eoさんの旅ノート
スロベニア クロアチア 1 クロアチア 2 ボスニア・ヘルツェゴビナ & ドブロヴニク
 

スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナの旅
 

はじめに
 2015年5月25日から6月6日まで、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナの旅をした。旅行社阪急交通社の Crystal heart クリスタルハートの「クロアチア・スロベニア・ボスニア・ヘルツェゴビナ13日間」という名のパックツアー。最近は、私達もパックツアーで旅行することが多くなった。まあ、いろいろあるけれど、要するに、楽でいいですね。

 今回の旅のコースを都市名でいえば、まずスロベニアに入国、リュプリャーナ→クランスカゴラ→ブレッド→ポストイナ→オパティア(クロアチア)→ポレッチ→プーラ→ザグレブ→ザダール→クルカ→シベニク→ポドストラナ→スプリット→トロギル→モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ)→ドブロヴニク(クロアチア) で帰国となる。
 プリトヴィッツ湖群国立公園の滝の写真を見て行って見たいと思い、旅行パンフレット等をいろいろ見比べた。通常の「スロベニア、クロアチア……」の旅行コース期間はせいぜい長くて10日間なのだが、「13日間」というのを見つけた。日数が長い分ゆっくりと見ることができるので私達はこのコースを選んだが、後で(旅行出発後)こんなことを聞いた。このコースの中のいくつかは、阪急交通社としては初めての訪問(観光)場所であり、このツアー(私達が参加した)で問題なければ、阪急交通社の次の旅行コースに組み入れる予定であると。
 へえ!? そうなの!? 私達はモニターというわけか。だからといって、私達参加者に対しての特別待遇は何もなかったが、まあ、ケチくさいことは言うまい。
 結果は、景色の素晴らしさは期待以上だったし、また、 ユーゴスラビア紛争の残影を感じたりして、景色が素晴らしいという言い方だけでは何か言い足りないものを感じるような旅だった。

2015年5月25日
 午前10時40分関西国際空港発フィンランド航空でヘルシンキへ、ここで乗り換え、リュプリャーナへ。時差があるので、同日午後7時30分頃にはリュプリャーナのホテルに入った。

2015年5月26日
 リュプリャーナはスロベニアの首都である。
 早速、この日から観光。午前中にリュプリャーナ城、フランシスコ会教会、三本橋をみる予定。

 リュプリャーナ城は小高い丘の上にあり、ゴンドラで上がった。ここからは、リュプリャーナ市内を展望できる。

リュプリャーナ
 宿泊したホテルが閑静なところだったので、まわりを見回して、スロベニアの首都といっても地方だなと思ったが、ここから展望するとそうでもない。

 街に入って、その独特の雰囲気に少し驚いた。
リュプリャーナ  

三本橋

正面の赤い寺院はフランシスコ会教会

人、というより、観光客の多さに驚いた。この近くの広場には露店がびっしりと立ち並び、観光客が溢れていた。

この橋の下には観光客用のWCがあった。
リュプリャーナ  

 

 橋の欄干の側面がガラスになっている。別の橋では、橋の床面の一部がガラスになっていた。勿論、川がよく見えるように。

 この街が観光客の受入れを強く意識しているのが分かる。
リュプリャーナ  

 

 この街そのものも、

 美しい街だ。
リュプリャーナ  

 

 街中からユリアン・アルプスが見える。
 ユリアン・アルプスはいわゆるヨーロッパ・アルプスの東部にあたる。

 "ユリアン"は"ユリウス"・カエサル(英語名ジュリアス・シーザー)の名をとった名前。
 ここの総督であったカエサルが、ここからガリア遠征にむかったといわれる。
ユリアン・アルプス  

 この後、クランスカゴラへ向かった。

 途中、バスの車窓から
 ユリアン・アルプスがよく見えた。
ヤスナ  

 

 

