トップ >> 地震の話し(6) -- 須磨その1 -- |
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地震の話し(6) -- 須磨その1 -- |
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有馬街道で裏六甲からおもてっかわに出てきた。 有馬街道は谷を通っているけど、南側に出てきた所はまだ平野部よりはだいぶん高い所なので、 町がある程度見渡せた。 いろんなところから煙が上がっている。7本ほどあっただろうか。 火事だ。窓を開けると消防車の音も聞こえる。 妹に電話をしたのはこの頃だったが、道は渋滞していたので、どういうルートを行こうか随分悩んでいた。 このあたりの地理にはあまり詳しくないけど、方向はわかるからどこを通っても大丈夫だろう。 とにかくまずは南へ向かう。 知ってる道(特に国道2号線)まで早く出たかったから。 途中に少し車の量の少ない(と思った)道があったので、西側に曲がる。 ある程度行くと前方に何本も煙が上がっていて、ヘリコプターもたくさん飛んでいた。 このまま行くと火事の中に巻込まれてしまって動けなくなるんではないかと思い、また南へ向かう。 しばらく行ったところで見たのが、地震後、映像でよく見た三菱銀行のくずれたビルだった。 ガラス張りのビルは崩れ、ブラインドが垂れ下がっていて無気味だった。 この前の東西に通っている道が結構すいていたのでまた西に向かう。 このあたり、キチンと建っている家は半分もなかった。 ここからどこをどう通ったかはあまり覚えていないが、この頃から交通ルールも守れなくなってきた。 信号はほとんどついていなかったけど、譲り合って渡っていた。 でも家屋が倒れて通行できない道路などがあり、一方通行を逆行するのもしばしば。 気付いたらJRの高架の北側を走っていた。 そして、一面焼け野原の場所に出た。 ゴムが焼けたようなにおいが出て臭かった。 火はもう消えていた。 建物は....ほとんどなくなっていた。 アーケードの骨組みだけが燃え残っていた。 そこは長田区、菅原市場があった場所だった。 JR新長田駅近くでもう西には行けなくなったので、また南に向かい、ようやく国道2号線にでた。 上は阪神高速。 阪神高速の橋脚が少し崩れて中の鉄筋があらわになっている。 さすがにいつ高速が壊れても不思議のないような場所だったので車は少なかった。 恐い恐いと思いながらも、ここを通る。 須磨水族館付近でまた渋滞になったけど、親戚の家の近くまで行った。 須磨の親戚の家は普段でも狭い道のところにあるので、適当に車を止めて、歩いて行く。 いまだに燃えている家もあるので、車をおく場所もなかなかなかった。 時間はもう4時になっていた。 途中の酒屋さんでは、丁度埋もれていた人が掘り出された所だった。 助け出されたと書かなかったのは....どういう状況かわかると思う。 家族が泣き崩れている。 見ていられなかった。 道を間違えたりしながらも、ようやく親戚の家に着く。 扉をノックする。 誰も出ない。 ドアを開けてみる。 開いた! 中に入ってみる。 「おじちゃーーーん、おばちゃーーーん!」 誰もいない。 靴を脱ごうとは思わないような家の中の惨事。 家は建っているけど、中はたんすから何から何まで倒れていて足の踏み場もない。 部屋を全て調べる。 誰もいないという事に少し「ホッ!」とした。 どこかに避難したに違いない。 家を出たところでおじさんが帰ってきた。 『そっちの家は大丈夫?』(そんなことを聞いている場合ではないのに)... 「おばちゃんは?」... 『うん大丈夫、避難所にいる。寒いから毛布を取りにきた』... また家に戻る。 『靴脱がんでええで』(ハハハ、さっきもう土足で上がった後や)... 「どうなってんのこの家」... 『無茶苦茶やろ。貴重品だけは掘り出して持って出てるけど、他はもう片付ける気にもならへん』... 「朝はどうやった?」... 『おっちゃんはもう起きとってんけどな、おばちゃんはベットから落ちて腰打った。 でもそのベットに洋服ダンスが倒れてきてな、ベットから落ちてなかったらどうなってたかわからん』... 「・・・・」 ----- 人のことを考えられる状況じゃなかった。 それに、そのあとも「自分たちよりもっとひどい状況にいる人がいる」そう言って慰めていたりした。 人間って弱いものだし、自分のことで精一杯。 人のことまで考えられるようになるには、精神的な「ゆとり」ができるまでは、できない。 |
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