御言葉に聞く

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「人生の羅針盤」


regbook.gif「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。信仰によって、わたしたちは、この世界が紙の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたものでないことを、悟るのである。...信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。」

へブル人への手紙11章1節〜3節、8節〜10節 

 
 人生はよく旅にたとえられます。ピリピ人への手紙に「わたしたちの国籍は天にある」という御言葉がありますが、信仰者の人生は常に神の都を目指して歩む旅であることを忘れてはなりません。
 その旅をする時、何がその指標になるのか、それが信仰です。その信仰についてヘブル人への手紙11章1節には、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである」と記されています。つまり信仰とは、目に見えるものを越えて存在する世界を信じ、希望に生きるということなのです。
 しかし希望というのは、現実の苦しみから逃避するためのものではありません。信仰とは希望であると言うとき、それは希望が人生を導くものであるということを意味します。毎日の現実の生活において、まさに未来への希望に支えられて、力強く歩んでいく。信仰とは、このような希望の力を持つことなのです。
 目に見えるもので満足している限り、私たちの人生は神の都に近づく旅とはなりません。パウロは、目に見えるものにのみ人生の価値や、幸福を求めるのは、肉の思いであり、罪の姿であると教えています。私たちは、本当に、目に見えるものにたいする捕らわれから解放されて、目に見えない世界、真実の世界へと目を開かれていかなければならないと思うのです。
 私たちにとって、信仰こそが、人生の道しるべです。その信仰は目に見えない世界をまこととし、そしてまだ見えない未来の世界に対する希望をもって、新しく人生の冒険に打って出る力です。そのような信仰の力を与えられて、常に新しい旅立ちをしてまいりたいと思います。



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