トップ >> 地震の話し(8) -- 復路その1 -- |
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地震の話し(8) -- 復路その1 -- |
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須磨からの帰りの道のことはあんまり覚えていない。 行きの時に崩れかかった高速の下の道(これが一番大きな道なんだけれど)が すいていたのに気をよくして、帰りもここを通ったはずなんだ。 でも、まず1つ記憶に残っているのは、長田のあたりで渋滞につかまったこと。 それも、その高速の下の道じゃないところ。 多分、高速の下がずーっと通行できなくって、違う道に入ったんだと思う。 ずいぶん我慢してその渋滞の中にいたんだけど、我慢できずに道を変える。 反対車線はガラガラだったのでUターンし、横道に入る。 どこをどう通ったのかは知らないけど、JRの兵庫駅にでた。 しめしめ、JR沿いに走ればなんとかなるだろう。 そのまま高架の北側を東に向かう。 このあたりの道は知らないんだ。 地震の報道がいろいろあってから気付いたんだけど、オレのいた渋滞の所は、 もうすぐ行くと神戸高速鉄道の大開駅の場所だった。 そこは地下にある駅が崩れ、道が陥没していた所だ。 多分、そのせいで車が通行できず、渋滞していたんだろう。 JRの北側もずーっとは行けなかったようで、オレの記憶はJRの南側の道路に飛ぶ。 そして、そこから神戸の中心地・三宮あたりまでは順調だった。 三宮のど真ん中に着いたのは、夜の7時頃だったと思う。 街に、ビルに、明かりが全くなくすごく無気味だったのを覚えている。 そして目の前に満月が昇ってきた。 すごく大きな月だった。 三宮を過ぎたところで車が全然動かなくなった。今度の渋滞は何か違うゾ。 エンジンを止めること約...どれくらいだったんだろう。 全然動かない。 前の方の車から人が降りて対向車を止めようとしている。 対向車はあまりいない。道がすいているから来たとしてもかなりスピードを出している。 それでもようやく1台つかまえたようだ。 何事かとオレも車を降りる。 この渋滞の前の方がどうなっているか聞いているようだった。 「1車線規制になっている」という情報を得た。 でもオレの後ろの方でも1台の対向車を止めた人たちは「通行止めになっている」と聞いたそうだ。 実際には、この先国道2号線と国道43号線に分かれるのだけど、43号線(片道4車線)が通行止め、 2号線(片道2車線)が1車線規制になっていたようだ。 エンジンを切って2時間以上経っていただろうか。 これを聞いてオレは決心した。 Uターンだ。 三宮の方にちょっと戻って山手の方に向かう。 このあたりまで来るとまあまあオレのテリトリーに入ってくる。 多少いろいろな道を知っている。 そのおかげでかなりの距離を乗り切った。 午後11時頃、オレは神戸市東灘区の山側にいた。 神戸の山手を東西に走っている道は東灘区で行き止まりになる。 (注:2010年、ようやくこの道路は行き止まり区間の芦屋、西宮を整備し尼崎まで通った) 三宮からは通常30分くらい。 それが渋滞もあって4時間。 時間感覚が麻痺していた。 ----- 帰りに何故行きと同じように有馬温泉の方を通らなかったか。 有馬温泉は神戸市と言えどもかなりの山んなかで、温泉街はともかく、その前後は明かりなどがない。 そのあたりの道にはあまり詳しくないので絶対迷子になると思ったからだ。 それに須磨を出た時には昼ほど渋滞はひどくないように思えた。 知っている場所を走りたかった。 学生時代に住んでいた場所がどうなっているかも、少し気になったし、知りたくもあった。 だから、神戸市内を帰った。 目的は果たした。後は帰るだけだった。 ちょっとくらい遅くなってもいいとも思った。 でも、ちょっと甘かったようだ。 |
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