と妻の例で言えば二人だけの統計だが100%そういう状態になった事を考えれば、1は十に通ずの例えからいえば相当数の患者さんが悩まされた可能性がある。

 しかし、未熟ならまだ許せる範囲内であるが、麻酔を打ったにもかかわらず切除する個所をど忘れしたり、まったく悪くない個所を切除したりするのは医師としてはあるまじき行為である。それを謝りもせず、根拠のない眼瞼下垂なる病名を持ちだし厄介払いしょうなんて魂胆は許せるはずがない。もっともこちらとしても、どんな治療をされるか分からないので、さわだ眼科では二度と治療を受ける気はないが、良心があるならば恥を知るべきである。
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