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地震の話し(4) -- 西宮の親戚は無事 --


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西宮の親戚の家は高級住宅地にある。
並びには江崎グリコ社長の家などがあるところだ。
(グリコ・森永事件の時は大変だったらしい)
それでも全壊した家屋もあったし、ウチの親戚のところのように全然大丈夫なところもあった。
そう、親戚のところは外見上は全く大丈夫だった。
家の中は、32型のTVは落ちていたし、幅が2mもある仏壇も倒れていたそうだ。
庭の蟷螂(直径1m近くある球形の部分)が壁を飛び越えて隣の家まで行ったらしい。
そうだ、とか、らしい、とかは実際オレが見ていないから。
TVも仏壇もおじさんが直したそうだ。
火事場のばか力なんだね。冷静になると一人では動かない。
蟷螂は隣の家に行ってしまったきりだった。

オレがその家に着いた時、丁度おじさんが自転車で帰ってきたところだった。
おじさんは水の入ったポリタンクを持っていた。
「水の配給があった」という。この時丁度12時。
後から考えると、政府はまだ全く動いていない状態の時に、
水道局(だと思うんだけど)は配水車を動かしていたんだ。
尼崎(会社の周り)ではガス以外は大丈夫だったけど、ここ西宮では
ガスも水道も電気も、いわゆるライフラインはすべてダメになった。
復旧はいつになったかは聞いていない。
ガスは1ヶ月くらいかかったらしい。

とにかく無事だったのがわかったので、家に電話をかける。
公衆電話を見つけてかけたんだけど全然かからない。
20回なんてもんじゃない。
家にかけるのはあきらめて、同じ公衆電話から妹の携帯電話にかけてみる。
これが結構あっさりつながった。妹は会社に居た。
大阪市内の市内電話はそんなに込み合っていないらしく、妹は家と連絡がとれるという。
そして、西宮の親戚の無事と、次は須磨に行くことを告げた。

ここで妹からアドバイス。
妹は携帯電話の会社に勤務していたので、このとき携帯電話は規制をしていないということがわかっていたらしい。(NTTの加入者電話は神戸への電話を規制していたらしい)
だから『携帯から携帯にかけたらすぐにかかるよ!アンテナが無事だったらネ。』..
「じゃあ次からは携帯で連絡を取るわ。」とは言ったものの、
この頃の携帯は電池の持ちがそうよくなかった。

西宮の親戚には「また何回でも来るわ」そう言ってわかれた。
実際、ウチからここまで来るのは交通規制にもひっかからなかったので、
その後、何度も水や食料を運んだ。
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石油ショックの時、トイレットペーパーの買い占めは大阪で始まったらしい。
その時のことをオレはあまり知らない。小学校に入ったばかりだとは思うんだけど。
母親に聞いたことがあるけど、ウチではあまり騒いではいなかったらしい。

3年前の地震の時、こっちではブルーシートとポリタンクの値段が高騰した。
高騰したどころか物がなくなった。
ブルーシートは屋根などが壊れたのを上から被せて応急処置するためのもので、
一部地方自治体で配っていた(売っていたところもある)が絶対数が足りない。
ポリタンクも今なら通常1000円以下のところが、3000円くらいになっていた。
それでも水は貴重だったから、1つ購入した。

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