トップ >> 地震の話し(5) -- 親戚の安否を案じて須磨へ向かう -- |
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地震の話し(5) -- 親戚の安否を案じて須磨へ向かう -- |
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西宮から須磨に向かう。 どうやって行こう。 西宮から須磨は結構遠くて、下道で行くと1時間以上はかかる。 この頃になると、この地震が結構大きな地震だと言うことがわかってきた。 でもあのような(長田区など)惨事になっているとは思ってはいなかった。 ただ、神戸市内は車が渋滞するだろうことが容易に予想できた。 そこで真っ先に思い付いたのは、六甲の尾根を縦断してやろうということ。 まさかこんな地震の時に六甲に行く奴はいないだろう。 そこで西宮市内を夙川(しゅくがわ)、苦楽園(くらくえん)と呼ばれるおしゃれな町に向かう。 そこから六甲に登れる。 六甲山の一番東側にあたるところだ。 しかし、だんだん道が悪くなってくる。 アスファルトがズタズタに割れている。 家も壊れているのが多くなってきた。 いや立って残っているのが少なくなってきた。 苦楽園では橋のたもとで道路が外れかけており、かなりの段差がついていた。 案の定、車の底がすれた。 六甲山への道に入る。 予想していたとおり車はほとんどいない。 いい気になって山を登って行く。 だいぶん行ったところで大きな岩が転がっていた。 高さも直径も7〜8mくらいの大きな岩だ。 そしてその岩にトラックが突っ込んで止まっていた。 「そうか、崖くずれがあるかもしれない」そう思うと少し恐かった。 トラックには運転手はいなかった。 しばらく行くと対向車があった。 なぜかパッシングされる。 「?」と思ってさらに進むと、芦有(ろゆう)道路との交差点で その先は行き止まりというか通行禁止になっていた。 芦有道路は芦屋と有馬を結ぶ有料道路で結構料金が高い。 でも、この時は芦有道路も通行止めになっていた。 パッシングの意味はこれかあ。。。 どうしようか??? 戻るのも嫌だしなあ。でも戻るしかない。 途中から宝塚方面に向かう道があるのでそちらに向かう。 西宮方向に戻ると、またあの段差があるのと、やはり神戸市内には行きたくなかったから。 で、宝塚なんかに行ってしまうと道も知らないし方向も全然違う。 途中で有馬温泉方向に曲がる。もう道全然わからん。 でも方向はあっているのでそのまま進む。 有馬温泉はまあまあ無事だった。 有馬を越えると、神戸の海側で言えば三宮(中心付近)まで来ていることになる。 ここからどう行けばいいのか。 とにかくその前にガソリンを入れる。ガソリンスタンドが開いていたのだ。 結局、道に迷うのも嫌だったので、有馬街道(神戸の長田から南北に通る旧街道)に あたった時点で南へ向かう。 案の定、渋滞につかまった。 六甲に入ってから、長田の町に出るまで携帯電話はずーっと圏外だった。 平野部に出た時点で妹に電話を入れてみる。 かかった。やはり携帯はかかりやすいのか。 この時何を話したのかは覚えていない。 今どこにいるというのは伝えたと思う。 須磨まではもうすぐなんだけど...... ----- 今日の話しの時点までのオレの記憶では、西宮が一番被害がひどかった。 特に夙川の手前、テニスプレーヤーの沢松奈生子さんの実家のあたりが、 特にひどかったような気がする。 六甲縦断大計画は芦有道路からむこうは行けなかったけど、 有馬をまわったのは正解だったと今でも思う。 ほとんど車には会わなかった。 距離は倍近くになったけどガソリンスタンドも開いていたし。 でも、この先はもっと凄い記憶が残っている。 あの地震の当日に、あの場所にいたの?というところを沢山通った。 これは自慢にはならないけど、事実だ。 オレはあの時、あそこを、通ってるんです。 |
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