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2015年6月1日、今日はクルカへむかう。
クルカ国立公園、プリトヴィッツェを小規模にしたようなものです、という添乗員の話。阪急交通社のツアーでここは初めてという。
バスでクルカ国立公園に近づくと、美しい景色が見えてくる。
期待感が高まってきた。
クルカ国立公園に入ってすぐ。
水が美しいのには驚く。
プリトヴィッツェでは特に感じなかった、水量の多さを感じる。
大きな滝のほとりでは、水着で、水煙をあげて落ちる豊富な水を浴びながら遊ぶ人々が大勢いた。
皆、なんとも楽しそうだ。
私も、もしこの近くに住んでいたら、絶対、夏は毎日でもここで水着で遊びたい。
ハイキングの終わりに近づいて、
ますます、水量が増えるのが感じられる。
昼食の後は、シベニクへむかう。
シベニクで1時間ほど観光した後、宿泊するボドストラナに向かうことになっている。
ここらあたりの他の地域と同様に、シベニクもローマ時代から都市になっていたようだが、
「シベニク」の名で歴史に登場するのは中世期になってからである。
シベニクの聖ヤコブ大聖堂はユネスコの世界遺産に登録されている。
レンガや木の補助を全く使わず建てられた石造建築の教会としては、
世界で一番大きいそうだ。
ユーゴスラビア紛争戦の際、1991年にセルビア軍の爆撃で大きな損傷され、外観は修復された状態だという。
だが、聖堂内部は、補強状態にあるままである。
シベニクは、アドリア海に面した港町。
土産物屋や露店が沢山出ていて、
リゾート地を思わせるような雰囲気さえある
美しい街だ。
シベニク観光の後はボドストラナへ向かった。
ボドストラナでは2泊する。明日は、ここからスプリットとトロギルの観光に行き、そして、明後日はここからボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルへと向かうことになる。
2015年6月2日、今日はまず、スプリットへ。
スプリットは、ディオクレティアヌス宮殿が造られた都市として有名だが、それ以前はギリシャ人が住んでいたそうだ。
ローマ皇帝の中でも軍人皇帝として知られたディオクレティアヌスの宮殿はまるで軍事要塞のように堅固に造られている。ユーゴスラビア紛争でも幸いにも大きな損傷を受けず、今では、クロアチアのみならずヨーロッパや世界の中で、よく整っている建築物・文化的な遺産として際立ったものだそうである。
![]() 内部を歩くだけで、ローマ時代とはこんな感じかと思わせる堅固さがある。 |
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巨大な宮殿で、内部には商店、住居など、
宮殿内全体が一つの街となっている。
洗濯物など干してある。
今日の昼食はツアーには付いていない、つまり自由食で、自分で食事を摂る時間を含めて自由行動ということになる。トロギールへむけてのバスの出発時間にバスの乗り場に集合ということだ。
先ほどガイドの説明に、スプリットが見渡せるマルヤンの丘という展望台があるが希望があれば案内しますよという話があった。特に誰も希望しなかったのでその話は無かったことになったが、この自由時間に、私とツレアイは、そこに行ってみようということになった。
さすが、見晴しがいい。スプリットがアドリア海を望む美しい港町だということがよく分かる。
全ての座席が港を向いている、まるごと展望台のようなカフェがあったので、私達はここでコーヒーをいだたいて昼食の代わりにした。最近、飽食気味なのだ。
ちょうど昼頃の時間にディオクレティアヌス宮殿の大聖堂前の広場で、ディオクレティアヌス帝!が観衆に挨拶するというアトラクションがあると聞いていたので、間に合うかな、とそこへ急いだ。
檀上の白衣の人物がディオクレティアヌス帝、横は王妃。それぞれに身分があるらしい兵士が皇帝のまわりにずらりと整列(写真には、全部は写っていない)。
皇帝がなにか演説(挨拶?)。何語なのかは私には不明。演説が終わると、兵士全員が声を揃えて「???」と掛け声を叫んだ。私達観衆も促されて、も一度、今後は兵士、観衆が声を揃えて「???」と掛け声を叫んだ。
「???」が何と言ったのか覚えていない。メモしなかったのは大失敗。とにかく、私の聞いたことのない掛け声だった。皇帝の演説が終わったらすぐに叫ぶことになっている、皇帝への喝采の決まり文句なのだろうか。
演説の最後に皇帝が観衆にむかって、英語で「Welcome!」と言うと観衆がドッと沸いた。
ローマ時代の雰囲気もチラリと味わって、面白かったな。
トロギールへ移動。
トロギール
聖ロブロ大聖堂などを観光した。
写真に、聖ロブロ大聖堂の鐘楼が見える。
宿泊地ボドストラナへ戻る。
夕食はレストランで、メニューは手長エビのパスタ。大変、美味でした。大満足
明日は、モスタルへ行くので、国としてはボスニア・ヘルツェゴビナに入ることになる。
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