御言葉に聞く

crossbar.gif

「まさか私ではないでしょう」


regbook.gif「ときに、十二弟子のひとりイスカリオテのユダは、イエスを祭司長たちに引きわたそうとして、彼らの所へ行った。彼らはこれを聞いて喜び、金を与えることを約束した。そこでユダは、どうかしてイエスを引き渡そうと、機会をねらっていた。徐酵祭の第一日、すなわち過越の小羊をほふる日に、弟子たちがイエスに尋ねた、「わたしたちは、過越の食事をなさる用意を、どこへ行ってしたらようでしょうか」。そこで、イエスはふたりの弟子を使いに出して言われた、「市内に行くと、水がめを持っている男に出会うであろう。その人について行きなさい。そして、その人がはいって行く家の主人に言いなさい、『弟子たちと一緒に過越の食事をする座敷はどこか、と先生が言っておられます』。するとその主人は、席を整えて用意された二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために用意をしなさい」。弟子たちは出かけて市内に行って見ると、イエスが言われたとおりであったので、過越の食事の用意をした。夕方になってイエスは十二弟子と一緒にそこに行かれた。そして、一同が席について食事をしているとき言われた、「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたの中のひとりで、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている」。弟子たちは心配して、ひとりびとり「まさか、わたしではないでしょう」と言い出した。イエスは言われた、「十二人の中のひとりで、わたしと一緒に同じ鉢にパンをひたしている者が、それである。たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去っていく。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生まれなかった方が、彼のためによかったであろう」

マルコによる福音書14章10節〜21節 

 
 主イエスは、最後の晩餐を弟子たちとご一緒になさいました。その晩餐の席で主イエスがまず語られたのは、あなたがたの中に、わたしを裏切る者がいるという言葉でした。そして、その言葉に対して弟子たちは、「心配して、ひとりびとり『まさか、わたしではないでしょう』と言い出した」とあります。また主イエスは続けて、「十二人の中のひとりで、わたしと一緒に同じ鉢にパンをひたしている者が、それである」と言われました。同じ鉢にパンをひたすほどに親しい者、主の選んだ弟子の一人が、裏切ろうとしているのだ...と。
 実際、この後ユダが主イエスを裏切ります。弟子たちは、自分達の仲間が主を裏切ったのだということを生涯忘れなかったでしょう。それ以上に自分自身が、「あなたがたの中に裏切りものがいる」と言われた時に、「まさか、わたしではないでしょうね」と言ってしまう自分の不確かさ、隠された裏切りの心があったこと、そしてその直後に主イエスを捨てて逃げたことを辛い思いをもって、思い起こしたに違いないと思います。悔やんでも悔やみきれない思いで一杯だったのではないでしょうか。しかし、そのような者のために主イエスは十字架にかかって死んで下さったことを、弟子たちは知るのです。そのような人間の弱さ、罪を全部引き受けるために主イエスは十字架で苦しんで下さったのだということを..。
 ヨハネによる福音書には、主イエスがユダをも含めて弟子たちを最後まで愛し抜いて下さったこと、そして彼らの足を洗って下さったことが記されています。「最後まで」というのは、「完全に」という意味をもつ言葉でもあります。裏切り、逃げてしまったような罪深い者を無条件に愛し抜いて下さり、そのために生命までも与えて下さる主イエスの前に、悔い改めと感謝の思いをもって従っていきたいと願います。


[Back]   

crossbar.gif

ホーム集会案内教会の歴史4.gif牧師紹介御言葉に聞く


祈りの花束教会の四季教会周辺地図おすすめホームページ

post01.gif

clickA.gif