 昼食を済ませ、1時間後くらいに到着した
 ヤスナ湖

 バスを降りてすぐに、
 息をのむ思いで湖の景観を見つめた。
 素晴らしい。
 (下手な写真で申し訳ない)
   湖を見下ろすように瀟洒なホテルが1軒あるが、ひっそりとして客の気配もない。ほかには別荘らしい建物。
 澄みきった湖水がなんとも美しい。その湖水に映る木々。遠望にはユリアン・アルプスが。じっと眺めていても、眺めることに決して飽きないだろう。

 世界で最も美しい場所はどこだと思うか?と訊かれたら、誰にでも、それぞれに、挙げるところはあるに違いない。それをリストにすれば1つや2つでは済まないだろうが、ここヤスナ湖もそのリストに入っているに違いないと、私は思う。
 ヤスナ湖は阪急交通社としては初めての訪問(観光)場所だそうだ。今回の感想で、今後コースに入るかどうか決まるらしい。どうでしょうね。いつまでも静かな場所であってほしい。

 ヤスナ湖からバスで少しだけ移動してクランスカゴラへ。
 クランスカゴラはスキー・リゾートとしてかなり整備されている。スキーシーズンにはスキー客で溢れるであろうことが十分に想像できる。
聖母マリア教会  

聖母マリア教会に入ってみた。

 内部は、荘厳というより、優しい美しさに満ちている。花がいっぱいに飾られているからだろうか。
 この写真に写っていない場所もいっぱい花で飾られている。
 この写真では窓からの光線が明るいので花が暗く写っているが、実際は、教会内部は華麗そのものだった。
 ふと、気付いた。花は造花ではない。全部、本物の生花である。本当の花園ではないのに、これほどの花が溢れているとは。それも、飾られている花は、そこらへんに咲いている野花ではない。いわゆる高価な花ばかり。百合の花が多い。
 日本の花屋で購入すればさぞかし高価だろうな。……私はケチな計算をしているわけではないのだ。金額の問題ではない。
 聖堂いっぱい、花で覆われている。これが、なんとも素敵だ。ここに入るだけで幸せになるような気がする。

 これはここクランスカゴラの人々の信仰心とか優しさを表しているのかと、私はまずそう思った。しかし、そうではなかった。ここスロベニアの他の地方、そしてクロアチアでも、同じようなものが見られた。さすがに、これほど花いっぱい、というのはここクランスカゴラの聖母マリア教会だけだったが。

ブレッド湖  

 バスでブレッド湖はそんなに遠くなかった。私達はここで2連泊する。

 ホテルはブレッド湖畔にあり、部屋からもブレッド湖を望むことができた。湖水が美しい。
 パックツアーなので、部屋の割当ては多少運が関係する。良かったね。

 ほぼ正面にみえる山上にあるのはブレッド城。明日の昼食はここで食べる予定。

2015年5月27日
ブレッド湖  

今日はブレッド湖とボーヒン湖を観光の予定。

 ブレッド湖では、小島ブレッド島にある聖マリア教会まで手漕ぎボートで向かう。"手漕ぎ"ボートというが、私達が漕ぐのではなく、プロの船頭が漕ぐ。
 このプロの船頭、嘗ては世襲だったそうだ。世襲?いつの時代のこと?と考えてしまう。世襲だとすれば、この船頭の父親の、ひょっとして更にその父親の時代から、既に手漕ぎボートでのブレッド湖観光があったことになる。
 風光明媚で、山並や城の景色が広がるこの地域一帯、ヨーロッパの富裕層には古くから知られた観光・リゾート地だったのかも知れない。昨日行ったヤスナ湖なども、最近知られて別荘地になった等とはとても思えない落ち着きがあった。
 歴史に"もし"は無いと言われるけれど、例えば、共産主義国家に組み入れられるとか、その後の紛争とかいうような、ある種悲劇的な歴史の動きにさらされなければ、スロベニアやクロアチアはスイスに次ぐヨーロッパの大観光地になっていたかも知れない。

