![]() |
|
2015年6月3日、朝早め8時頃に出発。
モスタル観光の後、ドブロブニクまで行くので、2度の国境検査に時間がかかるかも知れないとのこと。
バスでモスタルに向かうが、バスの車窓から見えるアドリア海がやたらに美しい。
有名な観光地でなくても、ここらあたりはどこでも、海は本当に美しい。
クロアチアからボスニア・ヘルツェゴビナへの入国は予想通り時間がかかった。じっと待っていると長く感じるが、30分位か。
モスタルの石橋(スタリ・モスト )
この橋じたい確かに美しい。
だが、この橋が有名なのは、これが美しい橋だからではない。
それまでユーゴスラビアの一部だったボスニア・ヘルツェゴビナが1993年独立を宣言したが、これに対して、ユーゴスラビア軍・クロアチア軍から激しい攻撃を受け、ここモスタルは、旧市街、橋、聖堂などほとんどが破壊され、モスタルは廃墟となってしまった。 だが、紛争終結の1995年以降、モスタルの復興は急速に進んだ。EU(ヨーロッパ連合)などが中心となって復興を支援、橋、聖堂等は復興、旧市街は住宅やショッピングセンターなどが整備された。
2004年にはそのほとんどが完成し、2006年、石の橋とその周辺はユネスコの世界遺産に登録された。
橋の上から川を見て撮影した。
それにしても、美しいところだ。
こんな街が廃墟になるほどの爆撃戦がここであったとは。
ここだけではなく、今回の旅のコースのほぼ全部で、同じようなことが起こったのだ。
この後、ドブロブニクに向かうが、ボスニア・ヘルツェゴビナからの出国手続きが必要になる。ボスニア・ヘルツェゴビナがEU加盟国であれば入出国手続きは簡単だが、ボスニア・ヘルツェゴビナは正式加盟国ではない。これには、先のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争での複雑な民族関係がいまだに尾を引いているようだ。モスタルの石橋が、悲劇の橋といわれ、多くの観光客を集めているのは、それが、複雑な民族間の紛争を越えて再生したからなのだ。
ボスニア・ヘルツェゴビナからの出国手続きにまた30分ほどかかった。
ドブロブニクでは、ホテルで休憩の後、夕食は旧市街で。
元修道院だったというクラリッサというレストラン。料理は可もなく不可も無し。
2015年6月4日、今日一日、ドブロブニク観光。
ロープウェイで行けるスルジ山からドブロブニクを見るために、始めにスルジ山へのロープウェイ乗り場へ向かったが、ロープウェイが修理中?という知らせに、予定を変更。旧市街見物が先になった。添乗員による旧市街案内で、フランシスコ修道院などを見学。
ロープウェイはOKの知らせに、ロープウェイ乗り場へ急いだ。
私達はドブロブニクは2度目である。初めてのドブロブニクの時には、ここが嘗てロープウェイ乗り場だったという、紛争で瓦礫となった場所を見た記憶がある。だから今回、ロープウェイで昇って山の上からドブロブニクの景観を見るのは楽しみでもある。
ロープウェイで下りた後は、ちょとしたクルーズ。ドブロブニク周辺を海側から見ようと。これもツアーに含まれているのです。
このショートクルーズが予想外に楽しかった。
旧市街から見えるところに小島があるが、その小島に小さなホテルもあるようで、島全体がリゾート地のようになっているようだ。泳ぎ、釣り、カヤックetc.楽しめる遊びはいろいろ。
なんといっても、海が美しい、アドリア海の水が。透き通っていて、素晴らしく美しい。
「旧市街がみえるか?」って? まあね、城壁はよく見えましたよ。
観光客が多いのは、
私達が最初に来たころと変わらない。
しかし、路地に入ると、昔よりきれいになっていた。
ここ港は昔と変わらない。
私達が最初にここに来た時、
沖に停まった大型クルーズ船の
テンダーボートでここに上陸した。
今日の昼食もツアーに付いてない自由食で、その時間を含めて自由行動となったので、城壁を歩くことにした。最初に来た時も歩いたが、何回訪れてもここは楽しめる。 スライドショー (写真16枚)
上の写真にある港のそばから城壁に上がり、旧市街を左に見ながら城壁の上を歩いた。 |
|
2015年6月5日 今日は帰国。
午前10時40分ドブロブニク発フィンランド航空でヘルシンキへ、ここで乗り換え、関西国際空港へ。時差があるので、翌日午前9時前には関西国際空港に到着。
今回の旅ではずっと晴天続きだったが、プリトヴィッツ湖群国立公園の半日だけが曇っていた。誰の行いが原因か。他人のせいにするのはいけませんね。では、私の行いのどこが悪かったのか?
![]() |
|