御言葉に聞く

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「神の安息に与かる歩み」


創世記2章1節〜4節 

 
 私たちは、日頃の疲れをいやし、次の働きのために休むことが必要だと考えます。しかし、私たちは休むこと、安息ということの本当の意味をまだ分かっていないのではないでしょうか。
 創世記2章には、神さまの創造の物語が記され、その7日目には神さまが休まれた、安息されたということが記されています。その安息は神さまが疲れたから休んだというのではなく、創造の業の完成の日、その頂点であるということができます。つまり、休むことは、働くためのやむを得ない手段ではなく、働くことの目標でありその到達点であるということなのです。そして、この安息は、ただ神さまの安息であるだけでなく、私たちもこの安息にあずかる者となるように、神さまは私たちを招いていて下さるということをも語っているのではないでしょうか。そしてこの神さまの安息にあずかることが、私たちの人生の究極の目的であることを、聖書は私たちに示しているのです。
 神さまの安息の日は、私たちの歴史にとっては第一日になり、この安息の日から一週間の歩みが始められるようになりました。そして何よりもキリスト教会は、週の初めの日に主イエスが復活されたことを祝い、特に主の復活を記念し、その意味を宣べ伝える礼拝をささげる日としました。そして招かれて礼拝に集い、一週間の私たちの生活に新しい約束と希望の光を神さまが与えて下さるのです。これが私たちの真の安息なのです。
 正しく休むことから、私たちの歩みは始められます。働くこと、仕事をすること、何かをつくり出すことは、人生の大切な要素です。しかしそれ以上に大切なことは、休むこと、神さまの安息に与かること、そのことを通して神さまを知り、喜ぶことであります。多忙という時の流れに押し流されて、自分を見失わないために、神さまが与えて下さる安息に与かりたいと思います。



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