トップ >> 地震の話し(9) -- 復路その2 --


地震の話し(9) -- 復路その2 --


<< prev next >>

神戸市東灘区、通称「山手環線」と呼ばれる道路の行き止まりのところまで来た。
このあたりは庭のようなものである。学生時代に4年間住んでいたところだ。
行き止まりのところから南へ下って国道2号線に出る道は、それしかないのでやはり混んでいる。
でもここは庭。どんな道でも大丈夫。知っている細い道に入り込む。
もう真っ暗だから周りの状態はわからないけど、ところどころで焚き火を囲んで人がいる。
そういった光以外は全くない。すごく恐い・・・違うな・・・無気味な(?)状態だった。

国道2号線に出る直前、家と電信柱が倒れていて車が通れないようなところがあった。
でも渋滞しているので(細い道とかあまり関係ない。すべての道が渋滞していた)後ろには戻れない。
仕方なくまた横をズリズリしてしまった。
2号線に出て・・・・動かない。
フッと思い出した。電話をしていない。
妹にかけてみる。つながった。家だという。
・・・・そうやわなあ。もう11時過ぎてる。
とりあえず須磨の親戚は無事だが、家はいつ倒れるかわからない状況と、避難場所を伝え、
「もう先に寝ていいよ。(帰りが)いつになるか分かれへん。」

2号線全然動かない。
このあたりは中央分離帯が少し断差があって緑地帯になっているんだけれど、これを無理矢理乗り越えた。
2号線をあきらめて、そこからまた細い道を南へ向かう。
この先に4年間暮らした大学の寮がある。
でも、寮まであと30メートルくらいのところで、左にある電信柱が右へ倒れ、
右の柱が左へ倒れ、いわゆるバッテンのようになっていて車が通れない。
歩いて行ってもいいんだけど、もうそんな気力はなかった。
後で聞いたんだけど、さいわい寮は大丈夫で、寮生は周囲の住人を沢山助け、
ボランティア活動もし、神戸市などから表彰されたそうだ。
永年、寮生は、入寮コンパなどで夜中中騒いで、ご近所迷惑ばかりかけていただけに、
いいことをしてくれたと自分のことのように嬉しかった。

ここからは本当に細い道でも帰れる。
結構スムーズに西宮あたりまで帰ってくる。
何回か止まってしまうこともあるけど、徐々には進む。
突然、2台ほど前の車が住民に取り囲まれてえらい騒ぎになっている。
窓を開けると声が聞こえる。

「おい!たばこ消せ!!」こんなにやさしい(?)言葉ではない。
もっとやくざっぽく、もっと殺気立っていた。
多分ガス爆発でもおこった地域なんだろう。
火に関して敏感になっていた。

一方通行を猛スピードで消防車が突っ込んでくる。
火事はいろんな所で断続的に起こっている。
幅が車2台とちょっくらいの道。
間の悪いことに、すぐ前にワゴン車が駐車していた。
このままでは消防車にぶつかる。
そう思ったからとっさにワゴン車に車をぶつけた。

ギリギリで消防車は通り過ぎて行く。
ゴメンネ!ワゴン車の持ち主さん。
へこますつもりはなかったんだよ。
でもオレの車もボコボコだあ。
3回?4回?ぶつかったりこすりつけたり。

そうこうしているうちに尼崎まで来た。
そして大阪市。
家にたどり着いたのは午前4時を過ぎていた。
地震が起こってほぼ24時間がたとうとしていた。
-----
あんなに暗い神戸の街を初めて見た。
山奥に星を見に行くことがよくある。
すごく暗くて、恐ろしくなることもある。
でも、この時は、街が、ビルが、家が、建物が、あるにも関らず明かりが一切ない。
これは無気味だった。

<< prev next >>

戻る