 晴天のもと、ボートからはユリアン・アルプスが見事に美しく見えた。

 ブレッド島にある聖マリア教会を見てから、また手漕ぎボートで岸に戻り、次にブレッド城に向かう。バスは小高い山の山上へぐんぐん登っていった。ブレッド城内見学の後、レストランで昼食。ここでも観光客が多く、城内でもそうだったが、レストランでも超満員。料理が何であったか覚えていないが、ただ、レストランの内装にはちょっと感心。今回の旅で利用したレストランはどこもそうだったが、レストランの内装がなんとなくしゃれている。ちょっとモダンで、嫌味なくしゃれている。ここブレッド城のレストランも同じだった。

 午後はボーヒン湖へ。ボーヒン湖も阪急交通社としては初めての訪問(観光)場所だそうだ。
 ボーヒン湖展望場所までロープウェイで上る。ロープウェイ乗り場の表示では、ここは本来スキー場であり、スキー客用のロープウェイであるらしい。
ボーヒン湖  

 ロープウェイを降りた場所からいろいろ歩いてボーヒン湖を充分に展望できる場所を探したが、どうやら、ロープウェイを降りたその場所がボーヒン湖を展望する最適の場所であるらしいことが分かった。

 そういえば、そこは展望台のような造りにもなっている。下りのロープウェイに乗る前の僅かな時間だけだったけれど、ボーヒン湖の写真など撮った。
 ボーヒン湖畔のほとりをしばらく散策して、ブレッド湖のホテルへ戻った。今晩の夕食はツアーに付いていなかったので、ホテルのレストランでブッフェ。

2015年5月28日
 今日はポストイナへ。午前中は洞窟城、そして午後は鍾乳洞をみる予定。

洞窟城  

  洞窟城

  現在の建物は16世紀のものだそうだが、
  元のものはずっと古くに、この場所に建ったらしい。
洞窟城 洞窟城
 

 洞窟そのものが建物の一部なので、内部はミステリアスな感じがある。

 15世紀のある城主(義賊でもあった?という)が、支配者オーストリアに反抗、オーストリア軍に追われたが、この城独自の構造が役立ち、彼は長期(半年間?)にわたり持ちこたえることができた。最後は敗北したが、原因は配下の裏切りだったいう。
 悲劇的な最期を遂げた人物が実は義賊だったというのは、後から付いた"はなし"かも知れない。
 しかし、この城、攻められたら持ちこたえるどころか、むしろ、ひとたまりもないんじゃないかな、という気がする。ダイナマイト1個投げ込まれたらそれで終わりだ。いやいや、今とは時代が違うし、まだ鉄砲も無く、剣だけが武器だったような時代には、充分に持ちこたえる、か。
 いろいろと空想してみると面白い。 子供であればどんな空想をするかな。

 昼食の後はポストイナ鍾乳洞へ。

ポストイナ鍾乳洞  

 ポストイナ鍾乳洞はヨーロッパ最大の鍾乳洞だそうだ。

 洞窟鉄道や洞内の照明は19世紀にはすでに整備されていたという。ヨーロッパでの観光サービスが随分はやくから発達していたのがわかる。富裕層だけが客だったろうけれど。

 私達もこんな洞窟鉄道(トロッコ)に乗って、洞窟めぐりに出発。
ポストイナ鍾乳洞 

これは失敗写真ではない。 →

トロッコは猛スピードで走行するのだ。
手などトロッコの外に出せば必ず怪我をするだろう。
鍾乳洞管理会社も「鍾乳洞が傷付く」と言うかも知れない。
いや、これだけ猛スピードで走行すれば、手を出す気にもならないだろう、ということだと思うな。



 

 

   スライドショー      (写真43枚)  

 

 ポストイナ鍾乳洞の内部をスライドショーでご覧下さい。

 大規模で素晴らしい。
 照明のテクニックも上々。

 鍾乳洞、要するに洞窟の中の造形です。
 こんなスライドショー、じっと見てると気味が悪い
 という方は「停止」ボタンを押して次へ進んで下さい。  

 

 明日は、クロアチアに入ることになる。

 
ポストイナ鍾乳洞
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