御言葉に聞く

crossbar.gif

「聞くに早く、語るに遅く」


regbook.gif「愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。」

ヤコブの手紙1章19節〜21節 

 
 「怒る」ということ、それは私たち人間にとって必要なことです。しかし、私たちの「怒り」を振り返ってみると、しばしばその怒りは感情的であり、後で後悔したりすることが多いのではないでしょうか。私たちが怒るのはほとんどの場合、自分のためです。自分のためだけに怒る、そういう怒りをいくら積み重ねても、それは神さまの喜ばれるものとはなりません。
 聖書は「怒りを遅くしなさい」と教えています。「怒るな」と言っているのではなく、「怒りを遅くする」ことを教えているのです。それは怒りを遅くすることによって、いったい何が本当の問題であるかということが、何が神さまの御心であるかということが分かってくるからです。
 それでは怒りを遅くするために、私たちは何をすべきなのでしょうか。1節の「怒るに遅く」という言葉の直前に、「聞くに早く、語るに遅く」という言葉がありますが、まさしく私たちは「聞く」ことによって怒りを遅くするのです。神さまに聞くことによって、祈って、私たちは自分の感情を超えて怒りを遅くするのです。
 いかなる時にも御言葉に聞き従う歩み、それが信仰の歩みです。信仰は聞くことから始まります。神さまの前に立って、神さまに聞くことから信仰は始まるのです。御言葉に聞き、自らの心が癒され安らぐという土台為しに、言葉を発することはできない。いや、そういう土台の上に言葉を発する時に初めて、私たちは誰かの心を慰めることができるのです。自分の心が病んだままで、自分の心に平安がないままで、言葉を発することによって、私たちの心はますます痛めつけられ、同時にその言葉によって多くの人の心がまた傷つけられてしまうのではないでしょうか。 



[Back]   

crossbar.gif

ホーム集会案内教会の歴史4.gif牧師紹介御言葉に聞く


祈りの花束教会の四季教会周辺地図おすすめホームページ

post01.gif

clickA.gif