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地震の話し(3) -- 親戚の安否を案じて西宮へ向かう --


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さてさて、「西宮と須磨に行かなあかん」とにかくそう思ってしまった。
あとから考えると、被災地に車を乗り入れるなんて...との是非があるとは思う。
良かったのか悪かったのかなんて、今でもわからない。
とにかくまず西宮だ。
でも西宮の親戚はいわゆる高級住宅街にある。
何度か行ったことはあるけど、車で行ったことなんてない。
場所が...少し自信がない。だから電話で住所を聞いておいた。

会社を出て車に戻る。
ありゃ。地図忘れてきてるで!
しゃあないなあ。朝、電話して通じなかった先輩のところによってみるか。
地図借りよっと。それに、大丈夫なのかも心配だし。
車で北に向かう。伊丹市に入る。壊れている家が多い。

阪神大震災は神戸を中心に...というか神戸ばかりが取り上げられている節がある。
でもそれだけではない。
地名は地図を見て確認して欲しいが、簡単に言うと、
大阪の西がオレの行っている会社のある尼崎(ここはもう兵庫県)、
その北に伊丹、尼崎と伊丹の西に西宮があり、西宮の北に宝塚がある。
神戸と西宮は北側で境を接しているが、海側には芦屋がある。

尼崎でも伊丹でも壊れた家は意外と多い。
会社に行くまでオレが通ってきたところは、比較的被害の少ないところだったみたいだ。
すぐに先輩の家に着く。2階建てのハイツの2階。窓があいてる。
でももぬけの殻だった。隣の家は見事につぶれていた。
後から聞くと、嫁さんと子供を嫁さんの実家(横浜)に送り付けてたんだそうだ。
飛行機は動いていた。
大阪空港はすぐ近くにある。

仕方がないから記憶を頼りに行ってみよう。
尼崎と西宮の間には武庫川という大きな川がある。
そして武庫川には特に橋が少ない。
どこから行くか迷ったけれど国道171号を通ることにした。
後日談だが、171の橋、次の日から1週間ほど通行止めになった。
震災のために亀裂が入ったりしているおそれがあり強度的に問題があるとのこと。
渡ったっちゅうに!それも渋滞しとったで。
そう、そのあたりで渋滞に引っ掛かった。
思いだしたかのようにラジオを付ける。
ラジオから流れてきたのは...行方不明や生存確認の放送だった。
「XXのYY一家、全員無事。AAのBB家に避難している」
「CCのDDさんの消息を知っている方、EEのFFまで連絡乞」
などなど。

武庫川を渡ると信号もついていなかった。
そして渋滞の原因が判った。
もう少し先の私鉄をまたぐ高架が落ちていたのだ。
強制的に左右に曲がらされる。
交差点に立って車を誘導しているのは、どうみても警官ではなかった。
どうにかして親戚の家につく。
普段なら30分もかからないところを、約2時間かかった。
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こちらでは今週(1月の17日の週(当時))は「防災とボランティアの週間」なんだって。
上に出てきた西宮の親戚の家の近くにも、まだ仮設住宅があるけど、
そこの住人(被災者なんだろうけど)がボランティアに頼りすぎだという。
自分たちの周りのゴミ拾いまでボランティア任せになっている。
確かに家をなくしたのは同情に値するけど、だからといって常識を忘れてもらっては困る。
助け合わないとどうしてもダメな状況をくぐりぬけてきたハズじゃないか。
そんな失望するようなマネはやめて欲しい。

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