御言葉に聞く

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「生きる力を与えられて」


regbook.gif「さて、わたしが主にあって大いに喜んでいるのは、わたしを思う心が、あなたがたに今またついて芽ばえてきたことである。実は、あなたがたは、わたしのことを心にかけてくれてはいたが、よい機会がなかったのである。わたしは乏しいから、こう言うのではない。わたしは、どんな境遇にあっても 、足りることを学んだ。わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。わたしは、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇にも処する秘けつを心得ている。わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」

ピリピ人への手紙4章10節〜13節 

 
 私たちは、どのような時に真の豊かさを感じるでしょうか。たとえ物質的、経済的に豊かであっても、その人生は必ずしも豊かであるとは限りません。そのような外的な豊かさよりも、生きる喜びや希望が与えられるということから生まれる豊かさこそが、真の豊かさの中に自分が置かれていると実感できるのではないかと思います。
 パウロはピリピ人への手紙の中で、彼にとっての豊かさとは何であるかを語っています。彼は11節において、「わたしは、どんな境遇にあっても、足ることを学んだ」と述べています。これは物質的、精神的いずれにおいても、それが満ち足りていようが、不足していようが、どのような状況にあっても、自分は足ること、満足することを身につけている、ということです。いかなる外的な状況に左右されることのない真の充足、豊かさを、自分は主イエス・キリストによって与えられているのだ、とパウロは述べているのです。この信仰こそが、パウロに生きる喜びと希望を与えたものでした。
 私たちを苦しめるものは多くあります。その現実にばかり心奪われてしまうのが私たちです。しかしパウロはそのようなものが、決して豊かさから遠ざけられるものではないということを知っていました。彼は様々な経験から、むしろ人の弱さ、貧しさを通して主は働いて下さるのだという確信を与えられていきます。弱さが強さ、貧しさが豊かさに変えられていく現実を彼は体験するのです。パウロは「キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう」という思いに変えられていきました。そして「わたしが弱い時にこそ、わたしは強い」との確信へと彼は導かれていったのです。この確信は、決して開き直りの思いから出たものではありません。主イエス・キリストが共にいて生かしてくださる。自分の弱さもキリストによって補われることによって、強さへと変えられていく、そういう確信をパウロは語っているのです。
 神さまの助け、神さまの支え、神さまの力を受けているからこそ、今生かされているとの確信が、いかなる状況が起こったとしても、いかなる変化が起こったとしても、喜びと希望と感謝をもってその状況を受け入れることができるのです。それが13節の「わたしを強くしてくださるかたによって、何事でもすることができる」という確信に満ちた告白の源なのではないでしょうか。



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