御言葉に聞く

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「過ぎ去るもの」


regbook.gif「子たちよ。あなたがたにこれを書きおくるのは、御名のゆえに、あなたがたの多くの罪がゆるされたからである。父たちよ。あなたがたに書きおくるのは、あなたがたが、初めからいますかたを知ってたからである。若者たちよ。あなたがたに書きおくるのは、あなたがたが、悪しき者にうち勝ったからである。子供たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが父を知ったからである。父たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが、初めからいます方を知ったからである。若者たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが強い者であり、神の言があなたがたに宿り、そして、あなたがたが悪しき者に打ち勝ったからである。世と世にあるものを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。すべて世にあるものは、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行うものは、永遠にながらえる。」

ヨハネの第一の手紙2章12節−17節 

 
 私たちの日ごとの生活は、色々な意味で自分の思いどおりにならないことが多いものです。それが積み重なって、不満だらけの毎日を過ごすことだってあります。しかし、かりに不満だらけの日々を過ごすとしても、そのような日々も、やがて過ぎ去り、私たちが地上の生活から別れる日がやってくるのです。聖書には「世と世の欲とは過ぎ去る」という御言葉があります。この世のものは過ぎ去るのだ、そう教えています。しかしこのの御言葉は、あなたの人生はいずれ幕を閉じるのだから、不満な毎日でも自然の成り行きにまかせなさいと、すすめているのではありません。
 しばしば私たちは目に見えるものに心を奪われます。過ぎ去ってしまうものに人生をかけようとし、本当に大切なものを見失なってしまうのです。聖書は、そういう過ぎ去るものに人生をかけるのではなく、そうではないもの、滅びないものに自分の人生をかけよ、過ぎ去るものを中心とした人生ではなく、そうではないものを中心とした人生をおくりなさいと言われるのです。過ぎ去るもの、朽ちるもの、そういうものを人生の中心からどかして、新しい人生を形作りなさいと言われるのです。
 私たちそれぞれに与えられた道は異なります。しかしその人生の中心にすべきものは同じです。キリストの十字架の恵みの中で生かされている者として、御言葉に聞き、祈り、行動する。失敗しても失敗しても、神さまのみ旨を行う生活を繰り返し志すこと、これが私たちに求められる歩みなのです。そこから、私たちの祝福された人生がはじまるのです。



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